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邂逅-1

 生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹ささやまとおるはそう思いながら28年間生きてきた。


 ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子みかみとうこ博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。

 午前7時、目覚まし代わりに設定されたスマートフォンのアラームに起こされ、顔を洗い歯を磨き軽い朝食を済ませる。スーツに着替え電車に10分ほど揺られ会社へ向かう。それが、笹山徹ささやまとおるが22歳で社会に出て、6年間続く1日の始まり。


 その日もいつもと同じ朝が始まり、電車に乗る。乗客たちを見ていると徹はいつも安堵を覚える。新聞を読んでいる者、資料に目を通している者、スマートフォンをただぼんやりと眺めている者。互いに関心を持たず、気ままに振舞っているように見えるが目的は同じである。乗客のほとんどが仕事をするという、社会活動に参加するため乗車している。他の乗客の眼に映る徹も同じである。誰からも関心を持たれない、社会の中に生きるただの人間。その事実が徹に安堵の気持ちを覚えさせる。


 駅に到着し改札を出る。目的地まで5分ほどの道のりではあるが、スーツの下はすでに汗で滲んでいた。夏が近づいているという事実と、スーツを着用して出勤するという時代錯誤な会社の方針が暑さを助長させた。


 徹は俗にエンジニアと呼ばれる職業に従事している。現代では花形の職業とされているが実態はそうではない。事実、徹が勤めるフューチャー・ビジョンは『未来を見据えたソフトウェアの開発』を社訓に掲げているが、実際に社内で開発したソフトウェアが世に顔を出すことはない。あらゆるソフトウェアの開発において最も重要とされるのが、顧客のニーズである。しかし、洋服の流行が予め決められているように、優秀なSEを社内に抱える大手企業はニーズをある程度誘導することができる。徹が勤めるような零細企業は常に後手に回る。現在、フューチャー・ビジョンが行っている業務のほとんどは大手企業のソフトフェア開発の支援。つまり、大手企業の下請けを行っているに過ぎない。


 徹は今の仕事に対して、何一つ不満を持ち合わせていない。時代遅れのスーツでの出勤、コロナウイルスを機にリモートとなった業務が『互いの顔を見て業務を行うべき』という、おおよそ論理的ではないフューチャー・ビジョンの方針で廃止となったこと。多くの社員が憤りを感じていることに、徹は関心を持てなかった。


 社会で普遍的に生き人知れず死ぬこと、それだけが徹にとって重要だった。




 徹は5階建ての小さなビルに辿り着いた。4階部分にフューチャー・ビジョンが所有するテナントがある。エレベーターに乗り4階を目指す。扉が開きテナント内へと足を踏み入れる。程よく効いた空調が徹を出迎えた。社員証を通しホワイトボードに記された今日の業務内容を確認していると、ある男が徹に声をかけた。


「待ってたぜ、色男」


 高身長、筋肉質、色黒、濃い顔。一見するとスポーツジムのトレーナーにしか見えない。男はフューチャー・ビジョンではチームリーダーという役職に就いている。


「お前を見ていると暑さが増す。で、要件は何だ小谷こたに?」


 小谷勇こたにゆう。フューチャー・ビジョンに入職した同期であり、徹とは大学時代からの腐れ縁。


大石おおいし社長がお呼びだぜ。直ぐに社長室に来いってさ」


「大石社長が直々にか?。どうして...」


 一般社員が大石社長と話しをするのは入職前の面接。それ以外で顔を合わせるのは、週に1度行われる必要もない朝礼の時。一般社員である徹も直接大石社長と関わることは皆無だった。


「さぁな...。詳しいことは社長に直接聞くことだ」


 それだけ言うと、小谷は自らのデスクに姿を消した。徹は重い足取りで社長室へと向かった。




「入り給え」


 社長室の重厚な扉を叩き、中から聞こえた大石社長の低い声に徹の気持ちはさらに重くなった。


「失礼します」


 扉の先、目に入ったのは過剰なほど高級感の溢れるデスクと革張りの椅子に腰かける大石社長の姿。徹は溜息が出るのを堪えデスクの前に向かった。


「出社早々、呼び出してすまない」


「いえ...。それよりもご用件は?」


「実は折り入って君に頼みたい案件があってだね。引き受けてくれるかい?」


「どういった案件でしょうか?」


 大石社長はデスクの引き出しからA4サイズの茶封筒を取り出し、徹に渡した。


「君も、ジェネレーション・ワンの名前くらいは知っているだろう?」


 ソフトフェアの開発に携わる有数の企業、中でもジェネレーション・ワンは日本でもトップシェアを誇る。


「君に渡したのはジェネレーション・ワンが現在行っているプロジェクトの資料。プロジェクトに参加する君に必要なものだよ」


「私がプロジェクトに、ですか?」


「1年ほど前からジェネレーション・ワンからエンジニアの公募あってだね、我が社からも数名、推薦していた。その中の1人が...」


「私、ということですね」


「選ばれたのだよ、君は。我が社にとっても栄誉あることだ」


 公募の存在。自らが推薦されていたこと。徹は何も知らなかった。大石社長自身、推薦を出して選ばれるとは微塵も思っていなかった。

 

「それで、引き受けてくれるかね?」


「かしこまりました」


 断るという選択肢が初めから存在しない問。徹にできるのは首を縦に振ることだけだった。


「なら、差し当たり君が行うべき業務はその資料を頭に入れること。明日にはジェネレーション・ワンの本部に行ってもらう」


「明日ですか?。急な話ですね」


「先方が君と直接会って話がしたいそうだ。それから、その資料をこの部屋から持ち出してはならない。目を通したら部屋にあるシュレッターで破棄すること。私はこれから外に出る。存分にこの部屋を使うといい」


 大石社長は立ち上がると徹に近づき、肩に手を置いた。


「君には期待しているよ」


 大石社長は部屋を後にした。残された徹は立ち尽くすことしかできなかった。今からでも断ることができないか、徹は必死で頭を回転させた。できることは読みたくもない資料に目を通すこと。その事実に気づくのにそう時間はかからなかった。


 徹は堪えていた溜息を誰もいなくなった部屋で存分に吐き出した。

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