三問テスト
安藤は衛生管理のためのマスクをつけると、甘い香りと爽やかな香りが混ざるバックヤードへ戻った。栞は、バックヤードとショーケース側を隔てているガラスを、清掃用のクロスで拭いた。
「就職先は……実は他店も考えたんですよ。不義理になるかと思って、言わなかったんです」
「へえ」
「視野を広げたうえで、やはりここ。メゾンさんが第一志望です」
「参考に第二志望、第三志望を聞いてもいいかな」
「はい――」
栞は、第二志望に個人経営の洋菓子店、第三志望にはシティホテルの名を挙げた。それからあとは、栞の志望は『個人経営の洋菓子店』が続いた。お客さまとより距離が近いほうが好き、という理由から。
「ホテル勤務も、やりたいとは思っています。ただ最初は、自分が目標とするタイプのお店で働きたいです。……そして町のケーキ屋さんの中では、メゾンさんが一番好きです」
「きみは小さいころから、うちのお得意さまだったものね」
安藤が目を細めた。
そして業務用の冷蔵庫まで歩くと、中から細いガラス瓶を取り出した。
「じゃ、ちょっとしたテストをしよう。全問正解したら、いいものをあげるよ」
安藤は栞に、ガラス瓶の中身を見せた。透きとおったガラス瓶には、とろりとした、淡いピンク色の液体が入っている。
「これがなにかわかる?」
「……ジンジャーシロップですか?」
「正解。次、材料を全部あててみて」
栞は喉を鳴らした。
「……採用テストですか?」
「そんな大げさなものじゃないよ」
言葉は信じきれなかった。
「味見してもいいですか」
「もちろん」
「ありがとうございます」
栞はバックヤードに入り、細いガラス瓶のふたを開けた。新生姜と砂糖の香りがする。
テスト中だというのにまず、とても美味しそうだと思った。
新生姜と砂糖と水。これらとスパイスを煮詰めて作ったジンジャーシロップが、薄紅色に仕上がるのは、レモン汁を加えるからだ。……あとは、使われているスパイスをあてなきゃ。
栞はスプーンを使って、ジンジャーシロップをすくった。ひとさじ分を口に含み、ゆっくりと味わう。わあ美味しい、と喜ぶ自分を、頭の隅にやる。
「新生姜とグラニュー糖……蜂蜜、レモン汁。……それから、シナモン、バニラビーンズ、クローブ、黒胡椒が、使われていると思います」
「惜しい」
「……あ、じゃあアニスも!」
安藤は「正解」と、拍手をした。
「最後の問題。……そのジンジャーシロップで、僕はなにを作ろうとしていると思う?」
「え」
「正解したら、その作ったものをあげるよ」
栞は固まった。一瞬、なにを言っても答えを変えられるのではと、心配になった。
「冷凍庫を見るのは禁止ね。答えが一発でわかるから」
いらない心配だったようだ。栞は大きな冷凍庫を見ながら、答えを探った。
……あのシロップでシャーベットを作ったら、どんなに美味しいだろう。だけれど問題を出しているのは自分じゃない。この店の店長だ。
「えっと……なにか作ろうとしているわけじゃなくて。店長はお店の商品として、ジンジャーシロップを開発中なんだと思います」
栞は淡いピンク色の瓶を、ぎゅっと握った。冷凍庫にはきっと、シロップの使用例として作られたお菓子がある。
「夏の新商品を開発している最中……ジンジャーシロップそのものが、店長が、作っているものだと思います」
安藤は栞の真剣な表情を見て、ほほえんだ。そして拍手をした。
「はずれ」
「えっ」
「けど、奨励賞ってとこかなー。商品化したいとは考えているんだよね」
安藤はまた壁時計を見た。その横顔は楽しそうに見える。
栞はピンク色の瓶を持ったまま、肩を落としていた。
調理場には焼きたてのクッキー。そしてレモンやスペアミントが、それぞれ良い香りを漂わせている。
ショーケースには、つややかなゼリーに包まれた白桃のタルト、紫陽花を模したジュレ、二種類のグレープフルーツが飾られたショートケーキ……華やかで親しみもある洋菓子たちが、何種類も並べられていた。
さまざまな色彩と触感の調和。栞が好きな光景だ。
「東山さん。大げさなテストじゃないって言ったじゃないか。だいたいこんなの全問正解したって、どうってことないよ」
安藤は優しい声だったが、栞には毒舌に聞こえた。材料をすべて言い当てたときは、自分が誇らしかったのに。
「きみがどんなひとでなにを考えているか。もう知っているから、こんなテストで採用を取りやめたりしないよ。今日は、今後の確認をしたかっただけ」
「店長」
「来年の春からもうちに来てくれるなら、嬉しいよ。いつもお店とお客さまのためにありがとう」
栞は、安藤に温かみを感じた。
安藤は再び「きみがどんなひとか知っているよ」と、ほほえんだ。
「東山さんは……たまに厳しく言わないと、駄目なんだよね」
冷めた口調で続けた。




