第38話:不安定な精神
目からハイライトが完全に消えている奈恵からは、全くと言っていいほどに生気を感じなかった。
「私はあるマフィアの取引妨害の仕事を受けていたの」
依然シュンヤの眼差しは鋭く、もはや睨む領域に達そうとしていた。
「取引相手の娘さんが人質に取られた状態での仕事だったんだけども、彼女は心の底から怯えていたわ」
「その仕事の依頼人って誰なんだ?」
「娘を取られた側の取引先」
「で、私は先に娘さんを安全な場所に持っていこうとしたの」
奈恵は淡々と過去の話を続けている。
しかしこの思い出話の先を聞くのが物凄く怖い気がするのは気のせいだろうか?
「簡単じゃなかったわ、でも成功自体はしたの。テレポート魔法陣を彼女の下に敷くことに成功した」
「でも難易度の高い魔法陣は使用後数秒その場に残っちゃうのよ、その数秒で私のありとあらゆる情報が抜かれたわ」
「名前。相手との距離。種族。いろんな情報を見抜かれてしまった」
「取引自体は中断になって一応仕事は遂行したのだけど、その取引は相手の組織にとってかなり大きなものだったらしくて、取引に使われた人間は組織を追い出されたみたいだったの」
おい待てまさか...。
「左腕を組織に持ってかれた彼は腹いせに私の事を調べ上げてやって来たわ、でも私はそこそこ強かった」
「彼はその事もしっかり理解していたわ、だから娘を連れて来た。娘を私の目の前で殺してみせたの」
やはりそうなるよなぁ...。
「私は時を5,6秒ほど戻して、彼から娘を取り上げたの。でもダメだった。取り上げた瞬間に彼の持ってたナイフは娘の顔面をグサリと貫通させたわ、それは時を戻す前よりずっと残酷だった」
「私はメンタルをズタボロにしながらももう一度時を戻して、今度は娘を取り上げる前に相手を後方にぶっ飛ばしたの、でもダメだった。娘さんには爆破魔法が仕込まれていたの。2回目まではそんな魔法微塵も感じなかったのに」
「爆破した娘さんは木っ端微塵になって跡形もなく消えたわ」
「私は激昂して相手を滅多打ちにして殺したわ、彼女が受けた苦痛と同じかそれ以上の苦しみを与えて殺してやった」
奈恵の目から一粒の涙が落ちた。
それはトラウマを語るときの反応に似ていたが、この場合は怒りからくる涙だろう。
「なんで3回でやめたんだ?」
「実は4回目も存在してるの、木っ端微塵になった後もう一度だけ戻した。でもそこに彼女はいなかったわ」
「「え」」
僕とシュンヤは同じリアクションをした。
だんだん残酷な死に方をしていくから次はどうなるんだとビクビクしながら聞いていたら、いなかった?
「3回も死ねば存在は薄くなるんでしょうね、彼女はもうこの世のどこにもいなかった。依頼主には最初から娘さんがいないことになっていたわ」
じゃぁ滅多打ちにされた相手ってすごい理不尽な事されてるんじゃ...。
いや、調べて乗り込んできてるんだから同情の余地は無いな。
「仮に貴方がその鍵で私を救ったとしても、その先に待ってるのは私の残酷な死に様だけよ。それでも助けに行くの?」
「待て、今なんて言った?私?」
私を救うって、ナエラを救うってことだよな?
おい待てまさか。
「私は生に対するしがみつきが強かった。お互いが死を体験してる中、どっちの精神が強く出るかなんてわかりきった事でしょう?」
奈恵の目は相変わらず死んでおり、その目に恐怖すら感じる始末だった。
しかしもしこの発言が正しくて、奈恵がナエラに【上書き】されたとしたら、死んだのはナエラではなく奈恵と言う事になる。
ここまで考えて猛烈な吐き気に襲われたのだが、なんとか踏みとどまった。
「本当にナエラなのか?」
シュンヤが半泣きになって奈恵に聞いた。
その泣きっ面には複雑な感情がそのまま現れており、彼の心情がよく分かった。
「えぇ、ただいま。と言ってもこれからの私は奈恵として生活すべきなのだから、ナエラか?と聞かれれば答えは濁るのだけどね」
物凄く複雑な気分だ。
突然奈恵の目にハイライトが戻り、奈恵はあたりをキョロキョロ見回していた。
「あれ?ここは?エルフは?」
「奈恵」
「え?何?」
奈恵と言う名前に反応した。
ナエラではなく奈恵になっているのか?
「なぁシュンヤ....」
シュンヤの顔に深みが増した。
ナエラが帰ってきたと思ったらまたどこかに行った...と言った感覚なのだろうが、もう正直考えるのすら嫌になってきている。
「わかってるよ...」
奈恵の現状は物凄く不安定だ。
ナエラと奈恵、二つの人格が入り乱れている。
このまま二つの人格が対立するかのようにコロコロ変わっていればいずれ精神は壊れてしまう。
ナエラでも奈恵でもない別の【誰か】になってしまう。
ミレイ・ノルヴァの「奈恵に気を付けて」とは奈恵に警戒しろと言う意味ではなく、奈恵本人の事を気にしろと言う意味だったのか...と理解するのと同時に、僕は理解不能の疲労感に襲われていた。




