表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
達人転生 ~理を知る達人は転生チートなんか必要ない~  作者: まつすけ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/13

第一話 天寿と徳ポイント

榊原玄斎は、百十五歳で死んだ。


老衰だった。


病でもなく、刃でもなく、呪いでもない。

ただ、長く使い続けた身体が、静かに役目を終えただけだった。


その日、玄斎は妻と長く暮らした家の奥の間に横たわっていた。


季節は晩秋。

庭の楓は赤く染まり、風もないのに、葉が一枚、また一枚と落ちていく。

障子越しの光は柔らかく、古い畳には、午後の陽が薄く伸びていた。


部屋は豪奢ではない。

金銀の飾りも、名工の調度もない。

ただ、よく磨かれた柱と、庭の見える障子と、かすかな茶の香りがあるだけだった。


外には、数えきれぬほどの弟子たちが集まっていた。


世界最大の門派。


そう呼ばれるようになったのは、玄斎の望みではなかった。


若い頃、ただ道場を開いた。

来る者に教え、去る者を追わず、倒れた者には手を貸した。

力に溺れる者には、力を抜くことを教えた。

殺せる者には、殺さず済ませる技を教えた。


それだけのつもりだった。


だが、弟子は弟子を取り、その弟子がまた弟子を取った。

教えは海を渡り、国を越え、言葉を越え、玄斎の名は玄斎自身の足よりも遠くへ歩いていった。


人は彼を「剣の終着点」と呼んだ。

「理を解した者」と呼んだ。

「武神」と呼んだ。


玄斎は、そのたびに困ったように笑った。


「大げさなことです」


彼にとって剣とは、刃物のことではなかった。


剣とは、物事を正しく分けるための理だった。


棒も剣。

布も剣。

石も剣。

箸も剣。

指先も剣。

呼吸も、足運びも、沈黙も、間合いも、すべて剣になり得る。


刃を受けても斬られず、突きを受けても貫かれず、相手の殺気が生まれる前に、その起こりを読む。


一瞬触れれば、相手の呼吸と重心を奪い、傷つけずに制圧する。

必要ならば、一瞬で命も断てる。


だが、晩年の玄斎は、ほとんど剣を抜かなかった。


庭を掃き、茶を淹れ、弟子の立ち方を見て、亡き妻の位牌に茶を供える。

それが日々だった。


妻は、もう何十年も前に逝っていた。


世界中が玄斎を始祖と呼んでも、妻だけは最後まで夫として扱った。


「また無茶をして」

「ご飯を残すなら稽古はお休みです」

「人の身体を見る前に、自分の身体を休ませなさい」


世界が彼を畏れても、妻だけはそう言った。


その妻が亡くなった日、玄斎は人前で泣かなかった。


ただ、それから毎朝、茶を二つ淹れるようになった。


ひとつは自分に。

もうひとつは、妻に。


部屋には、三人の子がいた。


長男は、門派を支える堅実な達人になっていた。

長女は、人を見る目があり、父に遠慮なく物を言える達人だった。

次男は、若い日の玄斎に似た、自由で型破りな達人だった。


三人とも、もう自分の足で立っている。


それが、玄斎には何よりありがたかった。


「父上」


長男が、静かに声をかけた。


「門のことは、ご心配なく」


玄斎は薄く目を開けた。


「心配などしておらぬ」


声は枯れていたが、笑みは変わらなかった。


「お前たちは、わしより上手くやる」


長男は唇を結び、深く頭を下げた。


長女が涙をこらえながら言う。


「母上に会ったら、ちゃんと謝ってくださいね」


玄斎は、少しだけ眉を上げた。


「何を謝る」


「待たせすぎたことです」


玄斎は困ったように笑った。


「それは……叱られるな」


次男は、玄斎の手を握っていた。


「私は、最後まで父上に届きませんでした」


玄斎は、ゆっくりとその手を握り返した。


「届かずともよい」


「ですが」


「お前は、お前の道を歩いた」


玄斎は次男を見た。


「それが、わしには嬉しい」


次男は顔を伏せた。


玄斎は、障子の向こうに目を向けた。

庭の楓が見える。


思えば、望んだより派手な人生だった。


小さな道場でよかった。

妻がいて、子がいて、弟子が数人いて、朝に稽古し、夜に茶を飲めれば、それで十分だった。


それが気づけば、門は世界に広がった。

名は勝手に歩き、教えは自分の手を離れ、多くの者の人生に根を張った。


面倒なことも多かった。

望まぬ尊敬もあった。

敬われすぎて、窮屈に感じたこともある。


だが、悪くはなかった。


人に恵まれた。

子に恵まれた。

弟子に恵まれた。

友に恵まれた。

敵と呼ぶには惜しい者にも恵まれた。


そして、妻に恵まれた。


ありがたいことだった。


最後に、玄斎は門派へ言葉を残した。


「技だけを残すな」


声は小さかった。


だが、廊下に控える弟子にも、庭に伏す門人にも、なぜか届いた。


「理を残せ」


それが、始祖としての最後の教えだった。


玄斎は息を吸い、吐いた。


もう一度吸おうとして、必要がないと気づいた。


ああ。


これでよい。


妻に、会えるだろうか。


その思いが、最後だった。


玄斎は、ほんの少しだけ笑った。


そして、静かに息を終えた。






死の後に、闇はなかった。


光もなかった。


いや、光と呼ぶには白すぎる場所だった。


玄斎が次に目を開けたとき、そこには空も地もなかった。

風もなく、音もなく、匂いもない。

畳の感触も、老いた身体の重みもない。


ただ、白い。


どこまでも白い空間が広がっていた。


「榊原玄斎」


声がした。


玄斎が顔を上げると、そこに男の子がいた。


十にも満たぬような子供だった。

白い空間の中で、まるで縁側に腰かけるように宙に座り、足をぶらぶらと揺らしている。


整った顔立ちをしていた。

だが、荘厳さはなかった。


目は澄んでいる。

澄んでいるが、深くはない。

無邪気というより、退屈していた子供が面白い虫を見つけたような目だった。


「お前、すごいね」


男の子は笑った。


「徳ポイント、めちゃくちゃ高いよ」


玄斎は少し沈黙した。


「……徳、ぽいんと」


「うん。徳ポイント」


男の子は当然のように頷いた。


「人を救ったり、導いたり、殺せるのに殺さなかったり、弟子を育てたり、まあ色々。お前、すごい貯まってる。普通、ここまでいかない」


「左様ですか」


「うっすいなあ、反応」


男の子は不満そうに頬を膨らませた。


「だいたい皆、もっと喜ぶよ。天国ですか、とか、神様ですか、とか、私の人生は報われたのですね、とか」


「神様であられますか」


「うん」


「そうですか」


玄斎は静かに頭を下げた。


「長き道中、お見守りいただき、ありがとうございました」


男の子は目を丸くした。


「いや、別に見守ってないよ」


「そうですか」


「たまに見てたくらい。面白かったから」


「……なるほど」


神とは、そういうものか。


玄斎は妙に納得した。


人は神に、深い慈悲や揺るがぬ理を期待する。

だが、力があることと、思慮があることは別なのだろう。


この子供には、確かに人智を超えた力がある。

だが、そこに深い責任感があるわけではない。


神なんて、そんなものなのかもしれない。


「それでね」


神は、急に楽しそうに身を乗り出した。


「お前、もう一回人生歩めるよ」


「もう一度、ですか」


「そう。転生。しかも特別」


神は空中に指を走らせた。

白い空間に、淡い金色の文字のようなものが浮かんでは消える。


「徳ポイント高いから、けっこう何でもできるよ。チート能力ってやつだってあげられる。普通じゃ手に入らないすっごい特殊能力。強い身体、魔法適性、治癒、鑑定、収納、言語理解、不老長寿、運命補正、剣聖の才、魔力無限、全属性適性、病気にならない身体。」


神は指を折って数えながら、途中でにやりと笑った。


「あとは、女の子にモテるやつ?」


「それは要りませぬ」


「早いな」


「転生も、要りませぬ」


神の動きが止まった。


「え?」


「十分に生きました」


玄斎は穏やかに言った。


「思うより、ずいぶん派手な人生になりました。門は大きくなりすぎ、名は遠くまで歩きすぎました。少々、困ることもございました」


「じゃあ、なおさらやり直せるじゃん。今度はもっと自由に」


「いえ」


玄斎は首を横に振った。


「悪くはなかったのです」


その言葉は、静かだった。


「人に恵まれました。子にも、弟子にも、友にも。敵と呼ぶには惜しい者たちにも」


神は、つまらなそうに足を揺らした。


「じゃあ、何が欲しいの?」


玄斎は少しだけ目を伏せた。


白い空間の中で、庭の楓が思い出された。

畳の香り。

茶の湯気。

妻の声。


「妻と、同じところへ行けるのであれば」


神は首をかしげた。


「妻?」


男の子は空中を指でなぞった。

白い空間に、淡い光の輪が浮かぶ。


そこに、一人の女の姿が揺れた。


若い頃の姿だった。

玄斎の記憶にあるより少しだけ、柔らかく笑っていた。


玄斎は、ここで初めて言葉を失った。


戦場でどれほどの刃を前にしても乱れなかった心が、その一瞬だけ揺れた。


「……はい」


声が、かすかに掠れた。


「この人なら、もう転生準備に入ってるよ」


玄斎は顔を上げた。


「転生、準備」


「魂の洗浄中」


神は悪びれもなく言った。


「前の記憶とか、余分な傷とか、そういうのを流してる。次の人生に持っていくと邪魔なものを落とすんだ。だから、もう前のことは覚えてない」


玄斎は、光の中の妻を見たまま黙っていた。


「名前も顔も変わるよ。家も、国も、立場も違う。お前のことも覚えてない」


神は何でもないことのように続けた。


「魂は同じだけど、人生が違えば人も変わる。前の奥さんそのものじゃない。まったく同じにはならない」


「……そうですか」


「だから、お前が同じところに行っても、会えるとは限らないよ」


神は空中の光を指で弾いた。

妻の姿が、少し薄くなる。


「しかも、この人がお前と同じ世界に生まれるのは、人界の時間で五年くらい後」


「五年」


「うん。お前が先に赤ん坊で生まれる。向こうは五年後に赤ん坊。だから同い年でもない。顔も名前も違う。魂のにおいなんて普通は分からないし、世界は広いし」


神は軽く笑った。


「たぶん、探しても見つからないかもねー」


玄斎は、しばらく光の中の妻を見ていた。


記憶は洗われていく。

名も、日々も、言葉も、共に老いた時間も、流されていく。


それでも、魂は残るのだという。


ならば、その奥にあったものは消えない。


優しさ。

芯の強さ。

怒るときに眉を少し寄せる癖。

誰かを放っておけない性分。


形は変わっても、そこに何かは残る。


「それでも」


玄斎は言った。


「会いたいのです」


神は瞬きをした。


「覚えてないよ?」


「構いませぬ」


「一緒になれる保証もないよ?」


「構いませぬ」


「むしろ別の人と幸せになるかもしれない」


「それが幸せなら、それで」


神は理解できないという顔をした。


「じゃあ、何がしたいの?」


「礼を」


玄斎は静かに答えた。


「共に歩いてくれたこと。子らを育ててくれたこと。私のような不器用な男の隣に、長くいてくれたこと」


少し間を置いて、続ける。


「それから、詫びも」


「何を?」


「置いていかれたのは、私の方だと思っておりましたが」


玄斎は、かすかに笑った。


「長く待たせたのは、私の方かもしれませぬ」


神は黙った。


たぶん、意味は半分も分かっていない。

それでも、何かを感じはしたのだろう。


「会えるか分からないよ」


「はい」


「気づけないかもしれない」


「はい」


「向こうはお前を知らない」


「はい」


「それでも行くの?」


玄斎は、ゆっくりと頷いた。


不思議と、確信があった。


会える。


理ではない。

技でもない。

気配を読むことでもない。


だが、長い人生の中で、何度かそういう瞬間はあった。

まだ出会っていない弟子の足音を、道の向こうに感じるように。

なぜか、道がそこへ続いていると分かる瞬間が。


「会える気がいたします」


玄斎は言った。


「覚えておらずとも、分かる気がいたします」


「どうして?」


「分かりませぬ」


神は声を上げて笑った。


「あはは。理の達人なのに、分からないんだ」


「はい」


玄斎も少しだけ笑った。


「世の中、分からぬことの方が多うございました」


神は楽しそうに足を揺らした。


「じゃあ、転生する?」


「妻と同じ世界に行けるのであれば」


「行けるよ。徳ポイントで通る」


「では、お願いいたします」


「よっし。じゃあチート選ぼう。」


「要りませぬ」


「また早い」


神は空中にいくつもの光の札を並べた。


万能治癒。

無限魔力。

全属性魔法。

剣神補正。

不老長寿。

毒無効。

空間把握。

魂感知。

言語理解。

病気無効。

成長加速。

運命補正。


「妻を探すなら、魂感知とか便利だよ」


神が札をひとつつまんだ。


「同じ魂が近くに来たら光るやつ」


「要りませぬ」


「なんで?便利じゃん」


「便利に会うものでは、ない気がいたします」


「めんどくさいなあ」


「はい。人は少々、面倒なものです」


「魔法の才は?異世界、魔法強いよ。剣だけだと無能扱いされるかもよ」


「要りませぬ」


「魔法適性は?」


「なくとも、生きられましょう」


「言語理解は?」


「覚えます」


「強い身体は?」


「育てます」


「治癒能力は?」


「健康に気を付け、もしもの時は医者にかかります」


「不老長寿は?」


「一度、長く生きましたので」


神は頬を膨らませた。


「ほんとに何もいらないの?」


「はい」


「妻と同じ世界。それだけ?」


「はい」


神はしばらく玄斎を見ていた。


「じゃあ、ほんの少しだけ」


「何をされますか」


「同じ世界に送る。あと、すぐ死なない場所に生まれるようにする。変なところに落ちたらつまんないし」


「それは、ちいと?では」


「違うよ。配置調整」


神はにやっと笑った。


「徳ポイントの使い道。細かいこと言うなよ、じいさん」


「……左様ですか」


「あと、前世の記憶は持たせる」


玄斎は少し眉を寄せた。


「それは過分では」


「過分だよ。でもそれがないと、お前が転生する意味、薄いじゃん。妻を探すんでしょ」


神の言葉は軽い。

軽いが、間違ってはいなかった。


「ほんとにチートいらないんだね」


「はい」


「じゃあ、余ったぶんは適当にしとく」


「適当に、とは」


「適当は適当だよ」


玄斎は嫌な予感を覚えた。


だが、神はもう説明する気がなさそうだった。


白い空間に、小さな扉が現れた。


扉は木でできているようにも、光でできているようにも見えた。

向こう側は見えない。


ただ、かすかに風の気配がある。

土の匂い。

雨の匂い。

遠くで誰かが泣いているような、まだ生まれていない世界の音。


玄斎は、もう一度、光の中の妻を見た。


姿はほとんど消えかけていた。


記憶も、名も、顔も、共に歩いた日々も、魂の奥へ沈んでいく。



「先に行っているよ」


返事はなかった。


当然だった。


それでも、玄斎は続けた。


「また、どこかで」


神が声をかけた。


「ねえ。会えなかったら?」


玄斎は扉を見たまま答えた。


「その時は、その世界でよく生きます」


「一緒になれなかったら?」


「その方が幸せなら、それで」


「覚えてもらえなかったら?」


玄斎は、ほんの少し笑った。


「それでも、礼は申せます」


神は黙った。


玄斎は扉の前で一礼した。


「では」


白い光が満ちた。


最後に聞こえたのは、神の幼い声だった。


「人間って、変なの」


玄斎は心の中で答えた。


まことに。


そして、世界が遠のいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ