10.友達の値段
「・・・意外。全然怯えないんだね」
開店前の誰もいない酒場で男は椅子でなくカウンターテーブルに座っている。店内の隅の方で手を縛られて地べたに座っているロゼを男は見下ろしていた。ロゼは男を見ようとせず、ずっとアスファルト剥き出しの床を見つめている。
「お兄さんのこと信頼してるのかなー?助けにきてくれるって。仲良さそうだったもんね」
妹じゃない。けど男に説明する必要もない。ロゼは黙ったまま。
「正直俺としても早く来てくんなきゃマズいんだよね。ボスにバレたらヤベぇの」
「・・・・。」
「開店前に仲間来ちゃったら大変なことになっちゃうよ。ボスは女売るの嫌いだけど、BUGの連中は金のためなら何でもするからね」
「・・・・。」
「これでも俺、すっげー罪悪感あんのよ?ほんと、妹ちゃんて綺麗な世界で育ってきましたって感じだもんね。大切に育てられて、悪いものから守られて、愛情を惜しみなく注がれて。そんな子を人質にとってんだもん」
「・・・・。」
「聞いてる?」
男はカウンターテーブルから降りてロゼに近づく。わざと摺り足になり近づく足音を出しているのに顔を上げないロゼに「ねえ」声をかける。それでも顔を上げないロゼの視界に無理やり入るように男はしゃがみ込んだ。
「口塞いでないんだからさ、少しはおしゃべりしない?」
「・・・・嫌です」
「なんで?」
「話すことなんて何もありません」
「おしゃべりしたら気が紛れるかもよ?」
「そんなのいりません。しゃべると余計に不安になりますから」
「なんで?普通逆じゃない?」
「思考を止める方が不安になりません。・・・何も考えず、ひたすら無心であろうとする方が」
「え?君、修行僧か何かなの?」
男はまじまじとロゼの顔を見る。ロゼは絶対に男と目を合わせようとしない。そもそも目を隠している男と目が合わない。
「ねえねえ、名前教えてよ」
「・・・・嫌です」
「なーんてね。知ってるよ。ロゼちゃんっていうんでしょ?お兄さんにそう呼ばれてたもんね」
「・・・・。」
「俺はね・・・えーっとね。Bでいいや」
「・・・B?」
「仕事上の隠語なんだけど、もう名前みたいなもんだからこの際いいや」
Bはロゼの前に腰を下ろし、立てた膝に頬杖をつく。目も見えない、笑みも絶やさないBの考えていることがロゼには全くわからない。声は弾んでいるが楽しそうというわけでもない。全てが演技のようだ。
「あんまり乱暴なことはしたくなかったから大人しくしてくれて助かるよ」
「・・・・。」
「待ってるだけっていうのも暇だし、おしゃべりしようよ。ねえ、ロゼちゃん、俺の同情買ってくれないかな?」
「・・・同情?」
「俺ね、今、金が必要なの。一千万。下衆な生き方してた俺にできた初めての友達、助けるためには一千万必要なんだ」
「お友達、ですか?」
「そう。今、マフィアに捕まって密造の片棒を担がされてる。・・・その友達と引き換えに要求されたのが一千万」
Bは肩を小さく揺らして乾いた笑い声を出した。「はは、一千万なんてスラムで生きてきた俺にとっては夢のような金額だよ?手にできるわけないじゃん?・・・でも人間の価値で一千万って高いのかな?わかんないな」Bがガナッシュに言った台詞を思い出す。お兄さんにとって一千万ってどれだけの価値があるのだろうと。
「・・・・私が働いていた酒場では、物の価値を値段で決めていませんでした」
「へ?」
「酒代としてのお金は取らない、けど対価を払ってもらう。その人によってその物の価値は違うから対価に値段は決めないんです。私たちにとって無価値でも、その人にとって大事なものであればそれだけの価値があるんです」
「そんなの商売として成立しなくない?その人の価値なんか相手にわかりっこないんだから嘘つけばいいだけだよ」
「なんて嘘をつくのですか?」
「え?・・・例えば」
Bはアスファルトの上に手を広げて押し付けた。手に付いた細かい砂をロゼの目の前に出して「これは星の砂だよ」と言った。
「はい、星の砂です」
「いや、違うって」
「地球という惑星の砂です」
「何言っちゃってんの」
「けど、今の私は必要としていないので買いません」
「だろうね」
「でも砂からはガラスが作れます。そこの窓も並べられているグラスも元々は砂からできてるんですよ」
「・・・・・え?そうなの?」
「Bさんにとってその砂には価値がないから“月の石”のような“星の砂”という言い方をして付加価値をつけようとしたのでしょうけど、人によっては地面に這う砂にだって価値はあるんです」
Bは手についた砂を払うことなくロゼを見て固まった。そして「こんなものにも価値があるの・・・?」小さく呟く。
「値段はあくまで基準です。でもBさんは友達のためなら一千万だろうと二千万だろうと要求されたら手に入れようとするんじゃないですか?それがBさんにとっての友達の価値ですよ」
Bは小さく口を開けピクリとも動かなくなってしまった。ロゼは縛られている両手を強く握りしめ「そして、私を人質にとったBさんにとって私の価値は、一千万以下ってことです!」Bを睨みつける。Bの目は見えないが「ご、ごめん・・・。」背中を丸めて頭を下げた。
「そっか、そうなるのか。俺が今ロゼちゃんにやってることって、そういうことだよね。・・・ごめんね」
「・・・・謝られましても」
「俺、ロゼちゃん好きだよ?お菓子くれたし、お兄さんにしがみついてるの可愛いなって思ってたし、俺とこんなにおしゃべりしてくれるし。こんな子は初めてなんだ。一千万以下なんてことない。値段なんかつけられないくらいとっても大事だよ」
「・・・・全く信じられません」
「そりゃそうか、こんなことやってちゃね」
Bはロゼの手を縛っていた縄を解く。「これで信じてくれる?」縛られた箇所に赤い痣のようなものが浮かびBはその痣を撫でた。ロゼは驚いてBの手を振り払う。不意に触られて怖かった。腰が引けて倒れそうになる。
「ふはっ、可愛いな~ロゼちゃん。男慣れしてない感じだね。それもそうか。あの綺麗なお兄さんが身近で守ってたら、その辺の男たちは近づくことも敵わないだろうね」
「・・・・。」
「大丈夫大丈夫、何もしないよ。俺、無理やり女手に入れるの好きじゃないんだ。どうせなら好きになってほしい。俺のこと受け入れてほしい。そうじゃなきゃ虚しいだけじゃん?」
裂けているんじゃないかと思うほど大きな口が弧を描く。Bはロゼに腕を伸ばした。ロゼは身体を後ろに引いて、伸びてくる腕から逃げようとする。するとまたBは「ふはっ」と笑った。
「逃げられると追いかけたくなっちゃうのってなんでだろうね。どこで観念するのかな~?なんてね」
「Bさんはお金が欲しいだけですよね。どうして私に構うんですか」
「え?可愛いから?」
「から?って」
「それだけじゃないか。ロゼちゃんが価値の話をしてくれたから。それが嬉しかった。もしかしたら俺みたいな底辺の人間でも必要としてくれる人がいるのかもって嬉しくなった。
俺、心が汚れすぎて大事なものとか正しいこととかわかんないの。自分が生きるためには人を傷つけるのも人から奪うことにも抵抗がない。だってそうじゃない?そうしなきゃ俺が死んじゃうんだもん。必死に足掻いて生きてるだけだよ」
「それって悪いこと?」不気味な笑みでBはロゼを見る。こんなにも笑顔が怖いと思ったことはない。ロゼは息を詰まらせた。「みたいな話をね、その友達にもしたんだ。そしたらね、同じように対価の話をしたんだ。欲しければ同じだけの価値あるものを差し出せってね。そいつは商人のくせに商売がヘタクソでさー、目利きもできないくせに価値は人それぞれだからってロゼちゃんみたいなこと言って自分の能力の低さを誤魔化してた。・・・そう思ってたんだけど、違ったんだね。俺はロゼちゃんのいう価値ってやつに納得した」Bはまたロゼに腕を伸ばす。もう逃げられなかった。頬を撫でられ、肩を竦めてぎゅっと目を瞑ると「うん、やっぱり可愛いと」Bは満足そうに笑う。
「ロゼちゃん、手放したくないな。一千万出されたって手放したくない」
「・・・・話が違います」
「だよね。どうしよっかな~」
Bは両手を座っている腰の後ろに置き天井を見上げた。「迷う必要ないです。Bさんはお友達を助けるために一千万必要なんです。一千万受け取ってください」ロゼは乾ききった口を必死で動かす。「まぁ、一時的にお金借りちゃうかもしれないけど、後で返せばいいのかな?そしたら」天井を見上げたままBは少し黙り、躊躇いがちに「また俺と会ってくれる?」小さく呟いた。
「俺、アドベントっていうマフィアの一員なの。けど、もう辞める。一千万あれば辞めれる」
「マフィア・・・。」
「組織を抜けようとしたら友達人質にとられた。一千万と引き換えだって。そんなのズルいと思ったけど、諦めるわけにはいかないんだ。一千万さえあれば俺は友達と自由が手に入るんだから」
Bの手に力が入っているのがわかる。「スラムの汚い吹き溜まりしか知らない俺も、この世界には聖女様がいるんだっていつか救われることを夢みながら自由に生きたくなった。商人のアイツと同じように物売って、その金で旅をして、広い世界を見てみたい。だからお金はどうしても欲しいけど絶対に返すから・・・そのときは」Bは顔を正面に戻してロゼを見る。「また俺と会ってほしい」長い前髪で隠れているはずの目が、潤んで泳いでいるように感じる。「あの、申し訳ないんですけど」ロゼが小さくゆっくり言葉を紡ぐとBの肩が小さく揺れた。
「マフィアって何かわからないんですが」
「へ?」
Bが素っ頓狂な声を出す。「商人を狙ってるって聞きましたけど、Bさんは商人の方とお友達なんですか?なんか、聞いてた話と違う」ロゼは小首を傾げる。同じようにBも小首を傾げて「ロゼちゃんのマフィアの認識間違ってない?」ロゼに問う。ロゼは眉間に皺を寄せ「だからマフィアが何なのかよくわからないって言ってるじゃないですか」口を尖らせる。
「心が綺麗な子なんだろうなって思ってたけど、ただのアホの子なの?」
「アホ!?」
「お兄さんに甘やかされて育ったんだ。きっとそうだ。だから世間知らずなんだ」
「せ、世間知らずは否定しませんけど!ガナッシュさんはお兄さんじゃありません!」
「ええ?うっそだー」
「嘘じゃありません!ガナッシュさんは・・・!ガナッシュさんは私の・・・!」
言葉に詰まる。ガナッシュは自分の何に当たるのだろうか。友達・・・ではない。もちろん恋人でもない。黙ったロゼを見てフフンと笑ったBは「優しくされて、それに甘えちゃってるタイプだ。俺とおんなじ~」ロゼの肩を指で突くので「おんなじ嫌だ!!」大きな声で否定した。
「なんだな~んだ。二人には強い絆みたいなのがあるのかと思ったけど、ロゼちゃんが甘えてるだけで、お兄さんはそれが心地よいだけなんだ~」
「ちがーう!!そんなんじゃない!!」
「真っ赤になって否定しちゃって可愛いな~。ってことはロゼちゃんはお兄さんのことが好きなんだ~。年下の女の子に優しくしてるだけなのに、ロゼちゃん初心なんだな~」
「やめてー!!」
ロゼはBに近づき拳をつくった両手で叩く。「ははは、ごっめ~ん。核心ついちゃった~」全く悪びれなく謝る。ロゼは拳に込める力を強めた。「Bさん嫌い!だいっきらい!」避けることもなく叩かれ続けるBはずっと笑っていて「俺はますます好きになっちゃったけどな」嬉しそうにする。その態度が尚更腹立たしい。「ごめんね、ごめんね」中身のない謝罪とまた伸びてきた腕がロゼの頭を撫でようとすると「その子にそれ以上近づくんじゃねえっ!!」大きなしゃがれ声が響いた。扉にはフラミンゴとガナッシュが険しい顔をして立っている。
「うわあ!!びっくりしたあ!!もう来たの!!よかった、ちょうどロゼちゃんと・・「うわあああああん!!」
Bの声をかき消すようにロゼが大きな声を出した。「へ?」あまりに急なことにBは口をぽかんと開けてロゼを見る。
「うわあああああん!!フラミンゴさああん!!ガナッシュさああん!!」
「え?なに?なにがどうした?ロゼちゃんさっきまで君」
「助けて助けてたすけてええええ!!」
「このカス野郎!!さっさとその子から離れろ!!金はちゃんと用意してる!!」
フラミンゴは手に持っていたアタッシュケースをカウンターテーブルの下に投げた。Bの顔はアタッシュケースを追ったが、自分の目の前にいるロゼにすぐ戻る。
「フ゛ラ゛ミ゛ンゴざああん!!カ゛ナ゛ッジュざああん!!」
「なんでなんでなんで急に泣き出すの!?からかいすぎた?ごめんね?ごめんって何度も言ってるじゃん?」
「こ゛わいよおー!!た゛す゛けてええ!!」
「えええ!?嘘でしょう!?全然怖くなかったでしょ!?ついさっきまで俺のこと殴ってたじゃん!?ロゼちゃん、君、俺を悪者にしようと企んでない!?」
泣き喚くロゼを宥めようとBがロゼの肩に手を置こうとすると、その手が掴まれた。ギチギチに握りしめられた両手。「触らないでくれ」ガナッシュがBの手を振り払いロゼを抱え上げた。
「ちょっと待ってよ!!話聞いてくれよ!!」
「金ならきっちり一千万用意してある。なんだ?足りねぇのか?なら手切れ金までつけてやらぁ」
フラミンゴが投げたアタッシュケースの上に札束を一つ投げた。Bはフラミンゴには目もくれず「待って!!お兄さん!!話聞いて!!お願い!!行かないで!!」ガナッシュの左足にしがみつき離そうとしない。ガナッシュは足にしがみつくBを引き摺りながらも歩くのを止めない。
「うわーんうわーん、こわいよー」
「ちょっとロゼちゃん!嘘泣きやめて!君、さっきまで全然泣いてなかったよ!楽しくおしゃべりだってしてたじゃん!」
「この人、私のことアホって言ったー!!」
「それは言ったけど!!」
「アホな子ほど可愛いって言うじゃん!あれは俺なりの愛情表現で!」ガナッシュから離れようとしないBの背中にドスンとフラミンゴが乗る。「ぐぎゃ!」Bは踏み潰された蛙のような声を出した。そのBの目の前にフラミンゴはさっき投げた札束をちらつかせる。
「受け取れや。これでお前は今後一切俺たちに関わるんじゃねぇ」
「受け・・・取るけど!!けど!!借りるだけだ!!絶対に返す!!事が済んだら全部返す!!」
「いらん。二度と俺たちの前に姿現わせんじゃねぇぞ」
「嫌だ!!俺はまたロゼちゃんに会いに行く!!ロゼちゃん待っててね!!俺、マフィア辞めたらテールズと一緒に金かき集めるから!!俺たちを助けてくれたお礼だから!!」
「いらないですー!!」
「Bさんのバカー!ガナッシュさんのバカー!離してー!」ロゼは抱きかかえるガナッシュも手のひらでバンバン叩く。「え?何で俺まで?」困惑の色を隠せないガナッシュはロゼに叩かれながらもロゼを離そうとしない。「お兄さん!そこに愛がないなら俺にロゼちゃん譲ってよ!」フラミンゴに馬乗りされながらBがガナッシュを見上げる。「バカー!Bさんのバカー!もう黙ってよ!」Bの声をかき消すようにロゼはまた大声になる。
騒いでいる三人とは対照的に険しい顔をしているフラミンゴが「テールズ?」小さく呟いた。「おい、お前」再度Bの顎を持ち上げて「テールズって言ったか!?」力が入り過ぎてBの首が折れそうになる。「ち・・!ちぬ・・っ!!」Bは必死に暴れて、掴まれているフラミンゴの手を外した。
「ごっほっ、ごほ・・・死ぬかと思った」
「お前さっき」
「なんだよ、も~。おっさん、テールズ知ってんの?」
「俺の知るテールズとお前の言うテールズが同一人物かは別だ。お前の言うテールズってのは」
「テールズは俺の友達だよ。商売ヘタクソな行商人。いまマフィアに捕まってんだ。俺がマフィアから抜けるための人質になってる」
「な・・・んだと?」
フラミンゴの顔が蒼褪めていく。小さく震える手でBの顔を無理やり自分へと向かせた。目を隠している長い前髪を掴み上げて、初めて目にするBの吊り上がった目をフラミンゴはじっと見た。
「俺の目を見ろ。そして全て話せ」
「はあ?もう俺とは二度と関わらないんじゃなかったの?」
「いいから話せ。金やってんだから口答えするんじゃねぇ」
急に顔色を変えたフラミンゴに慌ててガナッシュが駆け寄る。無抵抗の人間に暴行を加えると暴行罪で逆にフラミンゴが捕まってしまう。相手がマフィアであれば、そこに付けこまれてどれだけの返り討ちに遭うかわからない。「フラミンゴさん、落ち着いてください!どうしたんですか!?」ガナッシュはBの前髪を掴んでいるフラミンゴの手を離すように引っ張った。
「・・・とんでもねぇことになっちまった」
「どうしたんですか。テールズって一体」
フラミンゴは背中を丸め項垂れながら言う。
「テールズはサンジェルとミラの一人息子だ」




