君が消えると、僕が困る
戦いが終わり、王都に朝が訪れる。
生き残った者たちは、それぞれの場所で失ったものと向き合っていた。
空が、ゆっくりと白み始めていた。
ジギスムントの背中は、もう見えない。
王都には朝日が差しこんでいた。
その時、胸の奥で声がした。
『……見逃すのか? 何度も殺されかけたのに』
クルスだった。
近い。
以前よりずっと。
まるで鼓動の裏側にいるような感覚。
「もう、あの人の全てを奪ってしまったわ」
『命以外はね』
短い沈黙。
それから、クルスが静かに言った。
『君は、本当に甘いね』
いつもの皮肉めいた声音。
だが、その奥にあるものを、ヒマリは知っていた。
「否定はしないわ」
ヒマリは小さく笑った。
クルスもまた、わずかに笑う気配を見せる。
『今回は少し焦った』
ヒマリも肩の力を抜く。
「消えかけたものね」
『君と二度と会えないかと思った』
あまりにも自然に返ってきた。
だから逆に言葉を失う。
クルスは続けた。
『演算はしていた』
『対処法もあった』
『生存確率も計算していた――でも、耐えられない』
ヒマリの呼吸が少しだけ止まる。
クルスがそんな言い方をすることは珍しい。
『僕は合理的だ。だから理解できるだろう?』
『いつか君は死ぬ。
それは避けられない』
淡々とした声。
事実を述べるだけの声。
なのに妙に重かった。
『君がいなくなる前に、すべてを手に入れておきたい』
ヒマリは思わず苦笑した。
「随分、自分勝手ね」
『知ってる』
即答だった。
『君もだろう』
反論できなかった。
実際そうだった。
クルスが消えた時。
戦いの最中ですら、頭のどこかが空洞になったような感覚があった。
隣にいるのが当たり前になっていた。
『だから、これからは、徹底的に管理する』
「……お手柔らかにね」
『しない』即答。
しかも、どこか愉しげに。
「ひどい」
『事実だ』
少しだけ笑いが混じる。
『ヒマリ』
「なに」
珍しくクルスは少しだけ沈黙した。
演算しているのではない。
言葉を選んでいる。
そんな気配だった。
『君は僕が思っていたより弱さが残っていた』
「喧嘩売ってる?」
『違う』
一拍。
『だから安心した』
意味が分からず、ヒマリは眉をひそめる。
『君は戻れない王なんかじゃない』
『ちゃんと限界があり、管理できる』
「やっぱり気持ち悪いわね」
『出来れば、ベルに消された君の映像を最初から撮り直したい』
ヒマリは寒気を感じて肩をすくめる。
「やっぱり選択を間違えたかも」
『逃げる?』
「今さら?」
『そうだね』
クルスは静かに笑った。
『今さらだ』
その声を聞きながら、
危険なことを言っているはずなのに、不思議と安心してしまう自分がいた。
◆
王都中央広場には、多くの人々が集まっていた。
兵士も、市民も、老人も子供も。
昨夜まで地下へ身を隠していた者たちが、恐る恐る空を見上げている。
本当に終わったのか。
まだ誰も確信できないでいた。
その静寂を破ったのはフェルマーだった。
「王都ブリュードに告ぐ!」
広場に響き渡る声。
誰もが振り返る。
「ヒマリ女王、凱旋!!」
一瞬の静寂。
そして歓声が爆発した。
泣きながら叫ぶ者。
膝をついて祈る者。
抱き合って笑う者。
生き残った人々の声が、王都を満たしていく。
◆
歓声の中。
ノリスは広場の端に立っていた。
その視線の先にはアレクシスがいる。
片腕を失い、全身に傷を負いながらも、真っ直ぐ立っていた。
帰ってきた。
ただそれだけの事実が、胸の奥を強く揺らす。
気づけば身体が動いていた。
「っ……」
次の瞬間には抱きついていた。
衝動だった。
理屈も計算もなかった。
ただ会いたかった。
アレクシスは少しだけ目を見開く。
だが何も言わない。
残った左腕が、静かにノリスの背へ回される。
「お帰り」
生きている。
言葉にした瞬間、何かが壊れてしまいそうで、
ノリスもまた何も言えなかった。
歓声が音を消し、しばらく二人はそのまま動かなかった。
◆
少し離れた場所で、アリシアが立ち尽くしていた。
ヒマリ達の姿に微笑を見せたが、
すぐに何かを探すように視線を巡らせている。
銀髪の男。
自分には優しかった王。
だが、どこにもいない。
その姿を見たヒマリは静かに歩み寄った。
言葉はない。
代わりに懐から一つの指輪を取り出す。
フェルマーから託されたものだった。
砕けた指輪。
アリシアが今も身につけているものと対になる品。
ヒマリは黙ってその手のひらへ置いた。
アリシアはしばらく動かなかった。
ただ指輪を見つめている。
やがて両手で包み込むように握りしめた。
「私の手紙は――読んでいただけたのかしら?」
代わりに静かに目を閉じる。
涙が一粒だけ零れ落ちた。
◆
ヒマリは広場の中央へ進む。
歓声が再び大きくなる。
身体は重い。
魔力も戻っていない。
それでも足は前へ出た。
王だからではない。
自分自身が前へ進みたいと思ったからだ。
フェルマーがいる。
ノリスとアレクシスがいる。
アリシアがいる。
誰もが傷ついている。
誰もが何かを失った。
それでも生きて戻って来た。
ヒマリは一人ひとりの顔を見た。
声を掛けようとして――歓声が押し寄せる。
泣き声。
笑い声。
名前を呼ぶ声。
生きている人々の声だった。
『ヒマリ』
胸の奥でクルスが呼ぶ。
「なに?」
錫杖を握り直すと、暖かい魔力が流れ込んだ。
『とっくに限界を超えている。倒れる前に報告すること』
「善処するわ」
『信用できない』
即答だった。
ヒマリは苦笑する。
そして一歩を踏み出した。
胸の奥には、相変わらず危険で、甘く、執着深い声がいる。
誰よりも自分を見続けている存在。
ヒマリは大きく錫杖を翳し、民衆へ向かって静かに手を振る。
その瞬間。
王都が揺れるほどの歓声が上がった。
長編となりましたが、ご愛読ありがとうございました。
完結後、評価が伸びるようなら外伝も考えます。
よろしくお願いします。




