七十七話 『日本一ノ商人』 一五六十・吉乃
遠く堺からいらした一見のお客、宗及殿を店の客間にお通しする。
わざわざ堺からうちの店まで訪ねていらしたお客だ。
粗相のないように気をつけながら私は、宗及殿を上座に招いた。
「おや、こちらは上座違いますか? ええんですか手前が腰をおろして」
「勿論、宗及殿は遠く堺からご足労いただいているお客ですから」
「ほな、お言葉に甘えて」
宗及殿が着座なさると、私は居住まいを正して一礼をする。
「名乗りおくれました。私、この生駒屋の主を務めております『吉乃』でございます。どうか、お見知りおきを」
「こちらこそ見知りおき頼みます。お手前のお話は津島の町で数々伺うております。女だてらに津島を取り仕切る尾張一の大商人だと」
「いやぁ、女の身でありながら恥ずかしいです。天王寺屋さんの耳にまで入っているなんて」
「けど、風の噂など当てになりませんなぁ。実際お会いしてみると、聞いていた話とえらく違う」
「そうなんです、か?」
「吉乃殿のことは、『商人の姫』と周りから恐れられとる女丈夫と聞いとります。生駒屋さんの機嫌を損ねて潰された店も数知れず・・・」
「ちょっ、ちょっと待ってください!!」
私が店を潰したって、なにその話・・・っ!!
「あと、あれですなぁ。商人でありながら武芸百般、女一人で千を超えるお侍様の手勢を打ち下したと・・・」
それはあれかっ!! 稲生原のことを言っているのか!!
あれは敵を打ち崩したのは殿様の軍勢で、私は囚われの身だっただけなのに。
私は太刀も弓も扱えない、ただのひ弱な女商人。
なのにどうして、そんな噂が立ってるの・・・っ!!
「全て出鱈目な話です!!」
強い口調で否定をすると、宗及殿はくすりと笑い「わかっております」と仰ってくれた。
私はひとまず、ほっと胸をなでおろす。
もう、全く・・・初対面の方にすらそんな噂が広まっているなんて。
散々『女傑』だの『巴御前』だの言われて昔から辟易としているのに、そんな嘘八百の話まで出回るなんて・・・
「噂を吟味する舌は、商人には欠かせぬ技量でございます。手前も商人の端くれでありますれば、真偽のほどは聞かなくてもわかります」
「さすがは堺の天王寺屋さん・・・天王寺屋さんのご高名は、津島にも届いています。あの堺の町で、一二を争う大店と。私、宗及殿にお会いできて光栄です!!」
河内国、堺の町。
商いをしていて、堺の町を知らない商人はきっといない。
『日ノ本一』と言われる、商人の町。
六十予州全ての国からありとあらゆる人と物と銭が集まる、私が思いも及ばないような銭と物が乱れ飛ぶ商いが盛んに行われている、最大の商いの町。
私たち津島の商人程度じゃ足元にも及ばない化け物みたいな商人が、堺には星の数ほどいるんだって聞いている。下手な小国のお殿様よりも大きな力を持った商人が、日ノ本中・・・さらには高麗、明国、呂宋、天竺――海の果てのそのまた向こう、南蛮の国々とまで、商いの道を広げているらしい。
『尾張一の大店』『商人ノ姫』なんて揶揄されている私でも、はるか遠く雲の上に感じるその場所。
まさしく、天下に比類ない『商いの町』。
それが、『堺』という町だった。
堺の町もこの津島と同じく会合衆が存在して、寄りすぐりの商人が集まって町の仕置きを決めているらしい。
その中でも特に天王寺屋さんは有数の大店で、その影響力は私なんかじゃ計り知れない。だって、遠くこの津島にまで天王寺屋さんの噂は届いているのだから。
日ノ本一の商人の町の、一番の大商人。
まさしく、『天下一の商人』って呼んでもふさわしいお方。
それが、目の前にいる宗及殿だ。
「手前はそのような大それた商人じゃあおまへんのですけどなぁ。店は未だ父が主でございますし、手前など三十路過ぎても外回りの使い走りでございますわ」
照れくさそうに、宗及殿は笑みを浮かべる。
うちなど比べ物にもならないほどの豪商なのに、その驕らない姿勢にとても親しみを感じる。
やっぱり、この人はとても優れた商人だ・・・
私には、わかる。
本当に立派な商人ほど、驕らない。
堺で行われる商いは、津島の商いなんかはした金に見えるほど、莫大な銭が乱れ飛んでいるらしい。当然お客も、化け物じみた豪商ばかりで小手先の商いなんて通じる相手な訳がない。
本当に優秀な商人ほど、小細工なしの芯の通った商いを求められる。
私たち商人の『戦』は、間違いなくそういうものだ。
「それで、この度はどのようなご用で?」
「馬を、十頭ほど用立てしてもらえんでしょうか。駿河まで、十五日ほどですか」
・・・駿河?
また、遠いなぁ・・・
「駿河まで、馬借ですか? 失礼ですけど、馬を借りるよりも船に積んだほうが早いし容易かと」
駿河まで馬借を使うお客なんて、なかなかいない。
駿河へ陸路で向かうには三河、遠江と山国を通らなくちゃいけなくて、手間も時も相当かかる。
また二国も横断するとなると、途中いくつもの関所を通ることになりそのたび関税を取られることになってしまう。尾張国内は楽市令によって関所の関税は取り払われているけれど、他国はそうじゃない。
だから、駿河――またそれ以降の東国との商いは、海路を使うことがほとんどだ。船で運べば陸路よりも安く、また早く運ぶことが出来る。
駿河には駿府というとても大きな港があって、商いも津島に負けないくらい盛んに行われてるって聞く。
当然、船を使った方がいいと私も思うのだけれど・・・
「初めは、そのつもりで津島まで船で来たのですけどなぁ。手配しておった駿府への船が、港に入ることを拒まれたと聞きまして・・・手前どももその船が使えず立ち往生する羽目になってしまいましてな・・・」
拒まれた・・・?
津島から、駿府への船が・・・?
そんな話、初耳だ。
今までずっと、津島と駿府をつなぐ船が往来していたはずなのに。
どうして、急にそんな・・・?
「実は此度の商い、今川の太守様へ納める品を運んでおりましてな・・・どうにも駿河に向かわなければならず・・・仕方無しに、陸路をと・・・」
今川との、商いなんだ・・・
さすが堺の大店だなって思う。
あの今川家と遠く堺から商いに来るなんて。
今川家のお膝元、駿府が商いの盛んな町だということは知っている。
その儲けが、陰で今川の城に流れていることも大体察しはつくけれど。
今川家自体が、堺と商いを交わしているんだ・・・
室町の将軍家に連なる名門。
駿河、遠江、三河の三国を支配して『海道一』と畏怖される強大な武家、『今川家』。
織田とは因縁浅からぬ相手で、先代信秀公の時代から尾張の領土を巡って何度の争ってきた大国だ。
現に今でも、鳴海の山口の離反は殿様にとって大きな悩みの種だし、言いようを変えれば山口が裏切った分だけ今川に尾張東部を侵略されてしまっているといっても間違いじゃない。
殿様の愛妾・・・私が織田方の者だからか。なんだか不穏な空気を感じしまう。
今川が天王寺屋さんと商いをしているということもそうだし、津島の船が駿府入港を拒まれたということも。
・・・また、何か嫌な物が蠢いている。
そんな、気がする。
けど・・・まぁ。
商いは、商いだ。織田と今川、そして私の話に宗及殿は何一つ関わりのないことで。
「承知しました。馬はご希望通りに手配します」
「そうでございますかぁ・・・助かりますわ。急な話でしたから、断られるかとも思ってましてな。ほんまありがとうございます、さすが噂に聞く生駒屋さんですわ」
確かに、十頭十五日の馬借なんてうちぐらいの規模ではないと急には用意できないと思う。他の店だったら、きっと慌てふためいてるところだろうなぁ・・・
嬉しそうに、宗及殿は胸を撫で下ろす。
「こちらこそこんな大きな商いの話をいただけて嬉しい限りです。大船に乗った気で任せてください!!」
なんて、私は商人らしく景気のいい言葉を勢いよく口にしたけれど。
上手く言葉にならないけれど、何かが引っかかるような、そんな気がしていた。




