2・見てはいけない
この日の私の装いは控えめな女性が好みという彼に合わせて、ドレスは私の淡い水色の髪に映える深いブルーを選び、髪型も年齢より上に見られるような上品なまとめ髪にしてもらった。
アクセサリーはパールの三連ネックレスと揃いのピアス、髪にはパールが連なるコームを挿し、統一感を出した。
デビュタントとは思えない落ち着きぶりだが、ブルーを基調とした礼服を着た六歳上の婚約者と並んでも見劣りする事は無く、母を含む屋敷の女性達総出で苦労して選んだ甲斐があったように思う。
これまで経験した事のない張り詰めた空気の中でも、足がもつれる事も誰かの足を踏む事も無く、フェリクスとの初めてのダンスは家での練習通りに上手く踊れた。
フェリクスも感心したのか、一曲踊り終えたところで満足げな微笑みを浮かべて周りを魅了した。うっとりとした女性達の溜息がそこかしこから聞こえる。
「リタ、君も友人達とのお喋りを楽しんでおいで。舞踏会は深夜まで続くけど、疲れて帰りたくなったら私に声を掛けるんだよ」
「はい、フェリクス様」
「じゃあ、また後で」
「――!?」
別れ際に慣れた手つきで頬を優しく撫でられた。こういう事に慣れていない私は恥ずかしさで顔を真っ赤に染める。
フェリクスは約束通り、初めての舞踏会で完璧なエスコートをしてくれた。
役目を終えた彼は流れるように大広間を移動し、若い女性達の視線を集めた。そしてその直後、乙女達の嫉妬の視線が私に突き刺さる。
なぜあんな田舎娘が氷の貴公子の婚約者なの? と、彼女達の目が語っていた。いや、よく見ると口も動いている。
確かに私は洗練されていない。王都の最新ファッションに身を包む彼女達の華やかさの半分も輝いてはいないだろう。
でも私は誰とも張り合う気は無い。氷の貴公子と呼ばれるフェリクス・ラルス・アルトナーの婚約者に恥じぬ振る舞いを心掛けるだけだ。
容赦なく嫌みや蔑みの言葉がすぐ近くからも聞こえてきたが、友人を見つけてお喋りを楽しみ、たまにマルセルの姿を探した。
マルセルはホールの端っこにあるバーで十人ほどの派手な女性に囲まれていた。
きっと香水の匂いがキツくてウンザリしている事だろう。彼女達を無視して憮然とした表情でグラスに入った飲み物を喉に流し込んでいる。
「ふふふ……リタ様ったら、あちらに居る護衛のマルセル様が気になるのですか?」
「……えっ?」
「そのお顔です。彼が女性に囲まれて心配なのでは?」
顔? 何? 私今、そんなに変な顔をしていたかしら?
サッと両手で口元を隠す。
「あの方は身分こそアレですけど、それ以外はパーフェクトですものね。以前お見掛けした時も今のように未亡人に囲まれていましたわ」
「みっ、未亡人?」
「ご令嬢方にも彼に興味をお持ちの方がたくさんいらっしゃるけど、家柄を気にして皆さん遠慮しているのです。それに王都にお住まいではないので中々お会いできませんしね」
「あ……でもいつだったか、勇気あるどなたかが恋愛だけでも……と彼を誘惑しようとして、すげなくあしらわれたと聞いた事がありますわ」
「……へぇ……そんな話聞いた事なかったわ……」
モテるだろうとは思っていた。
だけど、実際に女性を侍らせている様子をこの目で見たのは初めてだから、何だか遠い存在になったように感じた。
大人の女性の中にいると別人みたい。私の前では気さくな彼が、やけに大人びて見える。普段は幼い私に合わせてくれているのだとはっきり自覚した。
そこへ、数名の男性が私達にダンスを申し込んできた。あまり気は進まないが、舞踏会に来て踊らない訳にはいかない。
しかしそれを皮切りに、若い男性が次々申し込んで来るので休む間もなく何曲も踊る破目になった。
「やっと順番が回って来ましたか。リタ様、次は私と踊っていただけますね?」
もう何人と踊ったか数えるのも面倒になった頃、ナルシストっぽい男性が声を掛けてきた。
普段足腰を鍛えているから体力的には問題無いけど、これではきりがない。初対面の男性を相手に踊るのはさすがに気疲れする。
「ごめんなさい、ちょっと休みたいので失礼します……」
「外の空気に当たりたいのでしたら、私がエスコートしますよ」
逃げるようにサッと離れようとしたら、前に回り込まれた。
あ、この人わざと空気を読まずにグイグイくるタイプの人だ。
こんな時は、化粧室に行くと言いなさいと母にアドバイスをもらっていたので実践してみる。
トイレに行きたいと言えば、まともな紳士はついて来ない。
「いえ、レストルームに……」
「あ、それは失礼しました。場所はご存じですか?」
「いいえ」
「あのドアを出て右ですよ」
「ありがとうございます」
親切に化粧室の場所を教えてくれた男性に会釈して、そそくさと大広間を後にした。
大広間は熱気に包まれていたが、回廊に出ると空気がひんやりしている。何曲も踊って火照った身体に心地いい。
「えっと……右ね。本当にこの先に化粧室なんてあるのかしら……」
化粧室があるなら何人かが行き来していてもおかしくないのに、誰もいない。
まあ、一人になれるなら良いか。タイミング的にこういう時もあるだろうし。
教えられた通り回廊を進んでいると、中庭にフェリクスらしき人影を見つけて立ち止まる。
半分庭木の陰に隠れているけど、あの後ろ姿は間違いなく彼だ。
私は声を掛けるべきか迷いながら、柱の陰から様子を窺った。
なぜこんな人気のない所に?
「――!?」
そこで突然目の前が暗くなる。
私は背後から大きな手で顔の上半分を覆われた。