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おーい

これは茨城で釣りをしている人から聞いた話だ。

港で夜釣りをしていると、深夜から明け方にかけて、たまに妙な音が聞こえることがあるらしい。

はっきりとした声ではない。誰かが『おーい』と呼んでいるようにも聞こえるが、実際にそう言っているのかはよく分からない程度の音で、波の音や風の反響にも思えるし、気のせいとも言える曖昧なものだという。

釣り人の間ではわりと知られている話で、「また聞こえた気がするな」くらいの扱いで、あまり深く気にする人はいない。

その音は港の近くにある小さな山の方から聞こえるような気がするのだが、夜の海は音が反響しやすいし、正確にどこから聞こえているのかはどうにもはっきりしない。

それに、山といってもただの雑木林のような場所で、特に何かあるわけでもないから、わざわざ確かめに行く人もいなかったらしい。

ただ、どこにでもいるものだが、みんなが気にしないものほど確かめたがる人というのがいる。ある夜、その港で釣りをしていた男が、

「そんなもん気のせいだろ。俺が確かめてくるよ」

と言い出した。周りも半分冗談のつもりで送り出したらしい。男はライトを持って、声が聞こえる気がする山の方へ歩いていった。港を離れてしばらく進むと、舗装された道が途切れて、ゆるい坂道になる。雑木林の中を少し登ると、山の中腹のような場所に出る。

特に何もない。祠があるわけでもないし、建物の跡もない。ただ暗い林が広がっているだけだったという。男はその場で少し辺りを照らしてみたが、やはり何もない。やっぱり気のせいだったかと思って港に戻ろうとした、その時だった。

「おい」

後ろから、はっきりと声がした。さっきまで港で聞いていた曖昧な音ではなく、低い男の声で、確かに「おい」と言った。しかも距離が妙に近い。男は一瞬体が固まったらしい。

振り返れば誰か立っていそうな距離だったが、なぜか確かめてはいけないような気がしたという。威圧感というのか、見てはいけないものに背を向けているような、そんな感じだったらしい。

とりあえず何も聞かなかったことにして、振り返らずにそのまま山を下り始めた。すると後ろから、また聞こえる。

「おい…」

「おい…」

「おい…」

同じ声が、一定の間隔で繰り返す。振り返らないまま歩き続けても、距離は変わらないようで、声はずっと背中のすぐ後ろから聞こえる。

「おい」

「おい」

「おい」

だんだんその繰り返しが腹立たしくなってきたらしい。恐怖というより、しつこく呼び続けられていることへの苛立ちだったという。とうとう男は我慢できなくなって振り返った。

しかし、やはりそこには誰もいない。懐中電灯で照らしても、林と坂道があるだけだった。ただ、その瞬間も声は止まらない。

「おい」

しかも、今度は耳のすぐ後ろで聞こえたという。その後、男はそのまま港に戻ってきたが、様子が少しおかしかったらしい。何度も後ろを振り返りながら、

「まだ聞こえる」

と言っていたそうだ。家に帰ってからもその声は消えなかったという。最初は外でだけ聞こえていたのが、だんだん家の中でも聞こえるようになり、やがて寝ている時、枕のすぐ横から聞こえるようになった。

「おい」

耳元で、あの低い声が繰り返す。結局その男は精神科を受診し、医者からは統合失調症の可能性が高いと言われたそうだ。今は薬を飲みながら生活しているらしい。

釣り人はその話を聞いて、結局どちらが先だったのか分からないと言っていた。もともと精神の病気があって、あの声を聞いたのか。

それとも、あの声を聞いたせいでそうなったのか。ただ一つだけ、その港で夜釣りをする人たちの間で暗黙の了解になっていることがある。

もし深夜から明け方にかけて、あの山の方から声のような音が聞こえても、決して気にしないこと。そして、もしはっきりと

「おい」

と聞こえたとしても、絶対に確かめようとはしないことだという。

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