第三章 餌
赤い数字が、宮原誠司のリング上に浮かんでいる。
数字が一つ減るたびに、広間にいる全員へ突きつけていた。
あと四分もせず、プレイヤー05は死ぬ。
藤堂理沙は宮原のそばにしゃがみ込み、何度も彼のリングを操作しようとしていた。
解除の選択肢はない。異議申し立ても、二つ目の案内すらない。
真壁隆は傍らに立ち、険しい顔をしていた。
「システム! ルール違反への処罰なら、何か救済手段があるはずだろ!」
応答はない。
秋人はスクリーンを見上げなかった。
今、システムへ叫んでも意味はない。
本当に見る価値があるのは、05番と、その右ポケットに入っている紙だ。
澪も同じことを考えていた。
彼女は宮原の正面へ歩み寄る。
「右ポケット」
05番の顔色が変わった。
「何ですか?」
「さっき11番の席の下から取った物よ」
澪は彼を見据えた。
「出して」
真壁が勢いよく振り向いた。
「ほかにも何か取ったのか?」
宮原は動かない。
秋人が目を上げた。
「宮原さん、隠し続けても構いません」
声は静かだった。
「ただし、あなたが黙っている間も、時間は止まりません」
カウントダウンがまた一つ減った。
宮原はついに手を伸ばす。
ひどく震える手で、右ポケットから四つ折りの白い紙を取り出した。
秋人は触れない。
「自分で開いてください」
宮原がゆっくりと紙を広げる。
そこには、二行の文が書かれていた。
【11番の『護衛目標』は、あなたである】
【彼女の座席の下に、役職を確認できる情報がある】
広間が静まり返った。
澪は紙を見なかった。
最初に秋人へ視線を向ける。
理由は分かっていた。
【護衛目標】という言葉は、どの公開ルールにも登場していない。
当時、澪のリングで秋人が見たのは末尾の二文字――【目標】だけだった。
【護衛】は、秋人が勝手に付け足した偽情報だ。
しかも、それを伝えた相手は宮原ただ一人。
今、その嘘が紙の上に現れた。
自分の嘘が、戻ってきたのだ。
秋人の中で曖昧だった可能性が、一気に絞られる。
誰かが二人の会話を盗み聞きした。
あるいは宮原が、偽情報を第三者へ伝えた。
それとも――この紙を宮原自身が書いたのか。
どの可能性であれ、手がかりもなく調査するよりはいい。
十分に独自性のある偽情報は、印になる。
だから秋人は、単に【目標という二文字が見えた】と伝えるのではなく、わざと【護衛目標】という言葉を作った。
嘘の価値は、人を信じ込ませることだけではない。
情報の流れを追跡するためにも使える。
「秋人」
澪が口を開いた。
「これが、あなたの彼に伝えたこと?」
「前半はね」
秋人はあっさり認めた。
真壁が振り返る。
「どういう意味だ?」
澪が代わりに答える。
「私のリングに【護衛目標】と表示されたことはない」
彼女は全員を見た。
「秋人が見たのは【目標】だけ。【護衛】は彼の作り話よ」
一斉に視線が秋人へ突き刺さった。
はっきりと警戒を強めた者もいる。
秋人は気にしなかった。
ここで【自分は一度も嘘をつかない】という印象を守ろうとするなら、最初から偽情報を仕込んだ意味がない。
御影が目を細めた。
「では、最初から05番を騙していたのですか?」
「そうです」
秋人は、試すためだったとは説明しなかった。
先に事実だけを知らせる。理由については、向こうから尋ねさせればいい。
案の定、真壁が我慢できずに口を挟んだ。
「そんなことで人を騙して、お前は何をしたかったんだ?」
「05番を動かすためです」
秋人は答えた。
「なぜ11番ばかり見ていたのかと正面から尋ねても、彼は必ず否定する」
「だから、11番に関わる偽情報を一つ与えた。それを知っているのは彼だけだと思わせたうえで――」
「本人がどう選ぶかを待った」
真壁が低い声で言う。
「その結果、こいつは死にかけている」
秋人の視線が、床の黒い破片へ落ちる。
「僕の嘘しかなければ、彼は違反していません」
その一言に、真壁は止まった。
秋人は続ける。
「役職カードの破片に触れさせたのは、紙を書いた人物です。しかも、その人物は僕の嘘を利用した」
再び広間が静まった。
今度は、秋人を見る目が変わった。
ただ、なぜ嘘をついたのかと疑う目ではない。
ようやく何人かが気づいたのだ。
その嘘自体が、手がかりへ変わりつつあることに。
「05番」
秋人は宮原を見た。
「【護衛目標】という言葉を、誰かに伝えましたか?」
宮原の唇が動く。
「僕は……」
「よく考えてから答えてください」
秋人は遮った。
「紙には、この四文字が書かれていた。あなたが誰かへ話したのなら、その人物は紙に書き込めます」
「誰にも話していないのなら――」
秋人は一秒置く。
「誰かが、あのときの会話を聞いていたということです」
どちらも望ましくない。
宮原は目を閉じた。
「06番に、少しだけ話しました」
06番の水城拓真が顔を上げる。
真壁はほとんど反射的に彼を見た。
「06番に?」
宮原は慌てて付け加える。
「でも、【護衛目標】とは言っていない!」
「では、何を話したんです?」
「07番が、11番のリングに出た何かを見たらしい、とだけ……」
拓真がようやく口を開いた。
「それは本当だ」
声は平静だった。
「05番は、ほかのプレイヤーの役職情報を知っている人間と、協力する価値があると思うかと聞いてきた」
「俺は、場合によると答えた」
真壁が冷笑した。
「今なら二人で口裏を合わせられるな」
秋人は拓真への攻撃に加わらなかった。
検証できない言い争いには、価値がない。
06番を一度、容疑者候補へ戻すだけにとどめ、犯人だとは決めつけない。
「宮原さん」
今度は澪が尋ねた。
「この紙を受け取って、なぜすぐ信じたの?」
宮原は黙る。
澪は、誰が紙を渡したかを追及しなかった。
その問いでは範囲が広すぎる。十数人全員が、彼のそばを通れたからだ。
彼女が直接つかんだのは、もっと安定したものだった。
動機だ。
「匿名の紙よ」
澪が言う。
「署名も、証拠もない」
「私なら、最初に罠ではないかと疑うわ」
「けれど、あなたはほとんど確かめもせず、11番の席へ向かった」
宮原の表情が完全に固まった。
秋人の意識が集中する。
ようやく、ここまで来た。
最初に残された失言。
【どうして俺の勝利条件は――】
そのあと、05番は何度も11番を見た。
秋人はこれまで疑っていただけだったが、今なら確かめられる。
「あなたの勝利条件に、プレイヤー11が含まれているからです」
秋人は突然言った。
質問ではない。
断定だった。
宮原が勢いよく顔を上げる。
その一瞬は、どんな返事よりも価値があった。
当たりだ。
広間のどこかで、息をのむ音がした。
真壁が尋ねる。
「なぜ分かる?」
秋人はすぐに説明しなかった。
視線は今も、宮原の顔に固定されている。
「しかも、11番を殺すことが条件ではない」
宮原の呼吸が、また乱れた。
二度目。
秋人はさらに踏み込む。
「もしあなたの条件が、ただ11番を死亡させることなら、【彼女の護衛目標はあなた】と知った時点で、最初に考えるのは彼女をどう利用して自分を守らせるかです」
「しかし、あなたが最初にしたのは、役職情報を探すことだった」
「つまり――」
秋人は一度言葉を切った。
「あなたには、彼女が何者なのかを知る必要がある」
宮原は完全に言葉を失った。
澪は横から答えを奪わなかった。
最後に一言だけ加える。
「私の真の役職を確認すること」
宮原は目を閉じた。
数秒後、ようやく認める。
「……そうです。僕の勝利条件には――プレイヤー11の真の役職を確認する、という項目があります」
最初の短い伏線が、ここでつながった。
秋人は大きな喜びを感じなかった。
だが、この確定は必要だった。
人を読むことは、超能力ではない。
推理も、都合よく答えを与えられることではない。
第一章での失言。公開情報の直後に向けた三度の視線。11番の席へ近づく際のためらい。そして今回、抗えなかった餌。
四つの行動が、同じ結論を指していた。
だから賭ける価値があり、秋人はその賭けに勝った。
だが、すぐに新たな問題が浮かぶ。
紙を書いた人物もまた、05番を見抜いていた。
【11番の役職情報】を目の前に置けば、宮原は必ず食いつくと知っていたのだ。
その人物は秋人と同じことをしている。
人の勝利条件を利用し、その人間の選択を操る。
秋人が本当に警戒したのは、その点だった。
「あなたの役職は何ですか?」
御影が突然尋ねた。
宮原は首を横に振る。
「言えない」
「もう死ぬというのに?」
真壁には理解できないようだった。
宮原の顔に、はっきりと恐怖が浮かぶ。
「僕の役職には制限があるんです!」
秋人は記憶する。
一部の役職には、情報公開に関する制限が存在する。
重要な情報だ。
だが今は、もっと直接的な問題がある。
床に落ちた黒い破片。
秋人は一度それを見た。
表面に残るのは【11】だけ。
「どうして、あなたは違反と判定されたんです?」
秋人が突然尋ねる。
宮原はきょとんとした。
「何です?」
「システムが禁止したのは、他人の役職カードの【内容を閲覧すること】です」
秋人は言った。
「あなたが見たのがプレイヤー11という番号だけなら、それは役職ではない」
「全員の番号は、最初から公開されています」
広間が一瞬で静まり返る。
澪が最初に理解した。
「裏返したのね」
宮原の顔が白くなる。
また当たった。
今度は、秋人は追及を続けなかった。
わざと立ち上がる。
「もういいです」
真壁が眉を寄せた。
「何が、もういいんだ?」
「彼は言いたくないようです」
秋人は背を向けた。
「今、話さなくても構いません」
宮原が勢いよく顔を上げる。
「待ってください!」
秋人は歩みを止めない。
「あなたが死んだあとは、僕たちは今ある手がかりだけで判断するしかない」
口調はあくまで平静だった。
「表側には11。澪のリングにも【目標】という言葉が出た」
秋人は横顔だけを向ける。
「ならば皆は自然に、あの破片は彼女のカードだと思うでしょう」
その言葉が、宮原の本当の急所を突いた。
彼の勝利条件は、11番の役職確認を求めている。
自分が死ぬ直前まで誤った答えを残せば、最初から最後まで他人に操られただけになる。
「違う!」
宮原がついに叫んだ。
秋人は足を止める。
「何が違うんです?」
「裏側には、文字があった!」
来た。
「何と?」
宮原の呼吸は荒い。
「文は途中までしか残っていませんでした。僕が見たのは――【目標の死亡後……】」
広間の視線が一斉に澪へ向いた。
【目標】。
その言葉が二度目に現れた。
真壁でさえ、反射的に彼女から半歩離れる。
澪本人だけは動かなかった。
秋人も、彼女を見なかった。
この証拠は、話がうますぎる。
まるで誰かが、どうしても彼らに11番を疑わせたがっているかのようだ。
「もう一つあります」
宮原の声が次第に小さくなる。
「下に、番号が一つありました」
御影が尋ねた。
「11ですか?」
宮原は首を振り、秋人を見る。
「07です」
その瞬間、空気が凍りついた。
表には【11】。
裏には【目標の死亡後……】。
そして【07】。
第一の公開情報は、少なくとも一人の勝利条件に07番の死が必要だと告げている。
もし05番がこのまま死ねば、あの破片から、最も単純な物語が自然に出来上がる。
【11番が持つ何らかの役職は、07番を死亡目標にしている】。
あまりに見事だった。
見事すぎて、わざわざ彼らのために用意された答えのように見える。
だからこそ、秋人は心の中で完全に否定した。
少なくとも――その方向へ一直線に進んではならない。
本当に危険な罠とは、偽の証拠ではない。
半分だけ本物の証拠を与え、残り半分の誤答を自分自身に埋めさせる罠だ。
【01:37】
時間がない。
秋人は07番の席へ戻った。
他人の言葉を一切介さない、確定した事実が一つ必要だった。
役職カードを取り出す。
【プレイヤー07/観測者】
【達成数:0/5】
【本日の役職判定:未使用】
現時点で公開された役職名は、まだほとんどない。
検証する価値があるものは一つだけだった。
真壁が自称した【生還者】。
秋人は、判定権を温存するつもりだった。
だが今、疑問は積み重なる一方で、宮原の死も迫っている。
すべてを【可能性】のまま残せば、いずれ可能性の海に溺れる。
少なくとも一つ、道を切り捨てなければならない。
秋人は入力した。
【対象プレイヤー:03】
【役職:生還者】
【確定】
役職カードの表示が一度消えた。
二秒後、新しい文字が浮かぶ。
【判定:正解】
【達成数:1/5】
秋人の指が止まった。
当たりだ。
真壁は嘘をついていなかった。
彼は本当に【生還者】だった。
観測者の権限を初めて使い、最初の役職確認に成功した。
一つの答えが確定した。
同時に、新たな矛盾が大きくなる。
真壁の役職が求めるのは、ゲーム終了まで生き残ることだけだ。
それなのに最初から、彼は人々の先頭で対立を生み、情報公開を迫り、自ら敵を作り続けている。
役職は本物だ。
しかし、行動が【生還者】らしくない。
ならば彼は、少なくとも何かを隠している。
追加条件かもしれない。隠された能力かもしれない。
あるいは――誰かのために動いている可能性もある。
観測者の能力は、真実そのものを秋人へ教えたわけではない。
ただし、【真壁が安全そうな役職名を思いつきででっち上げただけ】という道を切り捨てた。
それで十分だ。
秋人は役職カードをしまった。
何を確認したかは、誰にも告げない。
自分だけが握る真実は、公にされた事実よりも仕掛けへ使いやすい。
【00:42】
藤堂はまだ処罰を解除しようとしていたが、成果はない。
宮原はようやく、自分が助からないと受け入れたようだった。
椅子にもたれ、呼吸はむしろゆっくりになっている。
秋人は彼の前へ戻った。
「最後に一つだけ」
宮原が顔を上げる。
「あの紙は、本当にあなたが書いたものではないんですね?」
宮原は秋人を見つめた。
「違います」
今度は、ためらいがなかった。
秋人はうなずく。
「分かりました」
【信じます】とは言わない。
ただ、今の反応を覚えておく。
【00:21】
宮原が突然、口を開いた。
「秋人さん」
「はい?」
「あの紙……」
彼は苦しそうに顔を上げる。
「06番が書いたものではありません」
後方にいた拓真の表情が、初めてはっきりと変化した。
真壁がすぐに追及する。
「なぜ分かる!?」
宮原の唇が動く。
【00:07】
「だって、彼は知らない……」
【00:05】
「何を知らないんだ?」
秋人は一歩踏み出した。
宮原は彼を見つめ、最後の言葉を絞り出そうとする。
【00:02】
「13番こそ――」
ピーッ――!
数字がゼロになった。
宮原の体から瞬時に力が抜ける。藤堂が反射的に受け止めた。
悲鳴も、派手な処刑もない。
表示されたのは、冷たい一文だけだった。
【プレイヤー05 脱落】
誰も声を発しなかった。
秋人は宮原を見つめる。
彼が最後に残した情報は、二つ。
【06番ではない】。
そして、【13番こそ――】。
最後まで言えなかった。
それでも、新しい線を浮かび上がらせるには十分だ。
13番、御影。
秋人はすぐに彼を見なかった。
こういうとき、真っ先に誰を見るかは、自分の思考を相手へさらすことになる。
澪には、そんな配慮をするつもりがなかった。
彼女は直接振り返る。
御影は人々の後方に立っていた。
表情に大きな変化はない。
むしろ、宮原が【06番ではない】と言ったあと、わずかに安堵したのは06番の水城だった。
二人とも、注意しておく価値がある。
そのとき、スクリーンが再び点灯した。
【第二の公開情報】
【プレイヤー05の脱落後――】
【生存中のプレイヤー一名が、すでに個人勝利条件を達成している】
広間が一瞬で騒然となった。
「05番が死んだからか?」
「誰だ?」
「あいつの死を求める役職があったのか?」
全員がまず、その【勝者】を探そうとした。
秋人はすぐに気づく。
今、同じように探せば、かえって相手を助けることになる。
「探さないでください」
秋人は声を張った。
真壁が振り返る。
「何だと?」
「誰が条件を達成したか、今は議論しないでください」
「なぜだ?」
秋人は全員を見た。
「今、僕たちが誰を疑っているか一番知りたい人物は――」
「すでに条件を達成した、その本人だからです」
議論が一瞬止まる。
秋人は続けた。
「こちらの推理を聞かせれば、僕たちがどこまで把握しているかを教えるだけです」
「別の問いを考えましょう」
彼はゆっくりと全員を見渡した。
第二の公開情報が出たあと、大半の者はほかのプレイヤーを見た。
06番は05番。13番はスクリーン。真壁は条件を達成した者を探し始めた。
ただ一人――09番の佐伯だけは、金属製の扉を見ていた。
しかも、扉が開かないと確認したあとの表情は、落胆ではなかった。
確認。
そういう顔だった。
秋人はそれを捉え、すぐに利用すると決めた。
「佐伯さん」
09番の体がわずかに強張る。
秋人は質問しなかった。
そのまま嘘を投げる。
「05番は死ぬ前に、あなたの名前を僕へ伝えました」
澪の視線が、すぐ秋人の横顔へ落ちる。
彼女には嘘だと分かる。
宮原が最後に口にしたのは13番であって、09番ではない。
だが、佐伯は知らない。
一秒。
二秒。
彼女は否定しなかった。
その代わり、右足を半歩後ろへ引く。
ちょうど出口の方向だった。
この言葉は、何かに命中した。
秋人は確信する。
澪の動きはさらに速かった。
なぜ嘘をついたのかと尋ねることなく、横へ移動し、佐伯と金属扉の間に立つ。
相手が無意識に選んだ退路を、自ら塞いだ。
二人は一度も目を合わせなかった。
それでも、初めて本当の意味で連携した。
秋人は嘘で注意を操る。
澪は立ち位置で圧力をかける。
「あなたたち……」
佐伯は秋人を見て、それから澪へ視線を移した。
「二人は、いつから私を疑っていたの?」
すぐに答えた者はいない。
その質問自体が、どんな返答よりも価値を持っていたからだ。
秋人はようやく、ゆっくりと彼女を見る。
05番は死んだ。
最初の仕掛けは終わった。
そして今、秋人の嘘へ自分から足を踏み入れた二人目のプレイヤーが現れた。




