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五十六話 『末森ノ蠢動』 一五五六年・吉乃



 怪訝な気配を感じながら。


 勘十郎さまとその一行を私は屋敷の応接間に通した。


 一応、相手は末森のお殿様だから勘十郎さまは上座に座って、側に美作守さまやお供のお侍さまを侍らせていて。


 私はそんな勘十郎さまと向かい合って、寝ているお類を抱きかかえたまま下座に腰を下ろした。

 突然のお武家さまの来訪に父や小六、将右衛門も何事かと心配してくれているようで、この場に同席している。


 緊迫した雰囲気のなか、勘十郎さまはつまらなさそうな顔をしながら、私の顔をまじまじと見つめていた。

 その表情が、殿様とよく似ていて。殿様も、昔からよくそんな顔をする。



「・・・なぁ、兄弟。あいつは・・・」



「・・・あぁ。お前も気づいたか」



 私の後ろで、小六と将右衛門が小声でひそひそと話している。



「どうしたの、二人とも・・・?」



 私は気になって小声で聞いてみると、



「あぁ・・・お嬢。さっきから気にはなってたんだがよ、あいつ・・・」



 将右衛門が、顔をしかめて目の前のお侍さまに視線を向ける。

 勘十郎さまのお供のなかで、無精髭を生やした最も体格の大きいお侍さまだった。



「・・・やっぱりそうだ。あいつ、丸太の五郎吉だ」



 丸太の、五郎吉・・・?




「昔、うちと縄張り争いしていた無頼だ。腕よりも太い丸太を振り回して、野武士の間じゃ評判だった。噂では、今は清洲の城に侍奉公してるって話だったんだがな・・・」



 ・・・ということは、あのお侍さまは清洲の武者ってこと?



 どうして、殿様の弟君が清洲の武者を引き連れているの・・・



 嫌な予感が、さらに強くなる。



「・・・おい、その赤子は何だ。勘十郎さまを愚弄しているのか!?」



 美作守さまが、お類を抱えた私を見て不機嫌そうに声を荒らげる。



「申し訳ありません、この子は、今私から手を離すと泣きじゃくってしまうのです。そうなってしまっては、お話も出来ないでしょう。ご無礼はお許しください」



 美作守さまも物言いに内心腹が立ったけど、武家の妻として私はぐっと堪えて言葉を返す。



 ・・・急に他人の屋敷に押しかけておいて、この方は何を仰ってるのか。


 眠っている赤子の前で、そのような大声は出さないでほしい。



「・・・して、勘十郎さま。此度のご用件は、何でしょう?」



 無駄に儀礼的な挨拶をするのも煩わしくて、私は直に要件を尋ねた。


 すると、勘十郎さまは私の顔を見て、見下すようにふっと笑った。



「土田弥平次の女・・・吉乃とかいったか。お前、津島の商人の長であろう?」



 思いもしなかった問いかけに、私は少し驚いてしまう。



「えっ・・・はい。津島の会合衆にて、商人の筆頭などとは言われてはおりますけれど・・・」



 けれど、それは弥平次さまに嫁ぐ前の話だ。


 武家の妻となった今は、筆頭商人などといっても名ばかりで商いからは離れてしまっている。


 なのに、突然そんなことを・・・しかも勘十郎さまがどうして・・・?



「つまりはおぬしが津島の商人どもの首領であろう。勘十郎さまは、津島からの矢銭(やせん)をご所望である。おぬしが取りまとめ、早急に末森の城へと献上せよ」



 美作守さまが、勘十郎さまに代わってそのようなことを私に申し付ける。


 私は、その意味もわからないままただただ呆然とその言葉を聞いていた。



 ・・・・・・・はい?


 この方は、何を仰っているの・・・?



「あの・・・どういう、ことでしょうか?」



「言葉通りである。津島の商人どもに、矢銭の献上を命じる。おぬしがそれを取りまとめ徴収し、末森へと献上しろ」



 馬鹿な話に耳を疑ってもう一度聞いてみると、美作守さまはもう一度同じようなことを口にする。


 矢銭とは、お武家さまが戦の支度金のために民百姓から徴収する、臨時の課税のことだ。


 それを、言うにこと欠いて商人の私に「集めろ」と命じるなんて。



 私は呆れてものも言えなくて。



 この方たちは、何も知らないの?


 そんなこと、できる訳がないじゃない・・・



「お待ちください。矢銭や上納金の徴収は、楽市令にて禁じられております。そのようなこと、私には出来かねます」



「楽市令、だと・・・」



「織田家以外の者が地場代を徴収することは、織田信長さまの名によって処罰されてします。ですからそのようなことは・・・」



「俺が、その織田家であるぞ」



 勘十郎さまが、私の言葉を遮る。



 それはまるで、自らが尾張の国主とでも言わんばかりの態度で。



「存じ上げております。けれどもこの『織田家』とは、国主たる織田信長さまただ一人です。例え殿様の弟君でも、承服致しかねます」



 私は毅然とした態度ではっきりと断った。



 こんなふざけた話、飲める訳がない。


 楽市令は、織田家が出したお触れだ。それを織田に連なるお方・・・それも殿様の弟君が破るなんて、あり得ない。


 津島の商人たちはみな己の力で身代を大きくして、それを保ってきているんだ。


 末森から矢銭を要求されなければいけない言われはない。



 私はそんな馬鹿なこと、したくない。


 まるで、津島の町から銭を奪い取るような真似なんか。



「それとも、殿様からの指示だという証でもあるのですか?」



 私は、強気に畳み掛ける。


 どうせ、殿様の意を無視した勘十郎派の勝手な行動なんだって確信しているから。


 殿様が、こんな馬鹿げたことを命令をするはずがない。



 殿様の意に従わないばかりか、殿様の、織田家の名を騙って津島の商人たちから矢銭を集めようだなんて・・・


 私は、次第に腹の虫が収まらなくなってしまって。



「っ、黙って聞いておれば女のくせに偉そうに・・・っ!! 誰にものを申しておるのかわかっておるのかっ!!」



 美作守さま怒声が響く。


 緊迫した空気が部屋の中に満たされて。


 一触即発の状況の中



 私は、勘十郎さまをじっと睨みつけていた。


 目の前の、殿様に似た若武者は


 怖いくらいに落ち着いていて、不敵に笑みを浮かべていた。



「・・・末森のお殿様は、何用で矢銭などをご所望なのでしょうか」



 私の問いかけに、勘十郎さまは全く答えない。



「矢銭とは、戦をするための銭でありませんか」



 この方が何を考えているのか、全く読み取れない。


 にやりと釣り上がる口元が、なんだかとても不気味で。



「・・・どなたと、戦をなさるつもりですか」



 底知れないくらいの、黒々とした嫌なものを覗き込んでいるようで。





「・・・殿様と、戦をなさるつもりですか」





 私が核心を突いたとき。



 勘十郎さまが、ふうと大きく息を吐いた。



 そして、私に哀れみを視線を向けて



「・・・商人とは、損得を嗅ぎ分け己が利を貪る野良犬のようなものだと思っていたのだがな。こんなわかりきった時勢すら読み取れぬのか」



 呆れるように、そう言った。



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