第16話 「魔王様、再度地下迷宮を攻略④」
前話のあらすじ:老爺宅にて休息中。
さすがに、老爺──魔神ヤーバヤーゴは、地下迷宮『レングルブ』の封印に関しては、手伝ってくれることはなかった。
プリメラがダメもとでお願いしたのだが、
「今を生きる者たちで、何とかするのが筋だしなぁ」
と、やんわり断られてしまったのだ。
ケチ、と彼を責めるわけにもいかないだろう。
すでに老爺は世俗を捨てている身。
それなのにこうして私たちに寝床を提供してくれたのだから、感謝こそすれ非難する権利など、私たちにはないのである。
『俺はドワーフ国の安寧が掛かってるから手伝いたいが……』
申し訳なさそうに言ってくるのは初代王バムクル。
しかし彼は未だに黒の魔人の支配下に在るために、老爺の領域からは出られないので仕方がなく、当然ながら私たちも彼を責める気など一切なかった。
こうして老爺の拠点を後にした私たちは、最下層へと向けて攻略を再開する。
………
……
…
「──くしゅんっ!」
可愛らしいくしゃみをしたのは、レングルブに乗る私。
いまは取り出した毛布に包まり、彼女にぐったりと掴まっている形だ。
昨夜変な時間に水浴びをしたことで、風邪を引いてしまったようである。
水浴びの後、身体が冷えたので温泉に浸かったわけなのだが……風邪予防は出来なかったらしく。
幼児の体力では、こんなことですら簡単に体調を崩してしまうらしい。
「……ん? なんか肩に──って、これ鼻水かいっ?」
私を乗せるレングルブがぎょっとする。
見ると、私の鼻から伸びた白い半透明の液体が、彼女の肩へと橋を作っていた。
「まったく。どこまで足でまといになれば気が済むのですか、クレア様」
「アテナさん、言い方……」
呆れた様に言いながらもアテナが私の鼻水をハンカチで拭ってくれ、周囲を警戒しながらのダミアンがアテナの言葉に苦笑いで釘を刺す。
「まあでもよ? 完全にいまのクレアは戦力外になっちまったよな」
「キシシ……あの魔人の家で休んでいればいいと思うのですがぇ」
「そうだよ! さすがにワタシもさ、何も無理して最深部まで付き合うことないと思うよ?」
「お、御身体を大事にしてください……」
三者三様ならぬ四者四様。
私の身を案じてか、はたまたアテナと同意見で足手まといはいらない、と暗に言っているのかわからないが、鼻をすすりながらも私は小さく首を振った。
「ここまで来たのに、事の顛末を見れないなんてあんまりだろうが」
もはや意地である。
……というか、なぜここまで頑なになっているのか、自分自身もが不思議に思ってはいたりする。
弱体化の上に幼児化、さらに体調不良ともなれば、さすがに安静にしなければならないし、そんなことくらい、誰から言われなくてもわかっているはずなのだ。
それなのに私は、皆の制止を拒否して強行した。
私──クレアナードにとっては、在り得ない行動だった。
(まさか、私は……)
思い当たる原因は、ひとつしかないだろう。
私の想いをまるで代弁するかのように、プリメラが私を見てきた。
「もしかしてなんだけどさ、クレアさんって、幼児化したことで思考も幼くなってきてない……?」
考えたくない可能性だったが……プリメラの指摘は正しいのだろう。
肉体だけでなく、精神まで幼くなってきている可能性があった。
そしてそれに抗えていない現状。
さすがに……笑えない状況だった。
ダイ国王子ハダックが赤子化して人格がリセットされてしまったのだから、私にも同じような現象が起こっても不思議ではないのである。
「ご安心ください、クレア様」
私が風邪の影響でぼんやりする表情で愕然としていると、アテナが安心させるような声音で言って来た。
「たとえクレア様が赤子に戻られたとしても、私が責任を持って痴女──もとい淑女に育てましょう」
「……お前の言葉のどこに、安心できる要素が?」
つい思わず本音が、と隠す素振りのない呟きを零すアテナを半眼で睨み付ける。
(アルペン……本気で頼むぞ。お前しか頼りに出来るやつがいない……)
成長促進の呪具を制作中である森の魔女に、切に願うのだった。
※ ※ ※
さすがに下層ともなってくると下級や中級が姿を消しており、上級種が常にいる状態の上に、いよいよロード種がちらほらと姿を現す様になってきていた。
本当なら、もっと早い段階でロード種と遭遇するだろうと思ってはいた。
だが実際は、こうして下層になってからなのだ。
これらから推測できることは、地上に出てきたロード種は当時現存していたものであり、いま私たちに立ちふさがるロード種たちは、新たに生まれたもの、ということなのだろう。
そしていま現在、私たちは広間にて、数体のクモ・ロードと交戦中だった。
「ロード種だろうが関係ねェッ!」
対峙するロードへと吼え様に飛び掛かっていくは、”獣化”しているレアン。
口から吐き出された糸を流れる様な体捌きで躱しつつ懐へと入ると同時に、その前脚に一撃を叩き込んでへし折り、間断なくその顎を真上へと蹴り上げる。
”獣化”で強化されているレアンの連撃は止まらない。
痛烈な回し蹴りを炸裂させており、ロードは大きく弾き飛ばされていた。
「キシシ! さすがに待ち伏せではないようですが……っ」
キノコから触手の群れを放ち、キノコ爆弾を散乱するザオーム。
連続する小爆発の波がロードの退路を断っており、回避が出来ないロードへと触手の群れが襲いかかってその全身へと無数の強打を叩き込む。
眼球のひとつが潰されて絶叫を上げるロードなれど、ザオームに余念はなく。
一切の反撃を許さないとばかりに絶妙な距離を保ちながら、キノコ爆弾でかく乱・触手で遊撃しつつ、戦況を優勢に進めていた。
「ああもう! 極大魔法をここで使えたら一網打尽なのに!」
「お、王女様! そんなことなされたら生き埋めに……っっ」
「わかってるわよそれくらい!!」
攻撃魔法を叩き込みながら愚痴を飛ばしてくるプリメラに、引きつった顔で叫ぶ侍女。
プリメラは出しゃばることはしないで、それぞれの状況に合わせて的確に攻撃魔法を叩き込んでおり、味方をフォローすることに専念している様子。
攻撃魔法のレパートリーこそ少ないものの、本来ならドワーフ族は魔法を使うことが出来ないことを鑑みると、十分すぎる力量といえた。
「レングルブさんはお下がりを。ダミアンさん、頼みますよ」
「わかっています!」
風邪でノックダウンしている私を乗せるレングルブを庇うようにアテナが影術を操り、持ち前の俊敏性でもってダミアンが近寄るロードを牽制する。
動こうとするロードの脚に黒の手が巻き付いて動きを制限。
アテナは動き回るダミアンの邪魔になるようなことは決してせず、逆に確実にロードの行動を妨害する影術を行使。
その隙をついて死角から奇襲するダミアンが、着実にロードに傷を与えていく。
「こほっこほっ……!」
「おいおい、大丈夫かい? クレアナード」
毛布に包まり咳をする私を労わるように肩越しで見てくるレングルブに、私は言葉なく親指だけを立てて応える。
そして、咳をしながらも戦況を分析。
ロード種は3体。
レアンとザオーム、そしてダミアンがそれぞれ1体を受け持っており、プリメラとアテナが状況に合わせて援護をしていた。
プリメラの侍女は「主に万が一のことがあっては」という気持ちからなのか、いざとなると肉の壁になるつもりなのかプリメラの傍に震えながらも立っており、まさに忠臣の鏡といえるだろう。
そして私を乗せるレングルブは戦闘に巻き込まれないように、部屋の入口付近で待機である。
「…………」
戦闘を繰り広げる面々を見やりながら、私は思っていた。
(私は、何をやっているんだろうな)
これでは、アテナに足でまといと言われても反論できないではないか。
現に、完全に足手まといとなっているのだから。
非戦闘員の侍女ですら、少なからず戦闘に貢献しているのだから……
幼児化したとはいえ、援護くらいは出来ると自負してはいた。
それがどうだろうか。
いまは、この有様である。
幼児の免疫が、ここまで低いとは思っていなかった。
そして、幼児だからこその我が儘性を律することが出来ない私の理性が減退していることも、懸念の種である。
(……それにしても、頭が熱いな……)
ぼうっとしてくる意識の中、やけに頭が熱く感じられた。
まあ、風邪を引いているのだから、熱が出ているのは確かなのだが。
(仕方ないな)
私は虚ろな意識の中、熱を持つおでこに片手をつけると、氷魔法を発動させた。
途端に頭はひんやりとなり、その心地よさにうっとりと目を細めていると……
「クレア様!? 何をなさっているのですか!?!」
突然に、アテナが駆け寄ってきた。
珍しく声を荒げた彼女は、呆れが混じっていながらも心配してくる眼差しを私に向けてくる。
「いくら熱で朦朧としているからといって、頭を氷漬けにするなど……」
「……んあ?」
思うように言葉が発せられなかった。
思考はこんなにもはっきりしているというのに。
私は、自分が思っていた以上に風邪の影響で意識がおかしくなっていたらしい。
「ああ、もう。クレア様はおとなしく寝ていてください。この戦闘は、とりあえず私たちが優勢なので」
「……そう、か」
私の頭の氷を引きはがしながら言ってくるアテナに、私は言葉短く答える。
そこで気づくが、いまの私には戦闘の経緯を確認できる余力もなくなっていた。
まあ、アテナが優勢というのだから、私が心配をする必要もないのだろう。
(なんだかんだ言っても、最後は結局私を心配してくれるんだよな、お前は)
気の置けない従者。
いつも隣に居てくれて、何やかんや言いながらも私を助けてくれる味方。
落ちぶれてしまった今の私には、もったいないと言えるだろう。
(アテナ。私は……)
心の奥に温かいものを感じながら、私の意識はゆっくりと闇に堕ちていく──
※ ※ ※
「……ん?」
目が覚めると、ちょうど通路の穴から階下へと降りる場面だった。
見覚えがあるのは、前回の攻略時、傀儡と化していた初代王の強襲によって出来た穴だったからだ。
──つまり、最深部が近いということを意味していた。
「おや? お目覚めになられましたか?」
レングルブの背で寝ていた私が起きたことに気付き、アテナが私のおでこに手を当ててくる。
「……ふむ。どうやら熱は下がったようですね。まだ微熱はあるようですが」
「アテナ。あの後、3体のロードとの勝敗は?」
「私たち全員が無事であり、尚且つ逃げてきた様子もない以上、私たちが勝利したということではありませんか?」
「……意地悪な言い方をしてくるな」
「それほどでも」
「褒めてない……はあ」
病み上がりに対しても通常運転のメイドに、私は嘆息ひとつ。
聞くと、どうやら真っ先にロードを叩きのめしたのはやはりレアンだったようで、3体の内の1体が潰れてしまえば、後は殲滅戦に切り替わるだけであり、最後の1体は袋叩き状態だったらしい。
(さすがだな、レアン)
彼女を称賛しつつ、いまの状態を確認するべく軽く拳を握ってみるも、どうにも力が入らない上に、なんとなくまだ全身が重い感じだった。
(微熱になったとはいえ、病み上がりだからまだダメか……)
つまりは、もうすぐラスボスとの対決だというのに、いまの私は未だに戦力外ということである。
惨めというか悔しいというか、幼児化している私は、自分が思っていた以上に足手まといだった。
(……まあ、とは言ってもリスク自体は低いっぽいんだけどな)
私のような足手まといを連れてのラスボス封印。
これは何も、私の我が儘が押しとおったわけではなく。
レングルブ曰く、本体である自分がいなくなった以上、残してきた半身の戦闘力は激減しているので、いくら暴走しているとはいえ、私たちの総戦力ならば大丈夫だと太鼓判を貰ったからだ。
でなければ、アテナが強制的に私を老爺の拠点に置いてきているだろう。
(ついてきてくれたレアンに感謝、だな)
彼女の戦力が、レングルブが大丈夫だと判断した材料のひとつだったりする。
もしレアンがこの場に居なかった場合は、少し微妙だったと。
私たちのメンツを考察してみると。
私は戦力外として、アテナやプリメラは後衛型、ザオームは前中衛型でテクニックタイプ、ダミアンも前衛型だがスピードタイプであり、純粋なアタッカーというか前衛においての火力不足が否めなかったのだが、ここに前衛型でありパワータイプのレアンが加わることで、その問題が解消されたというわけだ。
(しかも”獣化”すれば全能力アップだしな。鬼に金棒とはよくいったもんだ)
私に恩返しがしたかったというレアンだが、これではおつりが来てしまうというものである。
ちなみに、レングルブに関してもテクニックタイプと言えるだろう。
直接的な攻撃力こそ微妙だが、立体型蜘蛛の巣さえ構築できれば、無双状態となるからだ。
作戦的には、私たちがラスボスの注意を惹き付けている間にレングルブに立体型蜘蛛の巣を構築してもらい、完成後はその無双をもってラスボスを無力化してもらうといった内容である。
(……とはいえ、みんなさすがに緊張してるか──ん?)
記憶にある通路を進む一同は皆一様に緊張の面持ちをしていたが、そんな中でただひとり、私を乗せるレングルブだけが、複雑そうな表情を張り付けていることに気が付いた。
「レングルブ、大丈夫か?」
「……ん、心配ないよ。ただ、こんな形で半身と会うことになるなんて思ってなかったってだけさ」
「……レングルブ……」
「気にするでないよ。別に封印されようが、死ぬわけじゃないんだしねぇ」
「そう、か」
レングルブの真意は捉えどころがなかったが、それ以上私には彼女への言葉が見つからなかったので、沈黙することに。
(こうしてレングルブが同行してきたのも、関係者として責任は果たすってところなんだろうな)
そう考えると、案外彼女は真面目なのかもしれない。
魔物に真面目という表現もあれだが、そもそもが、そういう考え方自体が先入観から来るものなのかもしれないと、ハタと気づかされる。
魔物=邪悪。
この先入観では、多くのヒト族が魔族を敵視するのと同じ理論だからだ。
結局私も、魔物という種を色眼鏡で見ていたのだろう。
まあもちろん、すべての魔物がレングルブのようではないだろうが……
(これでは、マーズに偉そうに説教できないな)
かつて、マーズに偏見を持つなと説教したことを思い出し、苦笑いだった。
………
……
…
戦闘準備を整え臨戦態勢で、いざ最深部──女王蜘蛛の間へと雪崩れこんだ私たちは、あまりの光景に愕然としていた。
私たちが到着する以前に”何者”かと戦闘があったらしい。
室内は前回攻略時の時よりも滅茶苦茶となっていたが、すでに戦闘は収束しているらしく、不気味な静けさに包まれていた。
静寂が支配する大広間には、まるで眠るようにおとなしい巨大蜘蛛が一匹だけ鎮座しており、下半部が床と同化している蜘蛛のやや眼前には、所有者不在の長剣がまるで墓標のように床に突き立っている。
「いったい何が……」
眠っている蜘蛛の咢周辺に細かな血肉や千切れた衣服、鎧の破片が転がっている事から、剣の所有者は今頃蜘蛛の腹の中なのだろう。
「……ふむ。驚いたねぇ」
一同がどうしていいかわからず、その場で固まっている中、私を乗せるレングルブが無造作に巨大蜘蛛へと近寄っていく。
この行為にぎょっとする一同なれど、レングルブが近寄っても巨大蜘蛛は身じろぎひとつしなかった。
激戦だったのだろう。かなりのダメージを負っているようだったが、それでも死んでいるわけではないようだが……
「……レングルブ、どういうことなんだ?」
「どうもこうも、見ての通りさ」
私の問いに、さも当たり前のように応えてくるが、私には状況がわからない。
それは他の面々も同じ様子だったが、一応警戒しながらも近づいてくる。
「……ここまで近づいても反応ねぇのかよ」
「お姉サマ、どういうことなの?」
「キシシ……私に聞かれても困りますよ」
「ダミアンさん、これはどういうことですか?」
「いや、アテナさん。俺に聞かれても……ってか、わざと聞いてるでしょう……」
戸惑いと動揺、そして困惑。
まあ、当然の反応といえば反応だろう。
万全の準備と覚悟をしていざ最終決戦に臨んでみれば、この事態なのだから。
「レングルブ、説明してほしいんだが」
「われを──いや、魔物を苦しめる”飢え”が収まってるのさ」
「”飢え”が……?」
「収まってるというよりも、癒えたっていったほうが正解かねぇ。いや、驚いたよ。まさかこんなことが起きるなんてねぇ。たぶん、われの半身が喰った奴が影響を及ぼしたんだろうけど……何を喰ったんだか」
「そんなに驚くことなのか?」
「魔物の”飢え”が癒えるなんてことはないんだよ。そう造られてるからねぇ。”飢え”を満たすために魔物は暴れる。けど”飢え”が満たされちまったら、もう暴れる必要なんてないってことさ」
「……なるほど」
レングルブは巨大蜘蛛の頬(?)辺りに手を添える。
「……意思疎通は無理、か。暴走の影響ってところだろうけど……これじゃあ、何を喰ったのかわからないねぇ」
ダミアンが確認したところ、床に突き立っている長剣や鎧の破片等は市販されている一般的なものらしく、身元の特定ができる代物ではないとのこと。
武器がその一本しかないことから、単身で来たということはわかるが……
(単独での戦闘力が高いということは、もしかして勇者だった……もしくは魔人? いずれにしても、ただの人間じゃなかったんだろうが……)
真相は闇の中。
蜘蛛の腹を捌いたところで、すでに消化済みだろうから無意味だろう。
「えっと……とりあえずさ、抵抗されないってことだよね?」
おずおずと言って来たのは、《神の槌》を構えたプリメラ。
「じゃあさ、このまま封印してもいいんだよね?」
「ってかよ、封印なんてまどろっこしいことしないで、殺しちまったほうが手っ取り早いんじゃねーの? 抵抗しねぇなら、なおさら簡単にいま殺れるだろ?」
一見するとレアンの指摘は物騒ながらも、なかなか的を得た発言だった。
さすがに本人を前に遠慮なく半身を殺せというのは、なかなか過激だったが。
その指摘を受けた当のレングルブは、怒ることもなく小さく肩をすくめてきた。
「そいつは無理だねぇ。言わなかったかい? われは──半身はこの迷宮と同化してるんだ。だから完全に殺すには、この迷宮自体を崩壊させるしかないよ。目の前のこの入れ物を壊したところで、すぐに再生されるだけさ」
「マジかよ」
これだけ巨大な地下迷宮を破壊するなど、それこそ”神”にしか出来ないだろう。
だがすでに、神は現世には居ないのだから、事実上は不可能ということである。
「んじゃ、封印するねー」
軽い口調で、プリメラが身じろぎしない巨大蜘蛛の脚を伝い、よじ登っていく。
それを見守る一同は、一応は警戒しておくが……
何事もなく、プリメラは目的の場所──巨大蜘蛛の背中へと到達していた。
「すうぅううぅううぅ……」
大きく息を吸い込み──
「どっせえええええええええええええええええええええい!」
両手に構える《神の槌》を、蜘蛛の背中へと叩きつける。
眩い光が放たれるや、見る見るうちに巨大蜘蛛の全身が石化していき……
数秒後には、物言わぬ石造と化していた。
「なんか拍子抜けだけど……ミッションコンプリート!」
「おめでとうございます! 王女様!」
感極まったように拍手を送る侍女の横では、レアンとザオームが、
「なんか、オレが来なくても良かったんじゃね?」
「キシシ……結果論、といったところでしょうかねぇ」
そんなやり取りを交わす一方では、ダミアンが安堵の息を零していたりする。
「クレアナード様の状態が気が気じゃなかったんで、激戦になるだろう戦闘がなかったのは良かったですよ」
「なんだかんだで、いまのクレア様は足手まといですからね」
辛辣なアテナの言葉をスルーすることにした私は、石造に片手を当てているレングルブに声をかけた。
「大丈夫か?」
「……まあ、思うところがないっていえば嘘になるけどねぇ」
感触を確かめるように撫でる彼女の眼差しには、少しばかり憂いの光があった。
しかしそれは一瞬だけであり、レングルブは小さく肩をすくめてくる。
「ま、”飢え”が癒えたんだ。それだけで御の字ってところかねぇ」
(魔物の”飢え”が癒えた……か)
私はちらりと、床に突き立っている長剣を見やった。
(本当に、何者だったんだ……?)
不完全燃焼感は否めないが、ダミアンが言っていたようにリスクを回避できたのだから、僥倖といえるのかもしれない。
この場で巨大蜘蛛と戦い、その激戦の果てに喰われた人物。
何者かはわからないが……
その人物が喰われていなければ、今頃私達は激闘を繰り広げていたことだろう。
(尊い犠牲に感謝、というところか)
こうして地下迷宮『レングルブ』の再封印に関する攻略は、思わぬ形で終結することになる。
何の情報もないのだから、この時点での私が”異世界勇者”なる存在が居ることなど、知る由もなく。
名も知れぬ喰われた人物に、黙祷を捧げるだけだった。
※ ※ ※
※ ※ ※
この地下迷宮の再封印に成功したとの報告の後、クレアナード一行はヤーバヤーゴ宅に一泊して十分に休息してから出立していった。
いくら封印したとはいえ、迷宮内にはまだまだ魔獣が生息しているからだ。
地上に出るまでは油断できないということである。
クレアナード一行を見送った後、宙に浮遊する老爺へと初代王が視線を向けた。
『ヤーゴ殿。これでこの場に訪れる者はいなくなるだろう。寂しくなるな』
「そうかぁ?」
『あの者たちと話す貴方は楽しそうに見えた。地上に戻りたくならないのか?』
「おれはもう、地上に未練はねぇんだぁよ。若人との会話はなかなか楽しかったが、それだけだぁ。それ以上でも以下でもねぇよ。老兵は去りゆくのみ、だぁな」
達観している口調と態度だった。
「そういうお主はどうなんだ? 子孫と話して、しかも残してきた国の事を聞き、お主こそ地上に戻りたくなったんじゃねぇか?」
『その気持ちがないといえば嘘になるが……まあ、いまの俺がここから出たら意識を奪われしまうからな。もう割り切ってるさ』
「そうかぁ、すまんなぁ。強制復活術に関しては、おれも関与できねぇからよ」
『いやいや。こうして自我を保っていられるのもヤーゴ殿のおかげであって、感謝こそすれ、ヤーゴ殿が謝る必要はないさ』
骸骨の眼光に優しい光が灯る。
『ま、お互い老兵同士、仲良くやろうじゃないか』
「ふぉっふぉっふぉ。では早速、もう一局打つかい?」
『応とも。次こそは勝たせてもらうぞ』
「ふぉっふぉっふぉ! お主とは年期が違うんだぁ。そうそう勝たせてやるわけにゃぁいかんなぁ」
等々、その場への到達が難しいダンジョン奥深くにて、俗世を離れ隠居を愉しむふたりは、碁を打ち合うのだった。
対局の勝敗は善戦空しく……




