五十三話 『夏ノ不安』 一五五六年・吉乃
弥平次さまのいない、夏が来た。
梅雨の時期に四十九日が終わって、弥平次さまのお墓を立てた。
場所は、生駒家と縁深い顔見知りのお寺に頭を下げて。
弥平次さまの遺骸も、遺骨も、私の手元にはない。
中身の入っていない空のお墓に手を合わせるのはとても、とても、虚しくて。
私はきっと、泣いてしまっていたのだと思う。
笠も被らず、雨にうたれることも構わず、
ただ無心に旦那さまの冥福を祈った、
それは、どしゃ降りの雨の日のことだった。
夏に入っても、尾張の情勢は変わらず緊迫したままだ。
噂では清洲や岩倉の動きがさらに活発になっているようで、兵を集めて戦支度をしているかもしれない、なんて話も小六たちから聞いた。
殿様は、そんな敵対する勢力の動きに対してなかなか有効な手を打てずにいるらしい。
織田軍の再編に手間取っているようで、尾張国内で横暴を繰り返す清洲岩倉の軍勢に歯痒い想いで手をこまねいているそうだ。
悔しそうな顔をして、藤吉が言っていた。
「・・・家中に、殿を良しとしない方々がいるそうで」
「織田家が二つに割れてしまった」そう、藤吉は言った。
前に、弥平次さまから聞いたことがある。織田のご家来衆のこと。
家中には殿様、つまり織田信長さまを支持する信長派の家臣と、殿様よりも弟の勘十郎信勝さまに近い勘十郎派の家臣、二つの派閥に分かれていると。
信長派は母衣衆の方々を中心にした殿様直参の家来が多くて、一方勘十郎派には古くから織田家に仕える古参の家臣が多いらしくて。
古参のご家来衆は、昔から 『うつけ』と呼ばれていた殿様に不信感を持っている。その殿様への不信感の分だけ、勘十郎さまへの期待が大きく募っていると弥平次さまは仰っていた。
その勘十郎派、そして当の勘十郎さまの動きが不審なのだと、藤吉は言った。
「美濃での戦のときより、殿は末森の勘十郎様や、林佐渡様といった譜代の重臣方に兵を出すよう再三使者を送っておるそうなのですが、どうやらその求めに応じないようで・・・」
道三公を助けるために美濃へ兵を出すことを殿様が決めた際、勘十郎さまや勘十郎派の面々はそれに反対したらしい。
でも、殿様の美濃への出兵を強行した。
それが、決定的な亀裂となった。
「美濃へ兵を出したのは、丹羽様方母衣衆の手勢と、殿直属の手勢がほとんどで・・・勘十郎様や、譜代の方々の軍勢は無傷のまま残っておるのです。その軍勢がありゃあ、清洲や岩倉の横暴を押さえ込むことも出来るはずのですが・・・」
無傷の軍勢は、殿様の命に応じず動かない。
殿様の手勢は、先の負け戦で手傷を負い動かせない。
それが、殿様が清洲岩倉に対策を打てない理由みたいで。
「末森は、殿様から離反でもするつもりなの・・・」
なんだか、美濃と同じみたいじゃない・・・
底知れぬ不安とともに、そんな考えが私の頭を過ぎった。
美濃での政変は、父と子の不和から全てが始まったんだ。
それが、国を揺るがす大戦になった。
互いが互いを殺し合い、巨星・斎藤道三は討ち死にした。
美濃の者も、尾張の者も、たくさんの人が死んでいった。
それが、この尾張でも起きるかもしれない・・・
次は誰が、弥平次さまのように死んでいくのか・・・
そう思うと、私は、
怖くて、怖くて、たまらなかった。
そんな、不安定な状況の最中。
ある日のお昼、不意に外から馬の蹄の音が聞こえた。
・・・誰か、お客?
屋敷の中には、誰もいない。
ちょうどお類を寝かしつけて、炊事洗濯を一通り終わらせた後のことだった。
父がやってきたのかな・・・それとも小六? 藤吉・・・?
「ちょっと待ってっ、今出ますから!!」
急いで屋敷の外に出てみると、
「・・・えっ」
っ・・・殿、様・・・
そこには、織田信長さまが立っていた。
お供の方も、つけていない。お一人で、私の目の前にいらっしゃる。
その光景に、私は思わず目を丸くしてしまう。
「どう、して・・・」
このような、場所に・・・
生駒屋の店ならともかく、小折の屋敷に殿様自らいらしゃったことなんてない。
ましてや、お一人だなんて・・・
こんな緊迫した状況の最中に、国主さまがお供もつけず出歩くなんて、とても危ないのに・・・
「・・・お一人、なんですか?」
「・・・あぁ」
私が尋ねてみると、殿様はぶっきらぼうに短く答えそれ以降は黙り込んでしまう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
うぅ、気まずい……
どうして? という疑問よりも先に、気まずさが何故か出てしまう。
別段、喧嘩をした訳でもないのに……
弥平次さまの葬儀に来なかった。来ることが出来なかった。
その殿様の心情を考えると、なんて声をおかけしたらいいかわからなかったんだ。
「・・・あの、その・・・・・・中、入りますか・・・?」
気づけば、間の抜けた顔で私はそんなことを口にしていた。
殿様は、何も仰ってくれない。
是とも否とも答えずに、私に言われるがまま、屋敷の中に上がっていく。
・・・あ、上がるんだ・・・?
屋敷に上がるよう誘ったのは私なのだけども、まさか殿様が私の誘いに乗るなんて思っていなくて、思わず目を丸くしてしまう。
なんだか、普段の殿様らしくない・・・
そんな印象を、私は感じていた。




