第八十二話
第八十二話「復讐の生贄」
僅か数分前までの喧騒は、もうその場に存在しなかった。
オオツキ家の庭園を支配する者。
今やそれは、トキザネでも、その私兵でもなく。
「そう構えてくれるな。貴様らにも同様、魔術や特殊技能の類は一切使わんと約束してやる」
この小柄な少女、“谷那香澄”へと成り代っていた。
「そ、んな……馬鹿な……」
「100人以上の兵を……、こんな、一瞬で……」
最早、戦いとさえ呼べない一方的な虐殺。
100名以上の兵が、僅か数秒の内に皆殺しにされた。
その現実を前に、トキザネだけでなく、キンシロウやその家臣達でさえ恐怖に声を震わせる。
だが、これは香澄にとっては常識であり、順当過ぎる結果であり、必然である。
何もおかしな事など無い。
そもそも、香澄がこの一年で剣の腕を磨いて来たのは、特殊技能による脳疲労のリスクを軽減する為であった。
黒鎖や黒炎の力は多対一という状況に於いて圧倒的な効力を発揮する反面、脳疲労は激しく、長期戦に向かない。
故、脳疲労の少ない通常攻撃に属する“剣技”を鍛え、極力リスクを抑えるという思考から生まれた戦術構築が目的だったのだから。
無論、そこには強敵と対峙した際に余力を確保するという意味合いも含まれているが。
兎も角、黒鎖―――禁忌武装である“グレイプニール”のような武器を用いれば、たかが100人程度の敵を一瞬で葬る事など造作もなく。
ある程度鬼人の武人が持つ戦闘能力を把握し、自らの剣技が何処まで通用するのかが計れた今、戦う意思さえ失った雑兵共を生かしておく意味はない訳で。
当初の目的を思えば、こうなるのが当然なのである。
「おぞましい力だ……。が、故に判らん。……目的はなんだ? 小娘」
一歩を歩み出した赤備えの棟梁が香澄に問う。
こんな力があるのなら、最初から不意打ちを仕掛け、屋敷中の兵を急襲してトキザネを捕えるだけで良かった筈、と。
彼らは、まだ香澄の真意に気付いていなかった。
それは、トキザネもキンシロウも、その家臣達も同様で。
だからこそ、現状でもう隠す意味も無い香澄は、目の前の巨漢にそれを告げた。
「別に? これは単なる“力の誇示”。それだけよ」
「な……、に……?」
あっけらかんと香澄は答え、赤備え棟梁は唖然と口を開いた。
「私の敵はね、アンタ達じゃないのよ。その上に居る連中。こう言えば、理解出来る?」
「オオツキ様の……っ! よもや、ご家老様か!?」
ニィ……っと口端を吊り上げ、香澄は続ける。
「そこの“ブタ”は、言うなれば見せしめ。生贄とも言えるわね。まぁ、一番可哀相なのは、今皆殺しにされた、その“消し炭ども”でしょうけど」
その生贄の“ついで”で、彼らは殺された。
余りにも非道で、外道で、邪道な理由に、自身も一人、情けなしと殺しはしたが、と棟梁は顔を顰めた。
「我等とて、他人の事を言えた義理ではないが……。娘、貴様は狂っておるよ。ワシには、そうとしか思えん」
「あらヒドイ。でも、私を“狂っている”と、そう言い切れる根拠は何かしら? アナタはいったい、何を基準に“狂っている”と定義しているの?」
「何を……基準に、だと……?」
構えこそ解いた物の、臨戦態勢の心構えをそのままにした棟梁に対し、香澄は昏天黒地を鞘へと戻し、腰に手を当て、姿勢と体幹まで崩して斜に構え。
「少数派か多数派か。統計的に見て、私は希少な思考を持つ人間だから、“狂っている”のかしら? だとしたら、アナタ達は“正常で、健常で、品行方正”と言えるわね。けど、それってアナタ達の“主観”よね? 私は別に、自分が狂っていようがいまいが、どちらでも構わないと思っているんだけれど、そこにどうして、アナタ達は“正常”か“異常”かと差異の明確化を量りたがるのかしら? これって、私から見ると“異常”に思えてしまうんだけれど、それもまた何故なのかしら?」
長々と、一人ブラブラその場を歩き回りながら、何とも気の入らない様子で語り続け。
香澄は言葉の区切りと同時、ピタリと足を止め、棟梁の方へと向き直った。
「何が言いたい?」
「あーまぁ、つまりね……」
瞬間、香澄の眼がギラリと殺意を帯びた。
「どうでも良い、という事さッ!」
「ぬっ!!」
地を蹴る香澄の抜刀は刹那。
即時反応し、槍の柄を盾に受け止めた棟梁との間に衝撃波が生じ、爆音と砂塵を上げた。
これに驚きもせず、取り囲むように迅速な動きを見せたのは残り四人の赤備え。
が、香澄は彼らを意にも介さず。
「私はただ、私の心に実直に従っただけの事! 殺戮を“悪”だの“狂っている”だのと呼ぶなら好きにすれば良い、それもまた“人間の有り様”だろうッ!」
踏み締めた足に力を込め、2メートルを優に超える巨漢を易々と突き飛ばす香澄。
が、無防備なそこへ四人の槍が殺到する。
「貴様は、獣と変わらぬな……。それ故、貴様は異常だと言うのだ!」
四つの穂先を容易く見切り、手甲と剣、蹴りを交えて全て弾き返した香澄に、突進する棟梁の強烈な刺突が襲い掛かる。
しかし、それさえ昏天黒地で受け流した香澄は、その切っ先を踏み台に棟梁の頭上を飛び越え、残る四人の追撃を棟梁の身体を盾に着地。
即座に振り返った棟梁に、白刃を向けて言い放つ。
「だとするなら、私は貴様が言うような“獣”ではないな。そうであるなら、人の言葉に“復讐”などと呼ばれる物が生まれよう筈も無いのだから」
「復讐……だと?」
棟梁を中心に、即座に陣形を整えた赤備え達が並んで同時に槍を構えた。
「そこの男は、あろう事か部下に命じて町に火を放ったのさ。その所為で、多くの民が住む家を失い、傷を負った。そこには、私にとっても大切な者達が住んでいたのだ。これは、その復讐だよ」
香澄が後ろ向きに親指を立て、未だ立ち上がる事も出来ずに怯えているトキザネを指示した。
それを目で追い、棟梁は瞼を閉じ、小さく呼気を吐く。
「そういう事であったか……」
一瞬、本当に一瞬、棟梁の身体から殺気が霧散する。―――が、しかし。
「貴様の怒りは尤もなのだろう。だがッ」
直後に爆発的な殺気が棟梁から溢れ出し、まるで戦車かトレーラーのような巨体で香澄へと迫り、刺突を繰り出した。
「“獣”と罵った非礼は詫びよう。ワシ個人として同情せぬ物でもない。だが、それでもッ!」
一撃目を受け流した香澄に、二撃三撃と次々死の穂先が降り注ぐ。
「ワシは、我等は、主家に使える武士であるッ!!」
一切に迷いの無い刺突は高速。
突きのみに非ず、引きも、狙いも、殺意に至るまで、その総てが迅速にして的確、合理的であり。
それこそが、“武士”と呼ばれる者達の強みであった。
「主命は絶対……か。ホント、兵士として完璧だわ、アンタ達は」
苛立たし気に死の豪雨を潜り抜け、切っ先に切っ先を合わせて軌道をズラし、槍の間合いから剣の間合いへと踏み込もうとする香澄。
「―――反吐が出るッ!!」
地を舐めるような鋭い斬り上げ。
しかし、それが棟梁へと届くより早く、四方から殺気が襲い掛かった。
「「「させぬッ!!」」」
「チッ!」
交差する槍の穂先を眼前に、香澄は素早くバックステップで距離を取る。
が、槍という武器の本質が、此処で花開いた。
「ずぇいやぁあッ!!」
それは、まるで花弁が咲くように、交差した四本の槍が引き下げられたと同時、恐ろしく伸びのある神速の突きが香澄の心臓目掛けて繰り出された。
「つッ!」
十字槍の切っ先に昏天黒地の鎬を合わせ、受け止めるも香澄の身体は宙に浮かされた。
(ヤッバ……っ、コイツら……マジ強いんですけどっ)
思わず胸中で舌を巻き、目を見開いた香澄は咄嗟に空中で剣の刃を返し、その切っ先を腹に滑らせて態勢を上下逆さに入れ替えた。
そして―――。
「―――二之妙剣・上弦……天地ッ」
逆様の態勢から地上に向けて放たれたのは、あろう事か抜刀術。
足場の利かない空中でそれを行うのは、通常不可能と言えるのだが。
「こやつ……大気を!?」
大気を瞬間的に蹴り、風圧を足場代わりに一閃していた。
「ぐぅおッ!!」
迫る剣圧が風を纏い、赤備え達に襲い掛かった。
赤備えの四人が防御姿勢を取ろうとするその一瞬、棟梁だけが異なる判断をする。
風圧は流動性を持つ。
故、防ぐは愚策である、と。
その判断の違いが、棟梁と部下達の命運を分けた。
「―――ッ!!」
「「「ぐぁあっ」」」
咄嗟に穂先を返した棟梁は引き絞った槍を地面へ向け、突き出すと共に姿勢を限界まで低く落とした。
これにより、槍の破壊によって生じた地面の爆風が直下から香澄の放つ剣閃を叩き、辛うじて自らの巨体が抜け切るだけの隙を作り出していた。
が、同時に背後で聞こえた仲間達の悲鳴に思わず振り返り、言葉を失う。
防ぐ事を選択してしまった赤備え達は、その剣閃が纏う暴風に槍の柄をへし折られ、鎧をズタズタに引き裂かれて宙を舞っていたのだ。
「……チッ、やはり態勢が不十分だったか。アレでは威力が半減してしまう……」
再び空中で上下を入れ替えた香澄が着地し、顔を上げたのと吹き飛ばされた赤備え達が地面に叩き付けられたのはほぼ同時だった。
「半減……だと? アレで……不十分だったと、そう言うのか……っ!?」
僅かに背を暴風に削がれ、固定具が壊れた上半身の鎧を地面に転がし、顔を上げた棟梁が冷や汗を頬に伝わせた。
「まぁね。本来私の“上弦の月”は、一振りで大木の幹を数本纏めて粉微塵に出来る程の威力があるもの。でなきゃ、そいつらだって今頃生きちゃいなかったわ」
そう香澄が指摘した通り、棟梁の背後で地面に横たわった赤備えの部下達は、辛うじて呻き声を上げられる程度に生きていた。
事実か否か、それを想像しただけで、棟梁の男は背筋にそら恐ろしい物を感じ、地面から槍を引き抜く。
「なるほど、な……。あの奇妙な術だけでなく、斯様な剣技まで……。まだまだ全力など出し切ってはおらんという事か」
「私が編み出した自身の剣技は全部で七つ。けど、その内一つでも強引に引き出させたんだから、アンタ達は十分に強い。誇っていいわよ」
邪気を感じさせない少女の笑みを浮かべ、嬉しそうにそう告げる香澄に、棟梁の男は苦笑を浮かべた。
年端も行かぬ少女にこれ程上から物を言われているというのに、嫌味と感じない。
それは最早、勝てぬと悟ったに等しくもあり。
しかし、それでも棟梁の男は槍を脇構えに腰を落とし、再び隙無く態勢を整え。
「良い根性してるわ……。まだ勝利を捨ててないのね」
「無論。例え実力の差を知ったからとて、それが勝負を捨てる理由になどならぬ」
柄を握る掌に力を込め、表情を引き締め直し、先ほどと変わらない―――否、それ以上の気迫を込めて、棟梁は香澄を睨み付けた。
「主が命に従い、ただ只管に勝利をッ」
「その意気や良し。って、言いたいトコだけどさ……」
香澄は棟梁の覚悟を前に、しかし呆れた表情で溜め息を零した。
「アンタ程の使い手が、どうして“あんなゴミ”に忠誠を誓う必要があるのか、その辺ホンット理解できんわ……」
と、尻餅をついてガタガタと震えるだけのトキザネを見遣り、そう口にしながらも、香澄とて大凡察してはいた。
家格、家柄、血筋、階級制度。
そういう物が根付いている社会の成り立ち方が、決して無意味ではないという事を。
どれ程歪であろうとも、長い年月をかけて作り上げられた規律やルールという物は、代を重ねて人の意思を縛り上げ、強固な結束力を生む。
社会的な教育は、そうして多くの人々の意思を纏め上げ国を国足らしめる。
それ故に、刷り込まれた上下関係を覆すのは容易ではなく、如何に無能な人間が上に立って居ようと、それに従う事が宿命と感じられてしまう。
そして、そこに“それぞれの誇り”なんて物が絡みだすと手の施しようがなく。
「それは、我等武士の誇り。貴様のような者には、到底理解出来ぬ事だろうがな」
「―――と、こういう回答しか出て来ないのよね、アンタらの思考だとさ……」
主家に仕え、武を磨き、己を殺して身命を賭す。
そんな生き方を誇りとする彼らのような者は、主命に殉じて死ぬ事さえ美徳と感じてしまう。
仕える事その物に喜びを感じる者さえ居るのが人という生き物である。
それを否定する事は香澄にも出来なかった。
だが、しかし。
「今からアンタらを殺す以上、この否定や肯定に意味なんて無いんだろうけど……」
昏天黒地を鞘に戻し、腰を落として肩の力を抜きながら、香澄は静かに瞼を閉じる。そして―――
「そんなのは、他人の意思に縛られた人が、その縛りの中で自分を納得させる為の妥協に過ぎないッ!!」
「な―――っ」
香澄の両足が地面を砕いた刹那、反射的に槍を突き出した赤備え棟梁は目を見開いた。
突進して来た香澄の姿が二重三重とダブって目に映っている事に気付いたからだ。
残像のように浮かぶ一つ目の影に合わせた槍の穂先は、その後に続いて現れた別の香澄の頬を掠め、結果として遅過ぎた悟りを得る。
「誘われた……だ、と」
一切の衝撃さえ感じる事無く、赤備え棟梁の胸に沈み込む昏天黒地の切っ先。
武術の達人同士の戦いに於いて、それはままある光景であった。
これは、武術のみに言えた事ではなく、人間という生き物は習慣の中で身に付いた感覚を頼りに物の動きを瞬間的に予測する事が出来る。
それは、経験から「〇〇ように動けば」「〇〇のようになる」と推測して無駄無く合理的に行動する為の脳機能である。
例えば、大抵の人間は垂直に放り投げたボールをその場で事も無く掴み取る事が出来る筈だが、これは過去の経験から「そうなる」と学習・経験し、予測しているからこそ可能なのだ。
もし、この予測が出来ない場合、垂直に投げたボールが垂直に落ちて来るかどうかが判らない為、動体視力と反射神経にのみ頼った受け取り技術を必要とする事になる。
同様に、剣士の戦いでは振り被られた刀が振り下ろされた時、その軌道を瞬間的に読み取る事で回避や受け、受け流しが可能になる。
ところが、もしその“予測が狂わされた”なら、どうなるだろうか?
結果が、まさにこれである。
「―――三之妙剣・十六夜」
抜刀から刺突という、本来有り得ない軌道。
加えて言えば、視線や踏み込み、体重移動の順番や関節の返し。
あらゆる点で香澄が放った“十六夜”という技は定石を外れていた。
が、無数の死線を潜り抜けて来た武術の達人である赤備え棟梁は、己の経験則から無意識に香澄の行動を読もうとしてしまった。
それ故に、定石から外れた技を見切れず、脳の予測機能が誤作動を引き起こしてしまったのである。
これが、彼の眼には残像の香澄として捉えられてしまったのだ。
「槍の間合いに……刀の、それも……刺突で……ゴフッ」
余りにも鋭い一突き故、一見で出血は殆どなかった。
しかし、赤備え棟梁の体内は、その皮膚一枚を隔てた向こう側でグズグズに磨り潰されていた。
当然、気道や肺、横隔膜や心臓と、重要器官が破壊され、溢れ出した大量の血液が食道を逆流して口から噴き出す。
痛みすら殆ど感じる事無く、赤備え棟梁は膝を折り、槍を取り落としてしまった。
「本当なら、黒炎で内部から焼き尽くしてやる所なんだけど、ね」
スルリと傷口から刃を引き抜き、刀身に纏わり付いた血を払う香澄。
同時に傷口を押さえ、膝を付いたままで棟梁は顔を上げた。
「その幼さで……、恐ろしき業よ……」
「アンタ達に恨みは無いんだけどね……。愉しませて貰った礼よ、何か言い残す事はある?」
そう尋ねた香澄に、棟梁は首を振り。
「ただただ……、無念にござる」
静かに答えた棟梁は、自らが取り落とした槍を再び拾い上げ、それを逆手に自身の腹部に向けた。
「―――御免ッ」
そして、躊躇いなく突き立て、前のめりに倒れ。
「……見事」
それ以上何一つ言葉を交わさず、香澄は上段に構えた昏天黒地で棟梁の頸を一太刀に斬り落とした。
「存外、悪くなかったわよ。アンタ達も」
振り返った香澄の視線の先では、棟梁と同じく、自決した赤備え達が地に倒れ伏していた。
それを見遣り、香澄は僅かに瞑目する。
自刃、切腹、腹切り、自決。
高潔な戦士の死に様に、香澄も感じ入る物はあった。
人を斬るだけの、自分が死ぬ覚悟さえ無い、無様に逃げ惑うだけの雑兵共とは違う、と。
それ故に、彼らの亡骸だけは燃やして炭に変えよう等とは思わなかった。
だが、しかし、それでも素直に敬意を表す事も出来なかった。
「その忠義を捧げた相手が、あんなクズではな……」
命を賭して戦い抜いた漢達に背を向け、香澄が視線を向けたのは、怯えた表情で腰を抜かしたままのトキザネだった。
「そ、そそ、そんな……、有り得ん……っ」
昏天黒地を鞘へと納め、トキザネへと歩み寄る。
最早急ぐ必要はなかった。
123名の雑兵も、5人の赤備えも、もう此処には居ない。
MAP上に敵影は無し。
残っているのは、オオツキ・トキザネただ一人だった。
「何故じゃ!? 何故勝手に死んでおる! 起きろ! 立って戦わんかっ! 貴様らにいったいどれだけ高い金を払ったと思っておるのじゃ!!」
既に息絶えた者達にそう呼びかけるが、返事など返ってくる筈もない。
どころか、その言葉は香澄の神経を逆撫でする一方で。
「くそ! それもこれも、全部あやつの所為じゃ! 拾ってやった恩も忘れてワシを裏切りよって!」
「は……?」
ピクリ、とトキザネの言葉に香澄の頬が引き攣る。
「それ、ひょっとしてハンベイの事、言ってんの……?」
「そう! そやつじゃ! 娘達を誘拐して来たのはそやつらじゃ! ワシは……ワシは、何も悪い事などしておらぬ! そうじゃとも! 町に火を放ったのも、ワシではない、クヌギの奴が勝手に―――」
その瞬間、トキザネが言い切るよりも早く、香澄の中で何かがブチ切れた。
「それ以上口を開くな……。―――殺したくなる」
「ひっ!!」
一瞬で昏天黒地を抜き放ち、トキザネの首筋へピタリと刃を当てていた。
余りの切れ味に、触れただけで皮膚が裂け、血液が滲んでタラリと零れる。
「駄目だ、カスミちゃん!」
激昂して目を見開き、今にもその首を刎ね飛ばし兼ねない殺気を放つ香澄に、背後から声が掛かった。
ピタリと動きを止めた香澄だったが、それでも射殺すような目をトキザネから逸らさない。
そんな二人へと駆け寄ったのは、勿論キンシロウ。
何とか香澄の暴走を止めようと、その肩へ手を伸ばしかけたのだが……。
「なりませんっ!」
「お下がり下さい、殿!」
そのキンシロウを家臣の二人が強引に止め、あろう事か香澄へと剣を向ける。
「この者、とても普通ではございませぬっ」
「あれは最早、伝え聞く魔性の力。そうとしか思えませぬ!」
ただ剣を振るうだけでまやかしにでも踊らされたように大の男が数人纏めて撫で斬りにされ、手を掲げただけで一瞬の内に100人の兵が皆殺し。
更には数多の魔獣を仕留め、国を守って来た赤備えの精鋭達ですら彼女一人にまるで歯が立たず、5対1という状況で圧倒し、自ら命を絶たせた。
余りにも危険過ぎるその力に、君主たるキンシロウを近付けるのは憚られる。
家臣である彼らがそう考えるのも、ある意味必然であり。
「…………」
そんな家臣達の態度に、香澄はようやく殺気を沈め、昏天黒地を鞘へと納めた。
「判ってるわよ、キンさん」
振り返った香澄の表情は、酷く自嘲的で、寂し気な物だった。
しかし、それでも家臣達は警戒を解く事無く、むしろ振り返られた事で一層身を硬くし。
「お前達、よさないか! 剣を下ろせっ」
「し、しかし……」
キンシロウが命じても、家臣達は素直に従う事が出来なかった。
そんな彼らを見て、香澄にも感じる物があったのか。
敢えて自分から数歩後退し、キンシロウから距離を取る。
「いいよ、キンさん。それが正常な反応だもん。怖くて当然。だって、恐がらせる為に、こんな殺し方したんだから……」
そう、これは宣言通り“力の誇示”である。
ヨイチ派の者達に脅威を示し、相対する事を考えさせる為の布石。
故に、敢えて残忍な手口で一人残さず鏖殺したのだから。
前もって実力の程を理解していたならまだしも、突然にあれだけの力を見せ付けられれば、誰でも恐れを抱いて当然だった。
香澄もそれを理解しているからこそ、首を横に振っていた。
「別にさ、信じて貰う必要とかはないんだよ。私は私の為に、キンさんの立場を利用してるんだし、キンさん達もそれでいいだ。大丈夫、それでもちゃんと約束は果たすからさ。ね」
「カスミちゃん……」
香澄自身、確かに信じて貰えない事を寂しいと感じていた。
しかし、同時にそれで良いとも思えるのだ。
余り深く関わるべきじゃない。
踏み込み過ぎれば、何れ以前のように多くの物を背負うハメになってしまうから。
それでは、本当に大切な物を守りたい時に守れなくなってしまう。
人一人が背負える物の限界を香澄は知っていた。
「ま、出来れば今まで通り、気軽に付き合ってくれると嬉しいんだけどさ。無理なら無理で、それも仕方ない」
こうなる事も予測の範疇だったのだろう。
香澄は寂しさを紛らわすように、空元気の笑顔を張り付けて。
「兎も角、これでキンさん達の目的は果たせる。心配しなくてももう剣は抜かないから、コイツをふん縛っちゃってよ」
と、香澄はキンシロウ達に背を向け、そこから立ち去ろうとした―――の、だが。
「―――ッ!」
次瞬、香澄は前言を撤回せざるを得ない感覚に囚われ、昏天黒地の柄に手を伸ばしかけた。
ヒュン、と僅かに風を切る音が鼓膜を打つ。
信じ難い事に、その瞬間まで香澄は“敵対者”の存在に気付けなかった。
視界に一瞬捉えられたのは、細長く黒い投擲武器。
その軌道上に居るのは、香澄でもキンシロウでも、家臣達でもなく。
(オオツキを狙って―――っ)
瞬時にそう判断し、庇うように立ち塞がり、剣を抜こうとした。
が、しかし。
結果から言えば、香澄が剣を抜くまでもなく、その投擲武器は“別の投擲武器”によって弾き落されていた。
「え……」
舞い散る木の葉。
香澄の前に降り立ち、短刀を引き抜いて構える少女が居た。
それは香澄を狙ってではなく、むしろ背を向けていて。
「―――怪我……ない? 姫……」
「なんで……、アンタが、此処に……」
見覚えのある背中と忍び装束。
聞き慣れた静かな片言。
敵対者と同様、香澄に存在を気付かせる事無く、この場に駆け付けたその技量。
驚愕する香澄の前に立っていたのは、他でもなく。
「風見……、シノ……っ!?」
嘗て、アールヴヘイムで共に戦い、香澄に仕えて旅をした親友の姿がそこには在った。




