52:神を見た男
ずいぶんと風が冷たくなってきたけれど、まだ晴れて風の無い日は背中に当たる日差しが、じんわりと心地よい。
俺たちは王都ヤムトリアへ向かって、比較的整備された街道を歩いていた。
バルとアーニャとメルは、俺の前を進む荷車に満載された荷物の上に、チョコンと座っている。
ティグレノフが、荷車を引く黒毛の獣を先導するような位置取りで先頭を歩き、ヴォルコフが荷車の左側を、イオナとレイナが右側を歩いていた。
最近、メルがふと見せる悩んだような表情が、俺は少し気に掛かっていた。
仲良しのアーニャと一緒に居る今は、そんな表情を伺う事はできない。
中々進まない祖国への旅に、早く戻りたいと言う焦りでもあるのだろうかと想像してみるけど、本人じゃ無いから本当の処は判らない。
元居た日本で妹の美緒を殺された俺にとって、俺の事をカズヤ兄ちゃんと呼んでくれるメルは、年の頃も美緒と同じくらいで妹のようなものだ。
そうは言ってもメルの見かけは美緒とは全くの別人で、水色がかった金色の髪に蒼い瞳の美少女は、謀殺により家族を失い国を逃れて異世界である日本に住んでいた俺のところに転がり込んできた、異世界のお姫様だ。
俺たちはメルの願いである、祖国を取り戻したいという想いを叶えるために、今旅をしている。
イオナの古い記憶では、ヤムトリアから北東へ延びるケイハン街道を経由してキトラ王国へ向かい、そこから南東へと続く街道があるらしかった。
そのためにも、一旦ヤムトリアへ向かう必要があったのだ。
出来れば、簡単な地図などでも手に入ればという思惑もある。
詳細な地図は国防上重要な秘密であるだけに、売買は禁止されているとイオナは言っていた。
しかし、商人や旅人が使うような簡易な地図ならば、手に入れる事は可能なようだ。
これから先の事を考えると途中にどんな国があるのか知っておく事も、メルのエスタシオ王国までの旅程を考える上で必要な事だと思う。
俺の前には一台の荷馬車があった。
サスカイアの町を出る時に、城門の前でロクハラと名乗る商人から声を掛けられたのだ。
「あの、もし北へ向かうのでしたら、ご一緒させてもらえませんか?」
そこには、山羊とも牛ともつかない黒毛の獣に荷車を引かせた、一人の男が立っていた。
「朝から旅に出る冒険者さんが居たらご一緒させてもらおうと、ここで待っていたんです。 ですが今日に限って一人も居なくて、気が付いたらこんな時間になっていました。 少ないですがお礼もお支払いします」
そう言って頭を下げる男は、行商人のようだった。
この世界の事を訊ねるのにも、色んな町を渡り歩いている商人と知り合いになっておくのは、俺たちに取っても都合が良かった。
ロクハラさんは、俺たちがCランクになったばかりの冒険者だと知って露骨に落胆していたけれど、ティグレノフの巨躯と大剣を見て、少し安心したようだった。
まあ、このメンバーの実力は俺が言うのも変だけど、Bランク以上にも匹敵すると思うから、このロクハラさんは運が良かったと思うよ。
あえてAランクと言わないのは、まだAランクの冒険者をまともに見た事が無いからで、控えめな自己評価って奴だ。
内心じゃあAランクにだって、負けないんじゃないかくらいは思っていたりする。
ロクハラさんが次のイース村まであと少しと言った辺りで、俺の『危険感知』スキルがチリチリと首の後ろ側で何かに反応を示した。
『気配探知』スキルで探って見ると、前方に1つだけ反応があった。
一つだけかと些か拍子抜けした処で、遠視スキルに一体のゴブリンが前方の茂みから顔を出して、こちらを露骨に観察しているような仕草が認められた。
俺はイオナに向かって、小声で警告を発する。
「ゴブリンが一体、前方左脇の茂みから顔を出してるぞ」
「ふむ、恐らくは斥候じゃな。 油断するなよ」
イオナの言う通り、『気配感知』には周囲に待ち伏せをしているような反応は無い。
だとすれば、斥候のゴブリンが居る辺りを通り過ぎてからが待ち伏せエリアだろうか?
まだ距離はあるけれど、ロクハラさんを除く全員が武器を手にして臨戦態勢に入った。
ロクハラさんは、まだ何が起きているのか理解出来ていないようで、オロオロとしている。
どちらにしても、ゴブリンが相手では何という事も無い。
ここに至るまでに、何度かゴブリン種と遭遇した事はあるけれど、非力なゴブリンが何匹集まったところで、俺たちの敵では無かった。
「ああ、こんな事になるんだったら最低でもBランクの人が通りかかるまで待っていれば良かった」
そんなロクハラさんの後悔とも取れる呟きが聞こえる。
まあ、Cランクと聞けば討伐よりも採集とかのイメージが強いから仕方ないんだけど、ちょっと心外だ。
戦いが始まれば、すぐに俺たちの実力は判る筈だと諦めて、俺は前方の警戒に当たる事にした。
ところが、次に俺の気配感知に引っかかったのは左側の森の中だった。
それも、複数の反応がある!
先程まで何も居なかったはずの森の中に、突然現れた高速で移動する何かが、複数で俺たちに迫っていた。
速い! これはゴブリンの出せる速度じゃ無い、そう思った時には荷馬車を目がけて、それが森から飛び出してきていた。
ロクハラさんの悲鳴が上がり、それに反応したのか荷馬車を引いている黒毛の獣が森とは反対側の草原へと逃げだそうとしていた。
振り落とされそうになって、メルたちは荷物にしがみついている。
草原の側に居たイオナとレイナは荷馬車を避けるために、草原側へと飛び下がっていた。
些か体勢も崩れ気味だ。
バルは荷馬車の上からふわりと飛び上がり、軽々と俺の左横に着地して見せた。
ツルペタな胸の前で交差させた両手から、鋭い爪が刃物のようにニュウと伸びる。
ヴォルコフとティグレノフは、ちょうど剣を抜いたところで、まだ構えるに至っていない。
森から飛び出してきたのは、黒いスパイクボアの亜種に跨がったゴブリンだった。
俺たちが森の中で倒した巨大なスパイクボアよりも体躯が小型だが、それでも体長は二メートル近くある巨体に子供のような体躯のゴブリンが跨がり、馬のように操っている。
ゴブリンが乗った3頭のスパイクボアは、荷車を目がけて一気に突進してきた。
ほぼ同時に、後方から突然狼のような蒼い魔獣に跨がったゴブリンの群れが現れた。
後方のゴブリンとはまだ距離があると見た俺は、荷車を守る為に森側に土魔法で壁を作る。
続く3つの激しい衝撃で分厚い土の壁が崩れかけるが、それを石化で補強して後方から迫るゴブリンの手前に、『沼地召喚』スキルで泥湿地を呼び出す。
一定時間だけ召喚されるそれは、入り込んだ者を粘性の高い泥の中に引きずり込み、移動を著しく制限するスキルだ。
運良く抜け出した者も、移動速度低下のペナルティを一定時間受ける事になる。
ティグレノフの雄叫びに振り返れば、スパイクボアの巨体を大剣で串刺しにしたまま、大きく真上に持ち上げてから地面に叩きつけるところだった。
二頭目はヴォルコフが首を切り落として、落ちたゴブリンに止めを刺している処だった。
三頭目のスパイクボアは、ゴブリン諸共バルによって輪切りにされていた。
それを見て安心した俺は、沼地で足掻くゴブリンと狼に似た魔獣の上空に、氷の槍を無数に生成する。
そして、それを一気に落とした。
いわゆる、『アイスジャベリン』って奴だ。
森の中には第二波の攻撃を仕掛けようとしている兆候があったが、第一波がアッサリと全滅したのを見たのか、早々に引き返して行ったようだ。
斥候のゴブリンも、逃げようとしたところをメルとアーニャの放った矢を受けて、絶命していた。
斥候を発見してから、時間にして1分にも満たない間の出来事だ。
「あなたたちは、本当にCランクなんですか? あんな凄い魔法を見たのは初めてですよ」
ロクハラさんが、化け物を見るような目で俺に訊ねてきた。
まあ、あの連係攻撃を受けたら、並の冒険者達なら最初のアタックで壊滅的な被害を受けていたんだろう。
「やれやれ、ワシの見せ場を作れなかったが、皆上達したのぉ」
「ヴォルコフもティグレノフも、見事だったわよ」
イオナとレイナが、街道脇の草地から上がって来た。
流石のイオナとレイナでも、二人が草地に退いた僅かの間に起きた攻防には、手を出す暇も無かったようだ。
「じゃが、ゴブリンごときが他の魔獣を使役しよるとは、妙じゃのぉ」
「攻撃の連携も取れていましたからね、並の冒険者なら全滅しても不思議じゃない攻撃よ」
そう言われれば、妙に連携が取れていたという感想は理解出来る。
前方に囮のゴブリンを配して待ち伏せを予想させる手口もそうだけど、俺の気配感知スキルにも引っかからず、イオナたちも気が付かない距離から一気にスパイクボアに乗って攻め寄せる手口、後方から狼に似た魔獣に乗って攻め寄せる機動力、すべてが統率された一つの意思を感じさせるものだ。
「ゴブリンにしては 引き際も鮮やかだったわね」
「そうじゃな、あのまま第二波が来ても結果は同じじゃからの」
俺たちは、いや主に俺がゴブリンや魔獣の死骸を魔法で片づけてから、次の宿泊地であるイース村へと向かった。
片付けと行っても、土魔法で穴を掘って埋めるだけの簡単なお仕事なんですけどね。
そうそう、スパイクボアの肉を頂いたのは、当然だ。
味は豚肉に似ていて、血抜きをしっかりやれば美味しいから、これからの食料としても役立ってくれるだろう。
イース村には日が暮れる前に着いた。
ここは比較的大きな村で、小さな町と言っても良いくらいの規模だ。
宿を取り、ロクハラさんの奢りで食事をする事になった。
お酒を飲んで少し酔ったロクハラさんは、ゴブリンの襲撃の事を死ぬかと思ったと言っていた。
「もうね、森から飛び出してきた三体のスパイクボアを見た時は、これで終わりだって思いましたよ、本当に。 ここでこうして生きてお酒が飲めるのも、みなさんのお陰でずぅ。 本当によがっだあぁぁぁ」
まあ、なんだ。
ロクハラさんは、泣き上戸って奴だった。
そんな和やかな雰囲気をぶち破る罵声が、食堂兼酒場の隅で聞こえた。
突き飛ばされた誰かが転がって、椅子をなぎ倒す音もする。
「ライム! まーた、あんたかい。 いい加減にしないと、もう出入り禁止にしちまうよ」
女将らしき、威勢の良い声が俺たちの後方から聞こえた。
声のした方に振り向いてみれば、腰に手を当てて睨みつける恰幅の良い女将の視線の先には、一人の痩せた男が床に転がっている姿があった
「本当なんだよ、俺は見たんだよ。 何で誰も信じてくれないんだよ」
男は、小声でそんな言葉をブツブツと繰り返している。
ティグレノフが女将に目配せをして、近寄ってきた彼女に小声で尋ねた。
「あいつは、何をやらかしたんだい?」
女将は、うんざりしたような顔で語り出した。
男は元冒険者で、名はライムと言うらしい。
彼の所属するパーティはA級を目前にする程度には強く、ライム自身もパーティでは無く個人の実力では、A級間違い無しと言われるくらいには有名な冒険者だったらしい。
そんな彼のパーティが、ある日全滅して彼だけが生還した。
一人生き残った代償としてなのか、彼は無傷ではなく片足を膝の下から失っていた。
片足を失って生き残ったのは、傷口が焼き切れたように引き攣れていたお陰で、出血多量にならずに済んだらしかった。
全身に酷い火傷を負っていた彼は、数日生死の境を彷徨い生き残ったそうだ。
そしてうわごとのように、神を見た、神にやられた、神は味方じゃ無いと呟いていたらしい。
そして、夜ごとに酒場に顔を出しては酒をねだり、神を見た、神を信じるなという話をするようになったという事だった。
当然、多くの人が神を信じて崇めている世界の事だから、当たり前のように疎まれる。
村人の誰からも相手にされなくなると、今度は見かけない旅人を見つけては同じように酒をねだり、神を否定する言葉を吐くようになったそうだ。
最近では、彼の事を放置していた神殿関係者からも良い目で見られなくなって、いつか捕まるんじゃないかという噂だから、あんたたちも相手にしない方が良いよと女将は言っていた。
「そんなろくでもない話よりね、最近はゴブリンによる被害が増えてるんだよ。 つい最近も、村の討伐隊が戻って来なかったんだ。王都の騎士団にも討伐要請と冒険者ギルドにも調査と討伐の依頼を出しているから、あんたたちも道中気をつけなよ」
そう言うと、女将は厨房の中へと戻っていった。
そのゴブリンに、俺たちは襲われたばかりなんですけどね。
「なあ、あんたたち神ってものを信じてるかい?」
掛けられた声に振り返れば、その噂の主が俺たちのテーブルまでやって来ていた。
俺たちは、何とも言いがたい表情で互いに顔を見合わせた。




