二十四話 『信長ノ弟』 一五五四年・勘十郎信勝
「勘十郎様、さぁ一献」
佐渡が俺の盃に酒を酌む。
とくっ、とくっ、と流れる酒を俺はただぼっと見つめて、そっと自らの口に運ぶ。
宴に並べる前に井戸で冷やした酒なのか、冷たさと熱さが同時に喉を通り過ぎていく。
一杯飲み干しただけで、かぁと顔が熱くなる。兄のように全く飲めない訳ではないのだが、俺もそんなに酒は強くない。
顔には出づらい体質なのか、俺が酒に弱いことを知る者はほとんどいない。
武士として、もっと酒に強くならねばとは思う。大将には大杯を一気に飲み干すような豪傑さがなければ、その威厳が示せない。
酒の味は、好きなのだが。
我が居城の末森城にて、俺が開いた酒宴。
林佐渡やその弟の美作、柴田権六を始めとした織田の譜代の家来衆が揃って俺の歓待を受けていた。
「このような場に招いていただき、恐悦至極にございます勘十郎様」
俺が盃を置いた頃を見計らって、佐渡は俺に礼を言う。
「仕方がなかろう。兄があの調子では、評定にもならぬ」
顔をしかめて、俺は言う。
兄の信長は、津島で開かれている祭りにうつつを抜かしている。
全ての政務を放り出し、家臣や雑兵、下女にいたるまで暇を出して祭り見物に向かってしまっていた。
当主がこの調子では、まともに評定も開けぬ。
仕方なく、俺は老臣衆を自らの城に集めて宴を催した。兄の振る舞いに憤る老臣衆を、どうにかなだめるために。
・・・いつものことだ。兄は自分勝手に何でも決められる方であるのに、家中の小政治に関しては全く無頓着だ。それが、兄と譜代の家臣との溝を広げていくばかりなのだと、あの方は気がついていない。
そのしわ寄せを、全て俺がこうして尻拭いをしているのだ。
「全く、殿は何を考えておられるのだか・・・近頃少しは当主の風格が見え始めたかと思いきや、また馬鹿のように祭りに遊び呆けて・・・」
少し酒が進みすぎたのか、顔を赤くした佐渡はその憤りを口から零す。
それに、周りの老臣たちは「全くだ!!」と激しく同意していた。
「・・・信長は気ままが過ぎる!! だからそれがしはいつも言っているであろう、あのような当主で織田家は大丈夫なのかと!!」
盃を大きく振り上げて、美作が声高らかに叫ぶ。
・・・譜代の家臣の中でも、兄に疑問や反感を持つ者は多い。特に林美作は反信長の最先鋒で、人前でも兄のことを罵って憚らない。
明かな兄への侮辱に、座に連なった者はみな顔をしかめ美作から視線を反らす。けれど、美作の言葉に反論するものは、誰もいなかった。
ただ一人、黙って酒を飲んでいた権六が
「・・・勘十郎様の御前だ、口を慎め美作」
美作を睨みつけ、低い声で嗜める。
権六は武人らしい、潔癖な性格だ。いくら不満があろうとも、家来が主君を貶める言葉を吐くのは気に入らないようだ。
だが、美作は止まらない。
「しかしそうではないか!! 当主とは我ら武家の棟梁、尾張に住む武士の長であろう!! それを在地の家臣の意も聞かず独断専行が過ぎては、我ら家臣団は織田を主君と仰げぬ!! 先代信秀公が作り上げた織田家は中から崩れ落ちること必定!!」
美作は酒の酔いに任せて高らかと熱弁を振るう。
酒の席はすっかり美作の独壇場になり、他の老臣は黙って俯いてしまう。
・・・美作が申すことは、正しいのだ。
大名家とは、あくまでもその国の武家、武士の集まりにしか過ぎない。当主とは地侍に仰がれた代表であって、家臣団の意見をまとめ事を成すことがその政務だ。
当主と家来の主従は相互的なものであって、一方的な支配では家は立ち行かない。この下克上の世、家臣の謀反や離反を招き容易く瓦解してしまう。
そのような当主としての振る舞いや心構えを、元服前に守役の従者から嫌というほど教え込まされた。
兄も、平手の爺から耳のたこが出来るほど五月蝿く言われたはずなのだが・・・
「信長は、先代から尽くしてきた我らのことなど全く鑑みておらぬ!! 生え抜きの若造どもを重用し、津島の商人どもにへつらい、くだらぬ祭りまで催す始末。道楽の祭りに、我らが集めた年貢がいかほど使われておるかわかったものではない!!」
美作の熱に蝕されて、黙り込んでいた老臣の中からも少しずつ「美作殿の言う通りだ!!」と同調する声が出始める。
「楽市令だってそうだ!! 津島の商人ばかりに利する政を行い、我らのことなど信長は端から眼中にないのだ!! 百姓にまで商いを許すなど、我らが先祖代々守ってきた地を踏み荒らすような所業ではないか!!」
美作は、兄が発布した楽市令にも触れる。
美作の言葉に、思わず俺は顔をしかめた。
楽市の触れは、俺にだって府に落ちない部分がある。
当主となってから前例のない政ばかりを行ってきた兄だったが、『楽市令』はその最もたるものなのだ。
商人、士分、百姓問わずに商いを許し、尾張に銭を集めることで織田家の国力を大きくしようとした楽市の触れ。
確かに、尾張国は豊かになった。百姓が飢えることも少なくなったと聞くし、織田に入る年貢も目に見えて多くはなった。
だが、それは弊害も伴っていた。銭を持って調子付いた商人や百姓どもが、その力が大きくなりすぎることでつけあがるようにもなっている。
新興の商人や百姓どもに客を奪われ、既存の商人は首が回らなくなり。
豊かになり自立心を持ち始めた百姓が、庄屋に歯向かうようになり。
魚や山の幸が採れるような村なら楽市もいい。それすら出来ぬような地では百姓の流出を招き満足に年貢も取れなくなっていると、泣き付く者もいる。
そうした楽市令に泣かされた者が、不満を俺に訴えてきている。
織田の殿様は、儲かる者ばかり優遇して。
楽市の波に乗ることの出来ない者は、切り捨てるつもりなのかと。
そういった反楽市、反信長とでも言うような者たちが俺の下に集ってきている。
それらの者を見ていると、楽市令には俺も苦々しく思うところがある。
楽市は、一握りの者が私腹を肥やし弱きものが搾取されるばかりではないのかと。
・・・兄に擦り寄り、自らの利益ばかりを貪っているものがいるのではないのか。
「あの美濃者と、津島の女商人か・・・」
腹立たしい思いで、俺は呟く。
土田弥平次と、吉乃とかいう女。
この二人が兄に楽市令を出させたと聞いている。まるで自らが兄の右腕のように振る舞い、兄を誑かし、自らに有利な法度ばかり出させているとも聞いた。
・・・美濃の余所者の分際で。
・・・商人の分際で。
織田信長の右腕は、弟であるこの勘十郎であるべきなのに。
私は盃を一気に傾け、中身を飲み干した。胸に巣くう苛立ちを、酒で腹に流し込む。
「やはり信長は織田の当主には向かぬ!! 勘十郎様が当主になられた方が良いのではないか!!」
美作は拳を振り上げて高らかに叫ぶ。
酒にも場の雰囲気にもすっかり酔ってしまった老臣どもは、美作の勢いに飲まれて「美作殿の申す通りだ!!」と同調を始める。
「勘十郎様の方が、当主としての素質がある!!」
「我らは、勘十郎様を支持しております!!」
すっかり場は、俺を当主に担ぎ上げるような雰囲気になってしまっていた。
他人事だと思いながら黙って上座から場の様子を見ていたが、さすがに俺まで巻き込まれてはたまらない。
・・・阿呆なことを・・・
こやつらは、この様子が兄の耳に入ればどうなるかわかっているのか。
これではこの場を開いた俺は、完全に兄への謀反を考えていることになるではないか・・・
酒の勢いに任せ場を煽る美作を睨みつける。
・・・本当、始末の悪い男だ。
別段、武勇に優れた男でも思慮深い男でもない。筆頭家老である兄・佐渡守の威光を借り、実力以上に偉ぶっているだけの男だ。
家中でも、美作を蛇の如く嫌う者も多い。内心では俺も、美作のことは好かぬ。
ただ厄介なことに、家中の小政治に関していえば美作の右に出る者はいなかった。場を掴み、煽り、扇動し・・・うつけのくせにそういった悪知恵だけはすぐに回るのだから、全くもって性質が悪い。
・・・そろそろ、手綱を引かねばならないか。
俺は盃をぐっと飲み干し空にすると、故意に膳の上に勢い良く振り下ろした。
どんっと鈍く大きな音が場に響く。みなが一斉に驚き、黙ったまま俺に視線を向ける。
「・・・面白くもない戯れを見せるな。お前たちは、織田信長の家臣であろう」
冷え冷えとした声で、俺は釘を刺す。
酒の勢いに飲まれ俺の逆鱗に触れたことにやっと気づいた老臣どもは、慌てて平伏する。
今まで煽り続けていた美作や黙って酒を飲んでいた権六も、居住まいを正し深々と頭を下げていた。
・・・全く、俺がここまで言わなければわからない馬鹿ばかりか織田の老臣衆というのは。
「弟がつまらぬことをし勘十郎様の機嫌を損ねたこと、まことに申し訳ありませぬ」
場を代表して、佐渡が俺に詫びを入れる。
「・・・構わぬ、酒の席だ。だが、節度は持て。俺は酔っ払いの相手など御免こうむる」
「「はっ!!」」
老臣どもが平伏する中、俺は手酌で改めて酒を飲み直す。
・・・本当に、なんてつまらない酒の席なのか・・・
そのようなことを思っていると、不意に部屋の障子が開く。
「・・・おや、また随分と暗い宴でございますなぁ」
そこには、異様な者が立っていた。




