#4
交替で不寝番を立てたものの、夜の間には特に何事もなかった。グリーンドラゴンの狩りは主に日があるときに行われますからね、と案内人の少年が解説する。それ以外の獣は、そもそもこの山にはさほど多くないらしい。大きな動物はグリーンドラゴンに食べられてしまいがちで、生態系が崩れてしまっているのがブラックドラゴンの近ごろの悩みなのだそうだ。
少年に従ってしばらく進む。高低差の激しい山道は、常人ならば動きやすい装備でも苦労するところだ。それでも軽装のミルと違い、全身鎧を着込んだツェレミアが息さえ切らさないのは、元の体力はもちろん、装備も特殊なものであるがゆえだろう。ほとんど魔力を持たない人間でも、魔力を帯びたアイテムを使うことはできる。
「あとどれくらいっすか……」
「あはは、今からそれじゃ、ドラゴンが出たらどうするんですか」
「隠れるっす……」
次期魔王が情けないことを言っているが、表立って弱音を吐いているのは彼くらいのものだ。ツェレミアの伴侶の座を狙う者がそんなことを言うはずがない。そもそもこんなにあっさりと諦めるほど軽い気持ちでドラゴン退治に参加できるということ自体、並の人間から見れば信じられないことかもしれない。死ぬかもしれないと覚悟を決めているのならば、討伐の意思もないのについてくる意味がない。グリーンドラゴン程度なら撃退できるし、ブラックドラゴンからも逃げようと思えば逃げ切れる――という自信がなければ、この発言には至らない。
「ドラゴンさんにご迷惑はおかけしないっす。オレはただ、生きてこの山を降りたいっす」
「……一応確認しておきたいんですけど」
案内人の少年が声をひそめる。
「あなたは、ブラックドラゴンの正体に気付いてるんですね?」
「こんだけ魔力タレ流しにしてちゃ、バレバレじゃないっすか。もうちょっとハイレベルな隠蔽魔法でも使ってないと……でもご心配なく、オレからは余計なことは言わないっすよ」
「それが賢明です」
にこやかな顔を向けられ、次期魔王は引きつった笑みを浮かべた。
◇
「さて、あのあたりがブラックドラゴンの住処です」
そう言って少年が立ち止まったのは、森の切れ目。その先には、空から隕石でも降ってきたかのような、巨大なクレーターが広がっている。普通に歩いて端から端まで五百歩はかかるだろうか、いやもっと……と目で計算しながら、ミルは少年の案内に耳だけを傾ける。
「お姫様。見てのとおり、ここから先に遮蔽物はありません。ブラックドラゴンからも充分に視認できるでしょう。お姫様はどうなさいますか?」
「決まっています」
ツェレミアが剣を抜く。
「正面から名乗りを上げて、戦いますわ!」
「へえ、もっと賢い戦略でもあるかと思ったんですが、力押しですか。それで勝ち目があるとでも?」
少年の失礼な言動にも、ツェレミアは眉ひとつ動かさない。
「わたくしが見たいのは勝利よりも、それを目指す仲間たちそれぞれの力。ならばここで正々堂々と戦うのが、一番わたくしの目的にかなう行動でしょう」
「そのために仲間の生存率を下げるのはどうかと思いますけどねえ」
「そうでしょうか? そもそもブラックドラゴンには、人を殺す理由がありませんわ」
え、と少年が意外そうな声を上げる。
「昨日お話ししましたよね? ブラックドラゴンは、襲ってきた人間を返り討ちにするのが趣味だと」
「返り討ち、ですわ。殺害ではありません。もちろん、グリーンドラゴンに食べられてしまった方は不幸ではありますが、それはブラックドラゴンが故意に行ったことではなさそうに思えましたもの。優れた武芸者には宝飾品を持たせて帰す、という話も興味深いものでした」
「じゃあ、なんで討伐なんかしに来たんですか? 人に害を為すからでしょう? 襲撃者がいなくなれば、グリーンドラゴンは近くの農場を襲うことだってあります」
「それが問題であるというのなら、かつて勇者殿がしたように、グリーンドラゴンだけを討伐し尽くせばよいだけのこと。わたくしが彼の者自身の討伐を目指すのは、あくまで人心の安堵と、わたくしや伴侶となる者の力を示すためですわ。それに彼の者は、アンドラシア王国の領内に居ながら、国民としては数えられていない存在です。わたくしには、王国法に基づき、それを討伐する権利がありますわ」
次期魔王が腹を押さえている。胃が痛くなったのだろうか。そんな彼に勇者セイレンが蔑むような視線を向けるが、次期魔王はそもそもセイレンのことなど視界にも入れていない。
はぁ、とため息をついて、ミルがおずおずと片手を挙げた。
「僭越ですが王女様。そういう目的であれば、何もドラゴンと命を賭けて戦わずとも、模擬試合で構わないのではないですか? たとえば先に一度、相手に傷を負わせたほうの勝ちとする、だとか」
「ご提案に感謝いたしますわ。けれど、ブラックドラゴンはそんな要求を呑んでくださるでしょうか? わたくしの個人的な欲求のために、そんな形を取って頂きたいとブラックドラゴンにお伝えするのは、強大で知性あるドラゴンに対して、あまりにも無礼な気がして……」
そうだそうだ、と王女様に同意する様子の同行者たちを見て、次期魔王が肩をすくめる。
「あの、気付いてるなら指摘したほうが、王女様の覚えはめでたいと思うんすけど、どうっすかね?」
「何を言っている?」
セイレンがそう返すと、「そっちこそ何を言ってるんすか」と次期魔王は息を吐く。
「もうバラしてもいいですよ。潮時でしょう」
ぽん、と次期魔王の肩を叩く、案内人の少年。
青ざめた顔で「ひっ」と声を上げ、次期魔王は少年を手で示す。
「――ここに! いらっしゃるでしょ! ブラックドラゴンさんが!」
……しばらくの沈黙。
「えっ」
「『えっ』じゃないっすよ! まさか本当に全然気付いてなかったんじゃないでしょうね! オレずっとハラハラしてたんすからね!」
「ま、まさか、そんなことはありませんよ! ただ、何か考えがあってのことだとお思いだったんですよね、皆さん?」
ミルのフォローがどのくらいフォローになったかは分からない。少なくともツェレミアは一度驚いた顔をして、それから表情を引き締めた。
「ミル、あなたは最初からこのことを知っていまして?」
「この街を拠点にしている元冒険者として、当然のことでございます。それに、私は一度も嘘は申しておりません、王女様」
ブラックドラゴン本人なのだから、もちろん誰よりもこの山に精通している。一緒に連れていけば、まず道中で被害が出ることはない。
「……なるほど。最初から、模擬試合に持ち込むつもりだったと?」
「私たちの仕事はドラゴン退治ではなく、王女様がお相手を見つけるお手伝いをすることですから。ですが最初から模擬試合でということになれば、王女様がお探しのタイプではない方が多く参加されるのは目に見えておりましたので」
「模擬試合って言ったって、甘い気持ちで来られたら、ボクも手加減できなくてホントに殺しちゃいますよ?」
くすり、と少年――ブラックドラゴンが笑う。
「道中の様子次第じゃ、どこかで襲わせて様子を見ようかと思ったんですけどね。思った以上にマトモな連中しかいなくて、これじゃうちのペットが可哀想だと思ったんですよ」
「弱そうな方は、事前にメンバーから外しておきましたからね」
「オレも外しといてくれて構わなかったんすけど!?」
「ディスターグ様は、ドラゴンに襲われたくらいじゃ死なないでしょう?」
「そりゃ死なないとは思うっすけど!」
はーあ、とため息をつく次期魔王。
「まあまあ、あなたのことは初めからどうでも良かったので、そんなに怯えなくても」
「そっすか……。見込みがあるのはどの辺っすか? 正直、オレ以下のザコばっかだと思うんすけど……」
「魔力量であなたに勝るのは、そこのミルくらいのものでしょうね。でも、ボクが探していたのは、魔力が多い者じゃない」
ドラゴンはツェレミアの前に進み出て、アンドラシア王国流の貴族式の礼を取ってみせた。それから、そっと彼女に向かって手を伸ばす。
「ボクはボクの伴侶にふさわしい、心の強い女性を探していました。事情はミルから聞いています。お姫様、どうかボクを、あなたの伴侶候補に加えていただけませんか?」
ツェレミアは虚を突かれたような顔をして、それからおずおずと、ブラックドラゴンの手を取った。
「……一度、お手合わせを願いたく思いますわ」




