五十五話 『不意ノ訪問者』 一五五六年・吉乃
相変わらず、暑い日が続く。
殿様が小折の屋敷にいらしてから、数日が経った。
私は変わらず、お類の世話と屋敷の家事で忙しくて。弥平次さまのいない分まで、私が屋敷を守らなければ・・・そんな気概を私は今日も自らに言い聞かせていて。
・・・私も、うつけじゃない。
本当は、気づいている。
弥平次さまには、家を継ぐべき男子はいない。
土田の家は、弥平次さまが亡くなってしまった時点で、もう断絶してしまっているんだ。
もうこの尾張に、織田家臣団の列席に、『土田』の名はない。
織田家は、弥平次さまに与えた領地も、禄も、屋敷も、全て没収したって構わない。
むしろ、断絶改易した家にはそういった処分が下されるのが武家の倣いで。
私とお類は、身一つで屋敷を追い出されたって文句も言えない。
けれど、夏になっても織田家からは何の音沙汰もなかった。
禄も、屋敷も、変わらず私たちの手元にある。
単に美濃出兵からの立て直しに慌ただしくて、私たちの屋敷のことは後回しにされているだけなんだと思っていた。
けれど、後に藤吉から聞いた。
織田は、あえて土田家の禄や屋敷に手を付けなかったって。
小折の屋敷も、土田家所有から元の生駒家所有の屋敷へと戻されていて。
それが、殿様から私とお類への恩情だったのだと、そのとき初めて知ったんだ。
私たちのために、あえて・・・
なのに、私は・・・
もっと、言い方があったはずなのに・・・
殿様の心情を、もっとわかってあげなければいけないはずなのに・・・
私の胸ぐらを掴んで激昂された、あのつらそうな顔が頭をちらつく。
洗濯をしていても、飯を炊いていても、頭のどこか、殿様のことが気にかかって。
弥平次さまが亡くなられて、苦しいのは私だけじゃない。
殿様だって、私と同じはずなのに・・・
殿様を、二人でお支えするのだって、弥平次さまと誓ったはずなのに・・・
「私は、何をしてるのだろう・・・」
つい、虚ろな声で呟いてしまう。
「・・・吉乃? どうした・・・?」
そんな私の様子を見て、すぐ側にいた父が心配そうに声をかけて。
「えっ、あぁ・・・なんでもありませんよ、別に。少し、ぼっとしていただけで・・・」
父が伴って連れてきた小六と将右衛門も、「大丈夫か?」「しっかりしろよ」と私に声をかけてくれる。
そんな、昼下がりのこと。
お類が、私の腕の中ですやすやと眠っていて。
この子は産まれたときから寝付きが良くて、寝床なら泣きわめくこともなくぐっすりと眠ってくれる。
けれど、一旦私の腕の中で眠ってしまうと、目が覚めるまで私が抱きかかえていなければいけなくて。
ひとたび手を離そうものなら、すぐに泣き叫んでしまうから。
仕方なく、お類を抱きかかえたまま屋敷に遊びにきた父や小六たちと、暑気払いに井戸で冷やした瓜を出してお茶を喫していた。
近頃、父は前にも増して頻繁に小折の屋敷を尋ねることが多くなった。
今日のように小六や将右衛門、生駒屋の手代たちを伴って。または、一人で。
用もないのに屋敷に来ては、共に夕餉を一緒にしたり、お類の遊び相手をしてくれている。
店のことは大丈夫なの・・・? と思うくらい、父は私とお類に構ってくれている。
そんな父のことをありがたいとは思うけれど・・・
内心、申し訳ない心地も私は感じていて。
「・・・吉乃。津島に、戻ってこないか・・・?」
弥平次さまの葬儀の後、私は父にそう言われた。
いずれ来るかもしれない美濃からの報復の噂が流れ、尾張の政情も不安定な中。
小折の地で一人乳飲み子を抱えながら生きなければならない私のことが、心配でたまらないと言われた。
津島に戻れば、父や生駒屋のみなが私を助けてくれる。何かあっても、小六たち川並衆の無頼たちが私を、お類を、守ってくれる。
だから、津島に戻ってこいと。
けれど、私は・・・
「その・・・嬉しい話だとは思う。思うの、だけれど・・・」
「どうか、我が儘を許してほしい」私は、そう返したと思う。
私を心配してくれている父の申し出を、私は断った。
怖かったんだ。
津島に戻ることが。小折の屋敷を離れることが。
もし私たちが小折の屋敷を離れれば、それこそ、土田の家はなくなってしまう。
津島に帰れば、私は『生駒』の吉乃に戻って。
土田の家は、弥平次さまの帰る場所は、本当に消え去ってしまう・・・
武家の妻として、それだけは出来ないって思った。
だから、我が儘を言ってお類と二人、今も小折の屋敷に暮らすことを許してもらっている。
その分、きっと、父には不安な思いをさせているはずで。
こうして、父は頻繁に小折に顔を出し私を気遣ってくれている。
小六も将右衛門も、そんな父に付き従っては「親馬鹿」だの「娘に溺愛しすぎ」だのとからかうけれど。
その気持ちが、私にとってはとても嬉しいし、ありがたくて。
親として、父は私のことを守ろうとしてくれている。
だから私も、母としてお類を守らなければ・・・
それが、『親』の務めなのだから・・・
そんなことを、ふと思ったとき、
「・・・っ、ん?」
耳の良い将右衛門が、不意に外に視線を向ける。
「馬の駈ける音・・・か?」
将右衛門に言われて私も外に耳を傾ける。
確かに、こちらに近づく馬の蹄の音が聞こえて。
「・・・藤吉でも、来たのかな?」
何気なしに私がそんなことを呟くと、将右衛門が顔をしかめて首を振った。
「・・・いや、違うぞ」
えっ・・・?
徐々に大きくなっていく馬の蹄の音は、重なり合って聞こえてくる。
一頭だけじゃない。四、五頭くらいの馬がこちらに近づいてくる。
いつも一人で屋敷に来る、藤吉ではないことは明らかで。
「なら、誰だろう・・・?」
蹄の音は、屋敷の前でピタリと止まる。
「・・・っ、頼もう!! 屋敷の主はいるか!?」
外から、聞きなれない声が聞こえて。
首を傾げながら、私はお類を抱えたまま外に出る。
そこにいたのは、
「えっ・・・どちら、さまですか・・・」
馬に乗った、具足姿のお侍さまが五人ほどいた。
ただどのお侍さまも顔を存じあげない、初めてお会いする方ばかりで私は訳がわからず困惑してしまう。
一団の中心にいる最も若いお侍さまがどうやらこの中の大将のようで、木瓜紋の陣羽織を羽織っている。
一応木瓜紋の陣羽織を羽織っているのだから、この方たちは織田のお武家さまだってことはわかるのだけれど・・・
ただそれだけで、やっぱり思い返してみてもその顔に覚えがない。
けれど・・・
陣羽織のお侍さまはどことなく殿様に似ているような気がして、まるで殿様のように、凍てついた冷たい視線を私に向けていた。
誰・・・?
夫を亡くした後家に、お武家さまが一体何の用なの・・・?
あまりにも異様で、私は強く警戒してしまう。
後家の女の屋敷に、お武家さまが具足を着込んだ手勢をつれて訪れたことが不可解で。
「お前が、土田弥平次の女か」
陣羽織のお武家さまが、馬上から不躾に尋ねてくる。
「はい・・・土田弥平次の妻、吉乃、と申します。はばかりながら、お手前はどちらさまでございましょう?」
「この御方を存じ上げないとは無礼なっ!! 末森城主、織田信勝様であるぞっ!!」
手勢のお侍さまの中で最も背の低いお侍さまが、私に怒鳴りながらそう返す。
その高圧的な態度に私は苛立ちを覚えながらも、その名を思い返す。
末森の、織田信勝さま・・・?
それって確か、殿様の弟の・・・
そうだ。
殿様の命を聞かず、織田家から離反の動きをみせているあの・・・
私は、その名を聞いてますます警戒する。
末森のお殿様が、一体私に何の用・・・
「あなたが、末森の勘十郎信勝・・・」
「勘十郎様を呼び捨てとはなんと無礼な女か・・・っ!!」
「黙れ美作」
『美作』と呼ばれたお侍さまは、言葉を遮られてそのまま黙りこんでしまう。
美作・・・林美作守・・・
その名も、前に弥平次さまから聞いたことがある。
織田家筆頭家老、林佐渡守さまの弟で、勘十郎派の代表的なお武家さま・・・
「お前の声は大きくて耳障りだ。少しは黙れ」
「はっ、申し訳ありませぬ、勘十郎様・・・」
勘十郎さまは情の欠片もない、冷酷な言葉を美作守さまに言い捨てる。
いくら、自らの家来だからって・・・
殿様も同じ無愛想だけれども、自らのご家来衆にそのような酷いことは絶対に言わない。
私は目の前の男に強い不信感を感じていて。
またその男も、馬上から冷たい視線で私を見下していて。
「初めてその顔を見たな。お前が生駒吉乃か。津島の女商人の・・・」
そう呟いた勘十郎さまの声には、あからさまに私への敵意が混じっていた。
初めてお会いする方にここまで敵意と侮蔑を向けられたのは初めてで、私は酷く戸惑う。
会ったこともないのに。私は、ただの武家の妻にしかすぎないのに。
どうして、この人は私のことを・・・?
「この俺を、いつまで門前で立たせておくつもりか」
背筋に悪寒が走るような、嫌な予感を私ははっきりと感じていた。
「中に入れろ。お前に話があってわざわざ出向いてやったのだ」




