78.癒しのちから
出発を前に慌ただしい宮殿内は人の群れでごった返しており、なぜこれだけの人と物が動いているのに誰もぶつかったりしないのか、と不思議に思いながら、ロゼはこっそり宮殿を出た。こんな遠い国そうそう来れるわけない。白い石造りの宮殿を触ったり、後ろにひっくり返りそうになりながら見上げたり、見たことのない植物を指先でつついたり、興味の惹かれる方へと歩いていく。
「どこ行くの」
急に声がした。ビクッと肩を跳ねさせて後ろを振り返る。軽装ではなく礼服に着替えたガナッシュが笑みを浮かべながら立っていた。
「主役がいなくなったらみんなびっくりするよ」
「すみません。ちょっと見てみたくて」
「そうだよね。観光だったらよかったのにね」
離れていた距離がすぐ縮まる。膝を折って地面に生えている植物を眺めていたロゼにガナッシュが並ぶ。「顔、みせて」被っていたフードをガナッシュが外した。
「・・・うん、元気そう」
「元気ですよ。朝ごはんも沢山食べたのでみんなびっくりしてました」
「美味しかった?」
「美味しかったですよ。みんな変な味って言ってましたけど、私、お客さんからスパイスをよく貰ってたのであの味慣れてるんです」
「そっか」
「ガナッシュさんは美味しくなかったですか?」
「慣れてないからね」
目の前に影がかかる。ガナッシュが額を合わせてきた。
「少し元気わけて」
と言われてもどうやって元気をわければいいのかわからない。「えーっと、えっと。・・・あ!」ロゼがローブの中に手をつっこみゴソゴソ漁り出す。ガナッシュと額を合わせたまま「これ」あるものを差し出した。
「・・・・ドロップだ」
「非常食で持ってきたんです。あげます」
「でも今は非常時じゃないしなぁ」
「いいんです。元気が一番ですよ!」
額を離したガナッシュがロゼの前で大きく口を開けた。「ヒナ鳥じゃないですか」口を開けて待つ姿は親からのエサを待つヒナ鳥のよう。ロゼはハニードロップを指先で一つ摘まみガナッシュの口に入れた。ドロップを含んだガナッシュの顔が蕩け「好きな味だ」と嬉しそうに笑う。
「ロゼってやっぱりすごいな」
「え?」
「人を幸せにする能力を持ってるんだと思う」
「大袈裟ですよ。ドロップあげただけなのに」
「それが普通はできないもんなんだよね」
垂れて落ちてしまいそうな目でロゼを見つめるとガナッシュが指で頬をさする。そのまま首に手が回り引き寄せられた。座っている体制が崩れてガナッシュの胸にポスンと収まる。ガナッシュの胸の鼓動が大きく聞こえ、触れた手が冷えている。「ロゼ」名を呼ぶ声は掠れていた。
「俺、ちょっと遅れるけど、必ず迎えに行くから。絶対に無事でいてよ」
「はい。ガナッシュさんも無事でいてくださいね」
ロゼは身体を離してガナッシュを見上げた。見上げて微笑む。ガナッシュの引き攣った笑顔はとてもぎこちなかったが、小さく三度ほど頷いた。
**
「あっ!ガナッシュ君!荷物は僕が!」
先に出発した小荷駄隊とは別に大事な荷物として分けられたアタッシュケースと大きなボストンバッグを一人で運ぼうとしているガナッシュをマーカスが止めた。
「気にしないでください。大事なのは荷物持ちの俺ではなく、負傷した兵士たちの治療を行うマーカス先生ですから」
「先生って、やめてほしいな」
苦笑いのマーカスが困ったように頭を搔く。
「ディオ様。お持ちくださった薬は私の方で慎重に運搬致しますので、どうか」
ベルタがガナッシュに擦り寄ってきては小声で呟く。「セレスティア様のことを」こそこそと耳打ちしてきた。ベルタに言われセレスティアに振り返ると、純白のドレスに身を包んだセレスティアが馬に乗らず、こちらを睨みつけている。
「・・・・怒ってますね」
「お願いします。ただでさえ王室で飼っているような品の良い馬ではないのに、ディオ様以外の人と乗るわけがありません」
「そうですよ、ガナッシュ君。君としては不本意かもしれないけれど、もっと偉そうに振舞ってほしい。立場の都合上、ね」
ガナッシュから荷物を奪い取ったマーカスは逃げるようにその場を離れた。そしてベルタがセレスティアへの道を開けた。
「すみません。私たちではどうにも」
「いえ、こちらこそすみません」
頭を下げるベルタを横切りセレスティアへと歩き出すガナッシュ。セレスティアは鋭い視線をくれるだけでなく頬も膨らませた。
「どうしていつも私を置いていこうとするのかしらね!」
「ごめん。手持無沙汰が苦手なんだ」
「大きく構えていればいいのよ。貴方はそれを許された人だわ」
ガナッシュはセレスティアさえも横切り鞍を乗せられた馬を撫でた。大人しく撫でさせてくれる。
「行こうか。時間がない」
先に自分が馬に跨りセレスティアへ手を伸ばす。セレスティアは手を伸ばすが顔を後ろへと回した。ベルタがすぐさま駆け寄ってきて馬の前で四つん這いになった。つまり踏み台の代わりとなっている。ガナッシュはベルタに何も言えなかった。何も言えなかったが、ついセレスティアの白くて長い手を握る力を強めてしまった。
向かう場所はムシュンドゥル国の傷ついた兵士たちが集まるある集落だった。続々と運ばれる負傷兵に手を焼いているらしい。人の手も回らない、容体は悪化する一方で、その集落は墓場のようでもあるという。
その話を告げたとき、ガナッシュに背を預けていたセレスティアの表情は見えなかったが、嫌だ嫌だと何度も首を横に振り、小さかった身体の震えが大きく震えだすと大声で「嫌だって言ってるでしょ!!」と叫び、周りを歩いていたムシュンドゥル国の護衛兵たちが驚いた顔を見せた。ガナッシュは馬の歩調を速めさせ小走りした。
「どういうつもり!?どうしてそこまで私に嫌がらせばかりするの!?」
「嫌がらせなんかじゃないよ。けど、セレスには見てほしい」
「どうして!?嫌よ!!」
「君の母国であるボワイア国は軍事国家だ。軍が動けば、戦いになればどうなってしまうのかを知ることも大事だと思う」
「そんなの私には関係ないわ!国とか兵とか、そんなものは私じゃなくてお父様やお兄様が決めることだもの!」
「だから、それを知っておくのも必要なことだって言っているんだよ」
馬の上で暴れるセレスティアが落ちてしまわないように片手で抱きしめる。正直、セレスティアよりも馬の方が気になった。初対面な上に暴れられたら馬が嫌がって、こちらを落とそうとしてくるだろう。ガナッシュは馬から降りることも考えたが、それでは今度はセレスティアが梃子でも動かなくなる。それは避けたい。ガナッシュはセレスティアの耳元に口を近づけた。
「大丈夫、俺がいる」
優しく告げるとセレスティアの動きが大人しくなる。身体を更に引き寄せると今度は泣き出した。
「・・・・嘘、ばっかり。・・・どうせ、すぐ、あの子のとこに・・・行くんでしょ?」
「行かないよ」
行かないと告げてもセレスティアは首を横に振る。
「怖かったら俺の後ろにいたらいい」
「私は・・行きたく、ない・・のに」
「うん。ごめん」
「・・ディオ、変わっちゃった。・・私やお兄様が嫌がることなんて何一つしなかったのに」
「ごめん」
「私は・・・変わらなくていい。・・・今のままで、今も、昔も、これからも」
肩を抱くガナッシュの腕を抱きしめるようにセレスティアが抱く。腕にポタポタと零れる雫が服に染みて皮膚に張り付く。風が当たると痛むように冷えた。
**
木造平屋がいくつも並ぶ小さな集落は、争いの形跡はないものの人ひとり外には出ておらず閑散としている。だが、先に出発した小荷駄隊の馬が石造りの倉庫のようなところで止まっていた。ガナッシュは先に馬を降り、セレスティアを抱きかかえて馬から降ろす。すぐセレスティアはガナッシュの腕にぴったり身体を寄せた。
「ディオ様、私が先に様子を見てきます」
「いえ、大丈夫です。先にマーカスさんが行っていると思いますから」
ベルタの制止も聞かぬままガナッシュが倉庫へと歩き出す。足取りの重いセレスティアは引っ張られるように歩かされる。その周りをベルタをはじめ、ネラルク大公国より派遣された使節団のメンバーが囲んだ。
「布!!布が足りない!!早く新しいものを!!」
マーカスの声が漏れて聞こえた。ガナッシュは早足になる。マーカスの声の後に倉庫から出てきた褐色肌の子供たち。ムシュンドゥル国の子供たちが血まみれの布を腕いっぱいに抱え、こちらに目もくれず走っていく。
「手伝いましょう」
嫌がるセレスティアを引き摺りながら倉庫の中へ入り「マーカスさん!」声を上げた。倉庫の中は床いっぱいに人が横たわっており、獣の威嚇のような呻き声があちこちで上がっている。セレスティアはガナッシュの背中にしがみついた。足の踏み場もない状態で必死にマーカスを探す。「マーカスさん!」再度声を上げてマーカスを呼ぶ。ガナッシュが大声を出すたびに、驚きその場にひっくり返るムシュンドゥル国の民たち。その挙動に視線がいってしまいガナッシュはマーカスを探し出せない。
「突然の外国人に驚いてるようです。私が話をしますのでディオ様は奥の部屋に」
ベルタに促されて今度は部屋の奥へと歩を進める。辺りに散らばっている血の付いた布たちを踏んでしまわないように慎重に歩く。「マーカスさん」今度は声のトーンを下げて呼んだ。知らない国の人間が知らない言葉で押し入ってきたら地元の人が怖がるのは当たり前のこと。周りへ配慮しながらマーカスを探す。
「ガナッシュ君!来たんだね!」
「マーカスさん!」
「よかった。筆談も限界を感じてたんだ。僕はここの言葉を喋ることはできないから。ああ、これでやりやすくなる」
喋りながらも手を休めないマーカス。止血を終えた兵士の身体についた血を拭っていた。
「酷い有り様だ。衛生的にも悪いこの環境では、せっかく取り留めた命も時間の問題になる」
「俺たちに手伝えることはなんでしょうか。なんでも言ってください」
「止血する布が足りないから洗ってきてほしいんだけど・・・でも、君たちに血を触らせるわけにはいかないか」
マーカスはボストンバッグから新しい布を取り出してガナッシュに渡した。「血が飛んではいけないから、鼻と口を覆って」言われたとおりに自分と、そしてセレスティアの顔に布を巻いた。
「ニアンナアム」
「はい?」
「ここで“大丈夫”という意味らしい。そう声をかけながら身体を持ち上げるのを手伝ってくれないか?セレスティア様は僕の鞄から次の新しい布を広げてください」
仮処置を終えた兵士を動かそうとガナッシュが兵士の足側に回る。セレスティアは動けず、マーカスの鞄の隣に蹲るしかできない。
男二人で兵士を運び綺麗な布の上に寝かせる。さっきまで兵士が寝ていた血がついた布は子供たちに持っていかれた。
「よし、次」
マーカスは隣に並んでいた兵士の治療を始めた。血の滲む包帯を外して傷を確認し、傷口に膏薬を塗っていく。そして身体についている血を拭っては、またガナッシュと一緒に男を持ち上げ別の寝床に移動させる。
それらを何度か繰り返していると「重傷者への治療をお願いできますか?こちらは私たちで行います」とベルタが地元の集落民と共にガナッシュたちを呼びに来た。別室にいる重傷者の元に案内すると。
「セレス、行くよ」
「・・やだっ、怖い。ここの人たちよりも傷ついている人たちのところなんて」
「セレス。・・・ニアンナアム、だ」
「大丈夫、大丈夫と唱え続けて」ガナッシュはセレスティアに手を伸ばす。大きく震えるセレスティアがガナッシュの手に抱きついた。「・・・ニアンナアム」呟く。「ニアンナアム、ニアンナアム」何度も呟く。ゆっくり歩き出すセレスティアの純白だったドレスの裾は泥と血がついて汚れていた。
倉庫より離れた一番大きな家に入ると、頭も髭も真っ白な老人がいた。村長かもしれないとガナッシュは片膝をついて挨拶する。言葉は通じずとも立ち振る舞いや放つ雰囲気からどういった相手なのか互いに感じ取る部分があった。
玄関先なのにもかかわらず叫び声がする。痛みと戦う荒々しい叫び声。挨拶のために一度離れたセレスティアがまたガナッシュにしがみついた。
「・・・・使おうか」
「そうですね」
マーカスは村長らしき老人に連れられて奥の部屋へと進んでいく。ガナッシュはセレスティアの肩を抱きながらその後ろに並んだ。部屋に近づくたびに大きくなる声。声に怯え震えるセレスティア。部屋の中に入ると六名ほどの兵士がのたうち回っていた。
「セレス、大丈夫。壁に背を向けてニアンナアムって唱えてて」
「ま、まって、ディオ!こ、こわい!」
「大丈夫、大丈夫って」
安心させるようにセレスティアの頭を撫でた。そんなので落ち着くわけないのに「ニアンナアム、ニアンナアム」と東の国の言葉で大丈夫と言い聞かす。「ニアンナアム、ニアンナアム、ニアンナアム」セレスティアは胸の前で両手を握り祈るようにニアンナアムと唱え始めた。ガナッシュはゆっくりセレスティアから離れる。
「ガナッシュ君、アタッシュケースを取ってもらえるかな?」
「はい」
「・・・・・ロゼちゃん、ルノ。使わせてもらうよ」
舌を噛まないように布を咥えさせられている男は、言葉にならない声を上げながら暴れている。それを必死に集落民の大人たちが押さえていた。マーカスはアタッシュケースから薬を取り出し注射器で吸い上げていく。それを暴れる男に少量注入した。
「十分ほどで効いてくるはず。それまでに次の患者さんに投与しよう」
マーカスはすぐ次の準備をする。この部屋に集められた兵士たちは身体のどこかを欠損している。目も当てられない姿でいる。生きることに苦しんでいるように見える様に目を覆いたくなった。争いを始めるのは権力者たち。その犠牲になるのはいつだって力を持たぬ民たちである。今、セレスティアに声はかけられない。争いの先に広がる光景はこういうものなのだと軍事国家ボワイア国の元王女に知っておいてほしいと思うのはエゴでしかないのか。
部屋にいる六名全員に鎮静剤を投与したマーカスは患者の欠損した部分の治療を始める。出血の有無を確認しては膏薬を塗って軽く布で巻いていた。ガナッシュが真似をするように布を巻くのを手伝う。そうしているうちに、叫んでいた男たちが静かになっていた。必死に男たちを押さえつけていた大人たちが目を丸くし、マーカスとガナッシュに目をやった。
「・・・ベルタさんを呼んできます」
治療に勤しむマーカスに告げガナッシュは村長の家を出た。倉庫にいるベルタを呼び出し通訳を依頼する。急いで村長の家に戻った数分の間に叫び暴れ狂っていた重傷者たちは静かに眠っていた。
「ベルタさん、マーカスさんが地元の方に薬の説明をします。通訳してください」
「わ、わかりました!」
ベルタはマーカスに駆け寄り、男たちの治療にあたっていた大人たちに薬と処置についての説明をし始めた。ガナッシュは祈るように身体を小さくしていたセレスティアの肩にそっと触れる。ビクッと肩を跳ねさせたセレスティアが涙ぐんだ目でガナッシュを見上げた。
「セレス、この水に祈りを込めてくれないかな」
「・・・え?」
「傷みや苦しみから解き放たれますようにって」
ガナッシュは黄金に輝く杯に少量の水を注ぐ。それをセレスティアに持たせた。セレスティアはわけもわからず杯を持たされる。「祈ろう」ガナッシュが杯を持つセレスティアの手に自分の手も重ね目を閉じた。「・・・ディオ」弱弱しいセレスティアの声に「ニアンナアム」大丈夫と告げる。セレスティアも目を閉じた。
「ガナッシュ君」
マーカスに呼ばれるまでの数十秒祈りを込め、セレスティアから杯を受け取ったガナッシュはマーカスとベルタに並んだ。
「一瞬、彼らを起こす。その時にその抗菌薬を飲ませてくれ」
マーカスとベルタが二人係りで眠っている男の身体を起こし、パンパンと強めにマーカスが男の胸を叩くと男が小さく目を開ける。
「飲ませて」
ガナッシュはゆっくり男の口に薬を注いだ。コクンと喉が上下したのを確認して、またマーカスとベルタが男を寝かせた。同じ行為を他の重傷者たちにも行う。その姿を治療にあたっていた地元民、村長、そしてセレスティアが見ていた。
「ベルタさん、伝えてください。彼らに聖女のご加護がありますようにと。早く苦しみから解放されますようにと」
ベルタはガナッシュに向かってお辞儀をすると、村長たちと話をし始めた。
「次に行こうか、ガナッシュ君。聖女の巡業を続けるんだよね」
「はい。各拠点を回ってケガや病気に苦しむ人たちを助けます。・・・・すみません、マーカスさんの手柄なのに聖女のだなんて」
「いやいや、それはないよ。なんてったって薬をつくったのはロゼちゃんとルノだ。僕はそれを使用させてもらってるだけ」
マーカスはアタッシュケースを片付けながら「・・・抗菌薬か」呟いた。
「一体、どうやってこんなものを作るんだろう。小さな傷でも命取りになる戦地では傷口から簡単に菌が入る。たとえ致命傷にならなくてもケガから病気に、病気から死へ直行だ。それを」
「それ、青カビから作られてるらしいですよ」
「え?」
「内緒にしてくださいね。ウチの聖女は少し特殊なんです」
ガナッシュはマーカスの片付けを手伝いながら小さく笑った。いつも薬の中身を聞けば毒だのガスだの言うロゼを思い出して笑みが零れた。
「引き続きセレスティアにも聖女のフリをしてもらいます。そして聖女が回った各地で奇跡を起こせば“本物の聖女”の信憑性が増す。さあ、次に行きましょう」
立ち上がったガナッシュがセレスティアの手を引く。セレスティアはなにも理解していないような顔でガナッシュを見上げるだけ。
「ディオ、あの」
「セレスティアは変わりたくないのかもしれない。今も、昔も、これからも。でも、俺は変わりたい。なにもできなかった無力の自分から変わりたい。奇跡は起こせるんだと、欲しい未来は自分の手で引き寄せることができるんだと。だから俺はこれからも変わり続ける」
手を引くガナッシュの後ろをセレスティアは必死に追った。並びたくても並べない、その後ろ姿を必死に追った。




