その朝――二
ドアの向こうには、あの人がいた。
艶のある漆黒の髪に彩られた陶器のように白い肌の、華やかで小さい貌が、涼やかに微笑んでいる。冷徹そうにも見える高貴な眸が、私の眼を捉えている。深い湖のようだと、いつも思う。その淵には長くて繊細そうな睫が、職人の磨いた黒曜石のようなその瞳を護らんと囲んでいる。口角の上がった、熟れた果物のように瑞々しい唇から、涼やかで落ち着いた声が流れた。
「おはよう、実果」
清浄な空間を纏った人の涼やかな声に、私は涙をこらえた。
冷たい空気を吸い込み、私は小さく挨拶を返す。
彼女は満足そうに微笑み、行こうと言った。
いつもよりもゆっくりと歩く。角を曲がり、家が見えなくなる。
「どこが痛い?」
心配そうに彼女が言った。
気づいていたのかと、私は狼狽する。
「大丈夫」
「凄い音がした。大丈夫なはずがないよ」
「聞こえてたの」
「当り前だよ。外まで響いた」
確かに家の壁は薄い。
深い闇のような瞳が私を覗いている。家の前で見せたものとは違い、表情は暗い。
笑わなくは。そう感じた。この人を心配させてはいけない。この、高貴でこの上もなく綺麗な人を、煩わせてはいけない。
だから、私は微笑んだ。上手くは笑えなかっただろうが、それでも笑みを浮かべた。
「本当に、大丈夫だよ」
「うそつき」
「嘘じゃない」
できるだけ頑なに言う。
目の前の友人は悲しそうな顔をして私を見た。そんな顔をしないでほしい。
ごめんねと、彼女は小さく言った。
「馨――そうじゃないの」
そうじゃない。そう言わせたかったんじゃない。
「行こう。遅れる」
馨は、勿体ないほど優美な声で言った。