表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/126

二十三話 『祭りノ朝』 一五五四年・吉乃



 騒がしい喧騒に、胸が躍る。


 その日は朝から眩しいほど日本晴れで、とても清々しくて気持ちの良い空模様だ。断言出来る。今日は絶対、雨は降らない。


 朝餉の時間から、私はそわそわして仕方がなかった。あまりに落ち着きがなかったから、年甲斐もなく父に叱られてしまって。


 無事に、開催出来る。それが私にとってはとても嬉しくて、ほっとした。今までの準備と苦労が、問題なく実を結びそうだったから。


 まだ日が昇ったばかりだというのに、津島の町はもう既に賑やかだ。顔見知りの旦那衆がみな、露店を開く準備のために忙しなく働いている。




 今日は、当日。



 津島天王祭。



 尾張一、日ノ本一のお祭りだ。 

 



「・・・じゃあ、店のほうは任せたから。なにか、わからないことはある?」



「いえ、問題ないですお嬢。店は我らに任せて、どうぞ楽しんできて下さい」



 手代の一人が私を安心させようと、大きく胸を張った。


 店を開けて早々、私は手代たちに店の引継ぎを念入りに打ち合わせする。今日は私は祭りの仕切りに向かわなければいけない。どうしても生駒屋のことは目を離さざるを得なくなってしまう。


 祭りも大事だけれど、店だって開けなきゃいけない。


 他の手代や馬番たちも、自信満々に微笑む。



 ・・・本当、頼りになる者たちばかりだ。うちの店は。



 引継ぎを済ませると、私は店の奥に急いで引っ込む。


 朝から生駒屋に呼び出しておいた小六と将右衛門を連れ込んで、祭りに向かう支度をする。


 お気に入りの帯を解いて、いつも着ている着物を脱いで、先日届いたばかりの装束に袖を通す。


 私たちが一から準備した祭り、私にとっては晴れの舞台だ。



 いつもの着物じゃ、出かけれない!!



「・・・っ、これで万全!! どう、似合っているでしょう?」



 初めて袖を通した装束を小六と将右衛門に見せびらかせながら、私はくるりと回った。


 普段は店の商いや殿様からの無茶ぶりのせいで、年頃の娘らしく着飾ることを楽しむような余裕はなかったから、何だか新鮮でとても楽しい。



 私が着ているのは、女子らしい着物や打ち掛けじゃない。


 白い袴に、薄藍の束帯。冠だって被っている。平安装束の、男装だ。



 商人としての伝手(つて)を目いっぱい使って、京から取り寄せた高価な平安装束。殿様が催した『仮装踊り』用の衣装だ。


 私が思い描いた仮装は、六歌仙の一人。在原業平。


 和歌の名手で数多の女子と浮名を流した、宮中きっての美男子だ。


 女らしく可憐な打ち掛け姿も良いと思ったけれど、せっかくの祭りだから変わったことをしたくて思い切って男装をしてみた。


 やっぱり私は『可憐』や『儚げ』といった言葉とは縁遠い性分なのかもしれない。初めて履いた男物の袴も意外としっくりきて、あまり違和感を感じない。


 初めて履いた袴に違和感を感じないなんて、やっぱり私は男勝りの巴御前なのかなぁ・・・



「殿方の格好なんて初めてだったからどうなるかとは思ったけど、意外と様になっているようじゃない。ねぇ、小六、将右衛門?」



「あぁ、馬子にも衣装って奴だな」



「そりゃ、お嬢は男よりも男勝りだからな。そんな格好しちまったら、誰もお嬢を女だとは思わないだろうな!!」



 なんて、二人して笑う。



 ・・・本当、相も変わらず失礼な奴らだ。



 そういう小六や将右衛門の格好は普段の古びた具足や皮なめしの羽織ではなくて、まるで源平武者のような大鎧を着込んでいる。


 将右衛門は大きな弓を担いで。小六は太刀を腰に指して。


 とても動きづらそうで、二人が動くとがちゃがちゃと音がなって異様に五月蝿い。



「二人こそ、その格好は何? 源平合戦の武者か何か?」



「おうよっ!! 俺たちが演るのは『義経記』よ」



 ・・・義経記? 川並衆のみなは、仮装踊りに義経記をするの?



「なるほど、だから源平武者ね。それで、小六が・・・」



 腰に太刀を指した小六が胸を張って



「この俺が、牛若丸で」



「俺が、那須与一よ!!」



 大弓を担いだ将右衛門が自信満々に笑った。



 小六と将右衛門が、美男子と名高い牛若丸に与一・・・?



 図体が大きな二人じゃ、正直どちらも武蔵坊にしか見えない・・・



 私が苦笑いを浮かべていると、手代が部屋に入ってくる。



「お嬢。濃姫様がお越しになられました」



「帰蝶さまが!? すぐに行く!!」



 私が急いで店先に出ると、店の前で織田家の籠が止まっていた。


 中から、打ち掛け姿の帰蝶さまが現れる。



「おはようございます、帰蝶さま!! よくぞお越しくださいました!!」



「招いてくれて感謝するぞ、吉乃。久々に、城から出ることが出来たわ」


「はい!! せっかくのお祭りです、楽しみましょう帰蝶さま!!」



 帰蝶さまは普段はお城の外に出ることが出来ないから、私が殿様にお願いして外出を取り付けた。


 殿様の奥方さまをお城の外に連れ出すなんて普段なら考えられないことなのだけれど、祭りの日ということもあって殿様は快く了承してくれた。


 今日一日、私は帰蝶さまと一緒に祭りを回ることになっている。


 津島の筆頭商人として祭りの監督も私の大事な役目だけれど、織田の姫である帰蝶さまをおもてなしすることだってとても重要なお役目だ。


 帰蝶さまと二人、祭りを思う存分楽しみ、楽しませ、そして協力して殿様と帰蝶さまの逢い引きを成功させる・・・



「今日は頑張りましょうね、帰蝶さま!!」



「おう、頼むぞ吉乃」



 祭りの日に、女二人の秘めた計略が始まる。



「では、いつまでも立ち話もなんなので店の中にどうぞ。お茶を用意します」



「おぅ、すまんな・・・それにしても、これが吉乃の店か・・・立派なものじゃのう。改めて、吉乃が商人であることを実感させられるのぅ・・・」



 生駒屋の家屋をまじまじと眺めながら、帰蝶さまはふと呟く。


 帰蝶さまに店のことを褒められて何だか誇らしいような、少し気恥ずかしいような。



「はい!! この生駒屋は、商人吉乃の自慢の店です!!」



「・・・それはそうと、また珍しいもの着ているのぅ、吉乃」



 帰蝶さまが私の装束姿に気づいて、ふとそんなことを口にする。



「似合っておるではないか。凛々しいぞ」



「本当ですか!? ありがとうございます!!」



 帰蝶さまに装束姿を褒められて、とても嬉しい。


 この装束を取り寄せて、この格好を選んで良かったって心底思える。



「その格好は、信長殿の仮装踊りというやつか」



「ええ、そうです。帰蝶さまの装束も、用意していますよ!!」



「えっ、妾のものもあるのか・・・!?」



 意外そうに、帰蝶さまは驚く。


 そんな帰蝶さまに、私は「無論です!!」と胸を張って答えた。



 今日は、せっかくの祭りなのだから。


 帰蝶さまにも普段とは違う格好で楽しんでもらいたい。いつもの絢爛な打ち掛け姿もとても艶やかだけれど、今日はまた違った帰蝶さまの一面を引き出してみたいと私は思ったんだ。


 いつもと違う帰蝶さまで、改めて殿様に帰蝶さまがどれほど良い女子なのか気づいてほしい。



 むしろ、私の装束よりも帰蝶さまの衣装に力を入れて選んだことは、私だけの秘密だ。



「ほらっ、帰蝶さま!! 早速中で着替えましょう!!」



「ちょっと・・・こら吉乃・・・そんな引っ張るな・・・!!」



 有無も言わさず、私は帰蝶さまの手を引く。


 店の奥の部屋まで連れてきて、その高価そうな打ち掛けを脱がして。



「こ、これを妾が着るのか・・・!?」



「はい!! 絶対に似合うはずです!!」



「いや、さすがにこれは妾には似合わないのではないか・・・着たこともないし、信長殿を驚かせてしまう・・・」



「いいえ、これ以外にはあり得ません!! 必ず、必ず!! 帰蝶さまに似合います!!」



 そこからしばらく「似合わぬ・・・」「似合います!!」「似合わぬ・・・」「似合います!!」の押し問答を繰り返して、何とか帰蝶さまに用意した衣装を着てもらう。



「やはり、変ではないかの・・・?」



 自らが纏った装束をまじまじと見つめながら、帰蝶さまは恥ずかしそうに呟いた。


 真っ赤にした顔が、年相応の娘のようでとても愛らしくて。



「ほらっ、やっぱり!! 可愛らしいです!! とても似合っているではないですか!!」



 本心から、私はそう言う。



 帰蝶さまに着てもらったのは、普段の帰蝶さまならお召しにならないであろう、素朴な薄桃色の着物だった。


 絹や紬のような高価なものではない、いたって普通の木綿の着物。豪華な装飾もなく、薄染めされたほのかな色合いがとても愛らしくて。


 それは武家の姫君がお召しになるものというより、市井の町娘が着るような、そんな着物だ。



「これで帰蝶さまは美濃の姫君ではなく、『濃姫』でもなく、ただの女子・・・尾張の町娘です!!」



 私が選んだ、帰蝶さまの仮装。


 それは、『尾張の町娘』の格好だった。



 普段の煌びやかな帰蝶さまも、とても艶やかで素敵だ。


 けれど、今日は、祭りの日だけは『姫』という重い衣を脱いでほしかった。


 ただの年若い娘として、祭りの夜を殿様と二人で歩いてほしい。


 そんな思いで、私は津島の町娘の中で最も人気のこの着物を選んだんだ。



 木綿の着物を纏った帰蝶さまは、普段の高貴な姿では思い浮かべられないないほど、純朴な町娘に姿を変えていた。普段は重く伸ばした艶やかな黒髪も今日は編みまとめて。時折見える白いうなじが、とても色っぽくて。


 そんな姿でも、やっぱり帰蝶さまはとても綺麗だ。



 普段の私のような素朴な格好をしてもらっているはずなのに、私とは全く違う。


 格好だけじゃ隠し切れない帰蝶さまの美しさが、その顔立ちや所作から滲み出ているような感じで。


 これが、生まれついての『姫君』の美しさなのだと、改めて私は魅入ってしまった。



 ・・・これなら、きっと殿様だって改めて帰蝶さまの魅力に気づいてもらえる!!



「とっても愛らしいですよ、帰蝶さま。殿様だって、きっとお喜びいただけるはずです!!」



「そ、そうかの・・・吉乃がそう申すなら、口車に乗って頑張ってみるかの・・・?」



 帰蝶さまは照れくさそうに笑みを浮かべる。



「ええ!! 殿様に新たな帰蝶さまの魅力に気づいてもらって、お二人で祭りの時間を楽しんでいただいて、そして夜です!! 縁結びの灯籠にお互いの名を書いて流す・・・これで殿様が帰蝶さまに振り向かないはずがありません!!」



 なんて穴のない完璧な策略だ。



「そうか、縁結びの灯籠・・・スサノオノミコトのお力も借りるのだからな・・・必ず、信長殿のお心を掴まねば・・・」



「はい、その意気です!!」



「妾が信長殿の名を書く・・・信長殿も妾の名を書いてくれるかのぅ・・・」



 不意に、帰蝶さまが恋をする娘のような顔を見せる。頬は赤く染まって。瞳は潤んで。


 とても愛らしい仕草で、内心の不安を口にした。


 その様が、私にとっては何だかとても羨ましく思えて。



 ・・・いいなぁ。


 確かに、帰蝶さまは、恋をしておられるんだ・・・


 好いた殿方を想い、焦がれ、結ばれることはきっと女として生まれた者の本懐で。



 私にとっては縁遠いものだけれども。


 別段、商人として生きていくことに不満がある訳ではないけど。



 もし、私にそんな恋が出来たなら。



 私も今の帰蝶さまのような顔をするのだろうか・・・



「縁結びの、灯籠流し・・・」



 ふと、私は呟く。



 私が仕切って、私が準備した灯籠だ。


 当然、私だって灯籠に願掛けの名を書かなければいけない。



 縁結びの、灯籠・・・



 私は、誰の名を書くのだろう・・・


 神様に願ってまで縁を結びたい人は、誰なのだろう・・・



 私が言い出したのだけれど、自らの願掛けについては全く無頓着で。


 祭りの当日になってこんな当たり前のことに気づくなんて可笑しな話なのだけれど。




 帰蝶さまは、殿様の名前を書く。



 なら、私は・・・



 私が、縁結びを願う相手は・・・



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ