薄愛-5
生きる楽しみは無く、かといって死ぬ理由もない。異分子である自分を社会にどう溶け込ませていくか、人生において重要なことはそれだけだ。笹山徹はそう思いながら28年間生きてきた。
ある時、徹は思いもよらず大きなプロジェクトに参加することとなる。「あなたに次世代AIの発展に貢献して頂きたい」。プロジェクトの代表でありAI工学の権威、三上透子博士は徹に告げた。三上博士が徹に与えた役割。それは、『AIに愛を教える』ことだった。
店の扉を開けるともののけ庵は今日も程々の客で賑わっていた。騒いでいる酔っ払いはおらず、その雰囲気はもちろん住宅街の裏路地でひっそりと営業しているところも徹がこの店を気に入っている理由の1つだ。ここであれば仕事終わりに来ても会社の人間に会うことはない。
「おーい、こっちだぞー」
店の奥、座敷になっている客席で1ヶ月振りに聞く小谷の声が響く。
声のする方へ目を向けると小谷と、その隣に見覚えのある人物が座っていた。それが、佐倉綾であることは見間違えようもなかった。
「カンパーイ」
小谷の音頭と共にそれぞれ手にしていたビールのジョッキを合わせる。
ジョッキを合わせながらも徹は小谷を睨みつけた。徹の向かいに座る小谷と佐倉。どう考えても佐倉を呼んだのは小谷以外考えられない。
「今回は2人の慰労会だからなー」
徹の思考を読んだかのように小谷が言う。その顔には邪なにやけ面が張り付いている。
小谷が何を考えているのかは分からないが、ろくでもない目論見があることだけは確かだ。
「お前...」
「お待たせしました」
徹が文句の1つでも言おうとした時、いつの間に注文していたのかもののけ庵の店主が料理を持って徹たちのテーブルに来た。
「おぉ!、ご店主!。いつもながら綺麗だねー」
「僕は男だよ。それに、結婚して子供もいるから口説いても無駄だよ」
小谷の軽口をもののけ庵の店主がいなす。
もののけ庵の店主。小谷が言った通り目鼻立ちの整った綺麗な顔立ちをしており、物腰の柔らかい口調と相まって女性のように見える。年齢は不詳であり、結婚をして子供もいるそうだが詳しいことは徹も知らない。
「それにしても、本当に久しぶりだね」
もののけ庵の店主は徹を見て言う。
「ご無沙汰しております」
「もう来ないのかと思ったよ。でも、久しぶりに会えて僕も嬉しいよ」
徹は気恥ずかしくなった。理由は分からないがもののけ庵の店主と話しているといつもまごついてしまう。
「店主ー!」
何処かでもののけ庵の店主を呼ぶ声がした。
「ごめんね、呼ばれちゃった。また後でゆっくり話そう」
そう言い残し、もののけ庵の店主は料理を置いて去って行った。
「お2人はよくここに来るのですか?」
3人で料理に舌をつつむ最中、佐倉がだしぬけに尋ねた。
「しょっちゅう来るわけじゃないけど良い店だからな。コイツもこの店だったら飲みの誘いを断らないし」小谷が徹を指さす。
「できれば俺は1人で飲みたいんだが」
「そう言うなって、色男ー」
2人のやり取りを見ていた佐倉は何かもの言いたげな様子だ。
「ずっと気になっていたんですけど、お2人は仲がいいんですね」
「そりゃそうさ、仲良しこよしって...」
「ただの腐れ縁です」
徹は小谷の話を遮った。
「腐れ縁?」
「同じ大学に通い、同じ会社に就職しました。だから、他の人たちよりも互いのことを分かっている。ただ、それだけです」
「そう、だからこの色男のことは俺が一番詳しいってわけだ」
「例えばどんなことですか?」
小谷の言葉に佐倉は前のめりになった。
「そうだな、これは俺たちが大学4年の時の話なんだけど...」
そこからは、主に徹の過去が話題の中心となった。居心地が悪いことこの上なかったが、徹にとっては一方的に小谷が話している状況は気が楽でもあった。
「いいんですかー?、タクシー代まで貰ちゃってー」
もののけ庵の入り口に停まるタクシーの前で、何処か呂律の回っていない佐倉が小谷に尋ねる。
「いいってことよ、慰労会って言ったろー。それよりも、気をつけて帰んな」
「はーい」
佐倉の乗り込んだタクシーが暗闇の中へと消えていく。完全にタクシーの姿が見えなくなると、小谷は再びもののけ庵へと戻った。
「遅かったな」
佐倉が去った後、1人残った徹はお猪口に注がれた日本酒を飲みながら小谷を待っていた。
「お前も来いよ」
「御免被るね」
ビールを2杯飲んだ時点で佐倉の酔いは限界に達した。会話も成立しなくなり、見かねた小谷と徹はタクシーを呼び佐倉だけを先に帰した。
「そもそも、なぜあの女を呼んだ?。お前は慰労会だなんて言ってたが、本当の狙いはどうせ別にあったんだろ?」小谷が席に戻ると、佐倉が居なくなりどこか気の抜けた徹は気兼ねなく思っていたことを口にした。
「分からないのか?」
「あぁ」
「相変わらず鈍感な男だ」
その場を仕切り直す気持ちで小谷も日本酒を1口飲む。
「どうやら綾ちゃんはお前に気があるらしい。そこで、今回も俺が一肌脱いでやったというわけだ」
「そういうことか、迷惑な話だ」
何の感情も無く徹は言う。
「ひでーな」
「お前が言うな。どうせ、一肌脱ぐのはこの後だろ」
徹と小谷、そして徹に対して好意を寄せる女性との飲み会。このような状況は今までも度々あった。そんな徹に対して小谷が徹に付けたあだ名が『色男』。
「しかし、分からんな。特に顔が良いわけでもないお前がなんで女にモテるかね?」
「お前が連れてくる女にでも聞けよ」
最も、この状況を楽しんでいるのは徹ではなく小谷の方だ。恋愛感情が希薄な徹がどんな女性を相手にしても恋愛に発展しないことは小谷も承知である。そんな徹に対して気落ちした女性を小谷が励まし性行為に至る。それが、小谷の狙いだ。
倫理的な問題は感じつつも、徹は小谷の行為を咎めたりはしない。徹にとって興味のない女性がどうなろうとどうでもよかった。
「お前が女で浮ついた話があったのは佐藤先輩くらいだよな」
その名前が出た瞬間、徹の表情が険しくなった。
「おい。その話は...」
「分かってる。禁句だろ」
佐藤桃花。2歳年上のフューチャー・ビジョンの先輩。その姿は今のフューチャー・ビジョンにはない。
「まぁでも、今回綾ちゃんを呼んだのは別の理由もあったんだが...」
どこか歯切れ悪く小谷は言う。
「お前が性処理の相手を探す以外の理由か?。珍しいな」
「茶化すなよ。なんというか、気になったんだ」
「何が?」
「お前たちがどうやって期限内に仕事を終わらせたかだよ」
小谷は当初、期限内に仕事が終わらないことを想定し他の社員を何人か出向させる予定だった。徹を出向させたのは適切なタイミングで増員を出すための布石であり、徹であればデッドラインを見極め自分に連絡を寄こすだろうと踏んでいた。しかし、結局は何の連絡も無く徹たちは期限内に仕事を終えた。
「言っちゃ悪いが、綾ちゃんっていうお荷物を抱えてどうやって期限内に仕事を終わらせたのか。酔わせりゃあ、綾ちゃんから何か聞けるかとも思ったんだがな」
「あの女に聞いたところで何も出ないぞ」
「そうか、だったらお前に聞こうか」
お猪口に入った日本酒を回しながら徹は考えた。小谷相手であれば、ある程度話しても支障はないだろう。問題はAIのことをどう隠蔽するかだが...。
「頭だけはいい暇なヤツに色々と手伝ってもらっただけだ」
「へー、色々とねぇ...」
これだけの説明では流石に小谷は納得しなかった。
「そいつにただ手伝ってもらったわけじゃないだろ?。綾ちゃんの他人への依存は病的だ、問題が起きるたびにお前が手を止めて綾ちゃんの仕事を手伝ってを繰り返していたら、助っ人がいても仕事が進まない」
「だから、その助っ人にあるプログラムを作らせた」
「プログラム?」
「プログラムというよりはウイルスに近いな」
佐倉の業務を妨げるためのプログラムを作成すること。徹がAIに指示した1つ目の命令。
「そのプログラムはある一定のコードを入力すると無条件にエラーを表示させる。それを、あの女が使っているPCにダウンロードした」
「つまりそのPCを使っている限り、綾ちゃんがどれだけ頑張っても仕事は先に進まないってことか。で、綾ちゃんはどうしてエラーが表示されるのか最後まで気づくことはなかった」
「普段からエラーを出しまくって問題を他人に解決させるヤツだ。気づくことはまずないだろう」
「でも、お前以外のヤツがプログラムの存在に気づいたんじゃないか?。綾ちゃんなら、恥も外聞もなくスタンドアップの社員にも助けを求めただろ」
「プログラムに対するプロテクトを強固にさせた。並大抵のプログラマーなら気づかない」
プログラムの作成にあたり徹が特に重視するようAIに命令したのは、プログラムに対する隠匿性。つまり、プロテクトに関してだ。ウイルスにも似たプログラムを作成しPCにダウンロードする。そんな犯罪まがいの行為を誰かに気づかれるわけにはいかない。
「後は、残った佐倉の仕事を助っ人にさせただけだ」
佐倉の仕事を代わりに行う。それがAIに指示した2つ目の命令。
「しかし、友達もいないお前がそんな助っ人を引っ張り出せるなんて意外だな」
「意図せずできた知り合いだ。いつも迷惑をかけられているから今回はその埋め合わせに協力させた」
不意にポケットの中に入れていたAIが振動した。普段から持ち歩くように三上博士に言われていたため、逆にその存在を失念していた。酔った勢いで小谷に色々話したが、AIのことついては何も触れていないはずだ。
「どうかしたか?」
徹の奇妙な反応に小谷は訝しんだ。
「いや、なんでもない。それより、今の話は部外秘で頼む」
徹の言葉に小谷は大声で笑った。
「こんな話、誰に言えってんだよ」
「大石社長とか?」
「言うわけないだろ。俺も面倒ごとは御免だからな」
そもそも、佐倉という面倒ごとを押し付けたのは小谷が先だったような気もするが徹は言及しなかった。済んだことに文句を言っても仕方ない。
「でも、1つだけいいか?」
小谷が改まって言う。
「何だ?」
「佐倉が使ってたPCはうちの会社のものだ。次に使うヤツにも影響が出るんだったら看過できないなぁ」
「それなら問題ない。今回の仕事が終わったら消去されるようプログラムを組ませた」
「つくづく用意周到な悪党だ」
「かもな」
そう言いつつも、自身が行ったことに徹は何1つ罪悪感を感じていない。だいいち、誰に対して罪悪感を持てばよいのか。非道とも言える行いを受けた佐倉?。悪事の片棒を担がされたAI?。
徹は考えるのをやめた。他者に対して何の感情も持てない自分が考えたとて結論は導き出せないだろう。
徹と小谷はその後も1時間はもののけ庵で飲み続けた。3人分の食事と酒代。会計の際かなりの金額を請求され、小谷は何か言いたげな目で徹を見た。
「ごちそうさま」
徹は小谷の肩に手を置き、その言葉だけを残してもののけ庵を後にした。
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