表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/75

第74話 まだ届かない

森を吹き抜ける風が、妙に冷たかった。気温の問題ではない。

空気そのものに、祈念とは異なる“揺らぎ”が混ざっていた。


ユイは立ち止まり、胸元の白札に手を添える。

札は、わずかに震えていた。


「……近いな。祈りの気配が、濃くなってる」


ユイの呟きに、リルが静かに頷いた。


「今度のは……ちょっと違う感じがするよ」

「静かなんだけど、すごく深い。……怖いっていうより、切ないって感じ」


ミレもそっと口を開く。


「あの子と似てる……村にいた、名前のない子に。でももっと、冷たくて、遠い」


セラが水晶端末を起動し、周囲の祈念波を調べる。

すぐに、眉をひそめた。


「……異常値。通常の祈念構造と一致しない。完全に“構造外”。でも、ユイの祈念波と、わずかに一致してる」


ユイは空を見上げた。


「たぶん……僕を模して作られた何か、だね」

「祈念術じゃなく、“祈る”という現象そのものを模倣した祈念体」



その直後だった。


霧の奥――森の中で、“何か”が動いた。


風でも、獣でもない。

空間そのものが、軋むような存在感。


ユイは一歩、前へ出る。


「……来るよ」


霧が割れ、影が現れた。


それは――人の形をしていた。


年齢も性別も不明。

だが、その姿は、ユイに酷似していた。


似ている。けれど、何かが決定的に違う。

感情も、記憶も、魂すらも――削ぎ落とされた“写し身”。

ただそこに“いる”だけで、空気が張り詰めていく。



セラが低く呟く。

「……ノームコード。クレイズが作った、ユイのコピー」


リルが目を見開く。


「ユイくんに……そっくり。でも、すごく空っぽな感じがする」

「なのに、なんか、泣きたくなる」


ミレが小さく首を振る。


「それでも、あの子も……祈ってる。誰にも届かないって分かってるのに」



ユイは静かに歩き出した。

距離を詰めながら、穏やかな声で語りかける。


「君にはまだ、名前がない。でも、君は……ここにいる」

「昨日、山の向こうで、君の祈りが届いた。白札が震えたんだ」


ノームコードの瞳が、わずかに揺れた。

そこに、一瞬だけ“感情のような何か”が宿る。


「君は、僕を封じるための“器”として生まれた」

「だけど、祈ったよね? 道具じゃない。想いがあった」


ノームコードは何も言わなかった。

代わりに、手を上げる。


その手のひらに浮かぶのは――黒い札。


白札とは違う。

何も記録せず、ただ“拒絶”だけを刻む札。


その波動は、空間そのものを軋ませた。


セラが息をのむ。


「……祈念遮断札。構造を断つための祈り……!」



ユイは止まらない。

そのまま、ノームコードの目をまっすぐ見据えて語りかけた。


「それも、祈りだよ」

「誰にも届かないと思ってるだけで、君は――ほんとは、誰かに気づいてほしいんじゃない?」


その言葉に、ノームコードの胸元がわずかに光った。


祈念核。

それは構造化されていない“空白の核”。


名も、記録も拒む核が、確かに揺れていた。


ユイは、白札を差し出す。


「これは、名前を記録しない札」

「君の想いを、きっと受け止められる」

「形にならなくても、言葉にならなくても……ここにいるってことは、残せる」


ノームコードが、一歩、前へ出る。

距離は、あと数歩。


緊張が満ちる中、ノームコードの祈念核が突如反応した。


静かな光。

波動の衝撃。


木々が揺れ、白札が宙を舞う。

ふわりと浮いたそれは、ノームコードの手に収まった。


その瞬間、祈念の性質が、“遮断”から“共鳴”へと変わる。



ユイの瞳が、静かに細まった。


「……届いた、んだね」


ノームコードは、何も言わなかった。

けれど、瞳の奥に宿った光は――確かに、“誰か”を見ていた。


そして、何も言わずに背を向け、森の奥へと静かに歩き出す。


それは退却ではなかった。

逃走でも、敵意でもない。


“理解するための距離”――それだけが、そこにあった。


ユイは白札を見つめ、そっと呟いた。


「ありがとう。君がここにいてくれて、嬉しいよ」


◇ ◇ ◇


ノームコードが去っていった森の奥を、ユイたちはじっと見つめていた。

言葉はなかったが、その沈黙は不安ではなく、確信に近い空気をまとっていた。


「……届いた、んだね。ユイくんの想いが」


リルがぽつりと呟き、ミレが小さく頷いた。


「最初は、何も感じないように見えたのに。最後のあの目……“ありがとう”って言ってた」

「言葉がなくても、想いって伝わるんだなって思った」


セラが手元の水晶端末を閉じる。


「ノームコードは完全に構造外の存在。けれど祈念核は、確かに揺らいでいた。観測できない想い、記録できない感情……それでも、共鳴は起きた。あなたの白札と」


ユイは静かに微笑んだ。


「構造や分類じゃ、想いは測れない。たぶん、“祈り”って、それよりもっと曖昧で、でも強いものなんだと思う」

「だから、あの子の中にも、“祈りたい”って気持ちが芽生えてたんだよ」


セラはほんの一瞬目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


「記録官失格ね、私。祈りを“測るもの”だと思ってた。でも今の私は、“信じたい側”にいる」

「ありがとう。セラが“そばにいる”って言ってくれるだけで、僕はすごく救われるよ。……たぶん、ノームコードも」

「その名を、君が選んだのなら……その存在も、変わっていくはず」



セラの言葉に、ミレが少しだけ不安げな表情を見せる。


「でも、ソル・マギアの人たちは……黙ってないと思う」


ユイが頷く。


「うん。ゼドリアたちは、彼を“器”として使おうとしてた。でも、今のノームコードは違う。“誰かになろうとしている存在”だ。だから、もう放っておかれない」



そのとき、空気がざわめいた。


空から光が差し込み、転移魔法陣――アストラル・コードが展開される。

一陣の風とともに、黒衣をまとった複数の魔導師が降下してきた。


ソル・マギアの封鎖部隊――その先頭に立つのは、銀の輪を帯びた女性だった。

セラがその姿に気づき、眉をひそめる。


「……カルマ・リゼル。あなたが、観測代行?」


カルマは一歩進み、淡々と告げた。


「セラ・エリシア。あなたは観測官資格を停止中。この事態に対する観測および判断の権限は、私にある」

「構造外祈念体“ユイ”は、制御対象に指定された。よって、これより制御行動を開始する」


セラがユイの前に立ち、白札を構える。


「なら、私は記録官として立ち会う。ユイは“敵”じゃない。“祈りの共鳴者”よ」



カルマが目を細めた。


「感情に左右された判断は、観測とは言えない。それでも?」


セラは答えない。ただ、白札を掲げたままユイの前に立ち続ける。

その意志は、誰の目にも明らかだった。


カルマが手を上げる。

封鎖部隊が一斉に祈念装置を構える。空間が歪み、風が止まり、圧力のような気配が一帯に満ちる。


「……制御、開始」


その瞬間、森の奥から声が響いた。


「やめて!」


ノームコードが姿を現す。

その祈念波は確かに揺れていたが、敵意ではなかった。ただ、それは“拒絶”だった。


ユイが前へ出る。


「……君も、届いたんだね」


ノームコードは何も言わない。だが、その手には白札があった。

それを静かに掲げていた。まるで、自分の名前のように。


セラの目が大きく見開かれる。



ミレが静かに呟いた。


「ユイくんだけじゃない。ノームコードも、“選ぼう”としてる。何者かになるために。誰かに届くために」


カルマがその姿を見つめたまま、しばらく動かなかった。

そして、手を下ろす。


「制御作戦――一時停止」


封鎖部隊がざわめく。

カルマの声は静かだった。

「これは命令ではない。観測官としての判断だ。……あの存在は、制御対象ではない」


ユイとノームコードが、ただ静かに見つめ合っていた。

言葉は交わさずとも、そこに確かにあったのは、“祈りの共鳴”だった。


◇ ◇ ◇


ノームコードは白札を手にしたまま、誰にも近づこうとはしなかった。

ただ静かに、ユイの方を見つめていた。だがそこにあったのは、敵意でも拒絶でもなく――ただ、“認識”だった。



セラが低く呟く。

「……白札を掲げた、あの動き。彼はあれを“名前”だと理解してる。与えられたものじゃなく、自ら名乗る形で」


ユイはうなずいた。

「誰かに決められる器じゃない。“名もなき誰か”として、自分で在ろうとしてる」


カルマはその様子を黙って見つめていた。

その瞳に宿るわずかな揺らぎを、セラは見逃さなかった。


カルマが振り返る。


「部隊は撤収準備。転移魔法陣を再展開。ユイ、およびノームコードに対する実力行使は、現時点では不要とする」

「これは命令ではなく、私個人の観測判断による報告とする。正式な決定ではない。だが、この場で判断すべき“真実”は、今ここにある」


封鎖部隊の魔導師たちがゆっくりと動き出す。誰ひとり口にしなかったが、命令に逆らう者はいなかった。

ユイの前に立っていたセラが、そっと肩の力を抜く。



カルマは最後にユイの方へ向き直る。


「ユイ。私が見たのは“制御対象”ではない。“変質する存在”だ。それが祈りの本質だと、私は観測する」


そう言って、彼女は白札に触れた。

そして静かに呟いた。


「……構造を超えた共鳴。その観測記録が、どう評価されるかは、ソル・マギアの内部でも割れる」

「だが私は――あなたがここに在るという事実を、無視しない」


ユイは軽く頭を下げた。

「ありがとう。……たとえ一瞬でも、見てくれて嬉しいよ」


カルマは何も言わず、転移魔法陣へと歩いていく。

光に包まれながら、彼女の姿は空へと消えていった。


そのあとに残されたのは、ユイたちと――ノームコードだった。


彼はその場から動こうとはせず、依然として静かに白札を握りしめていた。



ミレがそっと言う。

「……ノームコードは、何も話せないけど、ちゃんと感じてる。ユイくんのことも、この世界のことも」

「きっと、あの子も……“誰かになりたい”んだと思う」


リルがゆっくりとユイに顔を向ける。

「ユイくん……これから、どうするの?」


ユイは少しだけ空を見上げ、そして静かに答えた。

「……連れていくよ。ノームコードを。僕らと一緒に。名前があってもなくても、居場所があるってことを、伝えたいから」


「彼がもし、誰かを傷つける存在になってしまうなら――そのときは僕が、止める」

「でも、そうじゃないって、僕は信じたい。だから、一緒に行く」


セラが微笑んだ。



「それが、君の選択なんだね」


ユイは静かに頷いた。

ノームコードの手の中で、白札が微かに光る。

それは、名も記録も持たない、ただ“祈り”だけを宿す札。


その小さな光は、風に吹かれて揺れながら――それでも、確かにそこに在った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ