九年目 旅立ちの年、ですわ
メアリーの最期についての報告書が届けられ、私はそれを真剣に読んだ。せめてそれが人殺しを命じた責任だと思った。――メアリー本人が言った通り、私は人殺しを命じた罪人となった。神様は私を許してくれないだろう。それでも決して、決して利己的な憎しみのためだけにそうしたのだとは思ってほしくない……。
メアリーは生きていれば間違いなくリンジー家に害をなした。閉じ込められていても、必ずそうした。リンジー家のため、リンジー家に仕える多くの使用人たちのため、領地のため、舅にこれ以上の負担をかけないため、私はそれを実行したのだ。
どうか神様、あなただけはそれをわかってください。
メアリーはエディに会えただろうか?
せめて二人がここではないどこかで再会したことを祈ろう。
門番、もとい、リンジー家の元フットマンであり軟禁の責任者からの報告書。簡潔で格式張った文字が躍る。
『任務完了いたしました。安らかな最期でございました』
私はそれを信じたい。せめて最期くらいは。
その書類を封筒に戻し、暖炉の火にくべたとき――片付いた、と思った。
リンジー家に纏わる負の遺産が終わった。
あとは、社交界で如才なく立ち回ることだ。リンジー家から間違ったことをしでかした人間が出た。だが解決した。
家の外に、例えば高等法院だとか国王陛下の御前で直接裁いていただく御前臨時裁判だとか、そういった場所に漏らすことなく自分たちで解決したのだ。貴族にとって、醜聞が他の貴族家に知られるというのは本当に辛い、恥なのだ。
姑は命を懸けて家の名誉を守った。私はそれを誇りに思う。素晴らしい人だったと振り返る。
舅が息を引き取ったのは、その年の初雪が降った朝だった。数か月前から、彼はもうほとんど寝台を離れられなくなっていた。
医者は老衰としか言わなかったが、私にはわかっていた。妻と息子を同時に失ってから、彼はゆっくりと確実に、この世との縁を薄くしていったのだ。それでも踏みとどまってくれたのは、せめてテオバルトが親族に認められるまではと待っていたのと、姑の喪に服すため。
「お義父様」
冬の早朝のことである。窓の外は真っ白で、庭の薔薇はすっかり葉を落とし、枝だけの姿で雪をかぶっている。私が寝室を訪れると、メイドたちが礼をしながら退室していった。舅は寝台の上で外の景色を見ていた。
彼はもう身を起こすこともできないが、私を認めると微かに微笑んだ。
「シャーロット」
「おはようございます。よく眠れましたか」
「ああ、よく眠れたよ。とても……穏やかにね」
その声があまりに静かだったので、私は嫌な予感がした。
テオバルトを呼ぼうかと思ったが、彼は今朝、乗馬の稽古中だ。呼びに行っている間に何かあったら――そう思って、私は舅の手を握った。骨と皮ばかりになった、冷たい手だ。もう脈動があるのかも疑わしい。
「シャーロット。テオバルトはいい子だね」
「はい。お義父様のおかげです」
「いやいや……あなたのおかげだよ。いい子を見つけてくれた。あの子なら、この家を託すにふさわしい」
何も答えることができなかった。
舅だってこの家をエディに、血の繋がった息子に託したかったはずなのに、私の前ではそう言うのだ。
彼は貴族だった。家の存続が第一の使命だった。たとえ妻と息子を失ってもそれは変わらない。
メアリーの産んだ子供たちのことを孫と思ったことなど、彼は一度もないだろう。平民の産んだ子供は平民であり、それ以上でも以下でもない。
身分制度の元に私たちは生きている。舅はまさしくそれを体現する人だった。
彼は大きなため息をついた。身体じゅうの力が抜けて苦しみも忘れて、表情が穏やかになる。
「アンナマリアとエディのところへ、そろそろ行くとしよう」
「お義父様……」
「ああ、いや。二人は同じところにいるのかな……? 私は……」
ひゅう、と皺がれた喉が鳴る。私は目を離さずその喘鳴を聞いて、見た。
舅は静かに目を閉じ、昏睡と言うべき眠りに落ちていく。瞼が開くことはもう二度となかった。
葬儀は家格にふさわしく盛大に執り行われた。なにしろ長年当主を務めた人物の死である。八頭立ての黒塗りの馬車、薔薇園じゅうから集めた花々、教父様方も立派な肩書を持つ方々を呼び集め、寄進も弾んだ。国王陛下からの弔問使も訪れ、王都から長年親交があった貴族家の使者や息子が名代としてやってきた。
――それだけだった。
ああ。私は悔しい。唇を噛まずにいられない。
舅と友情と呼べる関係で結ばれていた貴族たちは、来てくれた。棺桶の中の彼の顔をじいっと見つめる、私は名前を知らないおじいさんたち。
だがそれ以外の、確かに舅姑と本人が親交があったはずの貴族たちは、来なかった。
つまり貴族同士として当たり前の挨拶や社交はするけれど、個人的な情は感じていなかった者たちは皆、名代任せにしたのだった。――もしエディがまともに次期当主として仕事をしていたら、決してそうではなかっただろう。
つまり、リンジー侯爵家は貴族たちから次代に渡ってまで仲良くしたい家だと思われていない、ということだ。
つまり、礼儀は守るが敬意は支払わないと宣言されたようなものだ。
つまり、当主同士の対等な交流はこの代で終わり、これ以降はただの『同じ階級の仲間』に戻るのであって、それ以上の愛情は示さないよ、と言われたようなものだ。
黒いヴェールで顔を隠していなければ、どうなっていたか分からない。
私は――やっと、落ちぶれるという言葉の意味を知ったように思う。ちくしょう。
衣食住は足りていて、使用人までいて、こんなに豪華なお屋敷で。舅の魂が無碍にされるのを見ているしかないなんて。
それでもテオバルトは涙一つ見せずに最後まで葬儀の場に立ち続けたのだから、本当に立派なものだ。
教父様たちの荘厳な祈りの文句が流れる中、だから私も胸を張って少年の隣に立ち続けた。目の前にやってきて腰を折ってくれる者には誰でも膝を折った。そうでない者たちの家紋を、家名を、誰を名代に寄越してきたかをしっかと覚えた。
隣に立つテオバルトはすでに十四歳。もうあの頃の小さな少年ではない。背も伸び、肩幅も広くなり、声変わりも始まっている。
かつて自分は口減らしされるのだと考えていた賢い少年は、今やいっぱしの貴族子息としてここに立っている。
葬儀が終わり、弔問客も引き上げた夜。客間で私たちはお茶を飲んだ。少しの甘いものを摘まみ、何故だか怒られると思っているらしく神妙なテオバルトに微笑む。
「立派だったわよ」
テオバルトはカップの持ち手をやたらにいじくっていたのだが(こういうところに私はフィオナの面影を見る)、びっくりした顔をして、面映ゆそうに肩をすくめた。
「シャーロット様に教わったことですから。人前で、動揺は見せない」
「ええ、立派だった。あの場にいたどんな大人より。生まれながらの貴族そのものだったわ」
「冷静に、感情を制御して……内心は絶対表に出さない。悟られることさえリンジー家への屈辱だと思え、って。おじい様が教えてくださいました」
「ええ」
「家のことも数式のことも領地のことも、あ、あとお若い頃のご婦人方相手の武勇伝も」
「ちょっとそれは聞いていないわよ」
「うふふ」
テオバルトは少年らしく足をぱたぱたさせる。膝の上の紅茶のカップを机に戻し、彼は大人しい声で言う。
「僕、ちゃんと、受け継げるでしょうか」
「そうに決まっているわ」
私は断定する。
そうあらねばならないし、そうでなかった場合は家ごと没落、スローライフ没収待ったなしである。なかなか背水の陣だ。
「私がそうなると言ったらそうなるのよ。あなたを侮る者たち全員に、目にもの見せておやりなさい」
「は、はい」
お返事は歯切れよかったが、テオバルトはかすかに頬をかいた。そこまでやるつもりはないんだけどな、と言いたげな目つきが舅に似ている気がした。
守り伝えることを役目とする者の目というのは、似たり寄ったりなのかもしれなかった。
***
舅の死から数か月。私はリンジー家唯一の生き残った大人として、名実ともに全ての権限を握ることになった。もっとも、ずっと前から実質的にそうだったのだけれど。
使用人たち、領民たち、そして他の貴族たちもそのことを知っていて、私は許容されていた。
だが決して気を緩めてはならないことが、もう骨身に染みてわかっている。もし私が何か失敗をしたら、その瞬間に私はリンジー家を乗っ取ろうとするコナー家の女ということにされるだろう。それは他家への訪問で間違った色の手袋をつけるミスや、テオバルトがどこかで不適切な発言をしたという流言かもしれない。
誰のせいでもないことも、私のせいでもないことも、私の足元を掬い上げる理由に足りうる。気を付けないといけない。気を付けないと……。
「苦しいわ……」
ぽつんと呟いてしまったのは、ここは自分の執務室で他に誰もいないのだから、神様も許されたい。
苦しい、寂しい。私の肩には責任が重すぎる。そう思った。
コンコンとノックの音がして、家令のジョナサンが入ってくると丁寧に一礼する。
「奥様、貴族院への届け出の件でございます」
「ええと、なんだったかしら――」
「当主代理として立つことを報告する必要がございます」
「ああ、そうだったわ。やらなくちゃ」
初めて会ったときはまだ黒かった髪も白くなり、ジョナサンはすっかりおじいさんだった。彼もこの家に、そして私に、長く仕えてくれた。
「一緒にテオバルトの名前も明記しておきたいわ。彼が成人したら、すぐに権限を移譲することを宣言しておかないと」
書く必要もないほど常識のことだ。確定済みの次期当主の男の子がいるならば、いわば摂政であり後見人であり間に合わせの当主代理である私の権利はテオバルトの成人と同時に終わる。
「あえて言っておくことだって必要だわ。でしょう?」
「かしこまりました」
ジョナサンは深々と腰を折る。声音にどこか誇らしげな色が浮かんだのは気のせいではないと思うので、この決定は間違っていないらしかった。
「ああそれと、例のパーティーのためにカーテンを全部新調しようと思うわ。これを機に、ちょっと全体の雰囲気を変えるのもいいかもしれない」
「かしこまりまして。家具屋と仕立て屋も共にお呼びいたしましょうか?」
「いいわね。そうして」
ジョナサンが立ち去ったあとには、私はすっかり気を取り直して模様替えを楽しみにしていた。
――そうそう、これこれ。忘れるとこだった!
思う存分お金を使って家の中の空気を一新する。古いものはバザーに寄付するか、いっそ当家でバザーを開いて貧しい人たちに売る、いやいや孤児院や救貧院に寄付するのもいいかもしれない。
ううーん。豪勢な気分。
これぞ、貴婦人の生活よね!
そういう楽しみを片手間に行いながらも、私たちは着々と準備を進めていた。
テオバルトの社交界デビューである。
この国の慣習では、貴族の子弟は十五歳になると正式に社交界へ足を踏み入れる。成人は十八歳だから、舞踏会でのお披露目から残り三年間が子供として扱われる最後の時間だ。つまり、その期間にたくさん失敗して恥をかいて遊んで、それ以降失敗は許されない長い人生が始まる、ということだ。
準備はもう何か月も前から始まっていた。
仕立て屋を何人も呼び、テオバルトの体格に合わせた正装を何着も誂える。礼儀作法の最終確認、ダンスの練習、話し方、挨拶の仕方、食べ方飲み方、立ち居振る舞い――さすがの私ももう手加減はしなかった。
いつだったかの稽古の合間、テオバルトが珍しく弱音を吐いたことがあった。
「シャーロット様は厳しすぎます……」
ダンスの練習中だった。教師と彼が一緒に踊っていたのだが、私は容赦なく彼のステップを指摘し、かすかな腕の角度の違いも決して許さなかった。すでにダンスホールは歓談の場ではなくなっていた。
「甘いわよ。お義母様――アンナマリア様なら、この程度で音を上げたら貶されすぎて立ち直れないほど貶されていたわよ」
「けちょんけちょんに?」
「けちょんけちょんに!」
テオバルトは汗まみれの顔を一瞬面白く歪める。
「シャーロット様よりお厳しい方だったのですか?」
「そうよお。私はこれでも手加減しているのよ」
にやりと笑うと、彼からも苦笑いが返ってきた。
目と目があえばなんとなく何が言いたいかはわかる。私たちも随分と息が合うようになったものだ。血の繋がりはないけれど、もう本当の親子のように思える瞬間さえある。
そうして瞬く間に時は過ぎて、あっという間にテオバルトのデビューの夜がやってきた。
リンジー家主催のリンジー家のパーティーなので、私の方も神経を尖らせピリピリしている。感化されて、メイド長のレイチェルを始めメイドたちもピリピリだ。
リンジー家は、久しぶりの華やかさに包まれていた。舅姑とエディの死という暗い時期を経て、リンジー家がようやく新しい旗印を掲げる、そういう意味合いも込められたパーティーだった。
舅の葬式で悲しい思いをさせられたおうちの方々にもきちんと招待状は送った。そこは手を抜いたりしない。彼らは礼儀正しい。姑がそうであったように、正しいことをする人たちだから、きっと今日も来てくれることだろう。ふん。
深紅の絨毯が敷かれたもっとも大きなダンスホール。
磨きに磨いたクリスタルが輝くシャンデリア。新調して香油を振りかけた繻子のカーテン。座面まで入れ替えた椅子と、手を触れれば指紋がつくほど磨いた黒檀の机。ありったけ出してきた燭台に蝋燭の光がきらめき、楽団の演奏が響く。
メイドたちは音を立てずに忙しなく働き、キッチンの忙しさといったら戦場のよう。
着飾った貴族たちが次々と入ってくると、フットマンが朗々とした声で名前を呼びあげ、到着を告げる。手に手にひらめく招待状に扇に香水の匂い。貴婦人たちの高々と結い上げられた髪、紳士たちの燕尾服のしっぽ。
もちろん私も着飾ることを忘れていない。一応、母親という立場にふさわしくデコルテがあまり出ないデザインの、すっきりしたシルエットのスカートを引きずる緑のドレス。胸元がこっくりした夏の森の色、裾にいくにつれグラデーションが入って春の新緑の色になる。細かな銀のビーズの刺繍が体型を引き立てる。
宝飾はティアラとネックレスとイヤリングと指輪が勢ぞろいで、これは姑の形見の真珠だと見る人が見ればわかるだろう。
「テオバルト様、随分ご立派になられて」
「ああシャーロット様、どんなにかお会いしたかったか」
「まあ、あの賢い坊やがこんなに大きくなって」
「シャーロット様も肩の荷が降りたのでしょうね」
親族たちの声は温かく飛び交う。コツコツ親戚周りしといてよかったー。
テオバルトは緊張しながらも、堂々と挨拶をこなしていった。教わった通り、誰に対しても丁寧に正しい礼をしている。よく響く低い若い通りのいい澄んだ声。
「初めまして、テオバルト・リンジーと申します。以後、お見知りおきを」
義理の息子にエスコートされながら、私はその横顔を盗み見る。ううう、大きくなったなあ。泣きそう。だめ、化粧が崩れてバケモノになる。
――かつて親族会の隅で他の子供たちのカード遊びを黙って観察していた、あの内気な少年が。よそのおうちでいじめられて平民だからーとピイピイしていたあのヒヨコちゃんが。堂々と社交界の海に漕ぎ出そうとしている。
感無量である。
はーもういっそこの場でテオのお嫁さんでも探しちゃおうかな。まだ早いか。
冗談はさておいて、リンジー家の次期当主である以上、その問題は常に付きまとう。それに、テオバルトが将来裕福な侯爵家を受け継ぐのだということに気づいている者は、もちろん私以外にもいるのだった。
夜が更けて、正式なダンスが終わり客たちは三々五々に散っていく。年寄りは客室に引き上げたり早々に帰ったり、大人は大人同士で談話室やゲーム室に籠っておしゃべりに興じたり。
踊り足りない若者たちはまだまだ大広間で目をらんらんと輝かせており、テオバルトもそうだった。大人の数が少なくなってきた頃合いで、彼は何人もの令嬢たちにも囲まれきゃあきゃあと騒がれ始めた。
「テオバルト様、乗馬はお得意ですの?」
「多少は。まだ皆様には及びませんが」
「まあ、ご謙遜を」
「いつかご一緒したいですわ。当家が所有する森は狐がよく出ますの」
「アラ、ずるいわあなただけ。テオバルト様、うちの森は泉がありましてよ」
「猟犬はどんなのがお好みですか? 馬は?」
「当てて見せましょう。きっと白い犬と白馬がお好みよ。そうでしょう?」
「あ、あはは……」
さすがの礼儀作法も若さと女の子というアドバンテージの前では形無しである。
くすくすと笑う令嬢たちに囲まれ、つつかれ、テオバルトは困ったまなざしで助けを求める。やれやれ、そんじゃお母さんが出張りますかー、と私はさりげなくそちらへ向かう。
「テオバルト、ご令嬢たちを一人じめしないのよ。きっと色々な方とお話なさりたいでしょうに。――さあお花さんたち、うちの息子がごめんなさいね。この子ったら綺麗な花々に慣れていないのよ」
令嬢たちは名残惜しそうにしながらも去っていった。テオバルトはほっとした様子で肩を落とした。
「ありがとうございます、シャーロット様」
「あら、まだまだこれからよ。あなたはこれから、たくさんの人に囲まれるわ。主役ですもの」
「……気が重いです」
「贅沢な悩みね」
実際、その後はその通りになった。
まったくもって、騒がしくも華やかな夜だった。
夜会が終わった後、私とテオバルトは家の奥に引き上げる。客室からは客人たちのいびきや話し声が、階下からは使用人たちが必死に皿洗いしている気配が響く。
薔薇園に面したテラスで少しだけ夜風にあたった。もう春はすぐそこだ。冬の名残りが残る空気に火照った頬が心地よい。
テオバルトが目の前に立って、腕を後ろで組みぺこりと頭を下げた。
「今日は、本当にお疲れ様でした。見守ってくださりありがとうございました」
「こちらこそ。本当によくできていましたよ」
私は彼が立ち去るのを待ったが、なかなか行かない。首を傾げつつ促す。
「明日も早起きだから早く寝なさい。お客様をお見送りしないといけないのよ」
「シャーロット様」
「なあに」
「いつか聞きたかったんです。どうして、僕を選んでくださったんですか――養子に」
思い詰めたテオバルトの顔を見ながら、私は少しだけ過去を振り返る。どうして、どうしてって――。
あの日。親族会。貴婦人たちのおしゃべり。子供たちの嬌声。カードゲームの流れを黙って読んでいた少年。あの瞬間の直感を、どう説明すればいいだろう。
「あなたが、周りを冷静に見ている子だったから。観察して、一歩引いていて。頭のいい子だと思ったわ。ああでも、そうね。一番の理由は……」
「はい……」
テオバルトはまるで試験結果をどぎまぎと待つ学生のように喉をごくりと鳴らした。
私は茶目っ気を含んで片目を閉じる。
「優しくて、お母さん思いで。これならリンジー家のことを本当に愛してくれると思ったから」
テオバルトはほうっと息を吐いた。難しい試験に合格した学生、あるいは借金の返済を見届けた男に見えた。
「僕、シャーロット様に選んでいただけて、本当によかったです」
私はにっこりする。
くっ、シャンパングラスを持ってくるんだった。こんな気分のとき、かんぱああーいと大声上げてグラスを打ち鳴らすほど気持ちいいことはないのに。
あ、まだ呑んじゃダメよテオバルト。
「これから先も、頑張るのよ。三年後には、あなたが正式にリンジー家の当主になる」
「はい」
こくんと頷く鳶色の頭、灰色の目。私とは似ても似つかない色。
「怖い?」
「……少し」
「私もよ。でも、あなたなら大丈夫」
夜空には星が瞬いていた。舅がテオバルトに教えていた星の距離の話を、ふと思い出す。
あの人が最後まで大切にしていたものが、今、ここに立っている。これがリンジー家の未来。テオバルト自身が。
「ところでシャーロット様は、僕が成人した後どうされるんですか」
「そりゃあもう、食っちゃ寝生活よ!」
「く、……太りますよ」
「お義母様みたいなこと言わないでよ、もう!」
テオバルトは目を丸くしてから、くすくす笑い出す。
「シャーロット様が食べて寝るだけの生活なんて、きっと続きませんよ。きっとすぐに何かの仕事を見つけて、忙しくしてらっしゃる気がします」
「……否定できないのが悔しいわ」
「屋敷に専用の温室を作って差し上げますよ。一年じゅう薔薇が咲き誇るところを。一番広くて日当たりのいいお部屋で、思う存分ゆっくりなさってください。毎日散歩して、お茶を飲んで、新しいドレスを選んで」
「ティアラも仕立てていいかしら」
「いくらでも」
私たちは声を合わせて笑った。冬の終わりの夜風が、薔薇園の枯れた枝を静かに揺らしていた。薔薇園は今でこそ葉を落としているけれど、春になればまた、あの美しい花が咲き誇るだろう。そして秋になれば、二度目の大輪の花をつける。
そうやって季節は巡っていく。




