その300 隠れていない隠しコマンド
記憶を消されたにしては冷静すぎやしませんか!?
私だったらPCのデータが一部消えるだけで発狂する自信があるほどなのに!
「いえ、実はこの事態は最初から想定していたんです」
「想定……ですか?」
「ええ、というのも記憶を消すことのできる幽霊なのは分かっていたわけですから、記憶が消えた場合どうするかという対応も考える時間があったわけです」
「な、なるほど~……いや、だとしても冷静すぎますけどね?」
分かっていたとしても普通はパニックになると思う!
だって今のヘンリーの意識的にはいきなり未来に来ているようなものだよね!?
プチタイムスリップじゃん!
「メモにここしばらくの行動は書いておきましたが、どうやら数時間程度の記憶が消えているようです」
「そして冷静すぎる分析!」
どんな時でも冷静沈着、そして常に頭を働かせ、その時その時の最適な行動を選択する。
それがヘンリーの特徴だけど、しかしここまで冷静だとは……さすが推し。
そしてそんなヘンリーでも慌ててしまうという私の消えた記憶にある秘密とは一体なんなのだろうか……。
「それにしてもこちらをいきなり攻撃とは、予想以上に好戦的な幽霊ですね」
「い、いや、まあ、トイレの邪魔されたらそうなっちゃうのも無理はないかも……」
「このまま正面からバトルしても良いのですが、どうしましょうか」
「なるべく穏便にしてほしい! 穏やかな便と書いて穏便だよ!」
「一理あります。では、便宜を図りますか……」
きっとヘンリーであればある程度は力に打って出ても何とかなるのだろう。
しかし、それではあんまりにもあんまりだ。
不便なことになっているトイレの幽霊さんに私は同情的だった。
とは言うものの、基本的に物事を穏やかな手段で終息させるのは難しいもので、さしものヘンリーも頭を捻る。
「開けた瞬間攻めてくるので対話する余裕がないんですよね」
「うーーーん……でも開けないと出会えませんから……うん? いや、本当に出会えないのでしょうか?」
「おや、なにか思いつきましたか。ラウラ」
「いえ、その、スタートのところって本当に開けるであっているんでしょうか?」
「……なるほど、百理あります」
私が何を言いたいかと言うと、このトイレの幽霊さんと繋がるための『上上下下左右左右スタート』という儀式の『スタート』の部分は本当に開けるという行動で正しいのかということだ。
前世の知識になるけれど、このコマンドは裏技にありがちなやつで、確か世界で一番よく知られている隠しコマンドとしてギネスに乗ったこともあった。
そして最後の部分は結構バリエーション豊かだった気がする。
もしかするとスタートという表記自体が間違っているのかも。
「儀式の手順に間違いがあって怒らせてしまうと言うのは、召喚魔法においてはあるあるな話ですからね。ラウラ、その考えは正しいかもしれません。さすがですね」
お褒めの言葉と共にスムーズな動きで頭を撫でられてしまう。
こんな自然な動きでなでポ(なでなでして頬がポッっとなる)出来るのは間違いなくイケメンの特権だった。
まさかゲームの裏技を知っているだけで褒められることがあるなんて!
そんなの小学生の時だけだと思ってた!
「い、いえいえ、あ、ありがとうごじゃいます……えっと、ええっと! その、とりあえず、スタートせずにドア越しに話しかけてみると言うのはどうでしょう? なんだか、開けられたことに怒っているみたいでしたよ?」
相変わらず顔を赤くしながらも、いい気になって私は話を続ける。
まるで餌を貰った犬のようだった。
まあ、ヘンリーから見てペット枠な私だからね。
「『上上下下左右左右』で既に事足りているという考えですね。面白い。やってみましょう」
こうしてトイレのドアを前に再度儀式は行われ、そして最後に開けずに、ドア越しにヘンリーは話しかける。
「先ほどは失礼しました。ヘンリー・ハークネスと申します。少しで良いので、お時間をいただきたいのですが」
丁寧に丁寧に声をかけて数十秒後、声はドアの向こうから確かに返って来た。
「……いいだろう。ただし、絶対にドアは開けるなよ」




