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その幼女、化け物につき  作者: ハモニカ
4/7

第四話 輪廻は回らず

「なんだぁ、これは」


 自分でも間抜けな声を出してしまったことを後になって後悔する。


 今、ミアは小高い丘の上にいる。度重なる砲爆撃で丸坊主になり、かろうじて炭化しかかった木が一本残った丘から見下ろす景色は文字通り阿鼻叫喚の渦を体現している。


 北から南に延びる長い塹壕。数十メートルに一本掘られたその窪みを巡り、夥しい数の兵士が地面を這いずり回っている。時折、地面を大口径の砲弾が吹き飛ばし、粉々になった人肉を土と一緒に巻き上げる。煙が赤黒く見えるのは四散した血液のせいだろうか。


 それはまさしく「大収穫」の名に恥じぬ殺し合いだ。あの爆発で一体何人死んだ。人を人とも思わぬ無慈悲な攻撃が途切れることなく続けられ、何の感慨もなく人間が死んでいく。


 今頃、天使と悪魔は籠を背負って駆けずり回っているに違いない。これだけの数の死者となれば、天使も悪魔も魂の回収に大忙しだ。良質な燃料となる魂を一つたりとも無駄にはできないから、灰色の雲の上ではもう一つの戦い、魂の争奪戦が行われていることだろう。直接的な攻撃は資源協定によって禁じられているため、いかに早く魂を回収するかが彼らの評価に直結する。どうせ、一つにまとめられて再配分されるのだから、ノルマ制なんて廃止すればいいと思うのだが、あれはあれで彼らの牙が切れ味を失わぬようにするのに一役買っているという。


 時間が許すのであれば、それは何時までも見ていたくなる絶景である。ついつい、自分の置かれている状況も忘れて、呆けてしまいそうになるのを何とか我慢し、ミアはオルゴワ王国からやって来た占領軍から失敬した双眼鏡を覗き込むことにした。


 探し物は戦線の間隙だ。オルゴワ王国の支配地域を脱出するためにはどう足掻いてもあの戦線を越えなければならない。昨晩からの様子だと、夜陰に紛れて戦線を横切ることも至難の業だ。何しろ、夜は夜で戦闘が続いている。照明弾を打ち上げ、昼間の太陽を思わせる輝きが空を覆うと、浮かび上がった敵兵に向けて重砲や機関銃が火を噴く。薄暗い視界が一瞬オレンジ色に染まる爆炎は大変美しいものであったが、こいつら休んでいるのか、と思うほどこの前線は途切れることを知らない。


 おまけに、この前線は北から南にかけて地平線の向こう側まで続いている。何をしたらこれほどまでに長い前線が出来上がるのか、不思議でならない。こんなことをすればお互いに突破口を見いだせなくなり、泥沼化することなど分かり切っていたはずだ。


「あ、泥沼化してもらわにゃならないのか……」


 自分で言っておいてあれだが、幼児特有の呂律の悪さは身悶えするほどフラストレーションが溜まる。言いたい言葉を思い通りに発声することができないというのがこれほどまでに喉を掻きむしりたくなる衝動をかき立てるものとは思わなかった。許されるのであれば、今すぐにでも舌を噛み切りたいほどだ。


 そんなことを考えていると、背後から何やらけたたましい音を立てながらトラックが何台もこの丘を目指して走ってくる。トラックが背後に重砲をけん引しているところを見ると陣地転換の真っ最中のようだ。先頭を走るジープが前線から陰になる所で停車すると、慌ただしく無線機を背負った兵士や指揮官と思しき男が飛び降り、ミアがいる丘の頂上に駆けあがってくる。


 折角の特等席であったというのに、後から来た連中に明け渡す義理もない。ここは自由席だ。空いている所に座るのは構わないが、最高のポジションを譲るわけにはいかない。それとも、指定席のチケットをお持ちかな? あるなら出してくれて構わない。破り捨ててやる。


 案の定、部下を従えて丘の上に登ってきた指揮官は地面にうつ伏せになり、前線を双眼鏡で眺めているミアを見るなり目を丸くした。ミアが完全に無視を決め込んでいるので、死んだのかとも思ったようで恐る恐る背中を叩いてくる。


「お前の国ではレディの背中は気軽に触っていいものにゃのか?」


 嗚呼、凄んでも笑われてしまいそうな体たらく。自分を殺したくなる。


 体に似合わないほど大きい双眼鏡が顔を隠してくれていることに感謝しながらも、ミアは身じろぎ一つせず、探し物を続ける。


 ところが、兵士たちはミアが一桁後半にもいかない年齢だと気が付くと恐れ多くもその身を強引に抱き上げた。成人男性の力にミアは抵抗できず、簡単に持ち上げられてしまう。


 待て、その双眼鏡は私の物だ。どこかの誰かが忘れていったものだが、今は私のものだ。


 しかし、抗議は受け入れられず、ジープの後席に座らされると指揮官の男が運転席に座っていた兵士に後方の適当な場所に捨ててこいと命令した。人をまるで物のように扱うとはいい度胸である。これが魔界での出会いであれば、まずは蛇の牙に仕込まれた毒で体を麻痺させ、四肢の先からジワジワと致死性の毒を流し込んでやるところだ。そして、その後はただそれを眺めるだけ。もし、殺してくれと懇願されれば、手足の内、最も毒が広がっている一本を噛み千切ってやる。そして泣いて喜ぶほどのアフターケアで止血し、また眺めるだけの作業に戻る。これだけで半日は楽しめるのだから、楽なものだ。


 だから、人間界での出会いであったことにあの男は感謝しなければならない。今のミアには何の力もない。無力を体現したこの肉体でできることはせいぜい声を張り上げることなのだが、あまりそれをするとミア自身の心に大きなダメージが来る。早く滑舌を良くし、全うな言葉が喋れる自分を取り戻さなければ、折角手に入れた金髪が抜け落ちてしまいそうだ。


 碌に洗っていないのでボサボサだが、悪魔時代の黒髪に比べれば幾分か綺麗だとは感じられる逸品だ。魔界の女共に売りつければ高値で売れるのではないだろうか。そうするのであれば、是非ともキチンとした手入れをしておきたいものだ。原価ゼロによるお手頃価格、れっきとした天然モノとくれば食いつかない女もいないに違いない。


 いや、髪が伸びるのにはそれなりに時間がかかるな。となると量産には向かない。いっそ美しい髪の毛の持ち主を攫って、家畜のように飼ってやるというのも一興か。通常の家畜と異なり、質が良ければ雌雄を問わないというのは強みになりうるかもしれない。


 ところで運転手、私をどこへ連れていくつもりだ。



☆☆☆



 この運転手、指揮官からの命令を忠実に遂行する気満々だ。兵士ならこんな幼児に構わず、とっとと前線に戻って戦ったらどうだ。私があの前線に辿り着くまでどれだけの労力と時間をかけたと思っているんだ。四週間だぞ、四週間。幼児の足だけで前線に向かって歩くのは本当に大変なんだぞ。すぐ疲れるし、出会う者には軒並み後方に連れて行かれそうになるし、面倒な事この上なかった。


「何か音楽でもかけるか?」と気さくに話しかけてくるが、誘拐犯と交わす言葉など持ち合わせていない。砲声とどっこいどっこいのやかましい音楽が聞こえてくると、兵士は気分がノッてきたのか鼻歌を歌い始める。頼むから運転だけは疎かにするんじゃないぞ。死ぬ分には構わないが、それにしても死に方っていうものがある。オープントップのジープが路肩に落ちて、その反動で宙に舞い上がってその辺の畑に頭から突っ込み、首の骨が折れて死亡とか、転生してもお笑い種として語り継がれかねない。


 ジープから飛び降りるという選択肢もあるのだが、追いかけられて捕まるのが関の山だ。無駄なことには体力を使いたくないし、こうして車上から軽快に通り過ぎていく景色を見るのもまた乙なものだ。前線に近いところには未だ回収しきれていない死体が時折横たわっていて、戦場の掃除屋である大型の鷲が啄んでいる光景も見受けることができた。更に後方へ下がると、今度は瓦礫と化した街に差し掛かる。おそらく、緒戦で戦場となった街なのだろう。確か、このような街の一角で私の母だという女性は産気づき、戦闘に巻き込まれたのだと言う。まったく、よく生まれる前に死ななかったものだ。さすがに数分で出戻られては困るとあのジジイが手を回したのかもしれない。


 それから数年、占領軍の中で泥水を啜りながらもわずかな施しを願って歩き回ったわけだ。いつもあの衛生兵パシリが傍にいるわけでもないのだから、当然だ。彼もまた兵士であり、今は戦時中だ。童にかかずらわっている場合ではなく、助けを求めて呻き声を上げる負傷者の手当てをしなければならない。


 復讐を成し遂げるためならいかなる努力も惜しまない。願わくば、かつてのように一日三食飯が食える生活を実現したいとも思う。だが、今のままではどうにもならない。今日の一件で分かったのはどう足掻いても自力で前線を越え、シャウレアーン王国正規軍と合流する道はないということだ。空を飛べるならいざ知らず、この身は高度三十センチに飛び上がることも難しい。ただでさえ華奢な体に栄養失調が重なり、軍用とはいえ双眼鏡を持ち上げることもできない。落ちていた手提げかばんに入れて引きずり、ようやくあの丘に辿り着けたのだ。だと言うのに、帰りはこんなに快適な道のりになってしまうとか、皮肉だろうか。


 何処で下ろされるのかは定かではないが、大方シャウレアーン王国の一般人が集められている街だろう。オルゴワ王国からやって来た占領軍は、その道中で破壊された街に住んでいた者たちを戦禍に塗れなかった他所の街に移し、街の外に出さないことで管理しようとしている。そんなことをしたところで、いずれ感情が爆発し、後方でのゲリラ活動に繋がる。それが占領という行為をした国家の宿命だ。潰しても潰しても、別の場所から顔を出し、一撃して再び消える。モグラ叩きとは言い得て妙である。しかも彼らは民衆を味方につけることができるのだ。民衆の中に潜み、背後からナイフで一突き、犯人を見間違え、無関係な民衆を殺せば、敵愾心はさらに強まる。


 おまけにその占領地は、オルゴワ王国本国と前線の間にある。後方連絡線を脅かせば、占領軍は前だけを向いていられなくなる。いや、もしかしたら既にそうなっているかもしれない。民衆はどんなに固まったところで正規軍には太刀打ちできない。ならば、最初から正面切って戦わなければいいのだ。なにも馬鹿正直に相手の土俵で戦ってやる必要はない。此方が得意な土俵で、彼方が不利な態勢で、その背後から最高のタイミングで斬りつける。それが出来ればもはや占領軍は大規模な掃討作戦をせざるを得なくなる。果たしてそれができるだけの余力が彼らにあるかは分からないが、それだけすれば綻びも増えてくるはずだ。


 この呑気な運転手も、もしかするとそのうち酒場で突然撃ち殺されるかもしれない。もしその場に居合わせれば同情の余地なく、占領軍には侮蔑と共に唾を吐きかけてやる。


「うん、なんだ……?」


 ふと、運転手が目を細め、僅かに体を前に倒した。真後ろにいたミアからは運転手の見た光景が見えないため、体を傾けて視界を確保する。


 なるほど、気が付くのが遅すぎる。それが率直な感想。


 視界良好、障害物無しだというのに運転手がブレーキをかけても間に合わない距離、どんなにタイヤが地面を削ったところで進んでしまう距離にそれはあった。道の脇にある標識と、反対側の木に括りつけられた細いワイヤーは日光を反射させる程度には自己主張していた。音楽に合わせてアクセルを踏み込んでいたジープであのワイヤーに突っ込めばどうあるか、分からないほど運転手も馬鹿ではあるまい。だが、あまりに愚鈍だった。


 一方、ミアは後席で体を傾けていたことが幸いした。そのまま体の力を抜き、後席に倒れ込むと直後、肉が削げ、骨が折れる音が前席から聞こえてきた。生温かい液体が噴水のように吹き出し、風に流されてミアの体に降りかかる。


 嗚呼、運転手は無残にも首を落とされた。砲弾飛び交う時代に、首を落とされると言う経験もなかなかできるものではない。あっちの世界で自慢できるぞ、良かったな。


 だが、そうも言っていられない事態に陥った。考えるまでもなく運転手が死んだことによってこのジープは操り手を失った。そうでなくとも急なブレーキとハンドル操作で半ば制御不能になっていたのだ。ワイヤーを通過して数秒とせず、何かに引っかかってジープが反転、宙を舞う。シートベルトをしていた時と、していなかった時、どっちがマシだったかと思った矢先、体がジープから離れる。まるでカタパルトで放り投げられたかのようにジープの後席から前方目がけて放り出されたミアの体を大破しながら車体が追いかけてくる。


 接地。肩から落ちたおかげで骨が折れたのを感じる。地面に頬を強打、慣性の法則に従い砂利が多めの地面を滑ると、紅葉卸にされる大根や人参の気分を味わえる。天地が激しく回転し、上下の感覚もままならない。それで終わればまだマシだったが、その上にジープがダイブしてきやがったのだ。さすがにこれはどうにもならない。よし、死のう。死んで復讐しに行こう。


 自分の身体が潰される音を聞きながら、ミアはほくそ笑んだのであった。



☆☆☆



「は?」


 待て待て、何がどうしてどうなった。


 状況を認識しろ。ここは駅のホーム、島式、左右に上りと下りの線路が敷かれている。それは分かっている。忘れるはずもなく、これは私自身の手で作り替えた魔界と天界のだ。


 門、というとやはり重厚な両開きのものを想像するだろうが、あれはあれでなかなかに効率が悪いのだ。死者の魂が来るたびにいちいちあの重い扉を開き、処理していくというのは窓口に座る者にとっては重労働な上、退屈極まりないルーティンだ。


 そこで、門に魂が辿り着く前に集積し、一定量に達した段階で一斉に処理する仕組みに作り替えた。どうせ、個体差などは総量の規定があるため関係ない。そういう意味では人間の魂をさらに物扱いする仕組みである。『システム』に対して否定的な考えの持ち主であっても、当時は即座にその改革を口にできるほど私に力はなかった。そこで、実績と経験を積み、ついでに『システム』の重要な歯車である門番たちを此方側に引き込むいい機会でもあった。最後の一つは頓挫したが、やはり既存の体制を作り替える作業というのは楽しい事この上ない。破壊と再生、その両方を一度に為せるのだから。


 それはいい。我ながらいい仕事をしたとも思っている。事務処理の効率化と門番の負担軽減を見事に実現した上、天界と魔界の行き来をも容易にしたのだから、多少なりとも胸を張れる。といっても、二つの世界を行き来する用事がある存在なんて限られているが。地獄にもホットラインや直通便があった方が便利な世の中だ。あるに越したことはない。


 問題は、何故そこに私がいるのか、と言うことだ。人間の魂ならまだしも私は悪魔だ。悪魔の魂は魔界に還るのが常、ならば魔界と天界両方に通じるこの場にいる理由がない。


 事ここに至り、ミアは追放される前に大公が言っていた言葉を思い出した。


「二度とこの地には戻れぬと知れ」


 あれはこういう意味だったのか。


『システム』が作り上げた魂の輪廻の環から外されたということか。それすなわち、死ぬことができないと言うことを意味する。そして、永遠にあの薄汚れた世界を這いずり回らねばならないということは、この身に宿る憎悪を向けるべき相手の面前に立つことがもはや不可能である、ということだ。


「なんたる、なんたる不覚。まだ私を弄ぶ気か、大公!」


「……はて、何の事じゃ。フェリーノ」


 声だけが聞こえる。当たり前のことではあるが、それでも残念だ。もし姿を現わそうものならそっ首噛み砕いてやるというのに。


「本来であればここに来ることもなく、蘇生と相成るところじゃ。こうして対話の機会を持てただけでもありがたく思うが良い」


 追放した相手に対して、妙に丁寧だ。痛罵の一つもあって不思議はないところだし、こうも神妙にされると居心地が悪い。どう足掻いたところで何か裏があるのではないかという疑いが確信に変わる。


 声しか聞こえない事を良いことに、ミアは耳を傾けながらも駅のホームに据え付けられた券売機へ向かう。人間以外、つまりは魔界や天界の住人が外交交渉のために行き来する際必要となる事務処理を簡略化する一環で採用された無人券売機は電源が落ちているのかうんともすんとも言わない。今更ながらに気が付いたが、門番の姿もない。声だけの出演である大公が人払いを命じたのだろうか。


「さて、人間界で既に数年を過ごしたようだが、反省はしたか?」


 永久追放を下しながら、その質問はおかしい。決して覆らない裁定にも関わらず、今の口ぶりは「反省しているなら悪いようにはしない」と聞こえる。


「質問の意図を教えてもらうことはできますかな、大公」


 あの老人の考えが読めない。ここは慎重な受け答えに終始した方が無難だ。


「なあに、お前の様な優秀な部下を失ったおかげで仕事が滞ってな。世界の理に対する思惑を全て捨てるというのなら、儂がお前の永久追放を何とかしてやらんこともない」


「あれは大公一人で下した裁定ではないはず。他の侯爵や伯爵が納得するはずもない」


 奴らが首を縦に振るとは思えない。何より、私が戻れば自分たちの身に危険が及ぶであろうことは思考回路が直列繋ぎの連中でも分かるだろう。いつの間にか関係者が減っていき、最後に残された大公が恐怖に顔を歪ませる姿を拝みたいものである。


「儂を誰だと思っておる」


 締め上げるのか。大公ほどの権能の持ち主ならできるだろうが、果たしてそれでいいのか。どこぞの人間じゃあるまいし、「無期限休業」とか「永久追放」というのは「ほとぼりが冷めたら戻ります」なんて軽いものではない。


 十中八九、今から魔界に戻ったとしても待っているのは飼い殺しの日々だ。一度危険視した相手に対する警戒心がそう簡単に薄れるわけもなく、見てくれだけの自由が両手を振ってお出迎えしてくれるに違いない。そんな自由はまっぴらだ。それに、『システム』の欠陥を修正できないのであれば、遅かれ早かれ魔界は滅亡に向かい始める。その時になっても遅いのだから、今更魔界に戻りたいとも思わない。


「そうか。ではこれからも永遠に輪廻の輪から外れ、死の苦しみを繰り返すが良い」


「大公。一つ、聞きたい」


「……懇願ではなく質問か。よろしい、一つだけだ」


 感謝はしない。


「お前が『世界の理』と呼ぶものはそれほどまでに大事なのか。魔界の長ともあろう者が心中を望むほどに?」


 しばしの沈黙。


 直後、強烈な力が背後からミアを引っ張った。魂が人間界の肉体に引っ張られていのだ。それはつまり、人間界に残してきたミアの体が蘇生しようとしていることを意味している。自然にそうなったにしては不自然だ。何しろ、間違いなく今の私は死んでいる。体が独りでに蘇生するはずもない。


 やはり、もはや大公と呼ぶには相応しくない老害になり下がったようだ。


「問いは一つのはずじゃったが、二つじゃったな。故に答える義務はない。さらばじゃ、フェリーノ。もう会うこともあるまい」


 いいや、必ず貴様の前に再び立つ。その時になって命乞いをしたところで遅い。貴様が弁明を聞かなかったように、私もまず初めに貴様の口を縫い合わせよう。悲鳴は甘美な果実であるが、枯れた果実など口にしたくもない。


 

☆☆☆



 激痛。


 体中に焼け火ばしを当てられたような痛みに呻き声が出そうになるのをかろうじて堪えると、次いで自分の身体に伸し掛かる巨大な影が視界に入ってくる。何のことはない。大破したジープがミアの腰から下に伸し掛かっているのだ。


 足の感覚はかろうじてあるが、自分が生温かい液体の池に横たわっているという感覚がある。よもや、ガソリンではないだろうな。折角生き返ったのに、今度は火あぶりにされてもう一度死ぬのは御免だ。先ほどの死と違い、火あぶりは死がすぐには訪れない。散々体と呼吸器を炙られ、ようやく息絶えるのだ。一酸化炭素中毒になれれば儲けものだが、いずれにしても即死ではない。


 腕に力を入れて車体と体の間に隙間を作ろうとするも、この体ではピクリとも動かない。腹に力を入れることもできず、顎の感覚がなくなるかと言うほど体に渾身の力を入れても無駄だと思い知らされる。


 クソッタレ、とミアは内心で舌打ちを繰り返す。折角死ねると思ったら生き返らされ、おまけに苦しみ続ける羽目になるなんて、あの老いぼれの性根は腐っているとしか言いようがない。ここまで徹底して甚振られる大罪人も珍しいのではないだろうか。


 嗚呼、これはヤバい。安心して良いものか微妙なところであるが、流れ出ている液体は私自身の血液のようだ。体からスーッと熱量が失せていくのが感じられる。おまけに睡魔が襲ってくる。もしや、この状況を打破する方策を考えない限り、これをいつまでも繰り返すのか。それだけはまっぴら御免――――――。


「お、おい。子供だ、子供! まだ生きてるぞ!!」


 誰だ。耳元で叫ばなくとも聞こえている。


「そっちを持て、いちにのさんで持ち上げるぞ。急げ!」


 もしや、誰かが私を助けようとしているのか。これは重畳、是非とも引っ張り出してくれたまえ。いい加減眠くて敵わない。


 白く霞んだ視界に浮かび上がった人影に助けを求めながら、ミアは再び意識を手放すことになった。

 ククク、伍長殿は留守さ。何しろ体の半分が潰れた肉まんのようになっているからね。

 とはいえ、すぐに復活を果たすだろう。またしばらくこの後書きは彼女の縄張りとなるわけだ。


 さて、ようやく第四話だ。

 舞台は架空の大陸、ラダ大陸を南北に隔てる長大なフロントラインの西側。敵国の占領地となり果てた哀れな国境の広大な土地は苦労して東進した主人公を待ち構えていたのはどこまでも続く塹壕だ。彼我の軍隊が背後に回り込もうと延翼運動を繰り返した挙句、大陸の淵にまで塹壕は掘り進まれ、結局迂回することもできず不毛な砲撃戦で将来ある若者が次々と死んでいくわけだ。魂の大収穫という現象を前にして、人間の意志など毛ほどにも反映されない。彼らが真実を知り得た時、どんな顔をするのか見てみたい気もする。


 だが、それを見ることはできない。彼らはその生涯を家畜として生きることを運命づけられている。誰にもそれは覆せず、試みる者は排除される。二つの世界の安定は彼らの犠牲の上に成り立っている。今更、この便利な資源を手放すはずもない。彼らは、彼ら以外の誰かがその命を無為に散らしたとしても気にも留めない。それが彼らの運命。それが当たり前。諸君も屠殺される家畜に感謝こそすれども、同情せぬことだ。


 だから彼らに同情などしてやるな。「運命を受け入れろ」と言ってやれば良いのだ。そして「ありがとう、お前たちの命で我々は生き永らえる。だから次もたくさん価値を蓄えこんでくれ」とほほ笑んでやれ。


 さて、彼女が目を覚ます前に私は退散しよう。彼女に見つかればただでは済まないからね。何しろ、私は彼女に「運命を受け入れろ」と言った張本人。彼女がどれだけ抗い、もがいたところで私の指先でコロッと倒れる。人を手のひらで弄ぶ趣味はないが、どうもこういう事にはさほど抵抗もないようだ。人がもがき苦しみ、這いずり回りながら決して叶うことのない願いに向かい続ける姿を見るのが、もしかすると好きなのかもしれない。


 では、またいずれ。彼女のいぬ間に命の洗濯と洒落込もう。


 

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