その299 気後れする記憶で
少々気合の入った声と共に幽霊さんが住み着くというトイレのドアが開かれる。
私は思わず唾を飲み込む。ううっ、ついに幽霊さんとのご対面……。
緊張した面持ちでトイレの中を覗き見るとそこにいたのは……ズボンを脱いで洋式便器に腰かける男子生徒の姿だった!
まさかまさかの使用中!
「す、すいませんでしたー!」
私は顔を真っ赤にしたまま慌ててヘンリーの背後から飛び出しドアをバターンと勢いよく閉める!
う、うわー! 人がいた! 人がいたよ!
あ、危なかった……トイレという個人の聖域に土足で足を踏み入れるところだった……。
いや、冷静に考えるとこういうのって鍵をかけていない側が悪い気もするんだけど、何故だか謝りたくなっちゃうよね。
しかしびっくりしたなぁ……。
「どうして閉めるんですかラウラ」
「えっ、あ、開けっ放しはあまりにもじゃありません!? 確かに開けっ放し派はいますけどもそれは自宅での話ですよ! それとも男子はトイレするときに鍵をかけないことプライドを持っているとか!?」
「いえ、そうではなくてですね……これを見てください」
ヘンリーがトイレのドアに手をかけ再び開くと……そこにはなんと誰もいなかった。
ただ空席の便座があるばかりである。
あれえ!? 先ほどまでズボンをズボンと脱いでいた御仁は何処に!?
「今のが幽霊です」
「えええええ!? トイレ使用中の幽霊なんですか!?」
「話によると使用中に死んでしまったそうです」
「なんとお可哀そうな!」
急に幽霊さんに同情したくなってしまう私だった。
言われてみれば幽霊が取り憑く場所って死んだ場所に限定されがちだから、トイレに出る幽霊さんはそりゃあトイレで死んだ幽霊さんなのか……。
「しかし実在が確認できたのは大きいですよ。もう一度あの儀式をして開けましょう」
「……う、うーん、使用中のお方がいると分かっているのにトイレのドアを開けるというのは、なんだかとっても胸が痛みますね」
「気持ちは分かりますがここは心を鬼にしてください。そもそも特殊な手順が必要とは言え、トイレを占拠している方が悪いところがあります」
そう言われてみれば確かにずっとトイレにいるのも悪いことな気がする。
いや、でも本人が幽霊で出られない事情があるとなると話はまた別だと思うけれど。
ただ、少なくともこの学院の秩序を守るヘンリーには開ける権利があるのかもしれなかった。
「それでは開けますよ」
今度は特に気合など入れず、淡々とした手順で儀式をこなしたヘンリーはこれもまた平静にドアを開けた。
逆に私は少々冷静ではいられない状態で、耐え切れなくなりとっさに横を向く。
いえ、あの、一応女子なので、男子のトイレ姿をマジマジと見るのはどうかと思いまして……。
女子のトイレ姿ならいいのかと言われれば、それも勿論駄目なのですが……。
「なっ……それは!?」
と、視線を反らしていると突然ヘンリーが驚いた声をあげる。
そしてそれと同時に真っ白な光がトイレの中から放出され、ヘンリーはその場に蹲った。
驚いて視線を元に戻した私が見たものは、洋式便器に座ったままで杖を構える男子生徒の姿である。
「一回なら事故だけど、二回目は故意だろ」
この世界の人間はそもそも全員が美男美女の傾向があるので言うまでもないことではあるだけど、トイレの幽霊さんは黒みがかった栗色の髪を短く切りそろえたイケメンだった。
そして至極正論なことを言い放つと……再びドアは閉じられる。
……ま、まさか反撃されてしまうとは。
い、いや、当然考えられる行動ではあったのだけど、トイレと反撃という言葉があまりにもくっつかなすぎた!
そして今心配なのは、蹲ってしまったヘンリー!
「ヘンリー! 大丈夫!?」
「……ラウラ? ここは何処ですか?」
「えっ、こ、ここは旧校舎の男子トイレだけど……」
「なるほど」
そう言うとヘンリーは特にダメージも負っていない様子で立ち上がり、ポケットからメモ帳のようなものを取り出すとパラパラと読み始めた。
なんだか様子が変だ。いや、無傷なのは良いことなのだけど、まるで記憶がないような……。
「……大体理解しました」
「理解したって……えっと、な、何を?」
「今、記憶が一部消されました」
「今、記憶を一部消されてたの!?」




