九十一話 『商人ノ時代』 一五六十年・吉乃
「そこで、吉乃殿にお話があるのでございます」
「手前どもが今川様にお売りするはずだったこの種子島、その数、五十丁。生駒屋さんにお譲りたいと思うておるのです」
え・・・っ?
突然のお話に、私は困惑してしまう。
いや、だってそれは宗及殿が今川にお売りするはずの・・・
「射程も威力も大きく向上しておるこの鉄砲は、戦の際大きな力となりましょう。使い道は、吉乃殿に委ねます。織田様にお渡しするのも、それはそれでよろしゅうございますな」
「いや、ちょっと待ってください。そんな、急に・・・だって、この種子島は宗及殿の大事な売り物で・・・」
人様の売り物に手を出すなんて、商人として躊躇してしまう。
商人にとって『売り物』は最も大事な商いの種で、商いの要だ。
それを、こうも安々と他人に委ねてしまうなんて、長く商人をしている私でも経験したことのないことだった。
まして、最新の種子島なんて・・・
一体、これを売ればいくらの儲けになるのだろう? 私には想像もつかない。
「これは、宗及殿が苦労をして手に入れたものです。私が横槍を入れるなんて・・・」
「手前は、吉乃殿を高う買っておりまする」
私の言葉を遮って、目の前のお人はそう言った。
その言葉に、塵一つ分の淀みもなかった。
それが、瞬時にわかるほどの真摯さで。
眼が釘付けになってしまうほどの、煮えたぎった熱量で。
嘘偽りない眼差しで、私の顔を強く見つめるものだから。
私はそれ以上、返す言葉を何一つ紡げなかったんだ。
「手前は、商人です。人を見る目は、誰よりも肥えておるという自負がございます」
私が口を出す、一拍の猶予もなく。
宗及殿は、畳み掛けるように話を続ける。
「吉乃殿。お手前は、津島だけで留まるような商人ではございませんわ。このまま津島で終わってしまうのは、あまりに惜しい。正直、お手前ほどの御仁が織田と今川の戦に巻き込まれて疲弊していくんは、不憫に思うてしょうがない・・・」
それは、同情だった。
初めて宗及殿は、悲しそうなお顔をされた。お会いしたときはいつも商人らしい、朗らかな表情をしておられたのに。
それだけ、それだけ、心底宗及殿は私に同情されている。
同じ商人として。同じ商人だから。
商人なのに武家の諍いに翻弄されている、私に。
「・・・堺に、来なはれ」
優しく、宗及殿は申された。
「堺に、店を出しなされ。お手前には、堺でもやっていける器量がございます。商人としてもっと上の、もっと大きな商いをお手前はするべきや。日ノ本一の町で、日ノ本一の商いを、共にやっていきましょうや」
それは、格別なお誘いだった。
きっと、商人としてこんなに誉れあることはない。
堺で幅を聞かせている有数の大商人に、こんなに高く買ってもらえていること。
とても、嬉しく思う。
っ、でも・・・
殿様の顔が、思わず浮かぶ。
私は、二つ返事で答えられなかった。
「世の中は、着々と動いております」
そう言って宗及殿はもう一度目の前の鉄砲を手に取った。
丁寧に、自らの手元に寄せて、なにか思いを巡らすようにじっと鉄砲を眺めておられる。
「・・・この種子島が広まれば、きっと戦は変わります。これからの世は、鉄砲を数多く持っておる者が勝つ世の中になる・・・日ノ本中の武家大名が、こぞって鉄砲を買い求めるでしょうな・・・」
「お手前はご存知ですかいな?」宗及殿が唐突に私に問いかける。
「種子島を撃つ際に必要な玉薬 (火薬)・・・この玉薬を作るには、『硝石』というもんが必要でしてな・・・この硝石、日ノ本では取れんもんなのですわ。異国から買い求めるしか、この硝石を手に入れる術はない・・・」
例え、有力な武家が自らの領地に鉄砲の鍛冶場を整え、鉄砲自体は量産することが出来たとしても。
最後は、商人に頼らざるを得なくなる。
そんな話を、宗及殿は私にしてくださった。
「お侍様は硝石を手に入れるため、商人に頭を下げるようになるかもしれん。でないと、戦に勝てませんからな。もう、明日には武士の時代は終わります。これからは、商人の時代が来るのだと手前は思うておるのです」
「商人の、時代・・・」
私は、ただ気圧されるままに宗及殿の話を聞いていた。
真摯に語り掛けてくれる宗及殿の目に、私は吸い込まれそうで。
堺の、日ノ本一の商人は。
先のことを、じっと見据えていた。
私では全く見通せない、先の景色を。
・・・本当に、そんな時代がいつか来るのだろうか――
商人が、『主』となる世が。
私たちの商いで、この世の中が動いていくような、そんな時代が・・・
そんな世の中がくれば、きっと嬉しい。
私は、生粋の商人だから。
自らが、胸に抱えて貫き通してきたこの矜持が。
今までの歩んだ軌跡が。
肯定される。
正しかったのだと、誇りを持つことが出来る。
そして、私と同じような想いで商いに精を出してきた多くの商人が、報われる。
それは、間違いなくとても良いことで。
でも・・・
――私は。
殿様の、顔が浮かぶ。
帰蝶さまの、顔が浮かぶ。
弥平次さまの顔が、鮮明に浮かんでしまうんだ・・・
「・・・まぁ、唐突な話やとは思いますけれど」
返事をためらう私に、宗及殿は穏やかに微笑む。
同じ商人として、私の心情を気遣ってくれているのだろう。
本当に、私とこの生駒屋のことを思って誘いを下さっていることはわかっている。
それにすぐ返事を出来ないことも、申し訳なく思う。
けれど、宗及殿は私の顔色を伺ってそれ以上は何も言わなかった。
「とくと、考えておいてくだされ」
話はそれだけに留めて。
宗及殿は、喉が渇いたのかまた茶碗を手にとって一口すすった。
もうすっかり、冷めてしまってるだろうに・・・
そんな、湯気もない冷めた粗茶すら絵になるほど。
何一つ先ほどと変わらないその所作は、何度見てもため息が出るほど美しかった。




