#1
「普通の男の人と結婚したいの! 普通の性格で、普通の顔で、普通の仕事をしていて、普通の家庭で……それだけでいいのよ! 別に、年収が一千万ゴルド欲しいだとか、貴族の玉の輿に乗りたいとか、そんなこと言ってるわけじゃないの!」
どん、と女性がテーブルに拳を打ち付ける。ハーブティーが入ったティーカップが跳ね、カチャンと不安定な音を立てた。
「お客様、お気持ちはわかります。ですが落ち着いてください、『普通』の男性というのは案外貴重なものです。まずは譲れない条件をひとつだけ決めて、そこから始めて行きませんか?」
たとえばあちらのお客様、とミル・ヴァスキは手を伸ばし、遠くのソファーに座るひとりの女性を指し示した。動きやすそうなドレスの上に高級感のある部分鎧を纏った、いかにも高貴な女騎士といった風体の女性だ。
広い相談所の中には他にも数組の応接セットが置かれている。それぞれは低いついたてで仕切られているだけだが、他のブースの声は聞こえない。わざわざ壁ではなく、防音のマジックアイテムを張り巡らせて音を遮断するのは、最近の都会の高級店によく見られる演出だ。この街が都会かと言われるとかなり怪しいところではあるが、この地域では一番の都市であることに間違いはない。
「あちらのお客様が出された条件は、ただひとつ」
「え? あんなに綺麗で若くてお金を持っていそうな人でも、ひとつだけ?」
ええ、とミルは微笑み、顔にかかるボブカットの赤い髪を耳にかけた。他の客の情報を勝手に知らせるのはマナー違反ではあるのだろうが、あの鎧の女性はその条件を行く先々で突きつけて回っているようだから、秘密にしたいわけでもないだろう。
「その条件って?」
「――『私よりも強い男性であること』」
ミルの正面に座る女性は、「ああ」と納得した顔で口元に手を当てた。
「もちろん、一口に『強い』とおっしゃいましても、その定義は色々です。私どもはお客様とじっくりお話をさせていただき、条件をはっきりさせて、本当に譲れないものは何かを一緒に考えて参ります。たとえばあちらのお客様にとって、ご自分を守ってくださる防御力を求めるのか、酒の強さを求めるのか、ご自分以上の攻撃力を求めるのか。そして、それは何のためなのか。お客様、先ほどおっしゃられた『普通の仕事』とは、具体的にはどんなものでしょう? なぜそれが必要だとお考えですか?」
「え……そ、そうね。冒険者のような危険な仕事をする人じゃ将来が見えないし、旅芸人のような仕事じゃ収入も安定しないし一箇所に落ち着けないわ。やっぱり、公務員だとか、職人だとか、安定感があって転勤もなさそうな仕事がいいかな。でも、農家はちょっと……この辺りの農家なんて、危険性は冒険者と変わらないわ。やっぱり、壁の内側に住む人じゃないと」
「なるほど! お客様にとってのキーワードは、収入と雇用と住居の安定、そして安全性……たいへん堅実でいらっしゃるのですね! この調子で、さらに考えていきましょう!」
頭の中に登録済みの男性のリストを広げ、彼女の見合い相手として誰を紹介すべきかと考えながら、ミルは彼女の希望を引き出していく。
◇
「お疲れさま、ミル」
バックヤードに戻ったミルを出迎えたのは、親指でこめかみを揉んでいるダリア・エルヴィラの姿だった。いつも厳格な様子を崩さない彼女がこんな調子ということは、相手はよほど手強かったのだろう。
「お疲れさまです、所長。王女様のご希望はいかがでしたか?」
「……聞きたい?」
ダリアが眼鏡を押し上げ、目を細める。
――あ、これ、聞かないほうがよかったやつだ。
そんなことを思うミルの眼前に、紙挟みが突き出される。
「あなたも読んでおきなさい。王女様は、北の山のブラックドラゴンを倒せる男をご所望よ」
「は、はあ!? ブラックドラゴンですか!? レッドドラゴンじゃなくて? あの賢くて大きくてとっても強い? いやいやいや、それはちょっともう……人間じゃないですよね」
「ええ。登録男性の中では、あの次期魔王殿下ならブラックドラゴンを倒せるかもしれないけど……仮にも我が国の王女様に、魔王の一族を紹介するのは不味いでしょう」
「あー……あちらも大変ですね。普通、あれだけ家柄がいい王子様なら、親の決めた結婚をしそうなものですけど。……そうか、王女様も同じですね」
「ええ。彼も王女様と同じで、親が定めた婚約者が気に入らなかったそうだから、気は合いそうではあるけど」
「ウチは結婚できる相手を紹介するための相談所で、お友達を紹介するための場所ではないですからね……」
そんな会話をしながら、ミルは王女に関する記録に目を通す。アンドラシア王国第七王女、ツェレミア・エルツェヴィーダ・アンドラシア。今年で十九歳。王族の女性としては、この年で独身というのは珍しい。もちろん彼女にも幼い頃から――下手をすれば生まれる前から――の婚約者候補がいたのだろうが、この第七王女はそれらの縁談を全て蹴飛ばし、自力で「理想の王子様」を探す旅にやって来たのだという。もともと、王女ながら社交や政治よりも武芸に傾倒し、変わり者だと言われていたツェレミアだ。「それくらいのことはやるだろう」と、みな諦めた顔で彼女を送り出したのだとか。
「となれば、やむを得ないわ。ブラックドラゴンの討伐隊を編成するという名目で、王女様のお眼鏡にかなう相手を探すことにしましょう。幸い、広告や賞金として用意できるお金は充分に頂けるそうよ」
「そんなことのために討伐されるブラックドラゴンって……悪いこともしてないのに」
「そんなことのために何人も食われるであろう人間たちも可哀想だわ」
「そう思うのでしたら、そんな非人道的なやり方はやめたほうが……」
ミル、とダリアは諭すように彼女の頭に手を置いた。
「わたしたちは王女様にふさわしいお相手を見つける。けれどそのために、王女様がいらない恨みを買ってしまうようなことになってもいけない。つまり、できるだけ『誰も死なない』ようにことを運ぶ必要があるわ」
「ドラゴン退治に行くのに、誰も死なないように……?」
「ええ」
よしよし、とダリアがミルの頭を撫でる。
どうしようもなく、嫌な予感がした。
「すべてはあなたの手腕にかかっているわ――元A級凄腕冒険者、ミル・ヴァスキ」
「やっぱりそういう流れですか! 私、人を守るのは得意じゃないですよ!?」
「この仕事を始めたときも、あなたは『こういうことは得意じゃない』と言っていたわよね。それが今では、我がエルヴィラ結婚相談所の立派な相談員に成長してくれたわ」
「いやいや! だって、それって、一歩間違ったら誰か死ぬじゃないですか! 責任重大すぎて、いつもの仕事とは比べものになりませんよぉ!」
「あら、わたしたちの仕事だって責任重大よ。結婚相手を紹介するということは、お客様が結婚してから死ぬまでの人生を決定づけてしまうということなのだから」
「でも、実際に結婚するかどうかを決めて、パートナーと生きていくのは本人ですよ?」
「そうね。ブラックドラゴンと冒険者の戦いから生きて帰れるかどうかだって、本人の頑張り次第だわ。わたしたちは、彼らの手助けをするだけ。戦いと婚活は同じよ。あなたにならできるわ、ミル」
フッ、と笑みと共に息を吐くダリア。
「……もっともらしいことを言っても騙されませんからね」
「あら残念」
ミルの恨みがましい視線を正面から受け止め、涼しい顔でダリアは肩をすくめた。
◇
「ツェレミア殿下! 俺は必ず、殿下の心を射止めてみせますから!」
冒険者ギルドの隅で、酒も飲んでいないのに一人でそんなことを叫ぶ男の顔を見て、ミルは驚きに目を丸くした。心なしか、周囲もざわついているような気がする。
「おい、あれ……《竜殺しの勇者》じゃないか」
「あんなのまでいるのかよ……」
「いや、だが、奴が倒したのはグリーンドラゴンの群れだったはずだ」
「なんだっけそれ? 強いのか?」
「一体一体はただの獣だろ、人にも化けない。でも、あれがいるってことは、近くにそれを飼ってる上位種がいるってことだから……」
「ああ、それで酷い被害が出たのか。しっかし、せっかく生き残ったのに、ブラックドラゴンなんかに挑むとはねえ」
「あの殺しても死ななそうな王女殿下はともかく、勇者様は心配だな……」
どちらもずいぶんな言われようだが、異論を唱えようにも事実なので仕方ない。
どうやらドラゴン退治とは関係がなさそうな人間が多いギルド内で、ミルは声を落としてダリアに話しかける。
「あのう、所長、これ本当に人は集まるんですか? ブラックドラゴンですよ? 退治しに来る人間なんて、よほどの勇者と馬鹿しかいないんじゃ」
「ブラックドラゴンを一度でも倒せば、一生暮らしていけるだけの金が手に入るわ。冒険者ならそれだけでS級の認定が降りてもおかしくはないし、活躍いかんでは王女様が手に入る……金、名誉、女、すべてが揃った戦いに、挑戦したい男は多いはずよ」
「そんなもんですかねぇ。死んじゃったらそこまでじゃないですか」
「冷静な人ばかりなら、人間と魔族とドラゴンがこんなに複雑な関係でいるわけがないでしょう。まあ、人が少なければ少ないで、仕事が減っていいじゃない」
「それは……そうですけど」
困ったなぁ、とため息をついて、ミルは天井を見上げた。