65 -ひと芝居
「私にも仕組みまでは分かりませんけれど、お兄さまがお考えになった作戦ならきっとうまくいきますわ」
ルミーは少しも疑う様子なくこっちをみて微笑んだ。
「ねえ、ジュナお兄さま?」
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65 -ひと芝居
♤
二人のどちらが言い出したのかは忘れたが、東街道沿いの茶店で紅茶を嗜むことになった。
これから聖焔教会に忍び込もうとしているというのに、なぜ僕たちは紅茶なんて飲んでいるんだろう。
そんな疑問を抱く横で、二人は実に優雅にカップを傾けていた。
サルウィンまでいつの間にか席に加わっている。あの剃刀のように吊り上がった眉はどこへやら、今やこめかみまで届きそうな垂れ眉になり、口元には立派な口髭まで蓄えていた。
なのに、二人はそんなサルウィンの変装に何の反応も示さない。これも作戦の内なんだろうか。
「そろそろよい頃合いじゃな」
モリーンが時計へ目をやって、ようやくカップを置いた。
僕は先頭に立って馬車に乗り込み、ようやく東大街道を離れることができた。台地を囲む環状路へ入り、南へ向かって進んでいく。
麓の関所へ差しかかったところで馬車が止まった。窓から外を見ると、番兵が一人だけ立っている。いつもならここには数人いるはずなのだが。
三十代半ばほどの男で、日に焼けた顔に短く刈った黒髪。肩幅が広く、鍛え上げられた体つきはいかにも実直な武人を思わせる。
「お待ちください。現在、台地及び聖焔教会は祈念により閉鎖しております」
男は御者台のサルウィンへ、きっぱりとした声を向けている。その声にモリーンは片方の口角をくいと上げ、窓から身を乗り出した。
「お主、うまくやったようじゃな」
モリーンの姿を見た途端、男の口から妙な声が漏れた。
「モリーン様!? も、申し訳ございません!」
先ほどまでの毅然とした顔つきはどこへやら、男は眉を下げ、ちらちらと辺りを窺っている。
「うむ、構わん。それでどうやって一人になれたのじゃ?」
「それはほら、僕のツケで飲まさせてるんですよ。……あ、いや。今はそんなこと話してる暇ありません。お約束通り山頂にいる番兵たちは休ませて、龍造岩しか配していません。
本当にこれでいいんですよね? 龍造岩は人よりも融通は利きませんよ」
「かまわん。その対応ならすでに手は打ってある」
モリーンは窓から身を乗り出したまま、後ろ手に僕を指差した。
どうやら、龍造人形を操作しろということらしい。
モリーンが窓に身を乗り出していることをいいことに、こっそりとため息を一つついた。
すると、ルミーと目が合い、彼女はにっこり微笑みながら手を合わせる仕草をした。
「お願いね」
言葉にはしていないが、その表情を見ればわかる。
……やっぱり、ルミーが教えたんだ。
番兵の男も、僕が何をするのか気にする様子はない。ただモリーンの言葉を聞くと、安心したように頷いた。
「それなら大丈夫ですね。では柵門を開きます。他に見られないうちに、早くお願いします」
「うむ。ご苦労」
『それほどの力を無自覚のまま人前で振るってはいけません。軽々しく他人へ明かすことも同じです』
男が門を開いていく。
その背中を見送りながら、僕は水景園で出会った女性の言葉を思い返していた。
今回のように僕の力を知っている人たちの頼みに応じているうちに、それが当たり前になってしまったら――。
いつか必ず、兄さんたちにも迷惑をかけてしまう。
そうなるのは絶対に嫌だ。
僕の力はもう他人には知られないほうがいい。少なくとも、もう二度と軽々しく口にするまい。
九十九折りの坂道を、龍造馬は休むことなく駆け上がっていく。生きた馬よりも速い龍造馬なら、この程度の坂道など造作もないのだろう。
僕は窓の外へ向けていた視線を車内へ戻した。
モリーンがいつの間にか取り出していた菓子を、ルミーと分け合いながら美味しそうに頬張っている。
「あの……」
「なんじゃ、お主も食べるか? 美味いぞ。スパイシーぞ」
モリーンが差し出した菓子がそのまま僕の口へ押し込まれた。
「んぐっ……!」
むせながらも、なんとか菓子を飲み込む。
「サ、サルウィンは……なんで変装なんかさせてるんです?」
茶店で本人に聞こうとはしたのだが、サルウィンは何も聞くなと言わんばかりに遠い目をしていた。ある意味面白かったが、だからといって面白半分に聞ける雰囲気でもなかった。
「まぁ、お兄さまったら。そんなこともお分かりにならないなんて」
ルミーは小さくため息をつくと、モリーンからもらった菓子を一口頬張った。ほんの少し頬を膨らませて、もぐもぐと味わっている。
「サルウィン殿はかつて火竜騎士団に所属していたお人なんですよ。そんな方が一緒にいれば、嫌でもバロバロッサ家が関わっていると知られてしまうではありませんか」
「もう大昔のことだよ。そこまで神経質にならなくてもいいんじゃないかな? 本人だって、すごく不機嫌にしてるし……」
「お兄さまは、こういう世間のことをあまり知ろうとはなさらないのですね」
ルミーは口の中の菓子を飲み込むと、人差し指で口元を拭い、その指をぴんと立てた。
「いいですか。サルウィン殿は火竜騎士団の中でも最強と謳われたお人なんですよ。闘技場の覇者、敵なしの武人だったのですから。騎士を志す者なら誰もが知っているお人です。騎士で知らなければ、モグリですよ」
「……へえ」
サルウィンは昔の話を一度もしたことがない。僕が五歳の頃、彼が世話役になったときから、幼いながらにもそれを避けているのだと感じていた。だからわざわざ本人に過去のことを聞くのも悪い気がして……気づけば、ここまで何も知らないままだ。
サルウィンにも僕の知らない過去がたくさんあるのだろう。ふと窓の外を見ると、山頂付近に白い旗が見えた。その中央には華王を象った赤い紋章が描かれている。
「困りました。山頂に番兵がいます」
御者台からサルウィンの声が届いた。山頂に龍造岩を配置しているのだろう。僕が何気なく聞き流していると、隣でルミーが窓の外を覗き込んだ。
「あら……麓にいらっしゃった番兵さん、もしかして勘違いされたのでしょうか。人形ではなく、人のように見えますが」
思わず窓へ顔を近づける。
山頂に立っているのは人だ。龍造岩じゃない。
「うむ。困ったことになったな」
モリーンは菓子を口に運びながら、まるで他人事のように呟いた。公爵令嬢であるモリーンなら失敗しても大したお咎めはないだろう。
けれど僕は違う。
もしこれが父さんに知られたら、兄さんたちにも僕がこんな馬鹿げたことをしでかしたと知られることになる。
絶対にそれだけは嫌だ。
馬車が止まり山頂の番兵がこちらへ駆けてくる。
その動きを目で追いながら、銀指輪が熱を帯びたのを確かめた。
「麓の関所は通過されているようですが……本日の通行記録に、こちらへ上がられる予定の馬車として該当する記録がございません」
男は礼儀正しい口調を崩さないまま、腰の剣に手を添えていた。視線も馬車から逸らさず、いつでも抜けるよう指を柄にかけている。
「それは困りましたね」
サルウィンは何事もなかったようにそう答えると、懐へ手を入れた。
「少しお待ちください」
サルウィンがそう言った直後、詰所の中から鋭い音が鳴り響いた。
龍造梟からの呼び音だ。




