七十五話 『商人ノ娘』 一五六十年・吉乃
歳月は、目まぐるしく移ろっていく。
それは、誰にとっても平等だ。生まれたばかりの赤子も、年を取った老父母も、時の流れはみなに等しく訪れて、ただ慌ただしい日々を過ごしながら気づくと今まで経った月日の長さに呆然とすることだって、よくある話だ。
歳月は、何事に侵されることもなく流れていく。
嬉しいことがあった日も。
哀しいことがあった日も。
思い出したくないほどつらいことも、苦しいことも、その積み重ねた日々と共に、流れていく。
また新たに始まる、この一日のために。
そんなことを私がふと思ったのは、稲生原の戦から四年の月日が流れた、新緑の頃だった。
尾張は、もうすっかり元の活気を取り戻している。
まるで、かつて戦なんてなかったって思えるくらい、何もかも元通りで。
全て、殿様の努力と政のおかげだ。
あの戦の後、織田家中をもう一度立て直した殿様は、すぐさま尾張統一に打って出た。
末森の残党勢力、そして力の弱まった清洲岩倉。
勝ち戦の勢いに乗った殿様に、清須岩倉が抗えるはずもない。少し可哀想にすら思えるほど一方的な形で織田の軍勢に攻められて、あえなく殿様に降伏した。
今の尾張は、もう殿様の独壇場だ。
まだ尾張東部には今川に寝返った鳴海城の山口教吉がいるけれど、殿様の勢いを前に自らの城を守ることで精一杯みたいで、鳴海の外へ兵を出すようなことも起こらなかった。
織田家の力を恐れて、まるで亀みたいに鳴海にじっと閉じこもっているらしい。
今の尾張に、殿様に対抗出来るような者はもういない。
名実ともに、疑う余地もないくらい、この尾張は織田信長さまの国になった。
殿様がつくる、殿様の国。
殿様の治世に敷かれた中で、尾張は日々豊かになっていく。
もうここ一年ほどは尾張国内で戦が起こったというような話は聞かないし、商いが繁盛して仕方がないなんて話は聞き飽きるくらいに耳にする。
楽市令も、津島の町も、再び活気を取り戻していて。
殿様の治世の下。
尾張は『商いの国』として再び輝きを取り戻していたんだ。
「いらっちゃいっ!!」
生駒屋でも、朝から活気ある喧騒と威勢の良い声が響き渡っている。
いつものように店を開けた途端に訪れるお客の波。馴染みの旦那衆とうちの手代たちが、いつものように商いの話を交わしている。
「贔屓しているのだから少しはまけろ!!」「いいえ、びた一文まけられません!!」白熱するそのやり取りを、私はこの店の主人として穏やかな心持ちで見守っていた。
・・・今日も朝から良い調子。これは、いっぱい儲かるなぁ。
父がいなくなってから、私が店の主人となって生駒屋を切り盛りしている。
女の身だし、母の身だ。それに一度は武家に嫁いで商いから離れてしまっている。父のように立派に大店の主人が務まっているのかは、正直なところ自信がないのだけれど、精一杯父の真似事をして。
子だっているし、殿様の愛妾としての立場だってある。昔の頃のように、自ら商いに出るようなことは控えるようになったけれど、それでも、私は商人として今も店に立つ日々を過ごしている。
やっぱり私は、根っからの商人だ。
母になっても、武家の嫁になっても、国主さまの愛妾になっても。
それだけは、私自身でもどうしようもないくらい揺るがない。
「いらっちゃいっっ!! 生駒屋へようこそ!!」
舌足らずだけど、誰よりも威勢のいい声がまた店の中に響く。
お客も、店の者も、その声の主に目を向けて、思わず微笑んでしまう。
小さな法被に袖を通して、懸命に店の中で客引きをするその小さな姿がとても愛らしくて。
「かかさまっ!! 今日も、大繁盛っ!!」
お類が、嬉しそうに私の下へ駆け寄ってくる。
私に飛びつくお類の身体を私は抱きかかえて、私は優しく微笑む。
「そうね、今日もきっと忙しいね。お類」
「あたし、ちゃんと商いできてる? かかさま?」
「ええ、ちゃんと出来てます」
私がそう言って頭を撫でてやると、この子は嬉しそうな顔でにこりと笑って。
・・・というより、重っ・・・抱きかかえているのが、結構つらい・・・
大きく、なったんだなぁ・・・
お類は、今年でもう六つになる。
私が女手一つで大事に育てながら、日々大きく育っていく弥平次さまの忘れ形見。
私の大切な宝物。
自らの足で歩けるようになり、言葉を話し、日に日に弥平次さまに似た聡明な子に育ってくれている。身体も丈夫だし、母としての贔屓目で見ても先が楽しみな有望な娘だって私も鼻が高い 。さすが弥平次さまの子。
「かかさまの娘だもん、当然!!」
・・・私に似た勝ち気なところが多少あって、それだけが玉に瑕だけど。
得意げに胸を張るお類の姿に、私は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
『お類が大きくなったら・・・商人にさせてあげてください』
弥平次さまが亡くなる、その昨夜に交わした約束。
旦那さまから伺った最後のお願い。
一日たりとも忘れたことなんてなかった。
生駒屋へ行くときはいつもお類を伴っていた。出来る限り、津島の喧騒に、あの店の雰囲気にお類を触れさせてあげたくて。
弥平次さまの要望通りに、いつかお類がもっと大きくなったとき、商人になるように・・・
その想い一心で、私はこの子を今日まで育ててきた。
そして今年からは、店先で商人の真似事をさせている。
その大きな声で、客寄せをさせたり。お客の旦那たちの話し相手になったり。
今ではすっかり、生駒屋の看板娘として店の中に活気を振りまいて回っている。
お得意の旦那衆も、手代たちも馬番たちも、川並衆の荒くれたちでさえ、愛らしい顔をしてはしゃぐ小さな商人を可愛がってくれていた。
お類の顔が見たいからと、連日のように生駒屋を訪れるお客もそれはもう多くて。
まるで私だけの娘ではように、津島の商人みなの娘のように、周りから愛され、可愛がられて、私の宝物は日々大きく成長していく。
その姿を側で眺めることが、今の私の大きな楽しみのひとつだった。
「今日もいっぱいお客と商いします、かかさま!!」
「えぇ、頼むわね、お類。お類が店先に立ってくれると、お客がみな喜んでくれるから私はすごく助かるのお類のお陰で店の儲けも増えているしね」
「あたし、かかさまみたいな商人になれる!?」
「えぇ、見込みは充分ありますよ。だから、もっといっぱい商いの修練を続けないとね」
「はいっ、かかさま!!」
「・・・くくっ」
不意に、笑い声が漏れる。
それが酷く私の気に障って、私はお類を抱きかかえたまま店の隅にたむろしている奴らに冷たい視線を向けた。
「・・・何を笑ってるの、小六。将右衛門」
見知りに見知ったその顔に、私は呆れながら声をかけた。




