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六十一話 『弟ノ憎悪』 一五五六年・吉乃


 顔を上げて、私は言い切る。


 言い切ってやる。



「この尾張の国主さまはっ、織田信長さまただ一人ですっ!!」



 例え、今ここで斬られたとしても。



 それだけは、断じて曲げられない。



 私の啖呵に、本陣の中が重苦しく静まる。


 陣の内側にいる武者たちも、御前さまも、信じられないとでも言うような顔つきで私のことをまじまじと眺めていて。


 外は戦の真っ只中だということが嘘のように、静寂が周りを包んでいく。



 その中でただ一人、私と御前さまのやり取りを黙って見ていた勘十郎信勝だけが



「・・・それが、貴様の言い分か。女狐」



 冷え冷えとした声と顔つきで、私にそう言葉を返していた。



 一歩ずつ、信勝は私に近づいてくる。


 そして、縛られている私の目前に立つと、



「その通りだ」



 えっ・・・



「尾張の国主たるは、兄信長ただ一人だ」



 まさか肯定されるとは思わなくて驚いた、その刹那



「・・・っ!!」



 不意に、信勝が私に手を挙げる。


 縛られて抵抗も出来ない私はなされるがまま、頬を思いっきり殴られてその場に倒れ込む。


 殴られた頬が熱を帯びて、じくじくと痛む。



 倒れ込んだまま私は上を見上げると、そこには冷淡な表情で私を見下す信勝の顔があった。



「国主たるは兄ただ一人だけだった、のだ」



 冷めきったその顔は、まるで能面のようで。


 今すぐでも殺さんとばかりの、殺気だけが溢れだていて。


 血の通った人が浮かべるような表情とは思えなかった。



 腹が立つほどに。


 この外道は、そんな顔ばかりが殿様とよく似ていて。



「兄だけが、尾張の王に相応しい。俺は幼き頃に平手からそのように教わった」



 平、手・・・?


 誰の、こと・・・



「織田の家督も、国主の座も、兄が手にするのが道理。弟の俺は兄を立て、兄の腕となり、矛となる・・・それが、御家繁栄の礎なのだと。耳にたこが出来るほど口煩くな」



 聞いてもいないのに、信勝はそんな昔語りを淡々と口にする。


 その姿が、あまりにも異様で。



 武家の家の教えは、私には何もわからない。


 けれど、長兄と次弟の差は歴然なのだと、弥平次さまは仰っていた。


 嫡男は、家督を継ぐ者。一族の長として育てられる。


 弟は当主となる兄の家来、家臣としての教えを徹底的に仕込まれる。


 それが、武家の子育てなのだと。



「私も童の頃は兄を立てよと母に何度も言われていました」



 弥平次さまがそのようなことを仰っていたのを覚えている。



 信勝も、織田という武家の次弟に生まれて、きっとそのような教えを受けてきた。



 なら、どうしてこんなことを・・・



「そのように教わっていながらっ、どうして殿様に刃を向けて・・・っ」



「黙れ」



「っ!!」



 もう一度、信勝は私に手を挙げる。


 縛られている私は、何一つ抵抗も出来ずに。



「お前が全ての元凶ではないか」



 そう言葉を吐き捨てた信勝の視線には、激しいほどに憤怒の色が見えて。



 私が・・・元凶・・・?



「お前と土田弥平次が、兄を誑かしたのだ」



 激昂した信勝が、突然に声を荒らげる



「兄は、尾張の王となるはずだった。その身に威厳と畏怖を纏った、唯一にして高潔たる織田の棟梁になるはずだった。それを・・・お前たちが、兄を腑抜けにした!!」



「違うっ、私たちは・・・っ!!」



「違わない!! お前たちが現れてから、兄は変わった・・・銭に目がくらみ、商人や百姓どもに媚びへつらい・・・武士としての威厳も面目もない、そんな男に成り下がった!!」



 違う・・・違う・・・っ!!


 殿様は、何も変わってなんていない・・・腑抜けになんて、なってない・・・


 殿様は、とても大きなお方だから。その厳しさも、優しさも、清濁問わず大きな『器』を持つお方だから・・・


 ・・・きっと、殿様は武士だけの(まつりごと)なんて考えていない。


 『武士の世』だなんて、きっと殿様にとっては古い時代のものだと思う。


 武士も、百姓も、商人も。全てを丸ごと抱え込んで、殿様は『尾張』という国を作ろうとしている。

 だから、商人のことも、百姓のことも考えてくれる。


 そんな大きな、とても『大きな』国主さまだから・・っ!!



「殿様は、そのようなお人じゃない!!」



「黙れっ!! お前たちが、兄によからぬ流言を吹き込んだのだっ!!」



 信勝は声を荒げると、腰に指した太刀を抜く。



「俺は憎む、憎むぞ」



 そして、その切っ先の、すっと私の鼻先に向けた。



「兄を誑かしたお前たちを憎む。変わってしまった兄を憎む」


 信勝の抜いた刃は、ぴたりと私の鼻筋に向けられて、一寸たりとも動じない。


 少しでも動けば、そのまま鼻を削がれてしまいそうで。



「・・・全てを正す。腑抜けた信長を殺し、この俺が『織田信長』となる。高潔な、絶対の王たる、正しき『織田信長』にっ!!」



 なに、それ・・・



 信勝の話を聞きながら、私は心のむっとしてしまっていた。



 なによ、それ・・・


 ただ、駄々をこねてるだけじゃない・・・



 勝手に、殿様に変な理想と期待を抱いて。


 実際の殿様のことなんて、何も見ていなくて。


 それで、自らが望んだ『信長』と違うからだなんて腹を立てて・・・



 そんなの・・・


 童と、一緒じゃない・・・



「・・・無理でしょ」



 気づくと、私はそんなことを口にしていた。



「・・・あんたが『織田信長』になるのなんて、無理でしょ」



 縛られて。


 刀を突きつけられて。


 殺されてもおかしくない状況の中で、それでも信勝を非難する言葉が口から漏れてきて。


 どうにも、止められなくて。


 我慢できなくて。というよりも、我慢なんてする気もなくて。


 言いたいこと、全てぶち撒けてやろうって。



「あんたみたいな小さな男、逆立ちしたって『織田信長』になんてなれっこない!!」



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