89.探索
探索
ようやく異様な視界にも慣れた来たジョーイは、城壁の内側に造られている石の階段をそろそろと降り始めた。物陰の向こう側が透けて見えるという、便利だが、おかしな視界に、まだ足元がおぼつかないが。
(ジョーイ、まずは、あの作業小屋を調べてみて下さい。)
ナナの指示に従って、ジョーイは作業小屋の壁に張り付く。小降りだった雨が、段々と強くなり、風も吹き始めた。隠密行動がしやすくて助かる。
作業場は、よほど慌てて建てられたのか、大工の技術が稚拙だったのか、壁の所々に大きな隙間が出来ていて、中の様子が覗き見られた。
中では、多分この土地の小作人であろう男たちが、古い鉄を精錬し直し、鉄板に加工している。
『えにし』の電気で溶かされた鉄が、鍋から流れ出し、金属製の枠の中で冷やし固められている。冷却を早める為に流しかけられている水が、水蒸気となり、場内の湿度は恐ろしく高くなっているだろう。
そうやって作られた鉄板が、奥の作業場に運び込まれ、積み重ねられている。奥の作業場では、冷めた鉄板に、切り出すための絵を描く者と、大きな鋏で絵の通りに切り出す者が分担して作業をし、更にハンマーで曲線を付けて立体に加工されていた。
十年ほど前に、ブライトン商会が、プロイセンに技術供与した加工工程ばかりだ。
(ねえ、何か働いている人たちの表情がおかしいんだけれど…。)
(全員、軽いアヘン中毒になっていると思われます。)
(いや、監視についている兵士は、そんな事が無いみたいだよ。)
(ああ、本当だ。あれ、今、気が付いたんだけれど、エニシ鋼の色がおかしいよ。銀色に輝くはずなのに、少し黒くない?)
(ジョーイ、良く気付きましたね。多分、精錬作業に使われている『えにし』の違いでしょう。ですが、あのエニシ鋼の性質がどのように変化しているかは判りませんが。)
(ここでやっている作業の内容は大体分かったね。次はどうしよう?)
(後は、教会の中と、領主の屋敷内の様子でしょうか。)
(了解。教会の方に移動するね。)
「使えん連中だったな。」
各地で発行された新聞を握りつぶし、ヘッセンが悪態をついた。
ポーツマスを皮切りに、エニシ教布教の為に各地に送り込んでおいた部下たちが次々と捕縛され、投獄されていた。全て、新しく作られた麻薬取締法違反為でだ。
「教祖様、どうします。全国からの送金も全て途絶えましたぜ。」
ザンダーが、投げやりな口調でヘッセンに聞いた。
「なあに、ここの領主と領民は全て支配済みだ。ここを拠点に、今度は無敵の軍隊を作り上げて、世界を支配してやるわ。」
「じゃあ、こんな田舎とも、もう直ぐ、おさらば出来ますね。」
「ああ、ザンダーお前は、どこの町が欲しい?」
「そうですね。先ずは、アムステルダムなんて、良いですな。」
「ああ、わしに忠誠を誓い働けば、アムステルダムだろうが、パリだろうが、お前の物にしてやろう。」
(こいつが教祖様とその家来だな。いけ好かない奴らだぜ。)
窓に掛けられた分厚いカーテンの後ろで二人の会話を聞いていたジョーイが、心の中で罵った。
(でも、このプロイセンは、エウロパの中でも最強と呼ばれている騎士団なのに、どうやって戦う心算なんだ?)
(まだ、分かりませんが、精神支配以外にも何か手の内に隠しているのかもしれませんね。)
(早いところ、その秘密も暴かないとな。さてと、次は領主様の所か。)
ジョーイは、気配を消したままカーテンの後ろから教会の外に脱出した。
屋外の雨は、更に強まり、もう嵐になっていた。時折、雷光が夜空を走り、恐ろしい音と共に雷が落ちる。
嵐の中を走り抜け、ジョーイは、領主の館に忍び込んだ。
館の中は、既に明かりが落とされ、暗闇に包まれている。
玄関ホールに入ったジョーイは、視界の左上の表示を確認した。
玄関ホール内に赤い点は光っていない。館全体をゆっくりと確認していくと、一階の奥の部屋に一つと、地下のホールの様になっている部屋にたくさんの点があった。地下の方の人数は数えるのも嫌になる程集まっている。
(地下には一体何人いるんだろう?)
(八十六人です。)
ジョーイの疑問にナナが即座に答えた。
(げ、多すぎだろ。先ずは、一階の一人の方を見に行こう。)
ジョーイは、暗闇の中を音も立てずに駆け抜けていく。
立派な扉が見えてきた。
(この向こうが領主の部屋だな。)
そっと扉を開けると、贅沢な調度品で飾られた部屋に出た。室内には誰も居ない様だ。入って来た扉の正面右側にもう一つの扉がある。そして、その扉の奥に椅子に座っている人間が確認できた。
(扉の向こうが透けて見えるのは、便利なんだか、不気味なんだか。あれ、側のベッドで寝ている人もいるじゃないか。赤い点は一つしかないのに?)
(赤い点で表示されるのは、生きている人間だけですから)
ナナが、即座に答える。
(え、ベッドに寝ているのは死んだ人な訳?)
(そうですね。二人の位置関係から、領主の奥様ではないでしょうか、ベッドに横になっている方は。)
(そう言えば、昼間、守衛が言っていたな。奥方が重い病で臥せっていると…。)
(しかし、ここから確認出来るだけでも、もう、亡くなってから二週間は立っているようですが。)
(ええっ、それじゃあ、遺体はもう腐り始めているんじゃ?)
(そうですね。かなり腐敗は進行していますね。)
(ここを覗くのは嫌だな。でも、領主は生きているようだけど。)
ジョーイは、意を決して、そっとドアを開けてみた。開けると同時にドアの隙間から、強烈な腐臭が流れ出してくる。椅子に座った領主が動く気配はない。ジョーイは、ポケットからハンカチを取り出し、口と鼻を覆うと、最低限度、ドアを開き、その隙間から部屋に潜り込んだ。
椅子に座った領主と思われる人物は、空中の一点を見つめて、何かぼそぼそと呟いている。
「リサ。段々顔色が良くなってきたね。早く元気になっておくれ…。」
(領主は、奥方が無くなった事に気付いていない?)
(アヘンにより、意識がはっきりしていない所に、強い精神支配を受けていますね。奥方は、やはり、二週間近く前に癌の転移による多臓器不全で亡くなられたようです。)
(最後の方は、何の話か理解できなかったけど、病気で亡くなったってこと?)
(その通りです。)
(領主に話が聞ける状態では無いみたいだし、ここはもういいよね。地下を覗きに行こう。)
ジョーイは、そっと部屋の外に出て、静かに扉を閉める。
左上に見える地図を頼りに、地下室への入り口を見つけたジョーイは、赤い点の位置に注意を払いながら、地下への階段を下りて行く。
地図を見る限りでは、大きなホール以外にも小部屋が幾つかあるようだ。階段の下には見張りの様な人間は配置されていないらしい。
「おい!殺すなよ。実験用の人間は、すくねぇんだからな!」
大きなダミ声と、下卑た笑い声が聞こえてくる。ホールの扉に近づき、中の物音を探る。
「お、お助け下さい。後生ですから…。」
助けを求める声がする。どこかで聞いた声だ。そうだ、今日会った守衛の一人だ。
(ドアの向こうの様子を見るかい?)
頭の中に平本の声がした。
(どうやって?)
(ああ、俺の視野を重ねれば、ほら。)
ジョーイの視野から、目の前の扉と壁が消え去った。
ホールの中で騒いでいる連中は、傭兵崩れの様だ。少し、色の黒いエニシ鋼の簡易鎧を全員が身に付けている。
同様に、簡易鎧を着こみ、槍を手にした守衛もいた。周囲を武器を手にした傭兵に囲まれている。
「ほら、その槍で俺をついて見な!」
傭兵が、両腕を広げて守衛の前に立つ。
「そ、そんな事は…。」
「ほら、早くしろよ。じゃねえと、こっちから行くぜ。」
守衛が、へっぴり腰で槍を付きかかるが、エニシ鋼の防具がはじき返す。
「さあ、お返しだ。」
傭兵が、手にした剣を守衛に向かって振り下ろすと、剣はエニシ鋼の防具を切り裂き、守衛の腕から血がしたたり落ちる。
「こりゃあ、いいぜ!無敵の防具と、何でも切れる剣だ。世界中のどの軍隊とも戦えるぜ。」
(これは、何かがおかしいぞ。こいつら、殺気をむき出しにして、エニシ鋼の防具で楽に動いている。そんなはずはないのに。)
(解りました。あの教祖の目的はこれだったのですね。あのエニシ鋼は、『赤えにし』で精錬される段階で、鋼を構成している原子中の一部の量子スピンが同じ向きに揃えられて、殺意や害意によって重さを増して引き合うエニシ鋼の特性が変化させられています。)
(一体、何の事を言ってるかさっぱりわからないよ、ナナ。)
(ああ、そうだな。人間の言葉を使って欲しいな。)
(相変わらず、平本さんは科学理論に関心が無さすぎます。少しは勉強して下さいな。)
(でも、解らんものは解らんよな、ジョーイ。)
(うん。量子って聞いた事も無いよ。)
(ほら。)
(ジョーイを味方に引き込まないで下さい。)
(で、この事態をどう解決するんだ、ナナ?)
(ここは、ひとまず引き上げましょう。そして、準備を整えて改めて出直します。)
(ジョーイ、そう言う事らしい。ここは引き上げだ。)
ジョーイは、全く話について行けなかったが、引き上げる事には、異論があるはずも無く、静かに領主の館を後にした。




