95:ジエイ
その夜、ジエイは追い込まれていた。
敵の魔物の動きが、いつもと違うのだ。
いつもであれば、前の雑魚から順番に襲ってくる筈なのに、今夜だけは一斉にジエイめがけて襲って来た。
魔族本来の姿に変化したジエイと言えども、無数とも言える敵を延々と倒し続けるのには、体力をそれなりに消耗もする。
しかも、守護騎士団の精鋭たちは別の任務で出払っていて、共に戦っているのは二軍と言っても良いだろう。
それだけに、自分の周囲だけに集中すると言う訳にも行かなかった。
足手まといになりそうな仲間を守りながらの戦いというのは、正直きつい。
ここぞというタイミングで、どうしても全力を出し切れないのだ。
しかも、今夜の敵は周囲の家にも被害をもたらしている。
今夜はいつもと違う、ジエイはそう感じていた。
ジエイを狙った敵の物理攻撃と魔法攻撃が次々に飛び交い、下手に避ければ周囲の人家をそれが直撃してしまう。
人を守るために戦っている筈の自分が、結果として多くの人々に被害を及ぼしているという現実に直面して、ジエイは己の戦いに集中する事が出来なかった。
自分が下手に避ける事によって後方の人家に被害が及ぶとなれば、一瞬の戸惑いや迷いはジエイが回避すべきギリギリのタイミングを、少しずつ遅らせてゆく。
いっその事、周囲にある人家への被害を無視すれば、この戦いは今ほど苦しく無いだろう。
しかし、愛する人の住むこの王都と、そこに住む人を守ると誓ったジエイにとって、それは出来ない相談だった。
ならば、己の並外れた魔法耐性を信じて、被弾覚悟で戦い続けるしか無い。
いかに実力差があるとは言っても、数知れぬ被弾によって蓄積されたダメージは確実にジエイを追い詰めていった。
それがジエイの足下にも及ばぬ弱い魔物であったとしても、無数に手足へ縋り付かれては急所を避ける最低限の回避すらも、ままならなくなる。
何匹倒しても切りの無い敵の攻撃と、次第に削られてゆく体力に、ジエイは焦り始めていた。
だが、あの日壊れた魔石の代わりに美しい女性から移植された、圧倒的な魔力を持つ宝玉の力をもってすれば、例え苦戦しつつも敵の数は確実に減ってゆく。
いつもならば、敵が捨て台詞を吐いて去って行く時刻を、とうに過ぎていた。
おかしい…… 今夜はいつもと違うと、ジエイが何度目かの疑問を頭に浮かべた時、それは彼の前に出現した。
先程から何度も繰り返されてきた魔法攻撃が放たれる。
後ろには人家が広がっているから、当然ジエイは魔法防御力に優れた己が体で受け止めようとした。
瞬間、膨れ上がる敵の魔力を感じた。
不味い! これは避けるべきだと、咄嗟に判断出来る程の膨大な魔力だ。
ジエイの滞空している場所の更に上空から、強烈な五つの魔法が放たれようとしているのを、彼の赤い目は捉えていた。
今ならばまだ避けられる、そう考えて彼は被害が及ぶであろう自分の後方へと視線を送る。
見覚えのある一つの屋敷が見えた。
それに気付き、ジエイは何か諦めにも似たような表情を見せる。
そして、一瞬だけ笑みを浮かべて呟く。
あなただけは、この身を賭してでも守ると……
彼は微動だもせずに、その攻撃を己が強靱な体で受け止める事に決めた。
太い五本もの雷撃がジエイの黒い体を貫き、胸元からパキッと何かが割れる音がした。
やがて、宙空でグラリと前に傾いた彼の体は、地に向かって墜ちて行く。
僅か後に、ズン!と言う鈍い音と共に、彼の墜ちた地上で埃が舞い上がる。
空にはボロボロの黒いローブを纏った、異様な面相の魔法使いが五体浮かんでいた。
風に靡くローブの裾もボロボロで足があるのかすら判別できない。
そのローブから覗く頭には、人では無く山羊の髑髏が垣間見えた。
骨しか無いその手には、ねじ曲がった枝から作ったような杖を持っている。
その姿は、死霊となった魔法使いそのものだった。
荒れ果てた地上では、ジエイが瓦礫の中で腹ばいに倒れている。
ジエイは意識を失っていた……
「ごめんなさい。 どうしても駄目なの…… 」
ジエイの前には、美しい女性の泣き顔があった。
やはり駄目だったのかという諦めにも似た気持ちと共に、何故なんだという怒りにも似た気持ちがジエイの中でせめぎ合っていた。
「あなたを心から愛しているけれど、どうしても親と家は捨てられないの。 あなたに判って欲しいなんて図々しいことは言えないけれど、私には千年続いた家を守る責務があるの。 だから、あなたに着いてゆくことは出来ない…… 」
女性は、そう言って泣くだけだった。
初めから判っていた事だとは言え、やはり面と向かって言われるのは何よりも辛い。
そして、愛する人間の女性を苦しめ泣かせてしまうことになった、己が魔族という現実が恨めしかった。
こんな気持ちになるのならば、あの時に竜の爪で胸の魔石を破壊された時に死んでしまえば良かったとも思った。
僧として俗世から離れ、心を入れ替えて人のためにと働いている時に偶然出会った彼女は、それなりの家柄の娘だった。
最初は、その美しさに一瞬目を奪われただけで、それ以外は何とも思わなかった。
その後、偶然二度目に出会ったときに少しだけ話す機会があった。
都で行われる行事の合間に、待ち時間が僅かに重なっただけの偶然だった。
少しの間だが話しをしてみて、その柔らかな物腰と、さり気ない気遣いに心を惹かれた。
相変わらず美しい人だという以上の何かが、この日ジエイの心の中に産まれた。
その後も仕事で何度か出会うことが重なり、やがて偶然では無くお互いの意思で出逢うようになるのには、それ程の時を必要としなかった。
互いの事を語り合い、お互いを知り、そしてジエイは自らが魔族である事を恐る恐る告げる。
それを受け入れてくれた彼女と、やがて深い関係となり、彼女の親に会うことなった。
そしてお決まりの反対を受け、更に気持ちは燃え上がる。
何度も彼女の家に通い、水を掛けられても、足蹴にされても、彼女との結婚を許して貰うために通い続けた。
しかし、彼女の家柄は長きより続く名家だった事が、事を面倒にした。
由緒正しき家柄に、汚らわしい魔族の血などを入れられる訳が無いと、刺客を向けられる事となる。
すべてを返り討ちにするが、その事実を知って彼女は、自分の我が儘で彼の身を危険に晒す事になったのを悩んだ。
キトラの国を出て、何処か別の国で暮らさないか?とジエイは彼女に問い掛けた。
一人娘だった彼女は、家を捨てる覚悟を決めかねているようだった。
せっかくキトラに自分の居場所を見つけたというのに、魔族という身で多くの人に認められるようになったと言うのに、本当に捨てて良いのかとジエイに彼女は訪ねる。
元より魔族として産まれ家というものを持たないジエイにとって、彼女と違って躊躇すべき家も家族もありはしない。
キトラに居るのも、たまたま辿り着いただけで、理由があった訳では無い。
ヤムトリアを抜けて、西方のエストリア辺りまで逃げようかという話になった。
彼女に家や親を捨てさせることに迷いはあったが、それ以外に彼女と一緒になる方法は、彼女の家が名家でもあるキトラの国に居ては有り得ないのも事実だった。
全てを捨てて彼女と国を出ると決めたその夜、待ち合わせの場所に現れた彼女が言った信じられない言葉が、『どうしても駄目なの…… 』だった。
何故だと問い掛けると、その夜に彼女の父親が突然倒れた事を告げられた。
相当に、状況は悪いようだ。
だから、そんな父親を捨てて出て行く訳には行かなくなったと、そう告げられた。
遅くに出来た一人娘で、両親は老齢だった。
彼女は、家を継ぐ事を病床の父親と約束したと言っていた。
あなたと国を捨てるから、それは出来ないと断る事が出来なかったと、泣かれた。
「あなたを想う気持ちに嘘はありません。 だから、私はもう一生結婚はしません」
家を継ぐ事は決めたが、愛する男は一生ジエイただ一人だけだと彼女は断言した。
それが、ジエイを裏切る自分に課せるべき罰だとも言った。
それでは、お前の次に家を誰に継がせるのだ? 跡継ぎを産めないのであれば、家を継ぐ意味が無いのではないかとジエイは問いただす。
それに答えて、彼女は自分の下腹に右手を添えながら、何も答えなかった。
彼女が分家から養子を取ったと人の噂で聞いたのは、その何年後かの事だ。
彼女が結婚をしなかったのは、本当だった。
ジエイはキトラに残り、陰ながら彼女と彼女の住む王都を守る事に決めた。
それ以来、彼女には会っていない。
生きていれば、もう人間であるだけにお婆さんになっているだろう。
幸いにも、まだ彼女が死んだという話は聞こえてこないから、まだ元気で生きているのだろう。
魔力の強い人間は、それなりに寿命も長い。
彼女も名家の直系らしく、魔力は強い物を持っていた。
そして、魔法の才にも長けていた。
その例に漏れず、まだまだ長生きをするだろう。
しかし、自分はもう終わりのようだとジエイは自覚した。
せっかく貰った強大な力を有する宝玉も、先程の攻撃を受けて割れてしまったようだった。
死ぬ前に、もう一度彼女に会いたかったな……
そう、ジエイは小さく呟いていた。
いきなり左右から両腕を捕まれて、ジエイは引き起こされた。
我に返って、左右を確認する。
自分と同じような姿をした魔族が二体、ジエイの両腕を捕まえて上体を引き起こしていた。
それは、かつての自分の部下だった。
「ハミルバ それにエルゼク。 お前達がどうして、ここに?」
二体の魔族は、ジエイがかつて共に竜族の討伐をしていた時代の部下だった。
ジエイが魔石を割られた最後の戦いの際にも、同じ隊に居たはずの仲間だった。
「探したぜジエイ。 いや、ジエイ元隊長殿だったな。 竜にやられて死んだかと思っていたら、こんな国で人間族の味方などをしていたとはな、知ったときには笑ったぞ!」
「まんまと引っ掛かりやがって、愚かな奴だな。 今夜の事は、すべて仕組まれてたんだな」
「マスターに逆らうとは、馬鹿な奴だぜ。 こんな国、さっさと見捨てておけば生き延びる事も出来たんだぜ」
そう言って、せせら笑うハミルバとエクゼルの二体。
ジエイの体を、強引に立たせる。
「仕組まれていたとは、どういう事だ? お前達は、いつから俺の事を知っていたのだ?」
「キトラは、今夜で終わりなんだぜ。 俺たちがマスターに逆らう政策を行う王族を、今夜をもって根絶やしにするからなんだぜ」
「お前が俺たちの隊長をしていた時よりも遙かに強すぎて計画の邪魔だから、十数年がかりでマスターがあれこれ準備させたんだな。 どうやったら、あんなに強くなれるのか、教えて欲しいんだな?」
エクゼルが、空いた方の手でジエイの体を弄りながら、そう尋ねた。
そして、雷の直撃を受けて半ば炭化したジエイの胸元で、その手が止まる。
「まさか、キヨクラ殿やハラーキィ殿が遺跡の調査に向かったのも、お前達の仕業なのだな!」
捕まれた両の手を振り切るように動かし、叫ぶジエイ。
しかし、力の落ちた今のジエイに、二体を振り切る力は無かった。
「ばーかめ! ハラーキィはマスターの手下で、今は俺たちの仲間なんだぞ。 今頃はキヨクラとか言う奴も調査隊の奴らも、全滅してる頃なんだぞ」
「馬鹿な! ハラーキィ殿が、そのような事を…… 」
「みーつけた! ジエイ元隊長の力の源は、きっとこれなんだな」
エクゼルが、炭化したジエイの胸に左手を突っ込んだ。
暴れるジエイの膝を後ろから蹴り飛ばして、跪かせるハミルバ。
「グワアアァァァァ!」
胸の奥に手を突っ込まれたジエイの絶叫が、キトラの夜に響き渡る。




