第五話 試運転航海
昭和十八年。
第三世代航空循環艦『斬光』は、正式実戦投入前の試運転航海へ入っていた。
随伴艦は六隻。
巡洋艦一。
駆逐艦五。
第88機動艦隊としては最小規模。
だが。
世界初の第三世代航空循環艦を海へ出すには、それでも十分すぎる護衛だった。
朝。
斬光は静かな駆動音を響かせながら外洋を進んでいた。
巨大艦。
その異様な艦影に、随伴艦の乗員たちは未だ慣れていない。
艦橋。
美鈴は前方海域を見つめながら艦長へ尋ねる。
「乗り心地はどうですか。」
艦長は腕を組んだまま笑った。
「乗り心地って艦じゃねえな、こりゃ。」
豪快な声だった。
「海そのものが動いてるみてえだ。」
「だが悪くねえ。」
「図体の割に進みが滑らかだ。」
艦長は窓の外を見る。
巨大艦であるにも関わらず、斬光は妙に静かだった。
通常空母特有の重い波切り感が薄い。
まるで海面を滑っている。
艦長は笑う。
「気味は悪いがな。」
その時だった。
艦橋下部から、低い振動音が一瞬だけ響く。
空気が止まる。
ほんの数秒。
だが。
事故を知っている者たちは、その音だけで顔色を変えた。
機関員が即座に報告を飛ばす。
『回転軸、微振動です!』
『制御範囲内!』
艦橋に緊張が走る。
美鈴だけは動かなかった。
「継続。」
短く命じる。
やがて振動は収まった。
艦長は苦笑する。
「……まだ全員、第四試験の音を覚えてやがる。」
美鈴は何も答えなかった。
通信員が振り返る。
「航空隊、発艦準備完了。」
美鈴は頷く。
「風間隊、発艦開始。」
飛行甲板。
巨大な循環甲板が低く駆動音を響かせている。
風間は戦闘機へ乗り込みながら、甲板を見上げて笑った。
「何回見ても狂ってんな、この艦。」
循環式甲板。
整備列。
待機列。
発艦列。
全てが流れるように動いている。
通常空母とは、まるで違う。
風間はエンジンを吹かした。
「だが嫌いじゃねえ。」
無線越しに笑う。
「空が止まらねえ。」
次々と戦闘機が発艦していく。
第一航空隊。
第二航空隊。
第三航空隊。
第四航空隊。
発艦間隔が異様に短い。
随伴艦側の乗員たちも驚いていた。
「何だあの回転速度……」
「発艦が途切れない……」
「本当に回してやがる……」
一方で。
駆逐艦側の古参兵が、小さく呟く。
「……気味の悪い艦だ。」
「まるで生き物じゃねえか。」
飛行甲板では整備班長が怒鳴っていた。
「次持ってこい!」
「止めるな!」
「流せ流せ流せ!」
叫びながらも顔は楽しそうだった。
「こりゃ整備しがいがある船だぞ、こらぁ!」
その横。
若い整備員が小声で言う。
「……本当に大丈夫なんですかね、この艦。」
整備班長は即座に怒鳴った。
「壊れたら直しゃいいんだよ!」
「機械ってのはそういうもんだ!」
周囲が苦笑する。
だが。
笑い切れない空気も残っていた。
艦橋上部。
観測索敵士は双眼鏡を覗いていた。
その横には新型探知機器。
まだ発展途中の索敵装置。
彼女は静かに報告する。
「機器索敵、異常なし。」
そして。
双眼鏡を下ろさず続けた。
「……目視海域も異常ありません。」
美鈴は小さく頷く。
「見え方はどうですか。」
観測索敵士は少し迷った後、答えた。
「広いです。」
「この艦、高い。」
「海が遠くまで見えます。」
その声には、少しだけ驚きが混じっていた。
対空防御区画。
対空防御長は静かに海を見ていた。
「対空試射、開始。」
命令と同時に。
機銃座が旋回する。
対空砲が空へ向く。
轟音。
試射が始まった。
火線が海上へ伸びる。
対空防御長は冷静に言う。
「右舷第二機銃群、視界死角あり。」
「修正を。」
「艦尾側はまだ薄い。」
冷静だった。
だがその目は鋭い。
近づける気は、一切ない。
機関区。
整備班長が汗まみれで笑っていた。
「ボイラー異常なし!」
「回転軸も今んとこ耐えてる!」
「ったく、どんな化け物機関だこりゃ!」
その横で機関員たちが苦笑する。
医務室。
医務長は静かにカルテを整理していた。
美鈴が入ってくる。
「不足はありませんか。」
医務長は顔を上げる。
「今は。」
そして静かに続けた。
「ですが、この艦はいずれ前線へ出る。」
「……足りなくなるでしょうね。」
その声だけが妙に冷たかった。
午後。
第88機動艦隊は防御陣形訓練へ移行する。
巡洋艦。
駆逐艦群。
各艦が斬光中心に展開していく。
巨大空母を中心とした防御陣形。
だが。
通常空母運用とは違う。
斬光は動く。
回る。
進む。
航空機を吐き出し続ける。
随伴艦側も、その運用へ合わせなければならない。
艦橋。
美鈴は海域全体を見つめていた。
静かな海だった。
だが。
静かすぎた。
その静けさが。
どこか序章の海を思い出させる。
ゆっくりと回転する飛行甲板の駆動音だけが、外洋へ低く響いていた。




