06.白の反逆
ゴーレムの身体には傷をつけられそうにない。露出している彗星の頭部を狙うしかない。とはいえ殺したくもない。春の選んだ方法は。
「島原さんお願いします!」
石化の力によってレイピアとナイフが石と化した。刺突と斬撃ではなく打撃に切り替わるが、彗星の命を奪う事なく無力化できる可能性はある。玲於へと向かう彗星に突っ込み、二連続の打撃を与えた。
「春、どうして邪魔を!」
「止まれ彗星! 玲於まで殺す必要はないだろ!」
石と化したレイピアは彗星の腕に弾かれ、ナイフもまた岩石の胴体に軽い音を立てただけだった。手首に痺れが走る。まるで山を殴っているようだった。
「必要ない? お前に何が分かるんだ」
彗星の声は震えていた。怒りだけではない。恐怖。痛み。絶望。それらを無理矢理に押し潰した声。
「こいつは僕を置いて行った! フィリップと通じてた! 僕が死にかけてる間、こいつは自分だけ助かろうとしてたんだぞ!」
「それでも殺すな!」
「綺麗事を言うな!」
巨大な拳が振り下ろされる。春は後ろに跳んだが、風圧だけで体勢を崩し地面に転がった。直撃していれば肉体は原形を留めなかっただろう。ゴーレムの身体はその一挙手一投足で他の生物の命を簡単に奪ってしまう。彗星は玲於ではなく春へと狙いを変えた。
「邪魔するなら、お前から潰す」
「春くん!」
島原が羽衣を振るう。風圧に触れた土と草が石化し彗星の足元を固めた。しかしゴーレムの膂力はそれすらも踏み砕く。石片が散り、彗星は再び動き出す。
「足止めにすらならないか……!」
島原が歯を食いしばる。羽衣の力は強力だ。しかし彗星の身体そのものは羽衣と同じ根を持つもの。石化由来の力は通用しない。
ならば春がやるしかない。自分自身がやるしかないそう考えた瞬間、春の胸の奥に夏実の顔が浮かんだ。微笑み。涙。優しい、嘘。
自分だけが逃げた。自分だけが生き残った。何もできなかった。だから今度こそ。
「俺は……!」
春の足元に灰色の粒子が集まり始める。ナイフ。刀剣。レイピア。それだけではない。槍、斧、鎖、弓と矢、盾、巨大なブッチャーナイフ。形を持った武器達が地面から生えるように現れた。更にはサイドカー付きのオートバイや白バイといった武器とは言えないようなものまで飛び出す。
一本、二本、十本、数十本。周囲一帯が、春の意思に応える武器庫と化していく。
「なんだよ、それ……」
玲於が呆然と呟いた。春自身も驚いていた。今まで手元に出すだけだった力が、まるで地面そのものを侵食するように広がっている。けれども不思議と怖くはなかった。これは殺すための力ではない。止めるための力だ。
「彗星。俺はお前を殺さない」
「ふざけるな!」
彗星が突進する。春は両手を前に出した。地面に突き刺さっていた鎖が一斉に跳ね上がり、彗星の右腕に絡みつく。しかし一瞬で引き千切られる。だが、その一瞬で十分だった。
「春!」
聞き慣れた声。振り向くより早く、1本の矢が春の武器庫の中心へと突き刺さった。
木々の間から現れたのは冬弥だった。手には淡く光る弓。隣には千秋もいる。2人とも傷だらけだったが、生きていた。
「2人とも……」
「遅くなってごめん!」
「春くん、無事でよかった……!」
安堵する暇はなかった。冬弥はすぐさま二本目の矢をつがえる。狙う先は彗星。
「当たって!」
矢は真っ直ぐ飛び、彗星の肩に触れた。傷はつかない。だが効果は発動した。次の瞬間、彗星の巨体が消え春の武器庫の中心へと移動する。先程放った矢の着弾点へと。
「なっ……!?」
「今!」
千秋が両手を広げた。柔らかな風が春と島原、玲於の背に触れる。半透明の翼が生え身体が軽くなった。同時に彗星の背中にも巨大な風の翼が現れる。しかしそれは補助ではない。巨大な身体の重心を無理矢理にずらし、動きを乱すためのもの。
「う、動きにくい……!」
彗星がよろめく。その隙に玲於が動いた。両腕に分厚い甲羅を纏い、彗星の膝裏へと体当たりする。春は地面の武器を一斉に動かした。斬るための刃ではない。島原が羽衣を振るい、刃の先端を石化させていく。槍は杭に。剣は棍に。レイピアは細い石棒に。無数の鈍器が彗星の関節へと叩き込まれる。
「やめろ……やめろよ!」
「やめるのはお前だ、彗星! フィリップは死んだ……もう終わったんだ!」
「終わってない! 僕は死んだんだぞ! 殺されたんだぞ! 怖かったんだ! 誰も助けてくれなかった!」
彗星の言葉に、全員の動きが一瞬鈍る。 それは責められて当然の言葉だった。誰も彗星を救えなかった。玲於は見捨てた。春も夏実を救えなかった。そして島原も羽衣を握りしめ何かを思い出し後悔している様子だった。ここにいる全員が、誰かを助け損ねている。だからこそ、春は武器を握り直した。
「だからって、お前が誰かを殺していい理由にはならない!」
春の叫びに応じるように、地面からひときわ大きな鉄の塊——アイアンメイデンが現れた。上部は女性の顔を模しており、胴体にあたる部分は扉として開くようになっている。春一人では到底持ち上げられない大きさ。しかし千秋の風がそれを支え、冬弥の矢が彗星の位置を固定し、島原の羽衣が表面を石化させる。玲於が彗星の拳を受け止めた。
「春! 早くしろ!」
玲於の声に迷いはなかった。恐怖はある。それでも逃げてはいなかった。そして春は歯を食いしばりながら。
「彗星、ごめん」
アイアンメイデンが振り下ろされた。
頭部ではない。首でもない。ゴーレムの胸部、岩石の中心。彗星の身体を動かしている核のような場所へ。強烈な衝撃が走り、ゴーレムの巨体が膝をついた。
「僕は……僕は……」
彗星の瞳から涙がこぼれた。
「死にたく、なかっただけなのに」
その言葉を最後に、彗星は意識を失った。岩石の身体は崩れなかったが、もう動かない。巨大な身体の上で、彗星の頭だけが眠るように俯いていた。誰も勝利の声を上げなかった。春はその場に座り込み、震える手を見つめる。殺さなかった。けれども救えたとも言い切れない。夏実の時と同じように、何かを取りこぼした感覚だけが残っていた。
次の瞬間、島原の持っていた通信機が音を立てた。
「……はい。島原です」
短い沈黙。島原の表情が変わる。
「えっ本当? 島だけではなく、本土も?」
春達は顔を上げ、朗報を予想する。通信を切った島原は深く息を吐いた。
「フィリップくんが死んだ直後から、島と本土に出現していた異形の化け物達が消え始めたらしい。まだ混乱は残っているけど、少なくとも増殖や襲撃は止まった」
「じゃあ……終わったんですか?」
千秋が小さく尋ねる。にわかには信じがたい、と。
「この事件だけならね」
島原の返答は苦い。含みを持たせた言い方で表情は明るくなっていない。そして春は玲於に顔を向けた。約束がまだ残っているからだ。
「玲於。お前言ってたよな。死んだ皆を生き返らせる方法をフィリップから聞いたって」
その場の全員が玲於を見た。沈黙が場を包む。玲於は拳を握りしめ、やがて諦めたように笑った。
「……悪い。嘘だ」
「は?」
「詳しい方法なんて聞いてない。フィリップは世界を戻せば死んだ奴らも戻るって言ってた。でも今すぐどうにかする方法なんて、俺は知らない。あの時は……お前らに助けてほしかっただけだ。自分の身が一番可愛いからな」
春は玲於に掴みかかりそうになった。だが冬弥が腕を掴む。
「春」
「離せよ……!」
「駄目だよ。僕だって怒ってる。でも今ここで玲於を殴っても、誰も戻ってこない」
その言葉は正しかった。正しすぎて春は何も言い返せなかった。玲於は地面に膝をつく。
「悪かった。何度謝っても足りないのは分かってる。でも……俺は死にたくなかった」
彗星と同じ言葉だった。春は目を閉じる。死にたくなかった。それだけなら自分も同じだ。夏実だってきっと同じだったはず。けれども彼女は春を逃がした。優しい、嘘。その重さが今も胸に残っている。
「……フィリップくんの家に行こう」
気まずい空気を打破するため島原が言った。
「彼がどこまで知っていたのか。白の力をどう使ったのか。死んだ人達を戻す手がかりが残っている可能性はある」
「……あるんですか、本当に」
「分からない。でも、探す理由はある」
春は立ち上がった。足は震えていた。それでも歩ける。彗星を置いていくわけにはいかない。島原が通信機で救助を呼び、動かせる準備を進めると言った。意識は戻らない。いつ戻るかも分からない。けれども生きている。それだけは、彼の尊厳だけは失わずに済んだ。
横たわるフィリップの死体を見た。首は不自然に曲がり白い髪は血で汚れている。あれほど全てを知っているように語っていた少年は、今は何も言わない。
だが春には、これで終わったとは思えなかった。フィリップが残したカード。白の力。イシバシという姓。十に分かたれた世界。ゴーレム。羽衣。分からない事は増えた。失ったものも多すぎる。
「行こう」
春は言った。もう逃げるわけにはいかなかった。周辺に出現していた武器達は灰色の粒子となって消えていく。
「今度は、俺が探す。皆を戻す方法を。フィリップが何をしようとしてたのかを。夏実が……皆が死んだ理由を」
冬弥と千秋が頷く。玲於は顔を上げられないまま、それでも小さく頷いた。島原は羽衣を肩にかけ直し、静かに歩き出す。空はまだ曇っていた、けれども雨は止んでいた。
*
フィリップの部屋は、想像していたよりもずっと普通だった。春だけではなく千秋、冬弥、玲於、そして島原の全員で心してやってきたが拍子抜けだった。白いカーテン。整えられたベッド。机の上に置かれた教科書とノート。壁には星座のポスターが貼られている。少しだけ古びた本棚には、天文学、神話、動物学、感染症、そして見たこともない文字で書かれた本が並んでいた。
「……ここで、あいつは全部考えてたのか」
春は部屋の中央に立ち尽くした。フィリップは死んだ。彗星は意識を失い、玲於は嘘を認めた。島と本土に現れていた異形の化け物達は消えた。事件は終わったはずだった。なのに、この部屋には終わりの気配がなかった。むしろここが始まりだったのだと感じた。
「手分けして探そう。白の力について、蘇生について、世界統合について。どれか一つでも手がかりがあればいい」
島原の言葉に春達は頷いた。冬弥は本棚を調べ、千秋は机の引き出しを開ける。玲於は部屋の隅で黙り込んでいたが、やがて床に散らばった紙束を拾い始めた。
春は机の上に置かれた一冊のノートに手を伸ばす。表紙には、綺麗な字でこう書かれていた。
『白の反逆』
その文字を見た瞬間、胸の奥がざわついた。春はゆっくりとページをめくる。そこにはフィリップの筆跡で、びっしりと文章が書き込まれていた。
『十に分かたれた世界は、元は一つだった。
完全な統合こそ理想ではあるが、必ずしも全てを一度に戻す必要はない。
いずれか二つの世界を一つにした場合でも、“蘇生”の条件は満たせる可能性が高い』
「……っ」
春の指が止まった。蘇生。その言葉だけが、刃物のように目に刺さって抜けない。
「島原さん」
春の声に、全員が振り向いた。
「これ……見てください」
島原はノートを受け取り、文章を読んだ。表情が険しくなる。
「二つの世界を一つにするだけで、蘇生の条件が満たせる……?」
「どこか一つ、別の世界と俺達の世界を繋げば……死んだ皆が戻ってくるかもしれないってことですよね」
「可能性の話だよ」
島原は即座に釘を刺した。
「それに、危険すぎる。世界を一つにするなんて、土地や人間や生態系を無理やり重ねるようなものだ。フィリップくんがやろうとしていた事と本質的には変わらない」
「でも……でも、戻せるかもしれないんですよね」
部屋が静まり返る。千秋が唇を噛んだ。
「春くん……」
「分かってる。危ないってことくらい分かってる。フィリップが間違ってたことも分かってる。あいつのせいで皆死んだ。夏実も、他の皆も……」
言葉にした途端、喉が詰まった。夏実の笑顔が浮かぶ。最後に向けられた、優しい嘘の顔。大丈夫なんかじゃなかった。勝てるわけでもなかった。それでも彼女は春を逃がした。
「でも俺は、何も知らないまま諦めたくない。世界を壊したいわけじゃない。誰かを犠牲にしてでも戻したいわけじゃない。でも……方法があるかもしれないなら、探したい」
すると冬弥は春の隣に立った。夏実を目の前で失った春の気持ちは理解できないが、寄り添える事はできると思い至る。
「僕も行くよ……春一人で行かせたら、また無茶するでしょ。それに、僕だって皆を戻したい」
千秋も頷く。
「私も。怖いけど……何もできないまま待つ方が、もっと怖い」
島原はしばらく黙っていた。大人として止めるべきだと考えていた。実際、島原の表情は苦い。子供達をこれ以上危険に晒したくないという意思がはっきりと見えている。けれども島原はノートを閉じて春に返した。
「僕は賛成できない」
その言葉に春は目を伏せる。当然の返答だ。
「でも、止めるだけで済む話でもないんだろうね。フィリップくんが遺したものは、君達だけの問題じゃない。僕も調べる。別世界へ行く方法も、蘇生の条件も、その危険性も」
「島原さん……」
「ただし約束して。誰かを犠牲にする方法なら選ばない。世界を無理やり壊す方法なら止める。君自身がフィリップくんと同じ道に進みそうになったら、僕は君の敵になる」
「はい……それでいいです。俺はフィリップのようにはならないつもりです。でも、もしも同じようになってしまったら……お願いします」
フィリップの部屋の窓から、曇り空が見えた。雨は止んでいる。けれども晴れてはいない。まるで、この世界そのものが答えを保留しているかのようだった。
春はノートを強く握る。
船の中で死んだクラスメイト達。自分を逃がした夏実。意識の戻らない彗星。嘘をついた玲於。隣に立つ冬弥と千秋。背中を押すのではなく、間違えば止めると言った島原。全部を背負えるとは思わない。それでも、もう逃げるだけの自分ではいたくなかった。
「別の世界に行く……そこで探す。皆を戻す方法を。フィリップが見ていたものを。『白』が何なのかを」
机の上には、六枚のカードの写しが残されていた。
宇宙空間。オリオン星座。灰色のバイク。アイアンメイデン。尾を噛む竜。ゴーレム。春はそれを見つめた。自分達の世界だけでは、きっと答えに届かない。ならば行くしかない。
危険だと分かっていても。
間違いに近づくのだとしても。
死んだ者達の声が、まだ胸の奥で消えていないのなら。
白に抗うために。白へ反逆のために。彼らは別世界を目指す。




