57.黒い疑惑から
「いたいた!場所移動してんなよ!探したじゃねぇか!」一斗缶と脱穀機を担いだフラミンゴが顔を真っ赤にして噴き出る汗を拭った。
「フラミンゴさん、今から溶剤をガスでぶっかける。上手くいくかわかんないけど」
「ガス?」
「ルノちゃんは隣の家から二階に上がって屋根に向かって噴射してほしい。私とガナッシュさんで中に行く」
「おいおい、中ってそんなの危なすぎんだろ」
「量が足りないから直接火元にかけるしかないの。フラミンゴさんが言ったんだよ!!一瞬で火を消せって!!」
ロゼはまたフラミンゴの頭をバシバシ叩く。暴力的になっているロゼをフラミンゴは止めようとはしない。大人しく叩かれていた。
「溶剤つくるからお水がいる。フラミンゴさん、噴霧器と一斗缶にお水入れてきて。三分の二くらい」
「まかせろ!」
「ルノちゃんは装備品を整えてほしい。ゴーグルと手袋は私もってるから毛布を一枚、誰かの家から取ってきてくれる?」
「わかった!」
フラミンゴはバケツリレーしている人の列へ、ルノはブルーノの家ではない誰かの家へ不法侵入。「あ、あれは私が言ったやつなのでルノちゃんは悪くないですからね。罰は私が受けますからね」背負われているロゼはガナッシュに後ろから耳打ちする。ガナッシュは頭を倒してコツンとロゼにぶつけた。「責任は全て大人がとる。ロゼはなにも気にしなくていいよ」優しい声で囁く。
毛布を引き摺って戻ってきたルノ。ぜーはーぜーはーと苦しそうに呼吸しながら水を汲んできたフラミンゴ。ガナッシュはロゼを地面に下ろし、ロゼは大急ぎで作業に取り掛かる。噴霧器の中にルノが作ったカリを入れて蓋をした。「ルノちゃん、このポンプを上下に押して空気を圧縮して。固くて動かなくなったら止めてね」ルノはロゼに駆け寄り噴霧器のポンプを押し始めた。
「ガナッシュさんって確かナイフ持ってましたよね。この一斗缶の部分に指一本入るくらいの穴を開けてもらえますか?ホースを繋げます」
「ホース?」
「足踏みペダルに繋がってるホースです。申し訳ないけど脱穀機を分解します」
フラミンゴが顔を真っ赤にして必死に持ってきた脱穀機に向かって指をさすロゼ。足踏みペダルで空気を送ることによって回っていた脱穀機。「ウェストさんになんて言われるか・・・。でも、緊急事態だから、うん」まるで自分に言い聞かせるように呟いたガナッシュは脱穀機を破壊し始めた。腰に付けていたナイフを取り出し脱穀機本体とペダルを繋ぐホースを乱暴に切り放す。そして握りしめたナイフを振り上げて一斗缶に突き刺す。無心で突き刺す。ひたすらナイフを突き刺すガナッシュの恐ろしい姿にロゼとフラミンゴは若干血の気が引いた。そんな二人の表情に気づかずガナッシュはガン!ガン!と何度も一斗缶を叩く。穴が開くまでガナッシュは何度も何度も感情の見えない無表情でナイフを振り上げていた。
ガナッシュが一斗缶に穴を開けるまでの間にロゼは密封された袋から粘土を取り出し揉みこむ。柔らかくなるまで揉んでいると「も、もういいんじゃねぇか?」静かに荒ぶるガナッシュに顔を引き攣らせているフラミンゴが言った。ロゼはガナッシュから一斗缶を受け取り、脱穀機から取り外したホースを穴に入れていく。その隙間を埋めるように粘土でパテ埋めした。そしてホースの先にノズル代わりのシリンジを取り付けた。
今度は行商箪笥に手をかけ中から重曹を取り出す。「全部入れちゃえ」ロゼは手持ちの重曹を一斗缶の中に全て入れ、少量の粉せっけんも入れた。「ガナッシュさん、すみません。溶かしたいので振ってもらえますか?こう、回す感じで」まだ無表情のままでいるガナッシュ。「ガナッシュさん!お顔、こわい!」ロゼがガナッシュの目の前に手を上げて左右に振った。「・・あ!ごめん!」我に返ったガナッシュはいつもの顔に戻り、慌ててロゼから一斗缶を受け取る。
「・・・・かなり溜まってそうだな」
「なにが?」
「アイツも酒飲んで嫌なこと忘れられる性格だったら、少しは楽になれたかもな」
フラミンゴが大きく息をつく。そしてロゼの頭を撫でるようにわしゃわしゃとかき回した。
今度はルノから受け取った酢の瓶に紐を括り付けるロゼ。ガナッシュから一斗缶を受け取り、吊るすように中に瓶ごと入れて紐を噛ませながらしっかり蓋をする。
「ロゼちゃん、もう動かないよ」
「ありがとうルノちゃん。今度は装備しようか」
ロゼはまた行商箪笥を漁る。白い手袋とゴーグルを取り出しルノに渡した。
「ルノちゃん、よく聞いて。この液はとても危ないの」
「危ないの・・・?」
「うん。目に入ったら失明しちゃうし、肌に触れると皮膚が溶けちゃうの。と~っても危ないんだよ」
「・・・・私、やっぱり良くないもの、作ってたの?」
「ううん、違う。たとえ危ないものでも、どう使えば人の役に立てるのか、それをルノちゃんに知ってほしい。ルノちゃんはノワイズ村では魔女として人から嫌われていたかもしれない。魔女とはなにか知らない人たちが勝手に恐れていたかもしれない。けど、それをひっくり返そう?悪くない魔女だっているんだよって。みんなのことが大好きな、恥ずかしがりで褒められたがりの優しい魔女だっているんだよって、みんなの意識を変えよう」
ロゼがルノの頬を撫でる。目に涙をいっぱいに溜めたルノが頷くと大きな雫が零れて落ちた。それをロゼが拭う。フラミンゴはルノの頭から毛布をかけて落ちないように腰のあたりで紐を結んだ。前が見えるかわからないくらいフード部分を深く下げ、ルノが持っていたゴーグルと手袋を嵌めてあげる。「ルノ、怖がらなくても大丈夫だ。用心にこしたことは・・」フラミンゴが噴霧器に手をかけようとしたその手をルノがべちんと叩いた。驚いたフラミンゴが動きを止める。毛布を深く被っているルノの顔は誰にも見えない。
「怖く・・・ないもん!私・・・私が!ロゼちゃん助けるんだもん!!」
「お、おい!ルノ!」
潤んだ瞳を力いっぱい見開いたルノは「いくっ!!」とフラミンゴを置いて一足先にブルーノ宅の隣の家へと走った。「おい!こら!!」慌ててフラミンゴがルノを追う。
「ルノちゃん・・・怒っちゃった」
「怒ったんじゃないと思うよ。ルノも俺と同じ。自分の至らなさでロゼを傷つけてしまったことに苦しんでいたと思うから、役目を与えられてそれをやり遂げたくって必死なんだ」
ガナッシュはまたロゼを背負った。「しっかり掴まっててよ」少し身体を倒してロゼが落ちないようにする。ロゼの足を持ちながら一斗缶も持ち上げた。ロゼはぎゅっとガナッシュに掴まる。
「すみません、水ください!」ガナッシュが声を上げ、バケツリレーしている人たちからバケツを受け取ると、二人で頭から水を被った。「本気か!?本気で炎の中に入っていく気か!?」ウェストはガナッシュに背負われているロゼの肩を掴んで強く引っ張って止めようとする。「これ以上の延焼は危険です。畑も守らなきゃ。だってウェストさんたちヒルケット村の人たちが大事に大事に育ててきた麦を台無しにしたくない」ロゼの言葉に肩を掴んでいたウェストの手の力が弱まる。「だからって・・・君たちを犠牲に」手も口も僅かに震えていた。
「ガナッシュさん、中は煙も酷いと思います。せめて水で濡らした布を」
「そうだね。ウェストさん、すみません。これで俺のズボンの裾を切ってもらえますか」
ガナッシュは持っていたナイフをウェストに渡した。ウェストは受け取ろうとしない。ナイフを受け取らず、自分の着ていたシャツを脱いで「んぎぎっ」と真っ二つに切り裂いた。「くさかったらごめん!」と言ってバケツの水に浸し軽く絞ってはガナッシュとロゼの顔を覆う。
「本当は止めなきゃいけないんだと思う。さっきはああ言ったけど、あれは八つ当たりみたいなもので、本当は君たちが悪いとか、責任取れとか言いたかったわけじゃなくて」
「いいんです、ウェストさん。俺たちもウェストさんにああ言われたから動いているわけではありません。自分たちの意志ですから」
「け、けど!」
「どうか、俺たちのことを信じて待っていてください」
「・・・・なにする気なのかわからないけど、絶対に無事でいて!俺は・・俺は、君たちを信じたい!」
涙声で声を震わせたウェストにロゼもガナッシュも頷く。と同時に微笑んだ。
「ガナッシュさん、付き合わせてごめんなさい」
「謝らないで。これは俺のしたいことだから」
「でも火の海に飛び込むなんて普通なら死んじゃいます」
「そうかもしれない。だから俺もロゼを連れて炎に突っ込みたくはないよ。けど、ロゼのこと信じてるから」
「みんな私のこと信じすぎですよ!」
「あ、ごめん。信じてる、って言葉は少し違うね。まるでロゼに丸投げしてるみたいだ。・・・違う。俺は、自分の信じた道を突き進みたいだけなんだ。その先にいつもロゼがいる。その先に行きたいだけなんだ」
ガナッシュはロゼを背負いなおした。「消火が行き渡らなかったとしても必ず戻る。俺にとって大事なのは聖女としてのロゼじゃない。奇跡なんか起こせなくたっていい。たとえ魔女だと非難されても、この状況をひっくり返せなかったとしても、俺は、ロゼを信じ続けるしこの手を離したりしない」ガナッシュがロゼの足を支える腕に力を込める。ロゼはガナッシュにしがみつきながら、一斗缶に繋がれているホースを力強く握った。
「行くよ」
「はい!」
ガナッシュは赤く燃えるブルーノの家の中に突入する。煙で視界が閉ざされる。焼かれる熱に意識が遠のきそうになる。もちろん息なんかできない。バケツリレーの成果か、一階まで火は来ておらず二階へ上がる階段の火も消えていた。燃えているのは二階。火元は薬品が爆発した部屋。見上げた階段の先は炎による赤い光が揺らめき全身を照らす。突っ込むには勇気とは別の無謀さが必要になってくる。
「ガナッシュさん!消火剤をかけます!そのまま階段を駆け上がって窓から出ましょう!」
「一斗缶を逆さまにしてください!噴射します!」ガナッシュは持っていた一斗缶を地面に下ろし、蹴って倒した。ガナッシュに代わり今度はロゼが一斗缶を持ち上げる。すぐにロゼの持つホースから白い泡が勢いよく出てきた。ガナッシュは長い足を使って階段を駆け上がり、あえて炎に突っ込んでいく。ロゼも目を細めて、床や壁、天井など火の見えるところへ消火剤を振りまいた。消えろ!消えろ!と心で念じる。作った消火剤はこの一斗缶一つだけ。完全に消火させるには足りないはず。あとは念でどうにかするしかなかった。
ガナッシュは炎の熱により火元の部屋へ入ることはできなかった。廊下からロゼが必死に消火剤を振りまき勢いが弱くなったタイミングで隣の部屋へと移動する。窓から顔を出し隣の部屋を見ると、部屋は赤い炎の色で染まっておらず白い煙を上げていた。熱風で蒸されて苦しい。下を見れば、バケツリレーをしていたヒルケット村の人たちの手は止まっており、口を半開きにしながら家を見上げている。ガナッシュは窓枠に手をかけようとすると熱さに驚いて手を跳ねさせた。
「ロゼ、飛び降りるから身体を密着させて。あと舌を噛まないように食いしばるんだ」
一斗缶を手放し、ガナッシュはロゼの足を自分の腰に絡める。腕を引っ張りロゼの顔を自分の顔の横にぴったりつけて二階から飛び降りた。「うわああっ!」ウェストの声が響く。二階とはいえ、船から何メートルと離れているコンテナに飛び降りたガナッシュからしてみれば大した高さじゃない。できるだけ振動を響かせないように膝の屈伸だけで衝撃を吸収したガナッシュが両足で着地すると、ゆっくり前方に身体を倒して両手を地面につけた。「ばかっ!!あぶなっ!!!」既に着地したガナッシュとの音がズレるようにまたウェストが声を荒げる。ガナッシュとロゼも声が投げられた宙へと視線を投げると、屋根から屋根にハシゴのように雨どいが取り付けられており、その上を駆け足で移動するルノが目に映った。
「ルノちゃん!!」
ルノは黒煙が上がる屋根の上に吸い込まれていく。黒煙が渦を巻いて上がる屋根の上の様子は全く見えない。すぐ黒煙は薄くなり白煙に変わっていく。「ルノちゃん!!」叫ぶロゼの声にルノの返事が返ってくるわけがない。隣の家の二階にいたフラミンゴが慌てて屋根の上に登ろうとするが、彷徨わせている手はどこを手掛かりにしたらいいのかわからない様子。あたふたとするだけだ。
「ルノ!!ルノ!!どこだ!!」
ガナッシュはロゼを下ろすと家の外周を回りルノを探す。白い煙で姿が全く見えない。「ルノ!!」ガナッシュが叫ぶ隣で「ワンワンワワワン」ドリューが吠えだした。耳と尻尾をピンと立て、その場を何度も跳ねながら吠える。ガナッシュはその場に構えた。すると煙とは違う白い塊が動き出す。噴霧器を背負ったままのルノが屋根から落ちてきた。「ワンワワン!」ドリューの声に引き寄せられるかのように、待ち構えていた場所に落ちてきたルノをガナッシュがしっかりと受け止める。
「ルノ!!」
「うー・・」
ルノに意識はある。だが熱気に蒸されぐったりしていた。ガナッシュは急いで毛布を引き剥がす。
「ガナッシュ!ルノ無事か!?」
「無事です!!」
「~~っかあ!無茶しやがって!」
「もー!フラミンゴさん!ルノちゃん止めてよ!二階からって言ったのに!」
「急に猿みたいにスルスルと上に登っていったんだよ!止めれるか!」
フラミンゴは振り上げた拳を力強く壁に打ち付ける。「ああもう!!寿命が縮んだっての!!」そして二階から姿を消し一階へと下りてきた。ガナッシュは汗なのか溶剤なのかわからない濡れたルノの顔を拭う。
「ルノ、息できるか!?すぐ冷やそう!」
ルノに返事はなかった。返事はなかったがガナッシュの胸に顔を埋める。
「怖くなんか・・なかったもん!だって、ロゼちゃんだって!!」
うわああっ、と大きな声を上げて泣き出したルノはガナッシュにしがみついた。ガナッシュは落ち着かせるように何度もルノの頭を撫で、ドリューもルノの背中に顔を寄せる。
「聖女って・・・本当だったんだ」
ルノへと視線を投げていたウェストの顔がゆっくりと自分の足元に座っているロゼの方へと向く。「白い・・・泡と煙、あっという間に」ロゼには真っ白の泡が頭に乗っかっていた。ロゼたちを囲んでいるヒルケット村の人々もざわめき出す。互いに顔を見合わせ、口に手を当てては何かを囁き、その視線をロゼに集中させた。
「・・・噂、なんてのは事実を元に、違った解釈が入り混じって、自分たちの都合の良い方へと歪曲させられる」
「・・・・・。」
「事実というのは燃え尽きた灰のようにそこに残ってるだけであって、その結果をどう解釈するのかは己次第なのではありませんか?」
ウェストの隣を通り過ぎ、フラミンゴはロゼの隣に膝をついた。白い泡の乗った頭を撫で「さっきまでは煤で真っ黒だったのにな。いまじゃ真っ白だぞ、ロゼ」フラミンゴは力なく笑った。
「フラミンゴさん、ブルーノさんのおうちの修理代」
「俺が出す。気にすんな」
「あと、ビーグルさん、大丈夫なの?ケガしたとか」
「あ、忘れてた」
後ろを振り返ったフラミンゴは人の群れから少し離れたところでビーグルを治療しているマーカスに目をやる。眠っているのか、大人しくしているビーグルの隣でマーカスは微笑んでいた。小さく頷き、微笑んでいた。
**
ゴルドバ村長の急襲、突然の火事、急に始まった糾弾、その顛末、たった数時間で怒涛の展開を繰り広げたヒルケット村の人々は、その場を動くこともできず立ち尽くしたまま視線だけをロゼたちに向けていた。そこに四名ほど新たな人物が加わる。「市長、無事ですか!?」保安官の格好をした新たな加入者はある人物を市長と呼んだ。
「僕は無事です。今すぐゴルドバ村長を逮捕してください。彼は人を撃ちました。ここにいる人々全員がそれを目撃しています」
「了解です。・・・しかし、当人はどこに」
フラミンゴとウェストにロープで縛られていたはずのゴルドバがいない。この騒動の合間に逃げだしたようである。
「彼の逃走先はノワイズ村でしょう。金を持って逃亡を計ろうという魂胆だと思います。すぐ村へ行ってください。詳しいことは後ほど」
保安官四名はマーカスに一礼するとノワイズ村へと向かった。その姿を周りは眺めているだけ。「・・・市長?」フラミンゴの呟きに振り返ったマーカスはにっこり笑い「フラミンゴさん、すみません。僕も聖女様の加護に与らせてもらえないでしょうか」ビーグルの元から動こうとしない。フラミンゴはロゼを背負い、その後ろをルノを抱きかかえたガナッシュが連なった。
「マーカスさん、あなたは一体」
「皆さんには多大なご迷惑をおかけしてすみませんでした。けど、僕の願いは成就した。お礼を言わせてください。ありがとうございます」
マーカスが地面に額が付きそうなほど深く頭を下げた。並んでホアンナも膝をつき頭を下げる。「いや、待ってください。一体どういうことなのかを説明してもらわんと」慌ててフラミンゴも膝をついた。隣にロゼを下ろす。
「・・・市長、なんですか?」
「・・・はい。名ばかりですがフェズィの市長をやっています。ジョーイ・マルチネスと申します」
「マルチネス!?」
ガナッシュが驚きの声を上げる。「まさか、マルチネス伯爵ですか!?王権より市民権の強い国政を上手く議会で取りまとめ、王室からも市民からも信望の厚いと有名な、あの」ガナッシュの言葉にマーカスは首を横に振る。「それは伯父の方です」
「さっきも言いましたよね。僕は名ばかりなんです。役職を伯父に押し付けられてるだけなんです。そのお目付け役がホアンナ。僕は彼女に監視されてる可哀相な人間です」
「違います。市長としての仕事を放棄している先生を監視しているのではなく、無理ばかりなさる先生の補助をしているのです」
「医者・・というのは本当なんですか?」
「こっちが本職です」
マーカスは横たわっているビーグルの肩に手を置く。麻酔で眠らされているビーグルの肩はしっかり止血されており、腕が動かないようにガチガチに固定されていた。
「僕の本職は医者ですが、市長という肩書も嘘ではない。なので、とある相談が市民から寄せられました。ノワイズ村のことです」
マーカスはちらっとルノに視線をやる。ルノはサッと目を逸らした。
「数年前、僕の元にあるご家族が相談に来ました。ノワイズ村のゴルドバ村長についてです。放っておくと後々大変なことになるかもしれないと」
「数年前からそのような話が」
「はい。しかし僕はフェズィの首長ではありますが、ノワイズ村の首長はゴルドバ村長です。ですからノワイズ村のことについて口は挟めないんですよ。ですから伯父を頼って、国に動いてもらおうとしました。ですが止められます。そのご家族の娘さんが人質になっているというので、迂闊に調査に入ることができなかったのです」
「まさか・・・・。」
フラミンゴはガナッシュを見上げる。ガナッシュも視線を落とした。
「そう。その娘の名はルノ。君のご家族から僕は相談を受けていたんだ」
ルノはマーカスと一切目を合わさない。ぎゅっとガナッシュにしがみついている。
「ノワイズ村では女系の三番目に生まれる子供を魔女に祀り上げる風習があるそうです。そのご家族は長女、次女をもうけていたので三人目は生まないようにしたらしいんですけど・・・・まぁ、この話は置いておいて、結果的に三人目の女児が生まれた」
「それをゴルドバが取り上げたわけですか」
「そうですね。元々ゴルドバ村長は魔女信奉が強い方だったようです。他の者たちは、過去に魔女を輩出した村として弾圧を受けたこともあり、そのトラウマから外部の人間との接触をさけてきたようですがゴルドバ村長はその逆で、自分たちは人よりも優れた特別な力をもつ魔女を抱えていながら、どうして身を潜め細々と貧しい暮らしをしなければいけないのか、とよく話していたそうです」
フラミンゴが、ふむと頷く。「でしょうな。あれほど貴族に固執して自らもそうであるかのように演出している様を見ていると、そういった感情に支配されていたのは頷けます」ガナッシュは怯えるルノを抱きかかえたままロゼの隣に腰を下ろす。ぎゅっとガナッシュにしがみつくルノの頭を慰めるようにロゼは撫でた。
「僕も何度かゴルドバ村長に接触を試みたのですが、どうやら僕のことを他の貴族たちから聞いていたようで相手にしてもらえませんでした。近づくとすぐ逃げられるんですよね」
「後ろに控える伯父様の存在に危機感を持っていたのでしょうな。ゴルドバはそういった真面目で実直な貴族を相手にはしていませんでしたよ。私が村に入れたのも汚れた侯爵の名を上げたからですからね」
「話をすることさえ許されない。伯父も頼れない。一体どうしたもんかと頭を捻らせていたんですけど、ついに事件が起こってしまう。・・・フェズィのとある貴族一家が全員謎の死を遂げたんですよね」
「・・・死?」
「無理心中のようにも思えましたが、そこまで困窮している様子はありませんでした。しかし、人から聞いた話によると、数日前に魔女の薬を求めてノワイズ村を訪ねていたというんです」
マーカスは顎をさする。「後々大変なことになる。その言葉が脳裏をよぎります。僕はその遺体を検死することにしました。そしてその家族からは青酸特有の腐臭が検出されました」ガナッシュはルノの耳を塞ぐ。ロゼからルノの作っていた薬の話を聞いていたからだ。
「それからしばらくして、また別のところで死体が上がりました。死因は別でしたが、もしかするとノワイズ村は、魔女を使ってこれまでの復讐をしているのではないかと考えたのです。ですが毒を撒き散らし人を死に追いやるその所業、それは医者としての僕、市長としての僕、どちらも許すことができません。僕はこれ以上被害を広げないために保安官に依頼しノワイズ村の強制捜査を求めました。が動いてもらえませんでした。その理由は・・・別のところで奇跡が起こるからです」
「奇跡?」
「フラミンゴさんも魔女の薬が人気なのはご存知ですよね。魔女の薬として販売されているものは効果が高いんですよ。毒を以て毒を制す、だから医者の治せない苦しみから解放してくれるのは魔女のおかげだと一部では言われていました。ノワイズ村から出回っているであろう薬もそうです。ですから意見は二分に分かれます。魔女の薬を悪とする者と善とする者。もちろん強い立場の貴族たちは薬の規制に反対です。多くの貴族に反対されてしまっては、メンツを気にする保安官たちも迂闊に動けない」
マーカスは深いため息をつく。「歴史的に見ても一方的な魔女狩りは愚の骨頂です。魔女に関しては誰しもが慎重にならざるを得ない。私見でノワイズ村を摘発するわけにはいきませんでした。もう僕一人の力では限界があった。その一方で、ノワイズ村にはどんどん人が集まり出す。僕は焦っていた。だから聖女に縋ったんだ。カロッチャ島の未来を予知する聖女に」マーカスはロゼに顔を向けて微笑む。
「けれど、そこで出会ったのは逆境をひっくり返す聖女だった。どんな苦しい状況でも好転させる不思議な存在。・・・これしかないと思った。多少強引にでもこちらに協力してもらえるように引き込めれば必ず現状打破できると」
「多少どころか、かなり強引でしたがな」
「僕の目的はルノをゴルドバ村長から引き離すことでした。強制的に薬を作らされているであろうルノを保護することです。ですがそれだけではまた新たな魔女が生み出されてしまう。負の連鎖を止めるなら魔女を“悪”と仕立てた方が人々の警戒心が高まり、ゴルドバ村長も下手に動けなくなると思ったんです」
「だからあのような狂言を」
「もちろん皆さんに悪者になってもらおうとは考えていませんでした。ロゼちゃんを眠らせようとしたのも巻き込まないようにと思ってのことでして」
「いや、一言言ってくれればロゼも、もちろん俺たちだって」
「僕は僕なりにサインは出してましたから、きっとわかってくれていると思って!ひっくり返すぞ!ってアピールしてましたよね!ずっと!」
「ずっと胡散臭かったのはそれか・・・!二つの顔でコロコロと・・・!」
「ロゼちゃん!ケガをさせてしまい本当にすまない!けど、何度だって言い訳させてほしい!火をつけたのは君だ!」
「マーカスさん!」
唸るような声でフラミンゴがマーカスを呼ぶ。マーカスは肩を窄めて小さくなったが顔は笑っていた。
「マーカスさんは、ルノちゃんを助けたかったんですか?」
「そうだよ」
「もしルノちゃんが作っていたものが悪用されていたとしても、それでルノちゃんは罰せられたりしないですか?」
「本来なら罰せられる。けど、実際に悪いことをしていたのは、無知な子供を利用し強制労働をさせ、金を荒稼ぎしていたゴルドバ村長だ。情状酌量はいくらでもできるよ。それにルノの作っていたものは一概に“悪いもの”とは言えないんだ」
「え?」
「フラミンゴさんが手に入れた薬は様々あったけど、特に貴族たちが欲しがっていたもの。それは神の薬とまでいわれたアヘンによるものだった」
「アヘン・・ですか?でもアヘンは」
「麻薬だね。だから規制されてる。けどノワイズ村からこっそり出回っていたみたいだ。一つはローダナムという昔流行った薬として。そしてもう一つがモルヒネ。これがまあ金になる。規制されたものは裏で高額で取引されることが多いけど、このモルヒネは医者も欲しがる、いや、医者だからこそ欲しがるもの。だから医者である僕が薬の説明をして、今後悪用されないように僕の方でルノを保護すればいいだけさ」
マーカスは今までに見たことのない柔らかい笑顔でロゼを見る。
「よく、あの状況をひっくり返してくれたね。僕を、そしてルノを助けてくれてありがとう」
「いえ、私は」
「聖女は本当にいたんだね」
マーカスはロゼに向けていた笑顔を今度はガナッシュに向けた。
「ルイズベート卿、今まで散々失礼なことを言って申し訳なかった。僕個人の都合とはいえ、君には相当な心配をかけてしまった」
「・・・・・・。」
「・・・怒ってるね、その顔」
「当たり前です」
「君たちの立場を利用してしまったんだ。許されないのも仕方がない。村のみんなにはこのことを僕からきちんと説明するよ。って、フェズィの市長だってことも黙ってたからみんな困惑するだろうな」
「マーカスさん」
「ん?」
「あえて偽名で活動していたのでしたら、俺の気持ちもわかってもらえますよね。俺もあなたのことをマーカスさんと呼びます。だからあなたも」
「わかったよ、ガナッシュ君。・・・君の父君とも取引がある僕的にはかなり抵抗があるけど、これ以上嫌われたくないしね」
立ち上がったマーカスはガナッシュの肩をポンと叩いて「ごめんね」と謝り、ウェストたちヒルケット村の住民のところへ歩いて行った。
「・・・ごめんで済まされるもんじゃないと思うんだけど」
「マーカスさん、良い人だったんですね」
「良い人・・かなぁ」
溜め息と共に言葉を零すガナッシュ。その顔にロゼは手を伸ばす。前髪についていた白い泡を拭った。「私たち真っ白ですね」笑ったロゼが小さく揺れると肩に乗っていた白い泡が消えることなくポトっと落ちた。
「・・・ああ、真っ白だ」




