40.見えないもの
その晩、ロゼたちはポラリスの家に泊まらせてもらった。もちろん一人暮らしのポラリスの家に人数分のベッドがあるはずもなく、男たち三人は椅子やら床に雑魚寝だった。孫を可愛がるポラリスに捕まっていたロゼだが、早寝早起きのポラリスの隙をついてベッドから出た。物音を立てないように気を付けてそっと部屋を出る。
更に家から出ようとしたときに机に突っ伏すように寝ていたガナッシュを見つけた。軋む床に細心の注意をはらいながらそっと近づく。首筋に金色に光るものが見えた。少し前まで預かっていたガナッシュのネックレスは持ち主の元に帰ったようだ。服の外から少しだけ見えるネックレスを指でなぞるとガナッシュが小さく動いた。ロゼの肩が跳ねる。
しばらく息を止めじっとしていると動いたガナッシュから規則的な寝息が聞こえた。ふぅ、とロゼはようやく息を吐く。今度は自分の右耳についているピアスをなぞった。ちゃんとある。
確かな感触を持つピアス、そして目の前にいるガナッシュを見ているとこれは夢なのか現実なのかわからなくなる。ガナッシュはもうセレスティアと結婚してしまった。今も一緒にいるのはファルガと同じように見聞を広げるため。自分に優しくしてくれるのはお世話になったから・・・?だけど、こんなに近い距離にいてしまっては何かを期待してしまう。これからもずっと一緒にいられるんじゃないのか、この旅は終わらないんじゃないか、みんなで一緒にお店に帰れるんじゃないか。
「夢、かな。夢、だよね」
そんな未来は夢でしかない。なら、夢の中だけでも幸せな未来を見ている自分はとても幸せだ。そして、悪夢に苦しみ続けているポラリスは可哀相だ。
全ての未来が幸せなはずがない。つらい未来も悲しい未来も存在する。だから人は夢を見る。幸せな夢を見る。その夢を引き寄せるために。
「でも、ダメだよ。これは、私の夢であって、ガナッシュさんの夢じゃないもん」
ロゼがガナッシュに覆いかぶさるように顔を近づける。頬に唇を寄せた。掠る程度の口づけにすぐさま身体を引き離し「・・・私のばか」玄関へ向かおうと踵を返すと腰を引っ張られた。急に後ろに引っ張られてバランスを崩したロゼはそのままガナッシュの膝の上に乗り、口が手で塞がれる。叫ぶことすらできないくらいに驚いて身体が硬直した。
「・・・・どこいくの?」
耳元でガナッシュが囁く。口を押さえられているロゼは声も出せなければ息もできていない。無反応のロゼにガナッシュの唇が耳に触れた。跳ねたロゼの肩がガナッシュの顎に刺さり「ん゛っ」聞いたことのない呻き声が聞こえた。
「ご、ごごごめんなさい」
「う゛・・・ん、ロゼ、声小さくして。ビーグルが起きる」
ビーグルは大口を開けながら床で寝ている。フラミンゴは部屋の隅で座って寝ていたようだが、結局そのまま横に倒れて同じように床で寝ていた。
「どうしたの?眠れない?」
「いや、その」
「ん?」
「ポラリスおばあちゃんの夢が」
「夢?」
「夢・・・が、夢で」
ロゼがガナッシュの背中に手を回してしがみつく。「えっ!?」声を小さくするように言ったのはガナッシュの方なのに、ガナッシュは驚きの声を上げた。「ロゼ、どうしたの?怖い夢でも見た?」ロゼがガナッシュにくっつくのは恐怖に震えたランサーとの対峙のときのみ。ガナッシュがロゼの頭を撫でる。
「死んじゃう夢って怖いですよね」
「うん、怖いね」
「それが本当に起きるかもって思うと、もっと怖いですよね」
「うん、怖いよ」
「夢を食べる動物がいませんでしたか?聞いたことある」
「俺も聞いたことある。なんだっけ?明日フラミンゴさんに聞いてみようか」
「私、食べられないかな」
「ロゼが?」
「未来の見えない私だったら、悪い未来を食べてなかったことにできないのかな」
ロゼが顔を俯かせるとガナッシュがロゼを抱えなおすように持ち上げた。子供を寝かしつけるようにロゼの頭を肩に乗せて優しく背中をポンポンと叩く。
「ロゼは悪いものの食べ過ぎでそろそろお腹壊しそうだよね」
「え?」
「最初は・・誰だっけ?あぁ、ゾビ侯爵か。次にランサー。その次は顔が爛れた女性に、山の毒までも食べちゃった」
「食べた?」
「そう、悪いもの全部ロゼが食べちゃった。そして綺麗な空気に変えたんだ。だからそろそろロゼのお腹がね、心配だよ」
「ふふっ、なんですかそれ。私、食いしん坊みたい」
「うん、だからね、少しお腹を休ませてあげないとね」
背中を優しく叩いていたガナッシュの手が頭の後ろに回り、自分の肩に預けるように押さえる。「寄りかかっていんだよ。一人で頑張らなくていい。無限の可能性を秘めてるロゼは頑張りすぎちゃうから、疲れたなって思ったら休んでもいいんだ」肩に預けていた頭にガナッシュの頭が乗ってくる。
「そして、できれば甘える相手は俺にしてほしいかな」
「ガナッシュさんに?」
「そう。どうしてもロゼは何かあればすぐフラミンゴさんだもんな」
「そうでしたっけ?」
「お父さんみたいな人だもんね。頼ってしまうのは仕方がないけど、こういうときは俺にしてね」
頭の後ろに回っているガナッシュの手が心地よくて、強張らせていた身体の力が抜ける。コテンと頭をガナッシュの肩に預けた。いいのかな?ガナッシュさん、王女様と結婚したのに。と頭では思いつつも、何故か「いいんですよ、だって無理やりですから」とセバスチャンの顔が浮かんだ。どうしてセバスチャンの顔が浮かんだのだろう。そうか、これは都合の良い夢か。だからか。
「夢の中くらい、許してください」
ロゼはガナッシュの首に手を回しぎゅっとしがみつくと、ガナッシュの腕が腰に回り身体を支える。あぁ、やっぱり夢は幸せでないといけないな。また、ポラリスのことを思い出した。
**
「はあっ!?帰らないだあ!?」
声を荒げたのはフラミンゴである。ロゼは「うん」と呑気にポラリス家のリビングにて、むしゃむしゃと卵を食べている。
「もう少しいる」
「もう少しってどんくらいだよ」
「ポラリスおばあちゃんが怖い夢を見なくなるまで」
「それってもう少しなのか・・・?」
ロゼは卵の殻を集めて外に出た。ポラリスが庭で育てている芋の周りに殻をぐしゃぐしゃに潰して撒いた。「あ、肥料つくろっと」今度はジンのところに行き荷台からいつぞや貰った傷んだどころか腐った野菜を下ろす。「ジン、今までごめんね。くさかったね」ロゼがジンのお腹を撫でると、まったくだ、とでも言うようにジンが鼻を鳴らす。
「ロゼ、一体どういうつもりで」
「ポラリスおばあちゃんは予知夢を見れるんだって」
「予知夢?」
「そう。この島が大噴火してみんな死んじゃう夢を昔から見続けてるみたい。だから、もうちょっといる」
「なんでそっから“だから”になるんだよ」
フラミンゴの困った顔など見ないふり。ロゼは辺りを見回して薪を割るための斧を見つけた。その斧で腐った野菜を細かく刻んでいく。それから土に混ぜた。
「よしっ。じゃあ、ちょっと山に登ってくるね」
「おいおい、ロゼ!」
「まあまあフラミンゴさん。俺が話を聞いてきますよ」
「お前がか?」
「はい。多分ロゼはポラリスさんに自分のおばあちゃんの姿を重ねてると思うんですよね。ほっとけないんですよ、きっと」
ガナッシュがいつものフード付きマントを羽織った。「ビーグル、ポラリスさんの手伝いをしていてくれ。泊めてくれたお礼に」一緒に出掛けようとするビーグルをガナッシュは家の中に押し込んだ。「自分ですればいいじゃん」ビーグルが口を尖らせる。「俺は後でする。まずロゼの話を聞かないと俺たちもどうしていいかわからない」ガナッシュはビーグルの肩をポンポンと叩くと「頼んだよ。あと卵以外の食料探してて」更なる仕事を押し付けた。
「ロゼ!一人で行かないよ!」
「え?ガナッシュさんも行きますか?」
「当たり前だよ。なんで一人で行こうとするのかな。危ないでしょ」
「山は慣れてるんで平気ですよ?」
「そういう問題じゃない」
ガナッシュはロゼの手を握った。「心配するっていってるの」そして腰を落としてロゼと目線を合わせる。真剣な表情で見つめられて「ごめんなさい」ロゼは謝った。
「ロゼ、急にどうしたの?ポラリスさんの夢がどうのこうの言ってたけど」
「ポラリスおばあちゃんは聖女様なんです」
「うん?」
「予知夢が見れるんですって。見た夢は良いことも悪いことも必ず起こるって」
「へぇ・・・すごいね。そんな人いるんだ」
「だから怯えてるんです。ずっとずっと何十年も」
ロゼはゴツゴツした岩山を登っていく。火口に近づけば近づくほど木は生えておらず、所々から蒸気が噴き出しており、黒っぽい地面に大小様々な石が転がっている。ネラルク大公国の鉱山と似て非なる景色だった。
「本当に、噴火するのかな?」
「噴火?」
「ポラリスおばあちゃんは三十年以上も前から、この火山が大噴火を起こして島中の人々がみんな死んでしまう夢を見てるらしいです。けど、今の今まで噴火は起こっていないから、それはあくまで“夢”なのだと」
「自分の不安な気持ちが夢を見させてるっていうのはないのかな?深層心理は夢に影響しやすいと思うし」
「それもあるかもしれません。けど、そんな都合よく噴火の夢だけは予知夢じゃないって確信は得られないですよね。だから、なにかわかれば」
岩を登る足を片方上げると身体がぐらついてバランスを崩す。後ろに倒れそうになったロゼをガナッシュが受け止めた。「・・・え?」ゴゴゴゴと地鳴りがする。「・・・揺れてる?」地面が揺れてるような気がする。
「ロゼ、危ない!」
ガナッシュが外套をロゼに被せ頭を低くする。小さな石つぶてが身体に当たる感触がした。確実に地面が揺れている。ロゼもガナッシュも身を小さくしてその場に蹲る。視界の端に山の上から転がり落ちる石が映り込んだ。大きな岩石が自分たちにぶつかってきたらひとたまりもない。両手で頭を守りじっと縮こまっていると次第に揺れが小さくなりガナッシュが被せていた外套を外した。ロゼは山の先に振り返る。未だに小さい石が転がっている様子が見えた。
「おーい!!無事か!?これ以上、山に登るのは危険だ!今すぐ下りるんだ!」
視界から外れた山の上から声がした。チューリップハットを被り眼鏡をかけた男性が大きなリュックサックを背負い小走りで山を下りてくる。
「観光客かい?火口に近づくのは危険だ。かなり山が膨張している」
「あ、あなたは?」
「僕は学者だ。ここの火山を調査している。さ、急いで下りよう」
学者の男性は軽快な足取りで山を下りていく。ロゼたちも逃げるように男性の後ろをついていった。また隣で石が転がっていく。「そんなに大きな揺れじゃなかったのにな」男性が転がる石を見ながら呟いた。
山の麓近くまで下りるとテントが建てられてる場所に辿り着いた。「あ、僕の隠れ家まで連れてきちゃった。内緒にしてね」男性は「うっかりうっかり」と言いながら帽子の上から頭を搔く。
「あの・・・火山を調査している学者さん?なんですか?」
「そうだよ、君たち観光客でしょ?もの好きだね。あんなところまで登ってくるなんて。あ、源泉を採ろうとしたのかな?」
「違います!ただ、山の様子を見に」
「山の様子?」
「もしかしたら・・・・噴火」
「ロゼ」
ガナッシュに呼ばれてロゼは黙った。学者の男性はロゼを見ながら意味深に「ふ~ん?」と小さく笑った。
「どうしてそう思ったの?」
「え!?」
「火山が噴火する。僕たちみたいな学者や長く生きる老人たちは現象から導いて考えつくんだけど、君みたいな若い女の子がパッと思いつくものじゃないよね。現にここを占拠しているブルジョワたちですら呑気なものだよ。地震が起きても何も思わない」
学者の男性はテントの中からレジャーシートを取り出し広げた。「どうぞ」とロゼたちを促す。ロゼとガナッシュはレジャーシートの上に腰を下ろした。
「登山家には見えないし、学者にも見えない。はっきりいってカップルにも見えないよね。兄妹かな?」
「ち、違います!」
「ふ~ん、まぁなんだっていいけど」
学者の男性は眼鏡を指でクイと上げロゼを見上げた。
「ジニーです。君は?」
「ロゼです。こちらはガナッシュさん」
「覚えやすくていい名前だね。それでロゼ君にガナッシュ君。君たちはどうしてこの山が噴火すると思ったの?」
「えっ・・・と」
「蒸気が噴き出していたからです」
言葉に詰まるロゼに代わってガナッシュが答えた。「火口へ向かうまでにあちこちで地面から蒸気が噴き出していました。においもきついし、それに地震まで。もしかすると地下でなにか起こってるんじゃないかと思ったんです」ガナッシュの返答にジニーはパチパチと拍手する。
「察しがいいね。なに?誰か師事してる教授とかいる?是非紹介してほしいよ。あ、でも、難しい専門用語を並べて陶酔しきってる話が長い教授は勘弁願いたいけどね~」
ジニーが舌を出す。まるで特定の誰かを指しているようだった。
「僕はね、半年ほどこの森に籠ってるけどそろそろ危ないと思うね」
「危ない?」
「地震は回数も多くなっているし、揺れも大きくなってきている。山も膨らんできた。これはひょっとするとひょっとするね」
「噴火が・・・近いということですか?」
「まぁ、具体的な時期はわからないけど、そのうちするだろうね」
「噴火したら・・・みんな死にますか?」
ロゼが恐る恐るジニーに訊ねる。ジニーは眼鏡のレンズに日の光を反射させて「規模による」ストンと言葉を落とした。
「小さければ大した被害にはならないだろうけど、大きければそれなりにね」
「どちらかわからないんですか?」
「わからないよ。自然のエネルギーっていうのは未知の領域だからね」
「だ、だったらすぐにでも避難を」
「すると思う?さっきも言ったけどブルジョワたちだって避難する気はないよ」
「どうしてですか・・・?」
「見えないからさ」
「見えない・・・?」
「そう、見えない」ジニーが大きく頷く。背負っていたリュックサックから瓶を取り出し「飲む?温泉水」金属でできたカップと一緒に渡してきた。それをガナッシュが受け取る。
「兵士が自分に向かって銃を構えていれば、自分は危ないんだって“認識”して逃げるよね。それは銃は殺す道具だと、そしてそれが自分に向かっているから危険なんだという“認識”を持っているからだ。そう、人は対峙してみないと危険を認知できない」
「教えてもダメなんですか?危ないよって」
「見たことのないものを教えたところで想像力に欠ける。子供に切れないハサミを持たせてはいけないって知らない?それは、本来危険である刃物をケガさせないように切れないようにしたことで、使い方を誤って学んでしまう危険性があるからだ。他人を傷つけてしまうかもしれない。自分も痛い思いをするかもしれない。それは身をもって体験して初めてわかることだったりする。つまり言って聞かせるだけでは理解に及ばないってこと。百聞は一見に如かずのとおり、聞くより見る方が一発なんだよね」
「でも・・・それじゃ」
「そう、手遅れかもね」
「飲まないの?」いつまでも温泉水とカップを持ったままのガナッシュにジニーは目配せする。飲むタイミングがわからなかったガナッシュが慌ててカップに温泉水を注ぐと、毒味をするように一口自分の口に含み、すぐロゼに渡した。「優しいね、お兄さん」ジニーがにこっと笑う。
「君たちは早めにここを立ち去った方がいいよ」
「ジニーさんはどうするんですか?」
「僕は調査を続けるだけ。持って帰りたい資料が沢山あるから」
「え、でも」
「危ないのは承知の上さ。それでも調査を続ける。だって僕は学者だから」
「学者の多くは実証のために命を懸ける。そして死んでから名を馳せるんだから生きてる間は苦しむだけなんだよねー。後世に名前が残って嬉しいのは子孫だけだってのにさー。あ、僕、結婚してないや」ニコニコしながら話すジニーから死への恐怖は一切感じられなかった。




