1・十六歳、はじめての舞踏会
「リタお嬢様、本当に側についていなくて平気ですか?」
二年前の、とても寒い一月の夕暮れ時。
王都の中心部からさほど離れていない場所にあるオーフェルヴェーク家のタウンハウスで、準備万端整えて婚約者の迎えを待っていると、マルセルが膝を曲げ、気づかわしげな表情で私の顔を覗き込む。
私は十六歳だ。なのに未だにこの扱い。
マルセルは私が十歳の誕生日を迎えたあの日、父が付けてくれた護衛である。
身長190センチの彼にしてみれば、160センチの私などいくつになっても子どもに見えるのだろうが失礼極まりない。
ジロリと睨みつけてもまったく動じず、素晴らしく整った顔を私に向ける。
日々の鍛錬で日焼けした肌、スッと通った鼻筋に切れ長の目、伸びかけの黒髪に金色の瞳が猛禽類を思わせる。
素性はよく知らないが祖父の知り合いのお孫さんらしく、我が家に引き取られる前は伯爵領のアパートで母子二人暮らしをしていた。
彼がうちに来たのは私が四歳の時。
彼らの後見をしていた祖父が持病の悪化により急逝し、マルセルの母までもがその頃流行っていた病で相次いで亡くなってしまった為だ。
マルセルは私の六歳上で、当時はまだ十歳だった。
初めて彼が我が家に来た日、玄関先で心細そうに私の父の手を握る姿を見て、四歳の私はたまらず駆け寄り、彼を抱きしめた。
自分の方がはるかに小さいくせに、私がお姉ちゃんになるわ、何て口走った恥ずかしい思い出もある。
家族が何度となくそれを話題にするので、記憶から消し去りたくても消えてくれないのだ。
私にとって六人目の兄のような存在であり、共に過ごした時間が長い分、本当の兄よりも気を許せる相手となっている。
彼は王都の貴族学校への入学を辞退し、伯爵領にある兵士養成学校を選択して首席で卒業したエリートだ。
父はそんな優秀な彼を、私兵を統括する三男ローラントの補佐ではなく、私の護衛にしてしまった。まったく意味がわからない。
「マルセル、私もう子どもじゃないのよ。そうやって小さい子にするみたいに目線を合わせる話し方はやめて」
目の前にある顔をぐいーッと手で押しやりながら不機嫌にそう言うと、マルセルは肩をすくめて揶揄うような笑みを見せた。
私が本気で怒ろうが不機嫌になろうが、いつもこれだ。
黙っていたら怖そうな見た目なのに、笑うとキュートなのが悔しい。
普段ならムキになって喧嘩を始めるけれど、今日の私はそんな事はしない。一日おしとやかに振舞うと決めているのだ。
「今夜はフェリクス様がエスコートしてくださるから心配いらないわ。あなたはあなたで夜会を楽しんでね。お兄様達に連れられて何度か参加した事があるのでしょう?」
「ありますけど……俺はあんまり好きじゃないです。香水の匂いがキツくて……」
ムッ……。香水の匂いがキツく感じるほど女性達が自分に群がると言いたいのだろうか。
確かにオーフェルヴェーク家の私兵の制服は素敵だし、長身の彼は黒い軍服がとても似合っていて、立っているだけで注目を集める。
彼が会場に現れたら独身女性は放っておかないだろう。
マルセルももう二十二歳。仕事にも慣れたし、結婚相手を探しても良い年頃である。
「香水? 待っている間、バーでお酒や軽食を楽しんでって意味だったんだけど……?」
「……! いや、もちろんわかってます! 言っておきますけど、俺は知り合ったばかりの女性とどうこうなった事なんて一度もありませんよ!」
明らかに何かあったのだろうなと思わせる狼狽えっぷり。こうなると揶揄いたくなる。
「ふぅーん、でもモテるんでしょ?」
「馬鹿な事言わないでください。……今日はやけに上機嫌ですね」
このままいつもの調子で軽口を言い合うのかと思えば、マルセルが不意に真顔になり、拗ねたような声を出す。
自分の女性関係について話をしたくなかったのか、話題の矛先が私に向けられた。
「と、当然でしょ。やっと公の場に出て婚約者と並んで立つ事が出来るのだもの」
私は十六歳で社交界デビューするまで、特別な用がある時を除いてほとんど伯爵領から出ずに過ごしてきた。
大抵の貴族令嬢は十三歳で一度地元を離れ、王都の貴族学校で三年間魔力の制御法や日常で使える便利な生活魔法を習いつつ、みっちり淑女教育を受けて社交性を身につける。
しかし私は家族の勧めで学校へは通わずに、家庭教師から必要な事を学んだ。
兄妹の中で私だけが団体生活を経験できなかったけれど、父や母、兄達の交友関係を通して自分と同年代の友人はそれなりに作れたし、親友と呼べる女友達もいる。
伯爵領には他にも様々な年代、職業の友達がいて毎日が楽しい。
だから特に不自由を感じた事は無かった。
婚約者のフェリクスは年に一度、私の兄と一緒に我が家へ新年の挨拶をしに来る以外は顔を出さなくなったけれど、結婚するまで自由にして良いと許可した手前、何も言えなかった。
正確には訳もわからず彼の要望を聞き入れてしまっただけなのだが、あの後家族にも話して渋々ながら納得してもらった。
姑息な手段で言質を取ったフェリクスへの信頼は揺らいだものの、彼は早すぎた婚約に縛られて学校などでは律儀に女性を遠ざけているという長兄カシミールの証言で同情を買い、お咎め無しとなったのだ。
以来フェリクスは女性との交友関係を批判されると、婚約者の許しを得ていると開き直っているらしい。
そのせいで私は、社交界で「謎多き深窓の令嬢」と噂されている。
社交界一のモテ男フェリクスに対し、自由に恋愛を楽しむ事を許せる寛容さを持つ十代の少女。どれほど自信にあふれた美少女なのかと妄想を掻き立てる煽り文句である。
他の女性達にすれば婚約者の不貞など到底許せる行為ではない為、理解不能だろう。
おまけに私の事を誰かに聞かれても、フェリクスは「素直で優しくおおらかな性格で、私を一番理解してくれる女性」と言い、兄達は「とにかく可愛い妹。あの子の気持ちを尊重する」としか答えないとか。
こちらとしては不本意だが、婚約者が誰と浮名を流そうともそれを許せる度量の大きな女性だと、なぜか称賛されてしまっている。
多くの男性にとって浮気を許容してくれる女性は最高という評価なのが残念至極である。
私が浮気を許容しているかと言えばそうでもない。
家族や友人の気遣いで、私の耳にフェリクスが誰と付き合っているかなどの具体的な話が入ってこないだけなのだ。
だから今のところ嫉妬するも何も無いのである。
約束の時刻に馬車で迎えに来たフェリクスは、私の両親への挨拶を済ませると、「社交界デビューおめでとう、とても綺麗だよ」とサラリと言って私の手を取り、淡々と馬車に乗せた。
久しぶりの再会なのに、私にかけてくれた言葉はそれだけ。
長兄がプレゼントしてくれた毛皮のケープに一瞬だけ目をくれたけれど、ドレスアップした姿をじっくり眺める事も、ハグも指先へのキスも無し。
馬車に乗り込むなり、お前になど興味はないと言わんばかりに窓の外に視線を向けられてしまった。
馬車を先導する役を任されたマルセルは用意していた馬に跨り、通り過ぎざま車内の私に微笑んでくれた。ホッとして緊張がほぐれる。
そして舞踏会場に到着すると、「謎多き深窓の令嬢」とはどんな少女なのかと、社交界デビューしてついに公の場に姿を現した私に注目が集まった。
フェリクスが人気者というのもあるのだろうが、入場の時からずっと視線を浴び続け、見世物にでもなった気分だった。




