87.新聞の力
新聞の力
「この記事は、上手に書かれているね。取材対象もしっかりしている。保安判事と薬学博士の証言も信頼に値するようだよ。」
「しかし、新興宗教の弾圧のために、どこかの教会が書かせた可能性はないかな?」
「いや。どの宗派の教会も、関係はしていないだろう。このような無名の宗派に関心を寄せる宗派はないからね。」
エニシ教についての記事は、どのコーヒーハウスでも話題となっていた。
トムは、周囲の紳士たちの会話に静かに耳を傾け、第一弾の反響として、満足した。
「だが、これだけじゃ足りないな。」
コーヒーハウスを出て、ロンドン支店に向けてトムがのんびりと道を歩いていると、後ろから声を掛けてくる人物がいた。
「やあ、ブライトンさん。もう、我が社の新聞は目を通してくれましたか?」
「おや、シンプソンさん。ごきげんよう。今回の記事は、とても良く書けていますね。さっきまで、コーヒーハウスにいたのですが、大勢の紳士が話題にしていましたよ。」
「でも、あれで終わりじゃないですよ。今、我が社の記者を総動員して、アヘンの輸入に関わった商人について調べさせています。これが記事になれば、もっと話題は大きくなるはずです。」
「ああ、次のニュースが楽しみですね。所で、イギリス国外でのエニシ教については何か判りましたか?」
「さすがに、まだ、そこまでは手が回りません。」
「良かったら、私の所に各地の支店から集まった情報をお見せしますよ?」
「本当ですか?さすがブライトン商会だ。ぜひ拝見させて頂きたい。」
「では、店までおいで願えますか?」
「ぜひ、お願いします。」
シンプソンを伴って、ブライトン商会のロンドン支店に着いたトムは、各支店から報告をまとめた資料をキャビネットから取り出した。
資料を受け取ったシンプソンが、書斎のソファーに陣取り、貪るように読み始める。
「シンプソンさんに、紅茶と、何か簡単な食べ物を差し上げてくれませんか。」
トムが、店員の一人に頼む。
「すぐにお持ちしますよ。」
「これは、すごいですね。
あの、記事にはブライトン商会の名前は出しませんから、この資料をしばらくお預かりできませんか?」
「ええ、構いませんよ。ただ、各支店でも市民の義務として、調査した内容はそれぞれの国の関係部署に報告はしてありますので、悪しからず。」
「では早速、社に戻り、新しい記事をまとめます。紅茶、ご馳走様でした。」
そう言うと、シンプソンは飛び出して行ってしまった。
「やれやれ。慌ただしいお人だ。」
新しいニュースは、翌日の新聞に大々的に掲載され、イギリス国内に衝撃を与えていた。
特に新聞を読んだ紳士達の関心を呼んだ内容は、各国の陸軍内にエニシ教が配っていたアヘンについての部分だった。
「これは、本当だろうか?」
「かなり信憑性が高いと思うね。現在の陸軍兵士には、強く求められている事だからね。」
「しかし、これでは、陸軍が麻薬中毒者であふれ返ってしまうぞ。」
「それにしても、戦争のやり方が、こうも変わってしまうとはな。
私が軍にいた頃には、想像も出来なかったよ。兵士に最も求められる事は、勇敢に敵を殺す事だった。しかい、今では、誰も殺さない事が求められるのだからな。」
「ああ、血の気の多い君には到底出来ないだろうな。」
「何だと!」
「ほら、すぐに頭に血が上る者では、今の戦場では役に立たぬ。」
「エニシ鋼の防具が、世界に広まった今では、殺意を持った方の負けだからな。」
「最近の兵隊は、剣も鉄砲も持たないそうだ。」
「すぐに頭に血が上り、暴力を振るう者は、軍に入れない。アヘンでも使い、精神を落ち着けないと、入隊試験にさえ合格出来んのだろう。」
「情けない。そんな事で麻薬に頼るとは。」
エニシ鋼製の防具が、世界に広く流通を始めてから、陸上での『戦争』という概念は、大きく変化した。
エニシ鋼の防具は最強だったが、殺意・害意を心に持つ者の動きを封じてしまう。
殺意・害意を心に持たない者だけが、エニシ鋼製の防具を身に付けていても、普通に動く事が出来た。
こうして、エニシ鋼の防具に守られて戦場でまともに活動出来る者は、聖人の様に、穏やかな心で、誰も傷つけない、特別な戦士だけになった。
では、双方がそのような戦士を戦場に送り出せばどうなるか?
敵が殺意を持つまで、我慢をして待つ。あるいは、戦いにもならず、双方が握手を戦わない。
戦争を企てる者に取り、このエニシ鋼の防具は、邪魔だった。
だが、エニシ鋼以外で造られた武具を兵士に与え、戦いに臨ませても、エニシ鋼の防具を身に付けた敵には、かすり傷一つ負わせる事が出来ない。
このジレンマは、各国の軍隊の指揮官を悩ませ続けている。
新聞の報道に慌てたのは、議会だった。
直ちに会議が招集され、アヘンを始めとする麻薬の取引禁止、および、厳しい罰則が提案され、全会一致で可決された。
これについては、エウロパ内の各国は足並みを揃え、国際的にも麻薬の流通は禁じられた。
更に、各地の銀行にも動きが見られた。
ロンドン、アムステルダム、パリ、ベルリン、ウィーンなど、各地の銀行が加盟する銀行連盟において、麻薬取引につながる決済は全て禁じられ、その債権は全て無効とされる議案が可決された。
ただ、この裏には、ブライトン家の二代目当主であるジョセフの意向が強く働いていたらしい。




