第1話 「魔王様、黒エルフ族国へ」
前話のあらすじ:白エルフ国を後にしました。
黒エルフ族国。
白エルフたちとのやり取りでは、さも魔の巣窟のような言い方をされていたが、なんのことはなく。
ただの国であり、そこに住まう者たちも普通の人間であり、普通に生活しているのだ。
善人もいれば悪人もおり、ちらほらと野良の魔獣が闊歩するだけであり。
その魔獣もが街道警邏隊により討伐されるために、比較的安全が保障されているのである。
「……安全が保障されているはず、なんだがなぁ……」
嘆息交じりで馬車内から前方を見ると、先の街道にて、お取込み中だった。
ひとりの獣人の女が周囲をレッサー・トレントに囲まれており、大立ち回りをしていたのである。
その戦闘に巻き込まれないようにアテナが影馬を操ったことで、馬車は一旦その場に停まる。
「警邏隊も万能ではありませんからね。それでクレア様、如何いたしましょうか?」
「……というか。街道でのイベント事が多過ぎると思わないか?」
私は辟易したように溜め息ひとつ。
「まともに街道を進むことも出来ないのか……?」
「お言葉ながら、クレア様の運が悪いだけかと」
「……否定できない、か」
「主の不運に巻き込まれる私は、本当にいい迷惑です」
「はっきり言ってくれる」
「はい。正直がモットーですので」
通常運転のアテナは、改めて私を見てくる。
「それで、如何いたします?」
「んー……」
その戦闘を見れば、どうやら女獣人が優勢らしかった。
数こそ魔獣のほうが多いが、所詮は下級の集まりであり。
女獣人は両手に装備している独特の鉤爪でもって切り裂き、切り伏せ、体術も力強く的確でいて、俊敏な動きでもって無傷を誇っていた。
「強い……な。あの身なりから、冒険者ってところか?」
「だと仮定すると、高ランクなのは間違いないでしょうね」
「ふむ……だったら、援護はいらんだろ。というか逆に、私たちが参戦したらあの女の邪魔になってしまいそうだな」
「と言いながら、単純に面倒くさいだけでは?」
「わかってるじゃないか。面倒なイベントはスルーに限る」
「同感です。ではあの戦闘域を逸れるために街道を外れるので、少し揺れると思いますが我慢してください」
「ああ、わかった」
こうして私たちは、街道のど真ん中で戦闘中の現場を避けるように、街道を外れることに。
「おっと……」
さすがに整備されていない地面を走るだけに、多少の振動が伝わってくる。
車内で座っている私が、転倒しないように手をついた時──
──ドォオん!
今までの振動とは比べ物にならないほどの衝撃が、馬車を大きく揺らした。
さすがに予想以上だったこともあり、私は思わず頭から床に激突。
「っ……ちょ、おいアテナ! さすがに揺れ過ぎじゃないかっ?」
「いえ、いまの衝撃は……」
そこで、ハタと気づく。
いつの間にか、間近──恐らくは馬車の真横にて、魔獣の唸り声が聞こえていることに。
再び馬車に大きな衝撃が起き、それに伴い、魔獣の唸り声も増えてくる。
「……何が起きている?」
馬車から顔だけ出して外を確認すると。
「オッラあああああああーーーーーっ!!!」
あろうことか。
戦闘中の女獣人が、交戦している魔獣をこちらに向かって蹴り飛ばしていた。
蹴り飛ばされた魔獣は見事な軌道を描き、私の馬車に激突。
再び馬車が大きく揺れ、私は転倒しないように縁にしがみつく。
馬車に強度硬化の術が掛けられていなければ、最初の一撃で粉砕されていたことだろう。
伊達に、大枚叩いて買った馬車ではないのだ。
とはいえ、こう何度も喰らえば、さすがにまずいが……
「おいおいおい……この馬車は高かったんだぞ。勘弁してほしいんだが……っ」
私が馬車から顔を覗かせていることに気付いたのか、女獣人が怒声を叩きつけてきた。
「てめぇ!! 女がひとり戦闘中だってのにナニ見捨てようとしてんだよ!!!」
横手から飛び掛かってきた魔獣を鮮烈な一撃で返り討ちにしつつ。
「フツー助けるだろ!!? スルーしてくとか、マジでありえねーだろが!!!」
至極まともな事を言っているのだが……巻き込まれた身としては、いい迷惑としか言えないだろう。
「絡まれたな」
「非はこちらにあるので、反論の余地はありませんね」
「というかあの女。もし私たちが戦う力のない一般人だったら、どうする気なんだ?」
「そこまで考えが及んでいないのでしょう」
「単細胞ってことか」
「クレア様。呑気に状況を分析している場合ではないかと」
「確かに、な」
こちらに蹴り飛ばされてきた魔獣たちが、この馬車へと攻撃を始めたのだ。
さらには、まだ女獣人が期を見ては、こちらに魔獣を蹴り飛ばして来る始末。
しかも最悪なことに、前輪が破壊されたようで、強引に戦線を突破することが出来ない状態に。
「ちっ。これ以上、馬車を壊されたらたまらん。アテナ、やるぞ」
「了解しました」
甚だ不本意ながらも、私たちは魔獣殲滅戦へと意識を向ける──
※ ※ ※
所詮は下級魔獣であり、私とアテナはもとより、元々援護はいらないであろう強さを誇っている女獣人もいるのだから、私たちが敗北する理由はどこにもなく。
ほどなくして、魔獣は全滅していた。
「まいったな……どうにかなりそうか?」
「生憎と、私には修理の技術などはありませんので」
破損している前輪を確認するアテナが些事を投げてきたので、私は渋面に。
そんなことをしている私たちのもとへと、元凶の女獣人が悠然と歩いてきた。
「やるじゃんかアンタら! 逃げるから、てっきり弱っちいのかと思ったぜ!」
「……本当に弱かったら、お前が蹴り飛ばした魔獣に殺されてるところなんだが?」
「アッハハ! 細かい事は気にすんな! 結果オーライでいいんじゃねーか?」
豪快に笑い飛ばしてから、ようやく私たちの置かれた状況に気付いた様で、前輪をのぞき込んでくる。
「ありゃりゃ、壊れてんな?」
「ああ。壊されたんだよ。誰かさんにな」
「さっきの魔獣だな!」
「……その魔獣を蹴り飛ばしたのは、どこの誰だろうな?」
「アッハハ! しゃーねーな。ここは責任とって、応急処置だけしてやんよ」
「できるのか?」
「あくま応急処置な。本格的な修理は、街にある修理屋にでも頼んでくれや」
女獣人は転がっている樹木魔獣の身体をはぎ取り、手慣れた様子で前輪の応急処置を始める。
アテナは私たちが倒した魔獣だけの価値ある部位の回収をしており、手持無沙汰となった私は、女獣人の手際のいい処置を眺めていた。
「うまいもんだな」
「これくらい簡単だろーが。ってかよ、冒険者ならこれくらいできないでどーするよ?」
「……耳が痛いな」
アテナが部位の回収を終えるのと同じ頃合いに前輪の応急処置が終わり、女獣人が立ち上がり、服についた土埃を払い落とす。
「とりあえずこんなもんだろ。街に着くまでは、もつと思うぜ」
「すまないな」
「あー気にすんなって。ってかよ、アンタらって冒険者だよな?」
「ん? そうだが?」
「ってことはよ、いろんな国を回ったりしてるんだよな? ここは黒エルフ領だし、アンタは魔族だ。国を渡り歩いて冒険してる感じだよな?」
「まあ……そうだが。それがどうかしたのか?」
「出会った冒険者には一応聞くことにしてるんだけどよ、ひとつだけ聞いていいか?」
「私に答えられる範囲のことなら、別に構わないが……」
「おお! 助かるぜ!」
私の返答に、女獣人の耳と尻尾がピクンと動く。
その様子がどことなくウルに似ているなと思ったのは、この女獣人も狼人族だからかもしれない。
(ウル……今頃何をしているんだろうな)
懐かしい狼少女を思い浮かべていると、女獣人が身振り手振りで説明してきた。
「えーっとよ、こんくらいの背丈で、なんかこう、ちんちくりんなチビを見なかったか?」
「いやいや、さすがに漠然としすぎていないか?」
「んー……オレと同じ狼人族のガキでさ、名前を”ウル”って言うんだけどよ」
「なっ……ウルだって!?」
まさにいま、脳裏に思い浮かべていた狼少女の名前を言われたことで、さすがに私は驚きを隠せない。
その反応を前に、女獣人の目つきが鋭いものへと変わる。
「その反応、知ってるっぽいな?」
「……なぜウルを探しているんだ?」
「理由を言わなきゃならん義務はないと思うけどな?」
「聞いておいて理由は言わないと? なら、私も答える義務はないな」
一転して視線をぶつけ合う私と女獣人。
アテナは関わる気がないようで、樹木魔獣の死体に腰かけ、ぼんやりとこちらを観戦しており。
しばし沈黙が流れた後、根負けしたのは女獣人。
「……ちっ。オレは、レアン。ウルは──オレの妹だ」
思いがけない告白をしてくるのだった。
※ ※ ※
私は再び驚かされ、アテナも多少の驚きを見せていた。
「ウルの姉……か。どうりで、どことなく似ている部分があると思ったわけだ」
「さあ、答えたんだ。あのガキがいまどこにいるのか、教えてくれよ」
「いや、答えたのはお前の名前とウルとの関係性だけだろう。探す理由は聞いていない」
「おいおいおい。なんなんだよ? ちょっとあのガキの居場所を言うだけじゃねぇか。なんでそこまで答えるのに警戒してんだよ? 意味わかんねーぞ」
「……ウルは、事情があって故郷を出たと言っていた。そのウルを探しているということは、お前はウルを連れ戻す気なんだろう? だったら、安易に居場所を言うわけにはいかない」
「……おいおい、マジかよ。義理堅いにも程があんぞ」
呆れたような顔をする女獣人──レアンだが、私としては譲れないのである。
ウルのためにならないのならば、ここで教えるわけにはいかないのだ。
「…………ちっ、わぁったよ。説明すりゃいいんだろ? 一族の恥だから、あんま他人には言いたくねぇんだけどよ」
忌々し気に唾を吐くものの、理由を話さないと私が答える気がないと知るや、苦々しい口調で言って来た。
「あのガキ……大事な婚礼の儀の直前で、バックレやがったんだ」
「婚礼……の儀?」
「部族同士の繋がりを強めるため、んで、少しでも強い血筋を残すためによ、部族長の子供同士を婚姻させんだよ」
「ウルは、族長の子供だったのか……。だが、ウルはまだ13歳だろう? 婚姻には早いんじゃ……」
「そりゃ魔族の考えだろ? オレら獣人族にとったら、13歳はもう成人扱いさ」
「……なるほど」
種族の違いと言われれば、納得するしかないだろう。
だがそれを聞いて、私は不思議に思うことがあった。
「そういうのは、普通年上からさせられるもんじゃないのか? なぜ年下のウルからなんだ?」
「……あのガキが弱いからさ。要は、人身御供だな。ダンナとなるあの”贅肉”は、とにかくオレら一族の血筋を欲しがってるのさ。誰でもいいから嫁を寄越せってな。”贅肉”の評判は最悪の一言。嫁になった奴は確実に不幸になる。だから嫁なんてとんでもない話だったんだ」
”贅肉”と侮蔑していることから、よほどそいつのことを嫌悪しているのだろう。
私は口を挟まずに、彼女の言葉に耳を傾ける。
「けどよ、力関係が向こうの方が上の以上、オレら一族は逆らえなかった。そこで、オレら3姉妹の中で失ってもいい奴が、あの”贅肉”の花嫁に選ばれたってわけさ」
「それが……ウルだったということか」
私は顔をしかめた。
聞いていて面白い内容ではなかったからだ。
要は、政略結婚ということである。
しかも、あの頑張り屋の少女を”失ってもいい”だなどと……
「まあ、あのガキの気持ちもわからんわけじゃないけどよぉ。あんな”贅肉”の子を宿せとか、死んでもゴメンだっての。”子作り”の最中に、あの無駄な肉で押し潰されるぜ」
「気持ちがわかるのなら、どうしてウルを探すんだ?」
「…………あのガキがバックレた以上、次の生贄は──オレなんだよ」
「……なるほど。それで、必死にウルを探しているってことか」
「ふと思ったのですが」
魔獣に腰かけて話をのんびり聞いていたアテナが、ふいに口を開いた。
「そこまで嫌なのでしたら、その”贅肉”さんを叩きのめして、再起不能にしては?」
暴論な気もするが、それが手っ取り早いかもしれなかった。
後々の部族同士の禍根になるかもしれないが、襲撃者がバレなければいいだけであり。
闇討ちなど、襲撃者がわからない方法はいろいろとあるのだから。
しかしレアンは……渋面をつくってきた。
「それが出来りゃ、苦労はしねぇよ。あの”贅肉”……無駄に強ぇんだ」
だからこそ彼女の一族は抵抗を諦め、生贄を差し出す選択肢をとったのだろう。
レアンもかなりの実力者と見受けられるが、その彼女をもってしてもこう言わしめるのだから、その”贅肉”とやらは、本当に強いのだろう。
(だからウルは……強くなろうとしていたのか……)
彼女との指導を思い出す。
どこまでも真剣であり、真摯であり、そして必死さもが垣間見えていたことが、いまになって気づかされる。
まだ若いというのに、あの歳でウルは、とんでもない重荷を背負っていたということだろう。
(種族が違う上に、これは彼女たち部族間の問題。部外者の私が下手に介入するわけにもいかんか……)
だが、ウルに肩入れしたい気持ちも強く。
そんな私が出来ることと言えば……
「事情はわかった」
「お? そうか。だったら、あのガキの居場所を──」
「なおさら、ウルの居場所は言えない」
「……はあ?」
険しい顔になるレアンの目を、私は真っすぐに見据えた。
「ウルとは親しい仲だ。仲間といってもいいだろう。そんな彼女が不幸になるというのならば、答えるわけにはいかない。仲間を売り払うなんて真似、私には出来ないからな」
「……てめぇ……」
レアンから殺気が吹き上がってくる。
まあ当然の反応だろう。
妹を見つけ出さないと、自分が生贄となってしまうのだから。
「力づくで聞き出すか? 言っておくが、私も精一杯抵抗させてもらうぞ? 当然ながら、アテナの援護もありだ」
「微力ながら、私も精一杯頑張りましょう」
珍しくやる気を見せるアテナが立ち上がり、警戒するように身構える。普段何かと無関心な彼女とて、親交あるウルが不幸になる未来は避けたいのだろう。
「…………」
私とアテナを交互に見やったレアンは……大きく溜め息を吐く。
それに伴い殺気も収まっており、鋭くなっていた視線も元に戻っていた。
「……ちっ。ムカつくけどよ、それだけアンタらは信用できる人間ってわけだ。それだけあのガキを……大事に想ってくれてるってわけだよな」
「……ああ。ウルは、大事な仲間だからな」
「同意します」
「妹が世話になった奴らを、さすがに攻撃できねーわ」
「……ウルを生贄にするために、探し回ってる奴の言葉とは思えないな?」
「勘違いすんなよ。オレは別に、あのガキが憎いわけじゃない」
そう答えたレアンは、そこで初めて”姉”の顔を見せる。
「一族を捨ててでもバックレるくらいなら……なんで一言、オレに相談しなかったんだって話だ。あのガキがバックレたことで次の生贄はオレだけどよ、そんなこと以上に、あのガキに頼りにされなかったことがムカつくんだよ。オレは、そんなに頼りになんねーのかよってな。親父たちはもう諦めてるけどよ、オレはぜってー諦めねぇ。あんな”贅肉”の玩具になるなんざ、死んでもゴメンだ」
「……ウルを見つけたら、どうする気なんだ?」
「まずは一発殴る」
「おいおい……」
「仕方ねーだろ? ケジメはつけねぇとならねぇからよ」
「そう言いますが。なんだかんだで、ウルさんを探すという名目で、貴女もうまく逃げ出した口なのでは?」
アテナのふいの指摘に、レアンの両目が丸くなる。
図星だったのだろう。
気まずそうに、頬をポリポリと掻く。
「部族のためとはいえ、娘を切り捨てるような家族、こっちから願い下げだっての」
「そうは言うが、だったらなんでウルに救いの手を伸ばさなかったんだ?」
私の口調は、少しだけ責めたものになってしまう。
それを受けた彼女は、バツが悪そうに目を伏せた。
「……あのガキ、おとなしかったんだよ。何も言わず、黙ってたんだ。だからオレは……あのガキも他の家族同様、運命だと思って諦めたんだと思ってた。だから、オレは何もしなかった」
「じゃあ、ウルを探しているのは……」
「あのガキのことだから、ひとりじゃ何にもできねーだろうからよ。オレが守ってやんなきゃなんねーべ? それに、まだ様子見だけどよ、一族が本腰を入れて総出で捜索し始めたら、すぐに見つかっちまうだろうしな。抵抗できずにあっさり捕まっちまうのが目に見えてる。あのガキは……まだ弱いからな」
「そうか……お前は、ウルを守ろうと探していたんだな」
「見くびんじゃねーぞ? オレは家族を簡単に見捨てたりはしねぇ」
「だが……そうなると、今度は最後に残ってる長女に白羽の矢が立つんじゃないのか?」
「アネキはもう別の部族ンとこに嫁いでるから、問題ねぇよ」
「なるほどな」
「だから──知ってるのなら、あのガキの居場所を教えてくれ。頼む。お願いだ。一族が本腰を入れて捜索する前に、合流しないとなんねぇ」
真剣な表情で私の瞳を真っすぐに見つめてくる。
その瞳からは、嘘の気配は感じられなかった。
「……あれから移動していないのならば、魔族国領のドルントという街の付近にいるかもしれん」
「魔族国領……そんなとこまで逃げてやがったのか」
獣人国の位置は、魔族領の下に黒エルフ族領があり、さらにその下に位置しているのである。
なので、単純に距離だけでいえば、かなりの距離となるだろう。
「獣人国から近い竜人族領にいないわけだ」
「私がウルと別れてからかなり経つ。あれから移動していなければの話だぞ?」
「オッケーオッケー。十分だ。ありがとよ」
満足げに笑んだ彼女は、柔軟体操を始めた。
足先をトントン地面に叩きながら。
「んで、あのガキになんか伝言とかでもあるか? ついでだし、伝えてやるぜ?」
「んー……そうだな……」
これといって何もなかったが……せっかくだしと、私は思案する。
「またお前が仲間になる日を、心待ちにしてるって伝えてくれ」
「……ほんと、あのガキはいい仲間を持ったみたいだな」
姉としての顔でぼそりと呟いた後、準備運動が終えたようで、レアンが魔族国領へと向けて疾走準備をとった。
「そういや、まだ名前を聞いてなかったな?」
「クレアナードだ」
「縁があれば、また会おうぜ、クレアナード。アンタと飲む酒は、うまそうだ」
「それは楽しみだな」
「あ! そうそう、言い忘れてたぜ」
思い出したように、レアンが言ってきた。
「気づいてねぇみたいだから教えるけどよ。アンタ、厄介そうな気配に付きまとわれてんな?」
「なに……?」
「オレは先を急ぐんでな! 厄介事は自分で解決しな! じゃあな!!」
言い捨てて、レアンは脱兎のごとく駆け去っていった。
取り残された私は、彼女の言葉を吟味する。
(どういう意味だ……?)
獣人族ならではの感覚ということだろうか。
私は意識を集中して、周囲に意識を飛ばす──
「……この気配は」
言われなければ、ずっと気づかなかったことだろう。
それだけ、”この気配”は巧妙に自分という存在を隠していたのだ。
認識阻害の魔法でも使っていたのだろうが……獣人族の感覚は誤魔化せなかったようである。
「いつから、私に付きまとっていたんだ?」
何もない空間に、私は確信をもって語り掛ける。
「元魔王ネミル」
私が見据える先の空間が歪んだかと思うと、次の瞬間には、ひとりの女が姿を現していた。
※ ※ ※
※ ※ ※
「はあ、はあ、はあ……っ」
ダミアンは、道なき道を走っていた。
しきりに後方を気にしながら手で押さえる脇腹からは、とめどなく出血が。
そんな負傷している少年を追うのは、全身黒ずくめといった様相の追手が数人。
その手には逆手に持った短刀をもっており、刃が鈍い光を放っていることから、毒塗りであることが見て取れた。
(油断、した……っ)
ダミアンの顔色は、青ざめていた。
毒塗りの一撃を受けていたからである。
(まさかブレアの手が、ここまで伸びていたなんて……っ)
白エルフ国との国境境の街にて、常駐させていた密偵に、クレアナードの近況報告を伝える最中の出来事だったのだ。
それは……突然の襲撃だった。
街中ということもあり、ダミアンや相手の密偵は、完全に油断していた。
それゆえに相手の密偵は即死しており、ダミアン自身も深手を負ってしまい、こうして逃走劇を減じる羽目になっていたのである。
なぜ自分たちが密偵だと特定できたのかはわからなかったが……
毒を受けたダミアンは、追い詰められていた。
「くぅ……っ」
毒の影響で意識が薄れ、尚且つ足がもつれてしまった彼は、転倒してしまう。
立ち上がろうとするも、もはや全身に力が入らないようで、すぐに立ち上がれない彼の周囲を追手が取り囲む。
「前魔王のクレアナードは、いまどこにいる?」
見下ろしながら、ひとりの黒ずくめが問いかけてきた。
毒に苦し気に顔を歪めるも、ダミアンは何も答えない。
痺れを切らしたように、別の黒ずくめが少年の腹を蹴り上げる。
ゴロゴロと転がるダミアンは、しかし口を堅く閉ざしており。
最初に問いかけた黒ずくめが、溜め息を吐いてから短刀を構えなおした。
「まずは、親指だ。次は人差し指。それでも答えないのならば、次の指を斬る」
冷酷な宣言だった。
しかしダミアンには……死や拷問への恐怖はなかった。
自分が口を紡ぐことで、愛しの人の安全が守られるからだ。
もとより、密偵には危険がつきまとうものであり。
ダミアンも、覚悟はしていたのである。
(これって罰なのかな……泥酔してる、クレアナード様の胸を揉んだことの……)
まさか、こんな最期を迎えることになるとは思っていなかったものの。
”あの夜”に対する神からの天罰なのだと思うと、納得してしまう部分があった。
(クレアナード様……ごめんなさい……)
これから自分の身に起こるであろう拷問に備え、ダミアンが心を閉ざそうとした時だった。
「──ってりゃあああああああああああああああああああ!」
少女の裂帛の声が、聞こえてきた──
聞き覚えのある掛け声でした。




