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第二十五話:夢の中の大鎌(二回目)

お昼の更新です。

二度目の奇妙な夢。

 第632環、黒曜月の週四巡目、風律ふうりつの夜中。ローガン村の冒険者用宿舎は、深い静寂に包まれていた。村の中心広場に近い木造の簡素な建物だが、掃除が行き届いた清潔な相部屋には、微かに木の香りが漂っている。小さな窓からは、黒曜月の淡い月明かりが差し込み、三台並んだベッドを静かに照らし出していた。一番奥のベッドでは、ユイが掛布を蹴飛ばし、両手両足を大の字に広げる豪快な寝相で爆睡している。中央のベッドでは、ラズベルが穏やかな寝息を立てていた。そして窓際の一番手前のベッドで、チヅルの意識は、泥のような眠りの底から、ふっと別の次元へと引きずり込まれていった。


***


(……またここだ)


 チヅルは、上下左右の感覚すら消失する広大な暗闇の中で、瞬時に自分の置かれた状況を理解した。昨日の深夜に見た、あの異常な夢の空間。足元に硬い感触はあるが、光の届かない完全な漆黒が無限に広がっている。普段ならどんな窮地にあっても活路を示す内なる『幸運の羅針盤』は、この空間では完全に機能を停止し、深い沈黙を守っていた。チヅルが身構えるよりも早く、漆黒の奥から「それ」は現れた。全身をすっぽりと黒いフードとローブで覆った、チヅルよりも遥かに背の高い人型の影。その手には、長い柄の先に三日月型の刃を輝かせた、巨大な大鎌が握られている。


(……速い!)


 チヅルは戦慄した。


 一回目の夢では、影はゆっくりとした足取りで近づいてきた。しかし今回は違う。フードの奥に燃える赤い二つの光の双眸が、一切の迷いなく、一直線にチヅルへと向かって距離を詰めてくるのだ。悪意も殺意もない。ただ、そこにあるだけで空間の質を変容させてしまう圧倒的な「上位の存在感」が、分厚い壁となってチヅルにのしかかる。


 逃げなければ。


 そう脳が叫んでいるのに、指先一つ、瞬き一つすら自らの意志で動かすことができない。金縛りに遭ったように、身体が完全に硬直していた。影がチヅルの目の前で立ち止まり、流れるような動作で大鎌を高く振り上げた。


 無音の世界で、巨大な刃が振り下ろされる。


 一回目の時よりも遥かに近い。三日月型の刃の冷たい輪郭が、チヅルの視野を完全に覆い尽くすように迫りくる。


(動けない――)


 回避も防御も許されない絶対的な気配。チヅルは為す術もなく、ただその無慈悲な一撃を受け入れるしかなかった。


(……やられる!)


 刃が、チヅルの胸元に触れるその刹那。


「うわーっ!」


***


 ドンッ!


「あだっ」


 チヅルが自分の叫び声でバッと目を開いた瞬間、身体は虚空へ投げ出され、そのままベッドの縁から木張りの床へと転げ落ちた。うつ伏せで床に打ちつけられた鼻先と膝が、じんわりと痛む。


「……いたた……」


 チヅルが顔をしかめながら身悶えしていると、真ん中のベッドから、毛布が擦れる微かな音がした。


「……んん……チヅルちゃん? 大丈夫……?」


 チヅルの叫び声と落下音で目を覚ましたラズベルが、半身だけを起こしてこちらを覗き込んでいる。普段のしっかり者のお母さんぶりからは想像もつかないほど、とろんとした眠たげな半目で、声も完全に寝ぼけていた。


 チヅルは床にペタンと座り込んだまま、慌てて苦笑いを浮かべた。


「……ベッドから落ちちゃった。ごめんね、起こしちゃって」


「……そう、なら……よかった……」


 チヅルの顔を見て、怪我もなさそうだと判断したラズベルは、それ以上何も問うことなく、ふにゃりと微笑んで再びベッドへと沈み込んでいった。数秒後には、元の穏やかな「すーすー」という寝息が部屋に響き始める。その間、一番奥のベッドのユイは、先ほどの物音にも一切気づくことなく、布団を蹴飛ばした豪快な寝相のまま、規則正しい寝息を立てて爆睡し続けていた。チヅルは、対照的な二人の様子に思わず小さく吹き出しそうになりながら、ふぅ、と長い息を吐き出した。胸の奥で早鐘を打っていた心臓の鼓動が、少しずつ元の落ち着きを取り戻していく。


「さてと、起き上がろ……ん?」


 チヅルが床に手をついて立ち上がろうと左手を動かした時、指先に硬くて冷たい、小さな金属の感触が当たった。親指と人差し指でつまみ、月明かりに透かしてみた。


「あっ、銅貨1枚みっけ」


 前の宿泊客が落としていったものだろうか。チヅルは、ベッド横のサイドテーブル上に置いてあるマジックポーチから財布を取り出し、拾った銅貨を入れた。どんな異常事態に見舞われようとも、転べば必ずアイテムを見つける。現実の世界に戻ってくれば、チヅルの『天稟てんぴんの才』は全くブレることなく、いつも通りに機能してくれていた。そのどうしようもない事実が、先程までの息の詰まるような恐怖をコミカルに中和し、チヅルの強張った肩の力をふっと抜いてくれた。


 チヅルはベッドに座り直し、壁に穿たれた小さな窓へと視線を向けた。黒曜月の夜の空気は、少しだけひんやりとしている。窓から差し込む淡い月明かりが、チヅルのワインレッドの瞳を静かに照らしていた。


(また、あの夢……変な夢だったな)


 チヅルは膝を抱え、先ほどまで見ていた夢の輪郭をぼんやりと思い返そうとした。一回目の夢と同じく、目覚めてしまえば、その記憶は急速に霞がかかったように曖昧になっていく。ただ、胸元に迫った大鎌の冷たい感触と、あの黒いフードの影が放っていた圧倒的な存在感だけが、奇妙なリアリティを持って残っていた。


(……敵意というより――何か圧倒的なものに、値踏みされてるみたいな)


 チヅルは、自分の中に生まれたその感覚を、静かに言語化してみた。相手に殺意はなかった。もし本当に殺す気があったなら、避けようのないあの空間で、とっくに命を刈り取られていただろう。あの赤い双眸は、ただじっと、チヅルの魂そのものを観察し、その器の底を測っているかのようだった。


「……趣味悪いなぁ、もう。そんなにあたしのことが好きなのかな」


 チヅルは、昼間に盆地の縁で呟いたのと同じような天然発言を、誰に聞かせるでもなくポツリとこぼした。


「……んなわけ、あるかーい、むにゃ……」


「えっ?」


 唐突な反論にチヅルが肩をビクッと跳ねさせて振り返ると、一番奥のベッドでユイがむにゃむにゃと口を動かしながら、豪快に寝返りを打っていた。どうやら、何がなんでもユイはチヅルにツッコミを入れたいらしい。


「ふふっ……あはは」


 そんな相棒の姿に、チヅルは思わず吹き出しそうになるのを両手で必死に堪えた。さっきまで、うだうだと考え込みそうになっていた自分が、なんだか急に馬鹿馬鹿しく、可笑しくなってくる。ユイのツッコミのおかげで、チヅルの思考はすぱっと見事に切り替わっていた。考えても答えが出ないことに時間を使うのは、全くの無駄だ。チヅルは、そんな得体の知れない引っかかりをあっさりと脇に押しやった。冒険者としての微かな警戒は心の隅に残しつつも、重苦しい予感は霧散していく。チヅルは窓の外の、静まり返ったローガン村の夜景を見つめ直した。


 明日の朝――地律ちりつの陽1ようひとこくには、この村を出発して、マーレンへの帰路につく。後輩たちが待つ街へ戻り、約束の最高のお肉をたらふく食べるのだ。


「あの子たちの選ぶお店が楽しみだな……」


 チヅルはいつの間にか食べ物のことばかり考えており、遂には腹の虫まで騒ぎだしてしまった。


(これ、もう眠れそうにないな)


 完全に目が冴えてしまったチヅルは、ベッドの上で膝を抱え直した。規則正しい二つの寝息を聴きながら、チヅルはたった一人で、白んでいく東の空をじっと待ち続けていた。彼女が寝不足であることなど、明日の朝、きっと誰も気づきはしないだろう。


本日19時過ぎ、ついにマーレンへの帰路につきます!

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