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洋菓子店のハリネズミ ~ La maison en bonbons ~  作者: 繭美
6. オーダーメイドの頼み方
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洋菓子店にいる後輩

 津久田つくだ雅臣(まさおみ)桐生(きりゅう)若葉(わかば)は、四年制の大学で知り合った。

 雅臣が三年生のとき、講義中に『陸上部のひとだよね』と、四年生の若葉から声をかけられた。そして何度か大学構内で話したあと、彼女から誘いがあった。

 食事に誘われ、遊びに誘われ、恋仲になって五年。結婚しようという話は、なんとなく、ふたりの間であがった。

 雅臣にとって若葉は、はじめての恋人だった。……若葉にとっては、三人目の恋人らしいが。

 そのせいか雅臣の中で、彼女に嫌われたくないという気持ちは、いまだに強かった。面倒だと思う結婚式も、彼女や周りが喜ぶならいいと、準備をしていた。

 

 午前十時過ぎ。雅臣は合鍵をかけて、若葉の部屋を出た。足に合う靴を履くと、ビジネス用と兼ねているボディバッグを背負い、駅へと向かった。

 電車に乗り、地方都市の駅で降りる。タイルで舗装された遊歩道を歩き、心地いい日差しと風を肌で感じる。閑静な街並みは、心を穏やかにした。

 しかし、肩を寄せ合う十代のカップルとすれ違うなり、雅臣は少しやさぐれた。子供が昼間からいちゃついて。

 ……思えば高校でも大学でも、陸上に明け暮れていた。部活も恋愛もこなす人間が、器用に見えたものだ。

 ……そういや仁科にも彼女がいたな。たしか二年の夏から。

 雅臣は過去を懐かしみながら、プロバンス風の店構えである洋菓子店 La maison(ラメゾン) en bonbons(アンボンボン) の、自動ドアをくぐった。


 頼みの綱であるはずの知り合いは、今日もよそよそしかった。顔を合わせてもにこりともせず、業務上の会話に入る。

「お電話でも申したとおり、ご予算やご要望に合わせてお作りいたします。ですが十一月末のお式だと、当店もクリスマスの準備がはじまっていますので――」

 清潔感のある見た目。要点を押さえた説明。悪くはない。

「お早目に具体的なご要望をいただかないと、対応できないケースもございます」

 しかし、まったく笑顔がない。

 ……これほど愛想がない飲食店員も珍しい。ココア色の帽子もカフェエプロンも、彼が着ていると堅苦しいものに見える。

 ウェディングケーキを外注するなら、仁科のところに頼みましょうよ。……そう薦めてきた後輩と、安易にそれに乗った自分を、心で恨んだ。


 三つ下の後輩の名前は、仁科崇人(にしなたかひと)。父親は税理士。

 高校卒業後は大学ではなく、フランス留学が教育課程にある製菓学校へと進んだ。

 パティシエへの道を認められる際、親に出された条件が、海外留学だったらしい。

「津久田さま、お式まではふた月ですよね」

「ええ」

 雅臣は仁科を見て、体型はそう変わってないなと思った。細く引き締まった体つき。

 自分と一緒で、週に一度のジョギングくらいは、続けていそうだ。

「ひと月前までには、具体的なオーダーをお願いいたします」

「わかりました」

 まだ招待状を渡していないが、雅臣は仁科にも出席の打診をした。

 十一月は店が繁忙期なので、出席が難しい――すぐにそう返された。ケーキを頼んで招待しないわけにはいかないので、招待状は一応、彼の分も刷った。


「あとデザインについては、こちらをご参照ください」

 仁科はそう言うと、厚いアルバムを雅臣に渡した。

 雅臣は渡されたアルバムを、ぱらぱらとめくった。どのページにもウェディングケーキの写真が、作成例として載っている。

 四角い一段のケーキが多いが、ハート型や段重ねのウェディングケーキもある。旬の果物がふんだんに飾られたケーキもあれば、クリームの薔薇が飾られたケーキも。

 どれがいいのかわからなく、つい写真下の金額にばかり目がいく。


 雅臣は悩んでいる途中でふと、隣側を見た。「お誕生日のプレート、これでよろしいですか?」という声が、雅臣の気を引いた。

「ええ。せな、ケーキ楽しみだね」

「いま食べたい!」

 小さな女の子とその母親が「せなちゃん3さいのおたんじょうびおめでとう」と書かれたホワイトチョコレートを前にして、喜びあっている。そして彼女らの前には。

「お誕生日おめでとうございます」

 ……心からほほえむ女性店員。幼顔で印象がやわらかい。

 若い異性が接客しているという点も含め、隣の光景がとても羨ましい。気が散って、ますますオーダーケーキへの考えがまとまらない。若葉はなにか言っていたか。


「お悩みですか」

 そんな雅臣に見かねたのか、仁科が声をかけた。

「あー……。僕のほうでは、あまりこだわりがないせいか。迷ってしまって」

「ゲストの人数はどれくらいになりそうですか」

「六十人……前後かな」

 雅臣は頭を抱えた。二か月前だが招待状を配り終えていないので、正しい人数はわからない。


 仁科がアルバムのページをめくった。

「予算的には、この辺りもお薦めです」

 仁科が見せたのは、飾り気が少ないケーキだった。長方形の一段のケーキで、フリルのように絞られた生クリームだけが、表面を飾っている。ケーキの側面には、オリーブの葉とかすみ草が添えられていた。

「こういうシンプルなデザインは、果物などの材料費がかからない分、費用が抑えられます」

 仁科が写真の生花に、細い指をやる。

「少し緑を添えれば、洒落た印象になりますし」

「なるほど」

 雅臣は頷いたが、緑と白を基調とした生花を見て――顔をしかめた。

 ここにもボリュームが欲しいと言われたら。

「……やっぱり僕ひとりでは、決めかねます」

「そうですか」仁科はアルバムを引いた。

 雅臣は申し訳なさから、視線を泳がせた。隣では会計を済ませた親子連れが、ケーキボックスを受け取ろうとしている。


『両名の意見を知りたいので、次回はふたりでお越しください』

 先月の八月に打ち合わせした際、そう言われた。しかし若葉と休みが合わず、今日もひとりで来る運びになった。

「悪い」飾らない言葉で謝る。

「次は必ず、ふたりで来るようにする。無駄な時間を取らせて、悪かった」

 親子連れは笑顔で店を出ていった。「せなちゃん、またね」という明るい従業員の声が、後ろから聞こえる。


「……そんなに謝らないでくださいよ。困るから」

 とたん、仁科の口調に親しみがこもる。

「前回と違って、人数を教えてくれただけで十分です。ただ津久田先輩だけじゃなくて、新婦の方にも、喜んでもらえるケーキを用意したいので」

 津久田先輩。懐かしい呼ばれ方だった。

「次はふたりで来てください」

「ああ、わかった」

「気になるデザインがあったら、写真撮ったらどうです?」

 ほかに客がいないと、態度が和らぐ。そう理解した雅臣は、ほっと息を吐いた。

 気の緩みから、聞かなくていいことを聞いた。


「そうだ仁科。お前の彼女……今の子と、同じ名前じゃなかったか?」

「………」

「ほら。高校のグラウンドにも来てた子」

 仁科が眉をしかめた。

「せな、じゃなかったっけ?」

「……違います。世良(せら)、です」

 仁科はなぜか雅臣の後方に視線をやった。なにか気になるのかと振り返れば、先ほど「せなちゃん」を見送った女性従業員が、棚の商品を整えている。

「せらさんか。彼女とは、仲良くやっているか?」

「いいえ」仁科はウェディングケーキのアルバムを閉じた。

「もう別れましたよ。高校から何年、経っていると思っているんですか」

「……悪い」

 雅臣はまた、深く仁科に謝った。

 女性従業員は『私はなにも聞いていませんよ』という顔で、そそくさとバックヤードに入っていった。たぶん気をつかわれている。

 それから仁科は、淡々と次回の日取りを決めはじめた。雅臣は申し訳なさから、次の打ち合わせを、なるべく早い日にした。

 三日後の火曜日――若葉の休日の、午後七時半。自分は仕事だが、この時間なら間に合うだろう。


「津久田さま、本日はありがとうございました」

 雅臣は店を出るときに、仁科の笑顔を見た。心からではない笑顔。

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