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プロローグ・十歳の誕生日

「リタ、悪いが君との婚約を破棄したい」

「……? フェリクス様、仰っている意味がわかりませんわ」

「ハァ……子どものお守りはもうウンザリなんだ!」


 私の婚約者、フェリクス・ラルス・アルトナーに冷たい眼差しで睨まれ、足が震える。

 今日は私の十歳の誕生日。

 誕生パーティ―の途中で年上の婚約者から庭を散歩しようと誘われて、初めてレディとして扱われた事にドキドキする私に、十六歳の彼は容赦なく本心を告げた。

 人目の無い所にこっそり連れ出され、大人に近づいたお祝いにキスのひとつも貰えるかと期待した自分が恥ずかしい。

 彼からのプレゼントは、今年も例年通り熊のぬいぐるみだった。

 目には彼の瞳の色と同じアイスブルーの天然石がはめ込まれ、足の裏に彼の名前とメッセージが刺繍された物だ。

 一歳の誕生日の時は「僕の天使へ」、五歳の時は「僕の可愛い子猫へ」、そして今年のメッセージは昨年に続き「誕生日おめでとう」とだけ。

 私から心が離れているのが伝わる素っ気ないものだった。


 私は公爵家の後継者であるフェリクスの妻になる為だけにこの世に生を受けた娘。だから婚約破棄などされたら私の存在価値が無くなってしまう。

 彼の祖父が私の祖父に大恩があるとかで、十六年前、世継ぎの誕生百日を祝う席で、公爵閣下は妊娠中の母を見て娘が生まれたら孫のフェリクスの嫁にすると約束されたのだ。

 我が伯爵家が公爵家と縁続きになれるまたとないチャンス。

 しかし、期待通りにはいかなかった。

 結果としてその時生まれたのは、私の六歳上の長男カシミール。

 その翌年に次男トルステン、またその翌年に三男ローラント、続いて四男ビアス、そしてすぐ上の五男セリム……と、男ばかりが立て続けに生まれ、やっとの事で生まれたのが私、リタ・テレーゼ・オーフェルヴェークだった。

 元々娘が欲しかった父は私の誕生を大変喜び、五人の兄達も鬱陶しいほど私を溺愛してくれている。

 しかし、父以上に私の誕生を喜んだのは母だった。

 女児誕生までに時間がかかればかかるほど、その間アルトナー公爵家にはたくさんの縁談が舞い込んでしまう。

 あちらの気分次第では、まだ相手の存在しない婚約話など簡単に無かった事にされていたかもしれないのだ。

 祖父からのプレッシャーも相当なものだったはず。

 その為母は、休まず子を産み続けて体を弱らせてしまった。そんな母の為にも、私はフェリクスとの婚約関係を維持しなければならない。

 そして何より、私は優しくて美しい彼の事が大好きだった。


「私は今日で十歳、もう大人の仲間入りです」

「十歳は子どもだよ、リタ。君は本当に可愛いけれど、六歳も年が離れていては私には妹にしか思えない。親友の妹でもあるしね」

「あなたの妹ではありません。私は生まれた時からフェリクス様の婚約者です」

「ああ、そんなのわかっている。ハァ……おじい様はなぜあんな約束を……」


 簡単に言いなりになると思っていた私が思いのほか頑固で、相当イライラしているのがわかる。

 いつも穏やかな好青年の顔しか見せない彼が、チラリと裏の顔を覗かせた瞬間だった。

 その裏の顔さえ美しいが、私の知らない男の人に見え、「怖い」と感じた。

 フェリクスは二年ほど前から私との婚約に不満を持っている。

 それまでは私を「僕の可愛い子猫」と呼び、週末になると伯爵領まで会いに来てくれて、兄を交えて遊んでくれていた。

 なのに、ある時からパタッと会いに来なくなってしまったのだ。

 王都クロノベルクから伯爵領のエッケルンまでは馬車でニ時間半ほどの距離があり、行き来するのが大変なのは私も知っている。

 それでも子どもの頃は月に一、二度、必ず遊びに来ていたのだから、せめて半年に一度くらいは顔を見せてくれてもいいと思った。

 

 一年前、兄が夏季休暇で帰宅した時に、「この頃顔を見せてくださらないけれど、フェリクス様は休日に何をしているの?」と尋ねてみた。

 するとその言葉の裏を読んだ兄に、「学業優先でここにはあまり来られないけど、寂しくても我がままを言って彼の邪魔をしてはいけないよ」と優しく窘められてしまった。

 でも二番目の兄トルステンが、フェリクスが伯爵領に来ない理由をこっそり教えてくれた。

 金髪碧眼、眉目秀麗なフェリクスは、貴族学校の女性徒達からの人気が凄まじいらしく、休日は女性徒を交えて友人達と楽しく過ごし、自分も皆と同じように恋人を作りたいと周囲にこぼしているという。

 当時の私は、そんなものは私が恋人になれば解決すると本気で思っていた。

 彼が何を求めているのか、まったくわかっていなかったのだ。

 目の前に立つ彼はもう、私の知っているフェリクスではないという現実を受け入れられなかった。

 

「リタ、お願いだ。私の事が好きなら、私の幸せの為に聞き入れてくれるね?」


 私が怯えている事に気づいたのか、今度は打って変わって優しい口調での説得が始まった。口調は優しいけれど、目の奥が笑っていない。

 二年前までのフェリクスは、優しく包み込むように私を見つめてくれたのに。

 ふるふると首を横に振る私に、フェリクスは今日一番の深い溜息を吐いた。


「リタは私の事が好きではないのか?」

「もちろん好きですわ」

「なら頼むから、君の方から私との婚約破棄を申し出てくれないか」

「それはできません。私はフェリクス様が大好きですし、将来は結婚したいと思っています」

「兄に似て頑固だな。では君は、私と結婚さえできれば満足なんだね?」

「はい。私はフェリクス様の花嫁になる為に生まれてきたのですもの」


 彼を困らせているのはわかっている。

 だからといって、祖父と両親の期待を背負っている私が簡単に引き下がる事はできない。

 十年婚約者として交流を深めてきたのだから、少なからず彼も私を想ってくれているはず。

 眼差しに頑として受け入れられないという気持ちを込めて彼を見据える。

 他人に愚痴をこぼすという事は、隠れてこっそり他の女性と付き合ったりなどしていない証拠だ。六歳年下の婚約者である私に、誠実に向き合ってくれていると信じたい。

 途中、フェリクスは何度か悲し気に目を伏せていたけれど、幼すぎた私にそれが何なのかわかるはずもなかった。


「……わかった、婚約破棄はしなくて良い」

「本当ですか?」

「その代わり……君と結婚するまでは、私は外で自由にさせてもらうよ。礼儀として、公式の場では君のエスコート役を務めるが、それ以上を期待しないでほしい」

「はい、わかりました」

「それと、私は大人しくてあまり自己主張をしない従順な女の子が好きなんだ。でも今の君は正反対だね」

「フェリクス様好みの女性になれるよう、今日から努力致しますわ」

 

 婚約破棄を思いとどまってくれた事に安堵した私は、彼の申し出を快く受け入れた。「外で自由にする」意味も知らずに。


 

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