調査
高木優子の家は、隣町にあった。桜田家から距離にして8キロほどだ。
幸兵も迷砂も運転免許証を持っていないので、交通手段は電車または自転車または徒歩となる。幸兵が選んだ手段は徒歩だった。そして今はいつの間にか夏休みが終わり、いつの間にか秋になり、いつの間にか冬がやってくる季節である。8キロの道のりは風邪を引きかねない。迷砂は少し迷ったが、薄手のコートを羽織ることにした。
「10分後には待ってたよ」
幸兵はもう玄関に居た。いつもと同じ、薄いグレーのジャージを着ている。幸兵が着ているのは大抵ジャージか、制服の学ランである、よって、何かある日は服装ですぐにわかる。よって、今日はなんにもない日である。
「ごめん」
迷砂はコートの前を掛け合わせて、そのへんにあった靴を履いて、ドアをあけた。外の冷気に、一瞬眉をしかめたが、すぐにその澄んだ空気にほぅっとする。なんにせよ、気持ちのいい朝だった。思わず大きく伸びをしたところで、後ろからどつかれる。「あら、ごめんなさい」と白々しく微笑んで、幸兵はさっさと迷砂を追い越し、どんどんどんどん進んでいった。迷砂は少しぼんやりその後姿を眺めて、それから後を追った。
「高木優子、女子高生、事故死」
幸兵はいつの間にか買ったパンをかじりながら、今日助から送られてきた資料を読んでいた。手紙の量も少ないが、資料の量も限りなく少ない。全部で3枚だろうか。1枚目には写真が貼ってあり、履歴書のような形になっている
「清浦高校2年生、てことは同い年か、うん。顔は見る限り…あー…ギャル、完全にギャル。かなり化粧濃い。スタイルは…スリーサイズ書いてないからわかんない」
「それで?依頼者は?」
「依頼者は彼女の父親。母親は娘の死に耐え切れず自殺未遂。妻まで失う前に、娘の記憶を消してほしいとのこと」
「それで?」
「それだけ」
8キロメートルのうち、高木優子の話をしたのはおそらく500メートル以下だろう。あとの7キロ400メートルは特に会話もなく、残りの100メートルだけ今日助の話をした。
「ここだね」
高木優子の家は、これといって特徴のない青い屋根の家だった。築年数は30年くらいだろうか、決して新しくはない。けれどごちゃごちゃ並んだプランターや鉢、曇りガラスに透ける花柄のカーテン、玄関の脇に無造作に立てかけられた柄物の傘など、家庭の「色」にあふれた家だった。
「僕たちにとって入りにくい家だね」
迷砂も同じことを考えていた。幸兵を見上げると、幸兵が珍しく目を合わせてきたが、それも一瞬。すぐに前を向き、すたすたと玄関へ向かう。そしてジャージのポケットからひとつ、鍵を取り出して(今日助が資料と一緒に送ってきたのだろう)、チャイムも鳴らさずに、がらがらと扉を開けた。
「おじゃまします、ってお留守ですね」
「いないの?」
「母親が入院中だから。お見舞いにいってるそうな」
家の中は、大分暗かった。隣の家との距離が近く、日が入りにくい家らしい。深みのある飴色の床には、うっすらと埃が積もっていた。母親不在のせいだろうか。そしてその原因となった娘の不在が、壁時計に、のれんに、台所に、どうしようもない寂しさを与えていた。
「あ」
居間のテレビの上に、写真立てがあった。親子の写真。真ん中の小さな少女が、高木優子だろう。ギャルになる前の、かわいらしい、小さな女の子だ。少女の左上が、自殺未遂をしたという母親。そして右上が、今回の依頼者である高木優子の父親だ。
「…ちがうな、この人じゃない」
そのとき2階から、小さく、幸兵の声が聞こえてきた。迷砂も階段をのぼる。2階は一部屋しかないようだった。
「どうしたの?」
幸兵の脇から、ひょいと部屋をのぞく。
「うわー…」
部屋の中は、ピンクづくしだった。しかも薄いピンクから、ショッキングがつくピンクまで、これでもかというくらいピンクづくしだった。そのくせ壁は、ほかの部屋と同じぶっきらぼうな砂壁。教科書やら参考書やらのカラフルな冊子類も無造作に置いてあり、なんともまとまりのない部屋になっている。
「うちのクラスの女子どもも、こんな部屋なのかな」
「さぁ…でも、すごいね」
「ね、どうだった?」
「なにが?」
「居間のテレビの上の写真」
相変わらずめざとい人だ。迷砂が写真立てを手にしているのを、横目で見ていたのだろう。幸兵の鋭い目線から目をそらして、迷砂は首をふった。
「ああ、違った。思い人は依頼人じゃない」
記憶を食べるには、いくつかクリアしなければならない条件がある。一つ目は、対象者に対して、一番強い思いを抱いている人を探すこと。そしてその思い人から、対象者に対する強烈な思いを引き出すことである。迷砂達は、その思い人をとっかかりとして、対象者に関する記憶を芋づる式に引き出し、それを食べる。
そしてその思い人を判別する能力を持つのが、迷砂である。
「じゃあ父親は思い人じゃなかったんだ」
幸兵は頭をかいて、小さくため息をついた。
「依頼人が思い人じゃないとめんどくさいんだよね」
「ちなみに母親の方も、思い人じゃない」
「へー、自殺未遂した人よりも思いが強い人がいるんだ」
「早く始めよう。目がちかちかする…」
思い人が依頼人ではない場合、とにかく一から探していかなければならない。始めたのは、高木優子集め。高木優子について、何でもいいから、とにかく調べていく。幸兵は机の周辺を探し始めた。見つけたいのは日記だろう。女性は、特に女子高生は日記を書いている率が高いので、高木優子について知るには一番手っ取り早いのだ。
迷砂は振り返り、入り口側にあった本棚に目をやった。本棚は、雑誌や漫画・小説が下半分、上半分には教科書や参考書が並べられていた。教科書類はかろうじて科目ごとに並べられているが、漫画類は2巻の次に8巻が並べられていたりと、かなり無造作だ。あまり几帳面な方ではないらしい。
「あら。彼氏発見。やっぱりギャルにはギャル男だね」
幸兵が見ていたのは携帯電話だった。おおかた日記を探していて目移りしたのだろう。携帯は二つ折りのタイプで、大きなキティのぬいぐるみがストラップとしてついている。迷砂が覗き込むと、そこにはやはり、テンプレート通りのギャルとギャル男がいた。どこをどうしたら、あの居間の少女がこのように成長するのだろう。髪はほとんど金髪に近く、目は携帯のカメラの画素数ではほぼ真っ黒に塗りつぶされている。
彼氏もおそろいのオレンジっぽい金髪で、シルバーのピアスがじゃらじゃらと…
「あ」
幸兵がすばやく迷砂を見る。携帯の画面を見つめたまま、迷砂は確かめるように、うなずいた。
「この男が思い人だ」




