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Master Code  作者: 覇牙 暁
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第八十一話

第八十一話「反撃の狼煙」




 オオツキ邸中庭。


 犇めき合う50人以上の武装兵団に囲まれ、香澄とキンシロウ達は今まさにオオツキ・トキザネと対峙していた。


 肌を刺すような無数の殺気。

 それは剣山にその身を横たえているかのような物理的な痛みを感じてしまう程の物。


 事実、キンシロウはトキザネを前にその殺気に気圧され、一歩を踏み出す事が出来ずに居た。



 「これ程の兵を……。やはり、全て仕組まれていたという事か……っ」


 「それは言い掛かりというもの。これは偶然にも今宵、兵達に日々の労いをと宴席を設けた、ただそれだけの事。そこへ貴殿らが現れたのですよ、招いた覚えは……無かったのですが、ねぇ?」



 家格としては、当然キンシロウの方が上。


 だというのに、トキザネの態度はとてもそうとは思えないような慇懃無礼そのもので。


 歯噛みするキンシロウとニヤつくトキザネ。


 その光景は、正しく二人を取り巻く状況の写し鏡であった。



 「しかし……これは、どうしたものか。招いた覚えの無い者達が不法に我が家の敷居を跨いでいる。曲者と叫ばれても最早言い逃れは出来ますまい」


 「なっ、ふざけるな! 貴殿が町の娘達を拐かし、呪印まで用いて監禁していたのではないか! それ故に我らは……ッ」


 「やや、それこそ濡れ衣と言うものですぞ、カネツグ殿。あの者らにはワシ自らが禄を支払い、住み込みで下働きをして貰っておるのです。決して拐かしてなどおりませぬよ」


 「な、に……?」



 物は言い様という物で、それは確かに事実であった。


 地下牢に閉じ込められていた娘達は賃金を受け取り、何不自由無い生活をトキザネに約束されていた。


 故、あの娘達は救出に訪れた香澄とキンシロウ達にあのような態度を見せたのだ。


 その事にようやく気付き、キンシロウは絶句した。


 しかし、そこで言い負かされたのでは話しが終わってしまう。


 何の為にこの屋敷に忍び込んだのか、その目的を思い出し。



 「だ、だが、閉じ込めていた事実は変わるまい! 証拠も確認しているのだぞ!」


 「呪印の事ですかな? だとするなら、それは防犯の為にござりまする。何せ、美人揃いでございます故、余計な虫が寄り付かぬよう厳重な警備の下、お預かりしていた次第で」


 「貴様……シラを切るつもりかッ!?」


 「いえいえ、とんでもございません。全て事実でございますよ」


 「クッ……」



 囚われていた娘達の大部分は、金で雇われたも同然だった。


 もしキンシロウ達の旗色が悪いと察すれば、金に目が眩んで間違いなく掌を返すだろう。


 それが容易に想像でき、キンシロウは再び奥歯を噛み締めた。



 (まさか、ここまで用意周到に……っ)



 キンシロウはトキザネの策に嵌ってしまったのだと、炙り出されたのだと、そう確信する。


 これだけ整えられた状況、下手を打つまでもなく、例の火災に関しても何かしら手が打たれているだろう、と。


 最早、後戻りは出来そうもない。

 このまま、トキザネの手の上で転がされ、不法侵入の罪で逆に自分が捕縛される事になる。


 と、キンシロウはそう諦めかけたのだが。



 「―――あ〜、ちょーっといいかしら? オオツキさん」


 「……?」



 そこで会話に割って入ったのは、それまで事の成り行きを黙って見守っていた香澄だった。


 余裕のある強かな笑みを浮かべ、一歩、また一歩と離れの縁側から石段を下り、庭の砂利を踏み鳴らしながら、香澄は鋭い視線でトキザネを射抜いていた。



 「ほぅ……。まだ幼いながら、聞きしに勝る美貌ではないか……」



 月光に晒された香澄の相貌に、トキザネは目を細めた。


 その口元は嫌らしく歪み、涎さえ零しそうな程に卑しく。


 爪先から髪の毛一本に至るまで視線で香澄の肢体を舐め回し……しかし。



 「デブを愚弄する気は無いんだけど、流石に趣味じゃないわ……キモイ」


 「き、きもっ!?」



 吐き捨てられた香澄の言葉に一蹴され、トキザネは目を見開いた。



 「美男美女揃いの鬼人族の中で、どーしてアンタみたいにこうもブッサイクなのが産まれたのか……。哀れでならないわ」


 「なっ―――この状況で良くぞ吼えたものよ。少しばかり容姿が良いからといって、図に乗りおって……。最早容赦して貰えるなどと思うでないぞ、小娘がッ」



 怒りを露わに額へ青筋を立てるトキザネだったのだが……。



 「それはコチラのセリフだな、薄汚いドブネズミが……ッ!!」


 「―――ッ!!?」



 直後、爆発した香澄の怒気に当てられ、トキザネは物理的とさえ思える威圧感に尻餅を付くハメになった。



 「か、カスミ、ちゃ……」



 味方である筈のキンシロウでさえ、思わず“ちゃん付け”する事を躊躇してしまう程の圧力。


 だというのに、その爆発的な圧力は香澄が一歩を踏み出す毎に尚強くなり、トキザネは尻餅を付いたままジリジリと後退させられる。



 「―――いや、貴様をドブネズミなどと呼んでは、ドブネズミに失礼という物か……」



 トキザネを庇うように数人の兵が剣を抜き、立ち塞がろうとするが。



 「貴様の下らん茶番に付き合ってやれる程、私は気が長い方ではなくてな」


 「……ひっ!?」



 トキザネの前に立った筈の兵達は、既に肉塊と化していた。


 いったい何時、剣を抜き放ったのか。

 それさえ認識できず、兵達は粉微塵に切り刻まれていた。


 香澄はただの一度も歩調を落としてはいない。

 五人の兵は、障害にすらなれずに絶命させられたのだ。



 「心配するな、貴様は殺さんよ。キンさんとの約束もあるからな。だが……」



 トキザネを足元にするまで近付き、嗜虐的な笑みを浮かべた香澄の目が周囲の兵達に向けられた。



 「貴様らは別だ。誰一人、此処から生かしてなど帰さん」


 「な、にを……言って……っ」



 傍から見れば奇妙な状況だった。


 余りにも多勢に無勢。


 完全に包囲され、逃げ場など何処にも無いのは香澄達の方だからである。


 しかし、一つ認識を変えれば、それは真逆の立場になるのだ。


 近代装備で身を固めた3万の兵を圧倒的な力で轢殺するような怪物に対し、高々数十人の兵で挑むなど愚の骨頂である、と。


 その対象が、たまたま巨大なドラゴンなどではなく、人間大の少女の姿をしているという、ただそれだけの事。


 故、彼らは改めねばならない。

 それが出来なければ、先の五人のように一瞬にして血煙に変えられるだけなのだから。



 「まだまだ足らん。隠している分も全て出せ、オオツキ」


 「なん、じゃと……!?」


 「全部で123人。居るんだろう? その屋根裏に、縁の下に。出し惜しみなどしている余裕が、貴様にあるとでも思っているのか、グズが」



 昏天黒地の切っ先をトキザネの頬に当て、ニタリと見下ろす。



 「それとも、これだけ掻き集めた兵をロクに使えもせず、サッサと諦めて縛にでもつくかね。ぇえ?」


 「ば、馬鹿が……っ、これだけの数を前に、貴様らだけで、何が出来るッ!?」



 そう息巻きながら、トキザネはジリジリと切っ先から逃れるように後退する。


 その様子を呆れた表情で見下ろし、香澄は首を横に振って見せた。



 「オイオイ、勘違いをするな」


 「勘違い……じゃと?」



 昏天黒地を一振りし、虚空を裂いて銀光を煌めかせ。


 香澄は尚も笑みを深める。


 より壮絶に。より嗜虐的に。



 「殺るのは、“私一人”だ」


 「ッッッ!」



 ゾッと背筋の凍るような低い声で紡がれたその言葉に、トキザネの虚勢は遂に砕け散った。



 「―――でっ、出合え! 出合えぇーい! この娘を殺せ! 今直ぐだ! 決して、生かして返すなぁーッ!!」



 その号令に呼応し、屋敷中から次々と中庭へ集結するトキザネの私兵達。


 香澄が宣告した通り、数は見事に123名。


 彼らはいずれ劣らぬ鬼人の武士であり、弛まぬ努力で技を磨き上げて来た兵達である。


 その兵達が武功を挙げんが為、我先にと鬨の声を上げ、各々抜刀し、香澄を取り囲んで行く。



 「ん〜……フフフっ♪」



 庭園狭しと犇めき合う彼らの殺気と視線を一身に浴び、香澄は恍惚とした笑みを浮かべていた。



 「いいね……、心地良い空気だ……」


 「「「……っ」」」



 流し目を向けられた兵達が一斉に息を呑んだ。


 おぞましさを感じる程の妖艶。


 香澄の一挙手一投足に意識を集中し、飛び掛かる隙を探そうとしている―――その、筈なのに。



 「―――ぁ」



 まるで、誘蛾灯のようだった。


 兵の一人が無意識の内に引き寄せられ、気付いた時には視界が寸断されていたのである。


 銀閃の煌めきは一度のみ。


 錯覚かと思える程の刹那、それを認識出来た者は数少なかった。



 「己が鍛え上げた剣を初めて試す事が出来る……。判るか、諸君。私は今、その喜びに打ち震えている」


 「こやつ……魔の者か、妖の類か……っ!?」



 たった一人の幼女を前に、大の男達は一歩とて踏み込む事が出来ずに居た。


 先刻、その美容に引き寄せられた者がどういう結末を辿ったか、それを目にしていたが故の慎重さでもあるが、しかし。



 「どうした、来ないのか?」


 「クッ……」



 攻めなければ勝ちはない。


 誰もが当たり前のように知っている事だというのに。



 「ふむ……、動けんか」



 何とか活路を見出そうと腰を落とし、得物を握り直す兵達だが、やはり足を踏み出すには至れていなかった。


 隙が無い、などとそんな甘い物ではない。


 隙どころか、一歩でも動けば踏み込んだ者から順当に殺される。


 その結末しか予測出来ない。



 「致し方ない……。少しばかり、私が後押しをしてやろう」



 ヒュン、と昏天黒地の切っ先が空を裂き、銀光を反射した―――次の瞬間。



 「…………っ!?」



 瞬きすらしていないというのに、兵達の前から香澄の姿がユラリと消えた。



 「案ずるな、剣技のみで相手をしてやる」


 「いッ!?」



 不意に耳元で聞こえた声に慌てた兵の一人が、その瞬間に額から黒紅の切っ先を“生やし”て絶命する。


 ズルリと崩れ落ちる兵の背後に立っていたのは紛れも無く香澄。



 「な、なんだっ!?」


 「今、いったい何を……っ!?」



 兵達の間に動揺が走る。


 目で見続けていた物が突然目の前から消えてなくなったのだから無理も無い。


 彼らからは、あたかも妖術か魔術かとも思えただろうが、実際はそうではなかった。



 「何を驚く? これが所謂“隙”という物だろうが」



 香澄の放ったその言葉は、事実。


 武術に於ける“隙”とは、即ち意識の切れ目。


 “起こり”等とも呼ばれる物だ。


 攻めるにせよ、防ぐにせよ、動こうとする者の意識が“静”から“動”へと移り変わる瞬間。


 そこに生じる“どちらでもない状態”こそが“隙”となる。


 香澄はただ、それを意図的に起こさせたに過ぎない。


 昏天黒地の切っ先に月光を反射させ、その光に一瞬意識を奪われた彼らの、その間隙を突いたというだけの事だ。


 しかし、言葉で言う程それは単純な物でも簡単な物でもない。


 隙が産まれる瞬間というのは人それぞれであるし、誘発させるにも必ずしも成功するとは限らない。


 まして実戦の場で行うとなれば難易度は格段に上がるだろう。


 だが、それ故に信じ難い。


 当事者達にしてみれば、それは確かに妖術や魔術の類としか思えなかったのだろうから。



 「―――何時まで惚けている? いい加減に気付けよ、オマエ達は“狩られる側”だと」


 「ひっ……ぎゃあッ」


 「ぐぁあっ」



 視界から消えては現れ、再び消える。


 そうして意図的に生み出された隙の最中に、兵達の悲鳴が次々と上がった。



 「危機感が足りんのだ、オマエらには。もっと必死になれよ。でなくば……次に死ぬのは“オマエ”だぞ」



 香澄に告げられた兵達の恐怖は、その瞬間にスイッチを切り替えられた。


 怯えるだけでなく、生存本能故の戦う獣へ。



 「くそ……っ、くそったれっ!」


 「こんな……こんな、小娘一人、何するものかッ!」


 「囲めッ! 相手は一人、囲んで袋叩きにしろッ!」



 ようやく意識を切り替え、必死の形相で動き出す兵達。


 やぶれかぶれも良い所だったが、それでも香澄は満足げに微笑んだ。


 それで良い。そうでなければ、と。



 「いいぞ、かかって来い。命を燃やせ。動物とは元来そういう物だ。生きる為にこそ生きる。その為に戦うのだからッ」



 前後左右から襲い掛かる兵達を前に香澄は逃げも隠れもしない。


 次々と振り上げられる白刃の悉くを交わし、弾き、受け流し、全てを無為に変えて斬り伏せる。


 速過ぎる銀閃の煌めきが残像を残す度、咲き乱れる鮮紅の華。


 無数の散る花弁が夜空に舞い、風に吹かれて霞み、消え行く。



 「オウオウ、流石は職業武士。良く鍛えているじゃないか!」


 「くっ、のぉおおッ!!」



 そんな中、兵の一人が初めて香澄の剣を受け、辛うじて受け流してみせた。


 返す刀にも見事な反応。


 数合打ち合い、香澄はさも嬉しそうに声を張り上げた。



 「見えているな……。目が良い。反応速度、適応力、分析力に判断力、なかなかの物だ。誇って良い。オマエは頭一つ抜けているよ」


 「ぐっ、クッ! つぅあああッ!!」



 必死の形相で滴る汗を弾き、打ち合う兵は香澄に追い縋る。


 余裕など微塵も無いが、それでも確かに香澄が言うとおり、彼は兵達の中でも頭一つ抜けていた。



 「いいなぁ、堪らん……! 命のやり取りをしている実感がある!」


 「ち、ぃいッ! この……戦狂いがッ」



 打ち合う刃が火花を散らし、激しく閃光を放った。


 鍔迫り合いに両者の顔が近付き、その光に照らし出され。



 「もう一段、速度を上げるぞ」


 「な……にぃっ!?!?」



 言うや否や、力任せに押し退けられた兵へと襲い掛かる香澄の剣。


 その速度は先ほどの比ではなく。



 「なっ、うっ! グッ、ぁあああああっ!!?」



 一合、二合、三合と刃を交える隙から香澄の剣は格段に速くなった。


 初めこそ対応していたその兵も、徐々に認識と判断が追い付かなくなり、全身を少しずつ斬り刻まれて行く。


 浅かった掠める程度の傷は次第に深い傷へと変わり、やがては完全に目では負い切れない物へ。


 そして、遂に限界は訪れ。



 「―――此処までか……。良く粘ってくれた、礼を言う」


 「ぁ…………」



 キンッ、と鋭い金属音が響いた瞬間、兵の手にあった刀は、その半ばで断ち切られたようにスッパリと折れ。



 「バケ……モノ、め……」



 彼は上段構えのまま袈裟斬りに血煙を発て、上体をズルリと地面に落とした。


 これに、周囲の兵達は絶句する。


 どうやら、今し方香澄に斬られたのは、彼らの中でも名うての剣士だったらしく。



 「トウドウ殿、が……」


 「そ、そんな馬鹿な事が……っ」


 「あんな……年端も行かぬ、子供相手に……っ!?」



 ゾワリ、と兵達の背に怖気が走る。


 そも、とても幼い身で扱えるような得物ではないというのに、それを手足のように自在に繰り、また足運びや体幹にも全くブレを生じさせない。


 そんな物が“子供である筈がない”と、彼らの認識が此処に至ってようやく改められた。



 「ふむ……、次は果たして、誰が相手をしてくれるのか……。フフフッ」



 振り返り、顔を上げ、香澄は昏天黒地を一振りし、獰猛な肉食獣を思わせる笑みで周囲を物色する。


 次は……、誰か。


 次は、どんな技を使おうか。

 次は、どんな技を見せてくれるのか。


 この一年で磨き上げた己の剣は、果たして何処まで彼らを圧倒出来るのか。


 楽しい。愉しい。娯しい。


 自らの成長を、生の実感と共に感じ取れる。その何と喜ばしい事か。



 「さぁ、応えてくれ! 貴様らの剣と命を以って、私の剣と命にッ!!」



 大仰に天へと両手を掲げ、香澄はその場の剣士全てに叫ぶ。


 己の限界を、貴様の限界を、私に見せてくれと心の底から吼え、響かせる。



 「ば、バケモノだ……っ」


 「こんな物……勝てる、わけが……!」



 しかし、対照的に兵達は腰が引けてしまっていた。


 よりにもよって、こんな序盤で身内最強の剣士が圧倒され、斬り捨てられてしまったのだから無理も無い。


 後退り、恐怖から剣を取り零してしまう物まで現れ。


 それを、香澄が見逃す筈もなく。



 「……おい、止めろ。折角の熱が、冷めてしまうだろう」


 「ひ……っ」



 何時の間に移動したのか。


 笑みを消し、無表情で振り下ろされた昏天黒地の一太刀が、剣を取り零した兵の一人を唐竹に両断した。


 が、それが呼び水となってしまう。



 「い、嫌だ……オレぁ、まだ死にたくねぇっ!!」


 「ちょっ、待て! オレを置いてくんじゃねぇ!」



 一度決壊した恐怖の圧力は次々と兵達へと伝播し、瞬く間に“逃走”という選択肢を拡散させる。


 123名居た兵達の凡そ半数がその場から背を向け、指揮官の制止さえ振り切って走り出そうとしていた。



 「な、なにをやっておる! 逃げるでない! 戦え! 戦わんかっ!」


 「うるせぇっ! 冗談じゃねぇ……あんなのとやり合ってたら、命が幾つあっても足りゃしねぇんだよ!!」


 「なんじゃt―――ぐはっ!?」



 逃げ出そうとする兵を呼び止めようとしたトキザネだったが、兵はそれを無視し、有ろう事か突き飛ばして走り去る。


 無様に地面を転がり、手を伸ばして尚も呼び止めようと声を張り上げるが、しかし。



 「ま、待て……! 待ってくれぇ! ワシを置いて逃げるでなーいっ!」



 誰一人、その声に振り返る者はいない。


 123名の屈強な兵士達は、今や単なる烏合の衆と化してしまっていた。


 ―――が、その時だった。



 「ぎゃああああああっ!!」



 突如、屋敷の影で悲鳴が上がる。


 暗がりから響く足音は、一人や二人の物ではなく。



 「―――惰弱めが」



 その悲鳴は混乱に溢れ返る庭園内に酷く鮮明に響き渡り。



 「誉れ高きオオツキ家の武人が、聞いて呆れるわ」



 砂利を踏み鳴らし、庭園へと踏み入るその者達を月光が照らし出した。



 「お、おお! おぬしら……来てくれたかっ!!」



 地面を這い蹲っていたトキザネの顔に希望の光が映る。


 一揃えの赤塗りを身に纏う巨体の鎧武者達。


 その手が握る太く大きな十字槍には、先ほど突き殺されたであろう逃走兵の死体が貫かれたまま。


 振り払えば、それだけで死体は10メートル以上もの距離を吹き飛ばされ、壁面に叩き付けられて真っ赤な華を咲かせた。



 「此度の遅参、申し開きの言葉も無く」



 トキザネの前で膝を付き、頭を垂れたのは5人。


 何れ劣らぬ巨漢にして隆々とした体躯を持つ、一見しただけで素人目にも判る程の闘気を滲ませる男達。


 その男達と冷めた表情で逃げ出す兵達を見詰めていた香澄の目が交差した。



 「なんだ、他にもまだ居たのか」



 明らかな強者の風格に、香澄は僅かながら目を細めた。


 強い、と確かに感じる。


 恐らくは“ボスクラス”のステータスを持つ鬼人達であると。



 「ふ、ふはは! 好き放題やってくれたようじゃが、これでもう貴様も終わりじゃ!」


 「ほぅ……?」



 赤鎧のその男達が現れた途端、這いずっていたトキザネは立ち上がり、強気な口調で香澄を指差した。



 「こやつ等こそワシの切り札! オオツキ家お抱えの“赤備え”よ!」


 「赤備え……。フッ、なるほど」



 赤備えと言えば、武勇の誉れ。


 日本の戦国時代では多様な“色備え”と呼ばれる部隊の編制法があり、それぞれ特徴的な色調で統一した武具を身に着けていたという。


 その中でも特に「赤」や「朱」を主体とする塗装には、当時高級な原料として知られていた「辰砂」が用いられており、戦場でも特に目立つ為、“赤備え”といえば武勇に秀でた武将が率いる精鋭部隊の象徴とされた。


 そしてそれは、この倭国に於いても意味を同じくし、彼らの登場にキンシロウは表情を引き攣らせる。



 「赤備え……! もう戻って居たのか……っ」



 戻って居た、というその発言に、香澄は大凡の状況を察した。


 彼ら赤備えのMAP表示は、通常の敵性アイコンとは異なる。


 BOSSキャラクターを意味する大型のアイコンで、その形は牙剥く獣の顔を象った物。


 それを香澄が見落とす筈などは当然無く、つまりは本当に偶然、今この時に何処か遠征から戻った所だという事だろう。


 この予想外の事態に、しかし香澄は余裕すらその笑みに滲ませ。



 「なかなか骨が有りそうじゃないか……。なぁ?」


 「ぶぁかめッ! その余裕も今だけよ。こやつらは近隣の森を脅かす凶悪な魔獣共と戦う為に編成された我が国最強の精鋭部隊。そこらの下級武士どもなんぞ、束になってもこの内の一人にさえ歯がたたぬのじゃ!」



 魔獣討伐を専門とする特殊部隊。


 そう聞いた瞬間、香澄の笑みが深まった。



 「面白い……。どの程度の魔獣を相手にしてきたかは知らんが……体調は万全か? デカイの」


 「答えるまでもない」



 先頭に立つ赤備えが脇に抱えていた兜を被り、その緒を顎で締め、長大な十字槍を脇構えに腰を落とし。



 「我等は赤備え。ただ在るがままに、主の敵を屠る者也」



 溢れ出す気迫でビリビリと子宮が震えるのを感じ、冷めかけていた興奮を香澄は再燃させた。



 「面白くなりそうじゃないか……。だが」



 と、そこで一つ言葉を区切り。


 香澄は今も尚混乱し、逃走を図ろうとする雑兵達へと視線を向けた。



 「ギャーギャーと喧しい連中だ……。言っただろうが、“一人も逃がさん”と」



 面倒そうに首を傾げ、溜め息を一つ吐き。


 左手を天高く掲げる。



 「もう良い、貴様らへの興味は失せた。―――食い荒らせ、“黒蛇拘”」



 次瞬、左腕の黒鉄甲に巻き付いた鎖が黒い炎を伴って無数に枝分かれし、その先端部を蛇頭へと変化させ、逃げ出そうとする兵士達へと襲い掛かった。



 「―――ッ!?」


 「な……、なん、じゃと」



 ―――大虐殺。


 余りにも一瞬の出来事に、赤備え達ですら息を呑み、瞠目する。



 「ぎゃああっ!!」


 「ひっ、ひぃいっ! なんだこれッ!?」


 「た、たすけ―――ッ」



 一方的な殺戮劇が香澄を中心に波紋となって広がって行く。


 頭を食い破られる者。手足を引き千切られる者。


 全身を締め上げられ、縊り殺される者も居れば、心臓を刺し貫かれる者も、磔にされる者も居た。


 その総てが最終的に紅黒の焔に焼き焦がされ、消し炭となって地面に転がり、砕け散る。


 ほんの数秒の間に、100人以上の兵がその犠牲となり、辛うじて生き延びた最後の一人を絡め取った黒蛇がそれを香澄の眼前へと引き摺り上げて釣り降ろし。



 「い、やだ……っ、死にだ、ぐ―――っ!!」


 「命乞いかよ……。戦士としての誇りさえ失ったか、無様な」



 広げた左手を握り込んだと同時、最後の兵も無残に“潰れて弾けた”。



 「な……、ぁあ……っ」



 返り血がトキザネの頬に飛び散り、ピチャリと音を発てる。


 その瞬間、膝から力が抜け、彼は尻餅をつくと同時に失禁していた。



 「こ、れは……、いくら、なんでも……」



 香澄が垣間見せていた自信の片鱗。


 それを目撃してしまったキンシロウは、自分が味方である事すら忘れ、恐怖に慄く。


 己が接していた彼女は、笑顔の可愛らしい、恥ずかしがり屋の、あの香澄ちゃんは、いったい“誰だったのか”と。


 時を同じく、赤備えの男達の胸中で、嘗てない程に耳煩く警鐘が鳴り響いていた。


 “アレ”を見たままの存在と思うな。


 “アレ”は、これまでに戦ったどの魔獣よりも狂暴で、凶悪で、残忍な“怪物”だ、と。



 「大分静かになったな……。これで、貴様らも心置きなく全力を出せるというものだ。なぁ、そうだろう? フフッ、フハハッ! アッハハハハハハッ!!」



 興奮する。身体が疼く。


 子宮の奥に感じる、灼けるようなその喜びに身を打ち震わせ、香澄は月夜に哄笑するのだった。

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