46.夢の向こう側
灰まみれだったロゼが海に飛び込んだせいで灰が塊となり服にべっとり付いてしまった。「きもちわるい」ロゼは陸に上がらず海の中で洗濯するように服をゴシゴシこすっている。その隣をガナッシュは離れない。
「えー?どうして僕らのお迎えは蒸気船じゃなくて、こんなに小さな舟なの?」
「迎えに来ただけマシでしょ!っていうか、どうして無事なのよ!あれだけの大噴火だったのに!」
「なんで無事で怒られなきゃいけないんだろう」
ジニーは灰がこびりついた眼鏡を外した。「・・・・えっ!?」ミリアが声を上げて息を呑む。
「・・・・・・理想をぶち壊すんじゃないわよ!!そこは、むっさい男が眼鏡を外したらイケメンってのがスジってもんでしょ!?なによ、その子供のようなつぶらな瞳は!!まんまるしちゃってギャップが気持ち悪いわ!!」
「勝手に夢見るそっちが悪いのに」
ジニーはミリアに顔を向けず自分の服で眼鏡を拭いている。再度眼鏡をかけると「やっぱ見えないや」今度は海に行って眼鏡を洗い出した。
「お前たち・・・よく無事だったな」
ポラリスがフラミンゴを見上げて大きく息を吐く。「ええ、今でも生きてるのが不思議です」フラミンゴも灰まみれになった頭を搔いて灰を振り払った。その後ろでビーグルがフラミンゴを呼ぶ。
「おっさん、ジンが怖がって全然動かないんだけど」
「動物は人間より敏感なんだ。無理に引っ張るな」
ビーグルがジンの手綱を引っ張るのをジンは拒否して踏ん張っている。「・・・馬って泳げんのかな」この調子では小さい舟に乗りたがらないであろうジンを心配そうにフラミンゴが見つめた。
「詳しい話はあとじゃ。早くこの島を離れるぞ。いつまた噴火するかわからんからな」
ポラリスが舟に戻ろうとする。ひっくり返った舟の中に溜まった水をロゼとガナッシュとジニーで汲んで外に出していた。「こんな小さな舟・・怖いな」さっきの大噴火のときですら平然としていたロゼの顔が蒼褪める。そんなロゼの頭をよしよしとガナッシュが撫でた。「大丈夫。離さないから」そのやりとりを見ていたジニーが優しい目をして「引き離しちゃって悪かったね」小さく頭を下げた。
怯えるロゼとジンは一緒のボートに乗り、そこにガナッシュとフラミンゴも同乗した。もう一つのボートにはポラリス、ミリア、ジニーにビーグル、門番の男と、どちらも重量オーバー気味で水面ギリギリまで沈むボートに全員怯えていた。カロッチャ島に向かうまではスイスイ進んでいたボートも帰りは進みが悪く波に流されてしまう。心配になったのか蒸気船の方が近づいてきた。人間は下ろされたハシゴを上り、馬のジンはワイヤーで引き上げられた。恐怖に怯え暴れまわり声を上げるジンの姿は少し可哀相だった。
「ディオ様、これで全員ですか!?」
「ああ、待たせて悪かった。国に戻ろう」
船員は「はいっ!」と目に涙を滲ませ敬礼をした。プオォーーッと汽笛が鳴ると、船内にいたカロッチャ島の住民や観光客が一斉にワアッと声を上げた。戦士たちの帰還を喜ぶ声のようだった。
**
灰まみれ、そしてびしょぬれになったロゼは着替える服もなく、用意されていた毛布に包まり縮こまっていた。「ロゼ、寝とるんか?」ガナッシュの膝の上に横になって目を閉じているロゼの顔を覗き込んでポラリスが呟く。
「ロゼは船が苦手なんですよ。船酔いする前に横になって休んでいるうちに、そのまま寝てしまいました」
ガナッシュは猫を撫でるような手つきでロゼの頭を撫でる。ずっと撫でている。ロゼは安心しきった赤子のように小さく口を開きスゥスゥ寝息を立てていた。
「おっとロゼ君、寝ちゃった?ずっと気が張ってたもんね」
「ジニーさん。色々とありがとうございます。ジニーさんがいなければきっと助かりませんでした」
「いやいや、そんなことないよ」
「そうよ!アンタに何ができたっていうのよ!」
「君に言われたくない」
ジニーはミリアの顔を見ようとしなかった。「しかし、あれだけの大噴火に巻き込まれて無事じゃったとは・・・一体どうやって難を逃れたんじゃ?」ポラリスがジニーを見上げて訊ねる。ジニーは両手を腰にやって小さく仰け反った。ゴキゴキと骨の鳴る音がする。
「意外なところでブルジョワたちに助けられたよ」
「ブルジョワたちに?」
「彼らが温泉を掘る為あちらこちらに開けた穴。そこに落ちた。そしたら頭上を黒い煙が通り過ぎていって驚いたよ」
「え?そんな呆気なかったんですか?」
「呆気なかったってそんな簡単に言わないでくれる?」
「す、すみません」
「もう必死で逃げたね。真っ暗な穴の中を。穴はトンネルのように繋がっていて必ずどこかの穴に出る。それは知ってた。ほら、ミリア君が穴に落ちたときも同じようにして他の穴から出たんだよ。それをわかっているのに、ああいう状況のときは不安になるもんだね。あー怖かった」
「地下トンネルだなんて・・・危険じゃないですか?山からは溶岩が噴き出してましたよね」
「場所がよかったのかな?火口から離れてたし。でも、一つだけ僕じゃどうしようもなくって」
仰け反らせた身体を戻しジニーはガナッシュに撫でられているロゼに視線を落とす。
「ガスがね。きつかった」
「ガス?」
「火山ガスさ。ガスは目に見えない上に、窪地に溜まる。穴の中にいる僕らは酸欠及びガス中毒で絶体絶命。ああ、やっちゃたなーって思ってたところで、ロゼ君が急に水を撒きだして」
「ロゼが?」
「先頭に立って道を開くように水を噴射するんだ。あのリュックサック、重そうだなって思ってたけど噴霧器まで入れてたんだね。驚いたよ。とにかく急いで穴から出て今度は海に走った。そしたらそこには昔の漁村があってね、それで確信した。ああ、助かるな、って」
「なんで?」
眉を顰め首を傾げたミリアが訊ねる。「昔の人ってのは自然を熟知している。ここに家を建ててはいけないとか、あそこに行ってはならない、これは食べてはならないとかね。だから浜に集落を発見したとき、昔この島に住んでいた人は山じゃなくて海で暮らしてたんだってわかった。山を恐れ、度々起こる噴火と上手く付き合っていたのだろうと」そう話すジニーの先にはポラリスがいた。ポラリスはジニーに顔は向けず「・・・そんな日もあったな」と弱弱しく呟いた。
「濠を見つけたから、そこでぎゅうぎゅう詰めになりながら噴火が静まることを祈ったよ。僕一人だったらこの千載一遇のチャンスを逃したくなくて調査に出かけてたかもしれないけど、守るべき存在があったからね」
「・・・・本当に、ありがとうございました」
「こちらこそ。ロゼ君のおかげでいい経験ができたよ。僕にはこの島にいる人たちを助けるという選択肢はなかった。僕は学者だ。きっと逃げ惑う人たちのことも、荒ぶる山のことも俯瞰して見るだけで助けようと動くことはなかっただろう。けど、ロゼ君の探求心は僕とは別の方向に向いていて“助けるためには”についてずっと解を求めていた。それが僕には興味深かったんだよ。だから、ありがとう。こんな楽しい研究に誘ってくれて」
ジニーがいつものチューリップハットの帽子を取り頭を下げる。ロゼを膝の上に乗せているガナッシュは身動き取れず、首を左右に振るだけだった。
「強いていうなら、もう一つ」
「どこかの夢見がちな乙女が、奇跡を呼び寄せてくれたのかもしれないっていうのも考慮しておくよ」ジニーはポンとミリアの頭に手を乗せる。
「どうもありがとう」
そう告げるとすぐ手を離し「僕も寝てくる。疲れた~」と大きな欠伸をして船内に入っていった。ミリアは「やだーあ!!触んないでよ!!汚らわしい!!」と埃を払うように頭をはたく。どことなく顔が赤い。
「素直に喜べばいいものを」
「ちょっと!ポラリスさん!勝手なこと言わないで!」
「お前さんのような跳ねっかえりには、あれぐらい鈍い男がいいってもんよ」
「やーめーてー!!」
ミリアは両手で耳を塞ぎ「ポラリスさんのバカ~!」と言いながらミリアも船内に入っていった。「ったく、理想ばっかり追い求めよって」ふうと溜め息をついたポラリスはガナッシュの隣に腰を下ろした。
「・・・まさかこれだけ多くの人が助かるなんての。こんな未来、誰が想像できただろうか」
「そうですね」
「・・・・・のう、ガナッシュや」
「はい」
「この子は、ロゼは何者じゃ?」
ガナッシュは自分の膝の上で眠るロゼに視線を落とす。頭を撫でていた手で頬をついてみた。全く動かない。熟睡している。
「この子は・・・俺だけの聖女様でした」
「聖女?」
「俺はずっとこの子に救われ続けています。この子の存在が今の俺を生かしている。けど、今は俺だけの聖女様ではなくなりました。外に出た彼女は、その力をもって多くの人々に幸せをもたらしています」
どれだけ頬をつついても起きないロゼ。ガナッシュは小さく笑ってまた頭を撫でた。
「ロゼにその自覚はないんですけどね」
「じゃろうな」
ポラリスの顔が動く。ロゼの頭を撫で続けているガナッシュの手に視線を落としていた。
「惚れとんのか?」
「えぇ」
「結婚しとるんじゃろ?」
「まぁ」
「難儀な男じゃの」
「ははは」
ガナッシュは乾いた笑いを零す。「立場上は面倒くさい男なんですよね。けど、そんなのあっさり捨ててしまえるくらい、この子のためなら命すら惜しくない。それくらい深みも重みも何もない空っぽな人間ですよ。俺は」またガナッシュが笑う。
「・・・・安心しろ、ガナッシュ」
「え?」
「ワシにはお前の未来が見えておる。ロゼの未来は真っ暗で見えんが、お前さんのははっきりとよく見える」
その言葉は初めてポラリスに会って占いをしてもらったときと同じ言葉だった。ガナッシュは何も言わずポラリスを見る。今までロゼの方ばかりを見ていたポラリスが顔を上げ真っ直ぐにガナッシュを見た。
「お前さんの未来はワシと一緒。真っ暗な世界の中で、後ろを振り返らずにただ前を突き進むだけ。その闇の向こうで声がする。・・・ロゼの声じゃ」
「・・・ロゼの?」
「ロゼが呼び続けておる。ワシはその声に導かれて夢の向こう側の世界に来られた。全員死ぬと思っていた夢の向こう側に」
「ポラリスさん・・・。」
「諦めるな、ガナッシュ。こんなワシにも救いの手が差し伸べられた。ワシはその手に縋ることを恥じたがロゼは見捨てなかった。ずっとずっとワシのことを呼び続けたんじゃよ。その声にワシは縋った。だからこそ、今、ここにいるのじゃ」
ポラリスがロゼを撫でるガナッシュの手に自分の手を重ねる。「しっかり繋いで離してはならん。お前もロゼもお互いが全然見えとらん部分がある。自分を犠牲にすることを考えるんじゃなく、お互いのために生きよ。そのためにはガナッシュ。お前がしっかりこの子の手を握るのじゃ」グッと力を入れてポラリスがガナッシュの手を握る。
「・・・・ありがとうございます。その言葉が、一番欲しかった言葉かもしれません」
「前は意地悪なこと言ってすまんかったの」
「いえ。・・・・占いも悪くないものですね。こんなにも心が軽くなるんですから」
ガナッシュは溢れそうになる涙を堪えるように顔を上げた。灰に覆われた闇の世界から帰還した今、澄んだ青空のもと大海原に抱かれ温かく注ぐ日差しの心地よさに、自分の夢の向こう側も同じ世界だったいいと、そう願わずにはいられなかった。
**
「ああん?俺様の船を勝手に使った挙句、今度はカロッチャ島の人たちを保護しろって?」
ネラルク大公国の港には勝手に持ち出された蒸気船の帰りを待つファルガがガナッシュを待ち構えていた。
「噴火活動が収まったら作業員を派遣してください。復興の手伝いをします。それまでは、簡易的にプレハブでも建てて住民の保護をお願いします」
「お願いしますって、んな簡単に」
「お願いします」
ガナッシュがファルガに頭を下げた。ファルガもその隣にいたテラも驚いた顔をして何も言葉を発さない。ロゼもガナッシュの隣に駆け寄って同じように頭を下げる。
「おいおい、ロゼまでそんな」
「私が助けてほしいってお願いしたんです。ごめんなさい。その先のことは全然考えてなくて」
「あーあー、やめろやめろ!俺は畏まられるのは嫌いなんだ!」
ファルガがガナッシュの下がっている頭を叩く。
「なら、条件だ。お前が国に残ってカロッチャ島の住民の面倒を見ろ」
「・・・・・。」
「なぁんで嫌な顔すんだ。お前が言ったんだろうがよ」
「・・・・・自分は母さんに丸投げのくせに」
「なんだと、ゴラァ!」
「あ~、やめてくださいよ~。皆さんが見てる前で」
ガナッシュとファルガの親子喧嘩を屈強な侍従テラが止める。「ロゼさんも見てないで、坊ちゃん止めてくださいよ~」情けない声を出しテラが助けを求めた。
「戻ったら全てやります。けど、約束ですよね?三年の旅については」
「あのなあ。それとこれとは別の話で」
「私はあなたの顔を立てるために結婚までしたんです。少しはこちらのお願いもきいてもらえませんか?」
「あのなあ。だから、それとこれとは別の話で」
「坊ちゃん、坊ちゃん!私の方から奥様に話つけておきますんで!これをっ!」
テラはファルガを羽交い絞めしながら手に持っていた紙を渡す。「フラミンゴさんあての電報です。よろしくお願いします。あの、できるだけ早くお戻りくださいね」そういうなりファルガをずるずる引っ張っていく。「ファルガ様!お気持ちはわかりますが坊ちゃんの言い分は最もですよ!ファルガ様だっていっつもアネット様に丸投げなんですから!」テラの言葉に「んだとぉ!」今度はテラに掴みかかるファルガであった。
「さ、船に戻るよ。うるさい人につかまる前に」
「いいんですか?」
「大丈夫。母さんは理解のある人だから。それよりも早く俺はここから離れたい」
ガナッシュはロゼの腕をとって蒸気船でなく、前にも乗ったことのある帆船へと引っ張っていった。
「ポラリスさん、すみません。お構いもできませんで」
「いや、ワシらの方こそ世話になっていいんか?」
「あの筋肉質の男性はテラといいまして、ルイズベート家の使用人ですからあの人を頼ってください。俺はここにいると父親よりも厄介な人に捕まってしまいそうなのでお暇します」
「嫁か」
「わざわざ言わないでください」
逃げるように船に乗り込むガナッシュに、後ろを振り返る余裕もないロゼはそのまま一緒に船に乗り込んだ。その船には帰る手段を失った観光客も乗っていて、どうやらネラルク大公国の帆船は観光客を別の港に送り届けてくれるらしい。
「ポラリスおばあちゃん、また来るからそれまで死んだらダメだよー!」
「死ぬ前にそっちが早めに会いにこんかい!」
「頑張って長生きしてねー!」
「人の話を聞かんか、こら!」
ガナッシュに急かされてすぐ出航した船の上でロゼは大きく手を振る。カロッチャ島の住民たち全員が手を振り返した。「ありがとーーーう!」いくつもの声が重なって、ロゼは海に落ちそうなほど身体を乗り出し大きく手を振り続けた。
「行っちゃった・・・・。いいの?ポラリスさん。もっとロゼちゃんと一緒にいたかったんでしょ?」
「仕方あるまい。ロゼには大事な役目があるからの」
「役目?」
ミリアが手を振りながら視線をポラリスにやる。「ああ」ポラリスが頷いた。
「あの子はみんなの聖女様じゃからな。独占はできんのよ」
「のぉ?ガナッシュや」肩を小刻みに揺らして笑うポラリスの横で、不思議そうにミリアが首を傾げていた。




