二十五話 『能面ノ白拍子』 一五五四年・勘十郎信勝
そこには、異様な者が立っていた。
声は高く、きっと女・・・長い黒髪と緋色の着物を着た女。
老臣どもを呼んだこの席に女が現れるのも異様だが、何よりもその女の面相に目を引く。
その女は、能面を被っていた。
「・・・何者だ!?」
突然現れた怪しい女に、佐渡は警戒心をむき出しにする。
権六はすぐさま俺の側に寄り、脇差に手をかける。
「・・・っ!! どうか斬らないでおくんなし。怪しい者ではございませぬ、わたくしはしがない能楽師の女でございますれば、皆様方の宴の肴に舞いを披露するよう仰せつかって参りました」
「・・・能楽師だと?」
「『おひろ』、と申します。以後お見知りおき下さいませ」
女は優雅な身のこなしで俺の前へと進み出ると、一礼した。
「戯れに、ひとつ舞いを披露しとうございますがよろしいでしょうか、末森のお殿様?」
「・・・勝手にしろ」
おかしな女だと思いながら、俺は舞うことを了承した。
・・・まぁ、何も興がないよりはましか。
大して期待もしていないが、男だらけの阿呆な老臣どもを相手にしながら酒を飲むことにいささか飽きてきていたのも正直な話だ。
女がぱんと手を叩くと、老僕が二人座の中に入ってくる。
一人は笛を、一人は鼓を。どうやらこの老僕が、女お抱えの楽師のようだ。
「では御一興、舞いを披露させていただきます」
笛の音が鮮明に鳴る。楽師が鼓を叩く。
女は、その音色に乗せて美しい舞いを見せた。
俺も能狂言にそれほど詳しい訳ではないが、俺のようなにわかが見てもこの女の舞いは素晴らしいと思えるほどの腕前だった。
その身のこなし、その所作。面を被っているためどのような顔をしているのか、その表情は伺えない。
それでも舞いから醸し出される色香というものが女の舞いにはあった。思わず見惚れてしまう艶やかさが、女にはあった。
老臣どもも、女の舞いに釘付けになっている。突然現れた謎の女が度肝を抜くような質の高い舞いを見せるものだから、言葉も出ない。
・・・なるほど。宴の肴とはよく言ったものだな。
艶かしい舞いに、頬が緩む。浮かれた気分になる。
そのような心地で口にする酒は、不思議と先ほどと味が変わる。酒が進む。
・・・面白い女だな。
これほどの舞い、誰から習ったのか。
京から離れた田舎の尾張にこれほどの能楽師はいまい。
どこの、者なのか・・・
俺は気づくと、この能面の能楽師に興味を持っていた。
「・・・お粗末様でございました」
女は舞い終えると、優雅に一礼した。
俺は拍手で女に応えた。俺が手を叩くと、老臣どももそれに倣って女に拍手を送る。
「・・・おひろ、と言ったか。良き座興であった」
「お殿様に喜んでいただければ、幸いでございます」
「良いものを見せてもらった礼だ。どうだ、一献?」
この女をこのまま帰すのが何だか心惜しくて、俺はおひろに盃を向ける。
おひろは申し訳なさそうに三つ指を立て、首を横に振った。
「わたくしのような端女がお殿様のお酒を受けるなど、恐れ多いこと・・・お気持ちだけ、頂戴しておきます」
「遠慮するな。お主の舞いをそれほど高く買っただけの話だ」
「まぁ・・・白拍子を酔わせようとするなど、なにをなさる気ですか? 悪い殿様でござりますなぁ」
おひろはからかい混じりの口調でそう言った。
「なにっ? 別に他意などは・・・」
さすがの俺も、女からそのような返しをされるとたじろいでしまう。
老臣どもの中からも、小さな失笑が漏れ出す。
「・・・そこまで申すなら無理強いはせぬ。なら、酌ぐらいはどうだ」
「お酌なら、喜んで」
おひろは俺の隣に移動すると、俺に酌をする。
それを見計らって、連れてきた老僕の楽師がまた笛と鼓を鳴らし始める。
雅楽の音色を聞きながら、また和やかな宴が始まった。
「お殿様、御一献」
おひろを隣に置いて二杯三杯と酒を進める。
・・・良い匂いだな、この女。
初めて嗅ぐ匂いだ。
果たしてどのような香を使っているのか・・・
近くに置いて、おひろはなんて艶やかな女なのだろうと思った。
綺麗な黒髪。陶器のように白い肌はきめ細かく美しい。細い身体に妙に肉付きが良いのが、なんだか異様に色っぽい。
その能面の下は、さぞかし美しい顔をしているのだろう。
「面は、取らないのか」
ふと、尋ねてみる。
おひろは恥ずかしそうな口調で
「・・・恥ずかしゅうございます。醜女でございますれば、舞いには自信はあれど、顔は・・・」
・・・だから端から能面をつけて現れたという訳か?
それが女心というやつか? ・・・全くもってよくわからん。
「ふっ・・・流れの白拍子にもいっぱしの恥じらいがある訳か」
「えぇ、女でございますれば・・・殿様には、嫌われたくございませぬ故に」
そう言って、おひろは俺にもたれかかる。
酒を零しそうになって思わず俺は盃を膳に置いた。それを見計らって、おひろは俺の右手をその細く白い指に絡ませる。
両手で、俺の手を握る。
「・・・これは一体なんだ」
握られた手の中に違和感を感じて、俺は眉を細める。
折り畳まれた懐紙のような感触が、手の中にある。
「・・・末森のお殿様にお渡しするよう仰せつかった、書状でございます」
女は、俺の耳元に顔を寄せ、周りに聞こえないよう小声で囁く。
「・・・・・・誰からだ?」
「・・・清洲からと、聞かされております」
清洲・・・織田信友からの密書ということか・・・?
兄と敵対する清洲織田家から、何故俺に密書が届く・・・?
俺は、織田信長の弟だぞ・・・
何かが、暗躍しているのだと感じた。
祭りの喧騒の中に息を潜め、みなが酒に酔っている中に動き回る者がいる。
女は、握った俺の手を離さないままその手を俺の懐に持っていく。誰にも見えないように、清洲からの密書を俺の懐に仕舞わせようとする。
俺は何故か、抵抗をしなかった。女を通じて蠢いていることがありありと見えるはずなのに。
急激に酔いが覚め、異様に喉が渇く。
「・・・お前は、ただの能楽師ではないだろう。何者だ」
俺は、顔を強張らせ女に問う。
女は俺だけに聞こえる小さな声で、そっと返答をした。
「・・・・・・私は、御前様の使いでございます」




