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2 -バロバロッサ辺境伯



2 -バロバロッサ辺境伯



ふたりは顔を見合わせ、くすくすと楽しげに笑い合っている。

その様子を、ジュナは少し離れた場所からじっと見つめていた。


半透明の白い膜のようなものが、世界を覆い尽くす。

ジュナは身体から感情が切り離されていく感覚に身を任せ、やすらぎを強く希求した。



♦︎♢♦︎



「頂くとしよう」


音頭を取る父クラウンの大きな声が、ジュナの意識を現実へと引き戻した。

手つかずの料理が並ぶ食卓を見て、どうやら食堂で朝の食事が始まったばかりだと気づく。


(妙な真似していなければいいけど……)


無意識のまま行動するなんて久方ぶりだ。

ディナミス兄さんが儀式に参列することはあらかじめわかっていたはずなのに。


口の中に溜まった不満を咀嚼することもできず、飲み込むことさえ難しかった。

結局、”情けない”という言葉だけが、心の内を覆って離れなかった。


ジュナは4人兄弟の内、三男として生を享けた。


現在、次男ディナミスはロゴスの都市『聖都セントラル』でも選りすぐりの騎士団に所属し、祖国ロゴスを外界の脅威から守護するという、名誉ある地位に就いている。

長男レオンもかつてはディナミスと同じ騎士団に在籍していたが、騎士団長の推薦を受けて、国王陛下直属の近衛兵として召し抱えられる栄誉にあずかった。


文武に秀で卓越した技能を持つふたりの兄。


そのあとに生まれた僕には、どれをとっても兄ふたりより敵うものがなく、追いつこうと足掻けば足掻くほど突拍子のないヘマばかりしてきた。


『期待はずれの三男坊ジュナ』


それが、僕に対する周囲の評価だ。



「血筋だけの無能な奴に、領地を守らせるわけにはいかない」


レオン兄さんが自分に向ける、ナイフのように鋭い眼差しを、空席となった兄の椅子を見るたびに思い出してしまう。


ただの無能だったら、どれほどよかったことか。

ただの無能だったら、兄さんたちからあれほどの憎悪を向けられることもなかったのに……。



「・・・いさま?、ジュナお兄様、お身体の具合でも悪いのですか?」


どうやら妹ルミーに声をかけられていたようだ。

我に帰ったジュナは、努めて冷静に答えようとした。


「そ、そうでしたか!心配をかけてすみません。僕は大丈夫です。ちょっと、考え事をしていたものですから」


「……本当ですか?先ほどから何度も呼びかけたのに、返事がないから心配してしまいました。もう!せっかくジュナお兄様の『龍怜の儀』がどれほど素晴らしかったのか、お母様にお話ししていたのに。」


鎖骨まで伸ばしたブロンドの髪を揺らしながら腕を組み、大袈裟に頬を膨らませてみせる。


この陰陰滅々とした屋敷の中で、まるでルミーは明るく振る舞うことが自分に課された使命であるかのように、最後には必ず朗らかな笑みを浮かべる。


「もうその話はいいですよルミー。セバス、水をもう一杯いただけるかしら?昨晩のサロン|《社交場》では、さすがに飲み過ぎてしまったわ。朝からずっと頭が痛いの」


母はこめかみに手を当てながら、執事のセバスから差し出された水の入ったグラスを飲み干すと、黒く澱んだ憎悪の目でジュナを睨んだ。


「あの石ころをどれほど綺麗に光らせたって‥‥だから何?拍手でもしろと?笑わせないで!」


そう言って、母は品もなく長いゲップをひとつこぼし、乱雑な手つきで黒髪をかきあげると、わざとらしく大きな息を吐いた。


「そんなくだらないものを磨いて悦に入っている暇があるのなら、少しは”まとも”になりなさい。サロンでお前の話題が出るたびに、私はいつも辛酸を舐める羽目になるのよ!お前は……私の気持ちを一度でも考えたことがあるの?」


母の刺々しい態度に、ルミーでさえ黙りこみ、視線を空になった皿へと逸らした。


しばしの沈黙の中で、

ジュナは冷めた目で母の顔を見据え、静かに口を開いた。


「……精進します」


ルミーに伝わればいいと思った。

あの人にどれだけの暴言を吐かれようが、僕はもう何も気にしていない。

とっくの昔に見切りをつけて、今では彼女に憐れみすら感じている。


父クラウンが彼女をなだめすかしている光景を、ジュナはどこか他人事のように眺めていた。


——これも、見納めになるのだな。

そんな、不思議な気持ちが胸によぎる。


明日にはこの屋敷を離れ、『聖焔教会せいかきょうかい』に併設された『王立学院』の寮で生活することになる。

たとえ友人ができなかったとしても、ここよりも酷い場所なんて、きっとない。


学校での生活を夢見ることができたから、これまでの地獄を耐えてこられた。


——明日だ。

明日にはここから抜け出せる。


ルミーをひとりこの屋敷に置いていくのは、本当に心苦しい。それでも、これから始まる学校生活を思うと、胸の内に湧き上がる期待を抑えることができなかった。


磨き上げられた銀の皿に映る自分の頬がほころんでいるのに気づき、ジュナは慌てて表情を引き締めた。




♦︎♢♦︎



入れ代わり立ち代わり分野の違う家庭教師がやってきたが、今のジュナの頭には何も入ってこなかった。頭の中は明日までに用意するものを指折り数え、終わったらまた1から数え直すという、無限の繰り返しにすっかり容量を食われていた。


(珍しい茶葉があれば、部屋に招待しやすいかな?挨拶代わりには悪くないよね。

うん、多めに持っていこう。それに珍しい外界のチョコに、外界のクッキーも‥‥‥きっと、喜んでくれるはず。

それから”ムギ”に不具合が起きたときのために、『龍造犬』の技術書のアレとアレも‥‥、

でもあの本も読み返したいし……うーん、荷物が増えすぎるな。いっそムギに背負ってもらうか‥‥)


「いたぁっ!」


頭が割れたような強烈な痛みがジュナを襲った。


「武芸の稽古中に考えごととは、大した度胸ですね。」


うめき声をあげながら頭をおさえるジュナに、サルウィンはため息まじりに言い、まだ訓練の途中だったが仕方なく木剣を下ろした。


「気がそぞろな状態で稽古をしても、怪我をするだけです。

仕方ありません、今日の稽古はここまでにしましょう。」


稽古が長引くことはあっても、早く終わったためしなど一度もない。


「そうか!じゃあ、今のうちに準備を——」


ジュナの浮かれた声を、サルウィンはにべもなく遮り、さも当然とばかりに言い放った。


「ええ、ご安心ください。今日の稽古分は、学校の授業の合間を縫ってでも必ずねじ込みます。したがって、まったく問題ありません」


「まったく問題ありませんって・・・もしかして、サルウィンもついて来るの?」


ジュナの露骨な嫌そうな態度に、サルウィンは眉間の皺を寄せた。


「当たり前です!武芸の指導を他人に任せられるはずがありません。授業があろうが、なかろうが、きっちり稽古の時間は確保させていただきます!」


「そんな……せっかくの寮生活なのによりにもよってサルウィンと一緒だなんて」


ジュナの切羽詰まった形相に、サルウィンの口角がわずかに緩んだ。


「落ち着きなさい。向こうにも執事室はあります。私はそこで寝泊まりし、稽古の時間になれば私から伺います。それ以外の時間をどう使おうと、ジュナ様の自由です。」


「それならそうと早く言ってくれよ!心配して損したじゃないか」


ジュナの笑顔に水を差すような忠告を口にするのは、一瞬ためらわれた。だが、それでも言っておかねばならない。サルウィンは重い口をひらく。


「バロバロッサ家の名に泥を塗ることのないよう、それだけはくれぐれもご留意ください」




♦︎♢♦︎




「そんなこと僕がやるはずないだろ!」


ジュナは自室に戻るなり、怒りに任せ上衣を脱げ捨てた。


サルウィンの小言のせいで、せっかくの楽しい気分が台無しだ。

机の上の本を乱暴に押し除けても、このモヤモヤはちっとも晴れない。


「サルウィンは僕を孤立させたいんだ。そうに決まってる。

僕が誰とも打ち解けられずひとりきりになれば、最後にはあのカタブツしか頼れなくなる。それが狙いなんだ。

僕が辺境伯を継いだ瞬間から、あいつは僕の背後で莫大な権力を手にする……」


「……っ」


声に出してみて、何だか急に馬鹿らしくなった。

サルウィンはいつだって正論しか言わない。

いつだって、過剰なくらい正しいのだ。


(僕はバロバロッサ家ただひとりの『龍の子』で、次期当主‥‥。

それに相応しくない浮かれた態度をとっていたのは、他でもない自分自身だ)


(謝らないと‥‥でも、素直に謝るものも癪だし‥‥)


モヤモヤと胸の奥に引っかかった良心を、振り払おうとしても振り払えない。


「ムギ、こっちにおいで」


声をかけると、ムギはぴくりと反応し、ゆっくりと頭をもたげた。カチカチと小さな爪音を立てながら、小走りでジュナに駆け寄ってくる。鼻先を押しつけるムギを抱きしめ、ジュナは小さくため息をついた。


「……明日に持っていくもの、整理しないとね」


ご愛読ありがとうございます。


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