28.理想と現実
「はああー・・・」深い溜め息を漏らしながらガナッシュは重い足取りでゼイザックとセレスティアの控える車両へと向かう。不機嫌であろう二人に何と言葉をかけるか。様々な言葉を頭に鏤めさせながら歩を進めると、客室からセレスティアが不安そうな顔をしながら飛び出してきた。
「あ・・ディオ」
ガナッシュの顔を見るなり強張らせた表情が緩む。「よかった・・・。ここには来ないのかと思った」手を胸に当て、大きく息をついた。
「動いてる汽車の中で歩き回ると危ないよ」
「だって」
「ゼイザックは?一緒?」
「ええ」
「そう。俺はゼイザックに話があるけど、セレスはどうする?同席する?」
道を塞ぐように立っているセレスティアにガナッシュが訊ねる。セレスティアは顔を俯かせながら長い睫毛を揺らす。何の返事もないセレスティアに催促するように「セレス」ガナッシュがセレスティアの名を呼んだ。セレスティアは顔を俯かせたままガナッシュの目の前まで近寄ると、そのまま顔を胸に埋める。
「何の、お話をするの?」
「ロゼがゼイザックに無礼を働いた。それを謝罪する」
「どうしてディオが」
「俺の知人だから」
「あんな子を・・・庇うの?」
セレスティアがしがみつくように腕を背中に回す。昔からセレスティアはよくくっついてきた。ニヘイア家は早くで王妃を亡くしている。そのせいもあって父である国王はセレスティアに甘く、兄であるゼイザックはセレスティアを溺愛している。安心して甘えられる環境にあったセレスティアは自分が他者に受け入れられることは当然であり、否定されることはないと思っている節がある。だから人に甘えることに抵抗がない。甘えれば優しくされ、助けてくれ、慰めてくれると思っているのかもしれない。事実、周りは皆そうだった。そしてガナッシュ自身もそうだった。それは義務でもあった。
ガナッシュはくっついてくるセレスティアを見下ろしながら、自分に捕まえられると顔を真っ赤にして息を止めてしまうロゼを思い出す。自分から甘えてくることはないのに人を甘やかしてばかりで、気が付けばいつもロゼのペースに巻き込まれていた。マイペース且つ純粋無垢な世間知らずは、その真っ新な心で人を受け入れ、その居心地の良さに人は安心を覚える。ロゼを例えるなら花だった。置かれた場所で咲き、その姿形に目を奪われ、漂う香りに心がほぐれる。少し前に白いバラを贈ったのは名前にかけただけだった。けど、あのときの自分は何の躊躇いもなく赤でなく白を選び、それがあまりにロゼに似合いすぎた。顔はすぐ赤くするのに、零れる笑顔は穢れを知らない生まれたばかりの赤ん坊のようだったから。あの純真な笑顔に何度救われただろうか。
「セレス、ルイズベート家のネックレスはロゼが持ってたはずだ。どうやって返してもらった?」
「・・・・。」
「今、君を責める気はない。けど、ちゃんと覚えておいて。俺も、セバスチャンもあの子に救われた。俺たちにとっての大事な恩人へ危害を加えることは今後許すことはできない」
「どうしてそこまでするの!?そんなにあの人たちが大事なの!?私たちよりも大事なの!?」
「比べられるものじゃない。けど、大事なことには変わりない」
「いや!そんなの嫌!」
セレスティアは顔をガナッシュの胸に押し付けながら顔を横に振る。必死にしがみついてくる手に力が篭った。わかっている。セレスティアが欲しい言葉も態度も。けれどセレスティアが欲しがっているものをガナッシュは与えない。自分の意思ははっきり示す。ロゼを切り捨て、ニヘイア家との関係だけを大事にする、そんなことができるわけがない。だからゼイザックにも忠誠が足りないと言われるんだなと自嘲する。仕方がない。相手を鎖で縛り付け支配しようとするのではなく、素性を知らない相手であろうとも自分の懐に入れてくれる寛容な人たちを知ってしまったのだから。“この人のためなら”と思える人と出会えたのだから。
廊下の騒ぎを耳にしてか、ゼイザックも客室から顔を出した。ガナッシュにしがみついているセレスティアを見たあと睨むようにガナッシュを見た。
「ディオ、これ以上セレスを泣かせるな。私の大事な妹であり、ボワイア国の大事な王女だぞ」
「すまない」
「そこは素直に謝るんだな」
ゼイザックがセレスティアに近寄るとそっと肩に手を添える。「部屋に戻るぞ。ディオは私からちゃんと言い聞かせておく」ゼイザックの言葉にセレスティアは首を振った。「セレスがディオを怒るなというのなら怒ったりなどしない。注意に留める。心配するな」ゼイザックなりの譲歩だろうがセレスティアはまた首を横に振りガナッシュにしがみついている腕の力を更に強める。はあ、とゼイザックが息をついた。
「ディオ、ここまでセレスは君のことを心配し大切に想っている。その気持ちに応えてこそ男ではないのか?」
「俺のことを想ってくれているのなら、俺の大事な人への配慮も欠かさないでほしい。セレスティアもゼイザックも」
「大事な人?」
「ロゼとフラミンゴさんだ。俺はあの二人にとても世話になった。返せないほどの恩を感じている。その気持ちを君たちは汲み取ってくれないのか?」
「君の私情など知る由もないだろ」
「ならセバスチャンの件はどう思っている?セバスチャンだけじゃない。さっき暴行を受けていた家族を助け、セレスティアの、いや、王族の威信を守ったのはロゼであり、そのご家族の支援をしたのはフラミンゴさんだ。君たちが目を背け、見殺しにしようとした自国民を救った彼女たちに何も感じないというのか?」
「大義であった。それでいいか?」
ガナッシュは拳を握った。一歩踏み出しそうになる足を踏み留める。自分の前をセレスティアが塞いでいなければ、ゼイザックに掴みかかっていたかもしれない。
「ディオ、勘違いしないでくれ。セバスチャンのことは本当に感謝している。だから彼女と一緒にいたがっているセバスチャンの邪魔はしていないだろう?全てはセバスチャンのためだ。長く苦しみ続けたセバスチャンに幸福をもたらした聖女は間違いなく彼女だ。だから君だってセバスチャンに彼女を会わせたくて連れてきたんだろう?それともなんだ?自分自身のためだったか?聖女というカードを手にしたネラルク大公国は更なる国力増強により更に突出した存在となり、ボワイアへ連れて来たのは私たちにそれを知らしめるためだったか?」
「そんなまさか」
「なら四の五の言わず今まで通り君は私たちに従っていればいい。大公殿下のご意向を尊重すればいい」
「今は俺の話をしていない。ロゼのことを」
「セバスチャンの病を癒した奇跡の薬。顔が爛れ痛みを訴えた女性を瞬く間に痛みから解放した能力。確かに、本物の聖女と見紛うものだ。・・・仕方がない。生意気な口を利いたことは不問にしよう」
「ゼイザック!」
「これで十分だろう!これ以上何を望む!あんな、愚鈍で卑しい子供の勝手などこれ以上目に入れたくもないのだ!それでも能力を持っているのが事実である以上、我慢しているんだ、こっちは!」
ゼイザックが大声を出したことにセレスティアが肩を竦めた。「あ・・・、すまないセレス」怯えるセレスティアを目にしてゼイザックはすぐ声のトーンを落とした。ゼイザックがこんなにも声を荒げるのは珍しい。いつも毅然とした態度にあって、王太子教育を受けているゼイザックはそう簡単に心を乱さないように訓練されている。それが、ここまで心をかき乱されているということは、良くも悪くもロゼの存在が効いている。
「俺がロゼを連れてきたのはセバスチャンに会わせたかったからだ。床に臥せ、部屋から出られず、死をも覚悟したセバスチャンに広い世界を見せたかった。小さな酒場にいながら商人や旅人たちの話で世界を想像し、幸せそうにしている彼女から何かを感じ取って生きる希望を見つけてほしかった。ロゼにはその力がある。特別な力や聖なる力なんかじゃなく、人間力という、地に足をつけ人と自然と共に生きる逞しい力だ」
「土人ということだろ」
「聖女が天上人でなく土人であることが気に食わないと?」
「聖女が土人であってはならない」
「ならその目で確かめたらいい。外に出た彼女がこの世界でどれだけの影響をもたらすのか」
ゼイザックに返事はなかった。口を結び奥歯を噛みしめると悔しそうに目を逸らす。目を逸らされたことでガナッシュはセレスティアに視線を落とす。不安そうに顔を埋めているセレスティアの両肩に手を置くと、ゆっくり身体を引き離した。
「部屋に戻ろう。こんなところでする話じゃなかっ・・・」
急にゴゴンと車体が大きく揺れる。「きゃっ!」体制を崩したセレスティアをガナッシュが受け止める。ゼイザックも大きくよろけ、車窓に身体をぶつけた。車両の出入口で護衛にあたっていた兵士がすぐさまゼイザック、そしてセレスティアの元に駆け寄る。
「なんだ!?どうした!?」
「わ、わかりません!すぐ確認致します!」
五人ほど集まった護衛兵の一人が車両を出ていく。追うようにガナッシュも身体を翻すとマントの裾を引っ張られた。「いや、行かないで」涙目になっているセレスティアがぎゅっとマントを握りしめていた。
「様子を見てくるだけだ。すぐ戻るよ」
「いや・・いや!またそうやって私の前からいなくなるんでしょう!?ずっと一緒にいたのに急に旅に出たり、お兄様たちから距離をとったり、お願い!ディオ!目を覚まして!」
セレスティアの大きな瞳から大粒の涙が零れる。ボロボロと零れ落ちる。ふぅと小さく息を吐いたガナッシュはセレスティアの頭を撫でた。ぐずる子供をあやすように。
目を覚まして・・・?いや、目が覚めたの逆じゃないか?
セレスティアの言葉に自問自答する。セレスティアやゼイザックにとって今の自分は今までの自分と別物なのだろう。その自覚もある。今までなら同盟国の王族である彼らの顔色を窺い大人しく従順に従うだけだった人間が、土人などと侮辱される人物を聖女として寵愛していたら面白くないのも仕方がない。
「セレス、ゼイザックと俺、どっちがいい?」
「え?」
「君を守るのに必死なゼイザック、君の傍を離れこの身を犠牲にしようとする俺」
零れていた涙が止まる。口を小さく開け瞬きも忘れ固まったセレスティアは不思議そうにガナッシュを見上げていた。数秒沈黙が続くと「うん、だよね」なんの返事もしていないのにガナッシュが頷く。
「ゼイザック、セレスティアを頼む。俺は何があったか調べてくる」
「ま、まって!ディオ!」
「大丈夫、怒ってなんかない。セレスがゼイザックのことを心から信頼しているのはわかってるし当然のことだよ。俺はいつも自分のことは後回しだから損ばかりするんだ。そんな奴と一緒にいるの嫌でしょ」
「違うディオ!私は!」
「いいんだ。それが俺だから。・・・よく、覚えておいて」
ガナッシュはもう一度セレスティアの頭を撫でると立ち上がる。「確認したら戻るよ」とゼイザックに伝えて車両を移動した。
ガタンゴトンガタンゴトンと線路と線路の繋ぎ目越える音の感覚がとても短い。車窓から見える外の景色はものすごい速さで横切り、重力に身体が押されるように前を歩くのも一苦労だった。車両の中を兵士たちが右往左往している。「セ、セバスチャン様!?どこですか!?」真っ先に護衛すべき王族の身の安全を確かめようと動く兵士は、ひどく焦った様子で落ち着きがない。
「セバスチャンがいないのか?」
「はい!セバスチャン様は現在護衛や侍従をつけるのを嫌がっておりまして」
「ロゼたちと一緒じゃないのか?」
「客室を確認に行ったのですが、そちらには」
兵士の顔が真っ青になる。「ま、まさか、このスピードで汽車から投げ出された・・・!?」目で認識できるほど震えあがった兵士は鎧と剣をガチャガチャいわせながらガナッシュの横を通り過ぎ、そのまま汽車から降りようとするのをガナッシュが慌てて止めた。
「待て!その前に汽車を止めるのが先だ!俺が止めるように言ってくるから早まるな!!」
完全にパニックになっている兵士はその場に腰を下ろし、全身を震えさせてガナッシュに小さく頷いた。跳ねるように走る蒸気機関車に振り回されながらガナッシュは機関室を目指す。どうしてこんなに加速しているんだ。何か不具合でも起きたのか。急いで、急いで止めないと。
「・・・・・・・は?」
目の前に広がる光景に唖然とした。「ディオさま~!!!とめてください!!今すぐ二人をとめてください!!」機関士が涙ながらにガナッシュに飛び込んでくる。ガナッシュが機関室に入ると必死にバルブの操作をしている機関長の隣で、楽しそうに、それはそれは楽しそうに石炭を火室に投げ入れるセバスチャンと、高笑いをしながら運転席でレバーを握るロゼがいる。ガナッシュは「こーらっ!」と怒気を含まない声で大きく言った。
「こーら、こらこら二人とも!機関長が困ってる!」
「あれ?ディオ?」
「セバスチャン!君がついていながらどうしてロゼを止めないんだ。どうせロゼに乗せられたんだろ」
セバスチャンは真っ黒になった手で顔の汗を拭う。あまりの温度の暑さに汗だくのセバスチャンは清々しい顔をしていた。「よく言うよ。ディオだって楽しそうにするロゼさんを止められないだろうに」石炭をくべていたスコップを置きセバスチャンはロゼに顔を向けた。
「ロゼさん、小姑が来たので終わりです」
「ガナッシュさん!見てください!こんなに大きな機関車動かしたんですよ!」
「すごいよロゼ。スピードが出過ぎて脱線事故起こすところだった」
ガナッシュは減圧弁を離そうとしないロゼに近づく。「めっ!」まるで幼児を躾けるように人差し指で額を突いた。そしてロゼを抱きかかえ強制的に機関室を出る。ガナッシュに泣きついた機関士が慌てて機関室に戻り無言のまま扉を閉めた。
「あ、僕の上着」
暑すぎる室内で正礼服の上等なジャケットを脱ぎ捨てていたセバスチャン。「ま、いっか」ふう、と息を吐きながら呑気に言うセバスチャンに「よくない。式典に出る服なくなるだろ」ガナッシュは軽く指でコンと頭を叩いた。
「こんな危ない悪戯いけないよ。事故でも起きたら多くの人が死んだかもしれないだろ」
「「ごめんなさい」」
「かわいく言ってもダメです」
ガナッシュは右手でセバスチャンを、左手でロゼの頬を軽くつねった。力は入れていない。だからか二人はお互い顔を見合わせて笑っている。怒るに怒れないでいるガナッシュは、つねっていた手を離し、そのまま汗だくの二人を抱きしめた。
「ディオ?」
「ガナッシュさん?」
二人に名前を呼ばれてもガナッシュに返事はない。「汚れちゃいますよ、ガナッシュさん。私たち真っ黒ですから」抱きしめてくるガナッシュから逃げるようにロゼが身を捩る。ガナッシュは抱きしめる腕の力を強めた。
「何でこんなに違うのかな」
「え?」
「土人でいいよ。だから誰も手をつけないでくれ。このままでいいんだ。このまま・・・このままずっと」
しがみつくように抱きしめるガナッシュにセバスチャンとロゼが顔を見合わせる。「ディオ、甘えてる?」セバスチャンの言葉にガナッシュは無反応だった。「こういうときはですね、優しく抱きしめ返してあげるんですよ」とさっきまで逃げようとしていたロゼがガナッシュの背中に手を回す。いつも顔を真っ赤にして固まるくせに、どうしてセバスチャンの前ではお姉さんみたく振舞うんだとガナッシュは笑いがこみ上げてきた。
「ディオ、僕の手、石炭で真っ黒なんだけど汚してもいい?」
「・・・・・・ダメ」
「ケチだな。ロゼさん、ダメだそうですよ」
「ロゼはいいよ」
「なにそれ、スケベ」
まさかセバスチャンの口からスケベという単語が出てくると思わなかった。ガナッシュはもう笑いを抑えられない。
聖女の定義ってなんだろうか。容姿の美しさ?振る舞い?地位の高さ?そんな理想は御伽噺で十分だ。
「セバスチャン、汗臭い」
「ロゼさんの前で失礼なこと言わないで」
「先に失礼なこと言ったのはセバスチャンの方だ」
「事実でしょ」
「そう、事実」
「もー」
セバスチャンは抱きしめるガナッシュの腕から逃れるとロゼと距離を置いた。「こんなに汗をかくことなんてないんだから。はー、つかれた」シャツをパタパタさせて風を仰ぐセバスチャンを見て「でも、楽しかったですね」とロゼが笑った。もう少しで大事故になるとこだったと言っているのに反省の色が見えないロゼに「こーら」怒ってはいないが注意する。
よいしょっとロゼを抱え立ち上がったガナッシュは「フラミンゴさんのところに帰るよ。保護者がいないとロゼは危険だ」機関室をノックして、機関士からセバスチャンのジャケットを受け取る。
「フラミンゴさんに追い出されたんですよ?」
「ん?どうして?」
「どうして・・・。どうしてでしたっけ?」
ロゼはセバスチャンに顔を向けた。湿った髪の毛が顔の横に張り付いているセバスチャンが「・・・・あ!」と声を上げ「僕、着替えてきます!」ガナッシュからジャケットを取り上げ逃げるように小走りで去っていった。
「え?フラミンゴさんと何かあった?」
「え?フラミンゴさんとは特に何も・・・」
走り去っていくセバスチャンの後ろ姿を眺めながらロゼは小首を傾げた。「じゃあビーグルか」ビーグルの名前に反応したロゼが「あ」とガナッシュの顔を見上げ「セバスチャンさん、旅をしたいんですって!」声を弾ませて言った。どうしてビーグルからそんな話になるのかわからなかったがロゼが楽しそうなので「ロゼ、セバスチャンとどんな話をしたの?」セバスチャンには悪いなと思いながらも二人のやり取りを聞くことにした。この短い二人きりの時間を楽しむように。




